(画像をクリックで拡大鮮明になります)
尚古荘は明治28年ころ西尾城の城郭の
一部を地続きの須田町の鍋屋の辻さんら
に払い下げれました。そしてお城の遺構
出来るだけ多く活かした庭と茶室の不言庵
を本宅の裏庭として造られ国中の歌人を招
待し歌会などを開かれました。
西尾城新坂門
昭和初期に大黒屋さんに渡り尚古荘と
して拡大されが、今は市の管理にて無料
開放されています。
尚古荘の西の出口から太鼓門を前を
西尾城の鍮石門に出ます。
門の由来
第11代大給松平の乗佑公山形藩より
1764年に三州西尾に所替えになり。
それまでこの門は中柵門と言われたのを
金具(真鍮?)が目に付き、鍮と石で門と
鍮石門(ちゅうじゃくもん)となる。
三層四階の時代の西尾城天守閣
(再建予想図?)
豊臣秀吉の家臣田中吉政が、岡崎・西尾
10万石として城主なり、城は大きく建て
替えられ落成式に豊臣秀吉が自ら
お祝いに駆けつけたと言われています。
本丸西南の隅、羊申櫓跡下にある。
本丸丑寅櫓
(平成8年復元 )
ご縁があり、訪問頂き
皆様に ありがとうございます。
よろしくお願いします。
吉良荘西尾の 案内人ようさん
「西尾城古老伝」に城中に石井あり、
「織田信長鷹野肥料に被為堀也」と
記されるものであろうか。