乱歩酔歩--Random Walk official blog-- -99ページ目

新しいおもちゃを手に入れた!

どうもこんばんは霧島です。じめじめしてだいぶ梅雨っぽい感じですね。
紫陽花なんかが美しく咲いてるのを見るといい季節だなと思うのですが、じとっとするのはあまり好きではないので早く梅雨明けしてくれないかなと思う今日この頃です。

ここ最近はちょっと仕事が忙しかったのもあり相変わらず引きこもってますが、先日久しぶりに画材屋さんで色々買い物してきました
ずっと水彩絵の具を買い足さなきゃと思いつつ騙し騙し使ってたので(?)ようやく新しいものを購入しました。わーいわーい!

簡単お手軽なので重宝してます、固形水彩ちゃん。
色によって減りが全然違うのでリフィル別売してるものにしました。これは無敵すぎる……

あとはいつも使ってるものより小さめのスケブと、画用紙を何種類か。
ワトソン紙がいい感じです。


試し描き&試し塗り。
途中まで服着てたんだけど最終的に脱がせてしまった。本当はこの絵を最初に貼ろうかと思ってたのですがブログのサムネに半裸がくるのもあれかなと思って紫陽花でワンクッションです。(小賢しい)

新しい絵具には肌色が入っているので肌の色塗りが楽しいです。

本的にいつも人を描くので肌色めちゃくちゃ無くなる。
ちなみにこれはオリオンのシリウスという紙です。ワトソンに比べると薄く色がついてるような気がします。

どうしても線で塗る癖があるので水彩のぼわっとした感じが出せるようになりたいです。にじみとか好きなんだけどいい具合に使うの難しいんだよな〜!!

そうだ……あとインク。


もうしばらくPILOTのインクを使ってるんですが、製図用と証券用をたまに間違えます。製図用は耐水性じゃないから水彩絵の具使うとインクが滲むんだな〜!
なのでしばらく耐水性のミリペンとか使ってたんですが、やっぱり丸ペンは細い線が描けていいです。手に刺さるとめちゃくちゃ痛そうですが。あ……ペン先もそろそろ新しいの買わなきゃな……

子供の頃から文房具屋さんとか画材屋さんとか好きなんですが、しばらく大きいところに行ってないのでそのうち出かけたいです…新宿とかかな…

したらば今日はこの辺で!





rin

6月は原稿と脱稿と自粛開けと梅雨入りでした。

 こんばんは米原です。無事脱稿して久々に晴れやかな気分です。

 

 新作漫画で頑張ったシーンの一部を貼っときますので見てください。

 

 

見ました?ありがとうございます。

 

 漫画賞に出した作品なので、日の目を見るのはまだしばらく先になりますが、霧島さんや遊木さんに続いて結果が出ることを!願います!南無三。今までで一番ツヤベタ頑張ったから「ツヤベタ頑張ったで賞」は貰ってええやろ。

 

 無事に脱稿し一応自粛も開けたということで、少しだけ展示会や映画鑑賞でインプットしておきたい所なのですが、ここ1週間くらいはガタガタだった生活を立て直しつつ掃除したり食料買いこんだり久々に甥っ子姪っ子と遊んだりしていたら気付いたら月末になってしまってましたね。はい。藤子・F・不二雄ミュージアムのチケットを取るのもすっかり忘れてたんですが、梅雨入りしてここしばらく雨が続いてたこともありかえって良かったかな?などと思ってます。しかし、ズルズルと先延ばしになってるのでいい加減お前とも決着を付けたいぞ私は。絶対売店にドラ焼き売ってると思っているので真相を確かめたい。そこで売られてるのを見たいのだ私は。

 

 明日は月初め、ということで映画が安い!ので、『エジソンズ・ゲーム』を終了する前に見に行きたーい!と思って近所の劇場を調べたのですが、『AKIRA』(4K版)もやってくれてますねぇ…。それに上映は2日に終了…これは…見るしかない…か…?尻が割れるだろうけど1日2本映画見るのでもいいか!?と思いましたが、見事にエジソンもアキラも時間が被ってたので一瞬で企画倒れ。ごめんエジソン私が行くまで終わらないでいて。前回はポップコーン買ったらマスクしてる意味がないと学んだので今回は飲み物だけにします。近所の映画館に閉店されたら本っっっ当に困るし悲しいので頑張ってくれ。

noz

最近の制作についてのご報告!

どうも遊木です。

月末ですね。

 

今月はすでに展覧会の感想を2本更新していますが(…大変だった;白目)、もう一本、最近の制作について報告しようと思いまし。

 

 

すでにツイッターで報告していますが、#82ヤングジャンプシンマン賞で佳作を受賞しました。

「Good-bye wolf」という作品で、すでに過去の記事でも書いているように、漫画としてエンタメにし辛いテーマを、どうにかしてエンタメ漫画っぽく見せる練習をした作品です。(練習と言ってますが、これは私が勝手に自分に課しているものです)

捻くれたコンセプトの作品ですが、自分の作風を考えると一度はやっておかなくてはならないものでした。なかなかに苦労しましたが、おかげでかなり分かりやすい形で課題を見つけられたし、目的は十分果たせたかなと。良い勉強になりました。

ちなみに掲載情報についてはすべて未定←

 

 

 

ツイッターでの報告時は、横浜創作オフ会Mosaic Port関係者、学生時代の友人など、沢山の方に祝って頂きとても嬉しく思いました。中にはお祝い品を下さる方までいて…!う、うれしぃいぃ……!

みなさま、ありがとうございました!!

 

ぷれもーる!を頂きました!

わざわざgifteeを使ってまで…ありがとうございます!

 

 

実は「Good-bye wolf」を提出した後にも一本描いていて、こちらはページ数は少ないですが、過去一短期間で制作した作品となりました。これも前作までとはまったく違う作り方をしたので、企画とか構成とかのテクニックの面で勉強になったなぁと。

これも賞に出していますが、結果発表がいつになるかわからないので一端忘れようと思います。(ぇ)

 

 

人生で一番純愛を描いた気がする…びっくりした。←?

 

そして現在は、前作で浮き彫りになった課題を考慮した上で、次作に向けてのアイデア出しをしています。一作ごとに「これが課題だよなぁ」と思う内容を潰していってる感じが、なんだか半分ゲーム感覚の気がしないでもない。

 

 

ちなみに、今までの(自分で勝手に決めた)課題内容とその結果はこんな感じ。↓↓

 

・長編向きの企画を短編にまとめる練習…期待賞+初投稿賞(デビューできず)

・ニッチな題材をエンタメにする練習…佳作(デビュー!)

・テーマから制作する練習+短期間で制作…結果待ち中

・キャラクターから制作する練習…←今ここ!

 

今後も自分の創りたいものと、自分のやるべきことのバランスが取れた制作が出来ればと思います。

さーて…次作はどんな作品になるのやら……。

 

 

最後にもう一度…

お祝いの言葉を下さったみなみなさま、ありがとうございました!!

 

aki

「未来と芸術展」感想~SECTION5: 変容する社会と人間

どうも遊木です。

もう6月も残り数日……驚きです…時の流れ…怖い…。

 

さて、今回は森美術館「未来と芸術展」の感想その⑤です。ついに!ラストです!長かった!

これだけ一つの展覧会について書いたのは、2017年のメディア芸術祭以来ではないかと。

その①冒頭で述べたように、これらの感想はあくまでも私の主観です。見る人によってはまったく違う感想を抱くと思うので、この長かったブログも素人の一意見程度に読み流して下さい。

もしこの記事をきっかけに、アートや紹介作品に興味を持って下さった方がいらっしゃいましたら、是非自分で調べ、考察し、意見を見つける楽しさを味わって頂ければと思います。

 

①「SECTION1 都市の新たな可能性」についてはこちらからどうぞ。

 

②「SECTION2 ネオ・メタボリズム建築へ」についてはこちらからどうぞ。

 

③「SECTION3 ライフスタイルとデザインの革新」についてはこちらからどうぞ

 

④「SECTION4 身体の拡張と倫理」についてはこちらからどうぞ。

 

 

SECTION5 変容する社会と人間

最後のセクションは名前の通り、変容していく社会や人間は、今後どのような問題に直面し、どのようにして新たな価値観や倫理観を築いていくのか、という点に切り込んでいます。

これまでのセクションは分野ごとに特化したパーツのような印象を受けましたが、最後のセクションではそれらを集約し、展覧会名でもある「未来と芸術」という形にまとめ上げた印象です。

技術の進歩によって変容する倫理観、死生観、ものの価値、人のあり方。これらは決して二人三脚で変化するものではありません。大抵は技術の進歩が先行し、だんだんと人間の考え方がそれに追いつき、ようやく日常のものとして受け入れられるケースが多い。そして、そのスピード感の差が、時に個人や社会を混乱させる場合もあります。現在のコロナ騒動で、身に染みた人もいるのではないでしょうか。

このセクションの作品たちは、「旧時代のパラダイムに縋りつくその手は、いつでも放す準備をしておけ」そう訴えているようにも感じました。

 

未来に向け、価値観の刷新を予見させる作品はいくつかありましたが、そのひとつが《シェアード・ベイビー》です。

本作では「遺伝的に複数の親を持つ子供が実現したら、子育てはどう変化するのか」というテーマをもとに、バイオテクノロジーが家族の定義や子育てにどのような影響を与えるのか、そのあり方をどう変化させるのか、思考実験をしています。

この作品は、ミトコンドリアDNA疾患の治療で、3人の親の遺伝子を引き継いだ子供が生まれたという、2016年のニュースから着想を得て制作されています。世界ではすでに、複数の遺伝情報を持つことが認められている国もあるようです。

実の親が3人いる、というのは今の私たちからすると、なかなか想像できるものではありません。技術がさらに発展し、病気の治療以外でも複数人で一人の子供を持つことが合法化されたら、一体“家族概念”はどうなるのでしょうか。

この作品は、「将来的に家族という考え方が消失するかもしれない」という可能性を提示しているように思えました。もしかしたら、血縁上の親、子、兄弟、姉妹、祖父母、それらの繋がりには何の意味もなくなるかもしれない。生みの親と育ての親が当たり前のように違い、子育ては好む人、そのキャパがある人に任されたり、学校のようなある程度の集団で行うものになるかもしれない。

このような未来の可能性が示されたとき、人々はマイナスの印象を受けるのでしょうか。それとも“アリ”だと考えるのでしょうか。

これは私見ですが、仮に現在の家族概念がなくなったとしたら、今よりも家族関連で苦しむ人が減る可能性はあると思います。育児放棄によって不幸になる子供が減ったり、DVで苦しむ人も、もっと簡単に助けられるようになるかもしれない。働き方も、何かと話題になる男女差が是正され、各々が望む形に落ち着くかもしれない。

一方で、固定された家族の不在=帰る場所がない、と捉えることもできます。己の巣となる場所があやふやな状態で育った場合、アイデンティティの形成にどのような影響を与えるのかは考えなくてはなりません。独立心が強い人間となるのか、逆に、過度に依存心の強い人間に育つのか。そして、幸福度にどのくらいの変化が出るのか。

一見机上の空論のようにも思えますが、技術的に可能になる日はそう遠くない気もします。当然、人間社会には倫理観というものがあるので、そう簡単に我々の日常になるとは思えませんが、パラダイムシフトは何がきっかけに起こるかわからない。常に心のどこかで留めておく論題なのかもしれません。

 

 

 

同じく、ストレートな表現でありながら、未来の価値観について考えさせる作品が《末期医療ロボット》です。端的にいうと人間の死を看取るためのマッサージ器ですが、これは“看取るもののいない人”向けに考えられた作品です。近い将来に広く実用化し、人の死生観にも影響を与えるのではないか、と感じさせるものでした。

今の時代、「孤独死」は決して珍しいことではありません。年々子供の出生率が下がっている現状を考えると、その数は今後も増えていくことでしょう。もしかしたら、“身内に看取られること”が贅沢となる日が来るかもしれない。

この作品の設定は、ロボットが他界する人の腕をさすり、「誰も来られなくて残念だが快適な死を」と慰めながら最期を看取る、というものです。孤独に人生を終えようとしている人へのせめてもの慰めとして、たとえロボットでも傍にいてくれた方が良いのか、という問いかけが含まれています。

私がこの作品を鑑賞した時、まず思い浮かんだ言葉が“死に方のプロデュース”でした。死に方について、現在もある程度の選択肢はありますが、どこか閉鎖的な感が否めません。それは単純に実現できるできないという問題もあるでしょうが、やはり、死を積極的に待つことを不謹慎と捉える人が多いからだと思います。

しかし、技術の進歩によって、個人が望む理想的な最期がより細かい注文も含めて実現可能になったとしたら、その価値観はどう変化するのでしょうか。

今やネットを介して世界中の人と繋がれる時代です。もしかしたら、逆に孤独死という言葉は消え、ネットの向こうの誰かに看取られることが、当たり前になる日が来るかもしれない。もしくは、SAOに出てきたメディキュボイド相当のものが開発され、ヴァーチャル世界内での死を望む人が出てくるかもしれない。物理的な孤独は度外視され、あるいはロボットに一任され、精神的な孤独にのみ配慮された、そんな社会がくるかもしれない。

生まれ方を選べない我々が、死に方の自由を手に入れたとき、それは人類にとって幸せなことなのか、ロボットは人にとってどのような存在になっていくのか、彼らに義務や権利が与えられ日がくるのか。

ストレートな表現とは裏腹に、様々な角度から疑問を投げかけてくる作品です。

 

 

 

ロボットのあり方、というテーマに近い題材を扱っているのが《スーパーデットハンターボットの裁判》です。(撮影し忘れたので適当に検索してください)

この動画作品では、「アルゴリズムが結果的に人を死なせてしまった場合、その法的責任をアルゴリズム自体に問えるのか」という議題(事件)設定をし、実際の裁判のように扱っています。そして、問える派と問えない派に分かれて意見を交わすことで、現状の法整備や倫理観では、責任の所在を追求することがいかに難しいかを提示しています。

他のセクションでも似たような議題がありましたが、私は個人的に、ロボット、AI、アルゴリズム、これらに義務と権利が発生しない以上、罪と罰とは切り離された存在だと思っています。彼らに独立した義務と権利がないまま、その罪をそれ自体に問うのは、単なる開発関係者の逃げではないかと。

人間ですら、「親の責任」という考え方があります。たとえ子供が、親が予期せぬ、望まぬ成長を遂げたとしても、じゃあ知らないとはならないでしょう。湯川先生も言ってましたしね。「責任を取れない人間は、科学者であってはならない。そういう科学者に未来を作る資格はない」と。

この先、ロボットたちに権利が与えられる可能性は十分あります。自動学習、AIなどによる社会貢献を求めるならば、使役する側はその立場に胡坐をかいていないで、彼らとの付き合い方を真剣に模索していく必要があるのかもしれません。

 

余談ですが、このセクションで手塚治虫と諸星大二郎の漫画を扱ったことに「ほほーぅ」となりました。絶妙なところをついてくるな、と。そして、展覧会最後の作品がモノリスだったのも、上手いまとめ方だと思いました。物語性を感じます。

個人的に、展覧会自体にストーリーがあるものは良い展覧会の印象です。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はある時期からずっと、科学と現代アートの相性の良さはどこから来るんだろうと考えていました。が、この展覧会を通じて、その共通点を見つけたような気がします。

科学と現代アートは、どちらも“思考を停止させない”という共通思想のもと、成り立っているジャンルなのではないでしょうか。土台が同じなら、相性が良いことにも納得できます。

個人的に、美大にはもっと理系の専門的なことを学べる授業が増えれば良いのにと思いますね。いや、今のカリキュラムは全然知らないんですけど。

 

実は大学2年生まで、私は現代アートが嫌いでした。嫌いなものが評価されることが解せなくて、逆に一年間みっちり現代アート系の授業を詰め込んだ記憶があります。その結果、作品の奥深さと様々な価値観を追う姿勢に触れ、今では好きなジャンルの一つとなりました。

大学の授業をきっかけにこの数年で学んだのは、あるがまま鑑賞するには偏った知識ではいけないこと、感性は努力で磨くこと、そして、思考を停止させないことです。考えることをやめた途端、現代アート作品は単なる物質になるのだと思います。かつて何も知らなかった私が「いや、単なる意味不明の物体やん」と考えたように。

 

今後もうんうん悩み、頭を沸騰させながら、様々な作品に触れていきたいと思います。

 

長々と失礼しました!

 

 

aki

アニメ『ソードアート・オンライン』 1期25話までを見ました。

 こんばんは、原稿も一段落し、たっぷり寝たり自粛明けで久々に少しゆっくり買い物したり外食をしたりしてました。米原です。ドトールも久しぶりに行けた!

 

というわけで今回は『ソードアート・オンライン』1期を見ました!見る事になった経緯は以前の記事に書いてあるので今回は省きます。

 

↓以前の記事「『魔法少女まどか☆マギカ』を見ました。」

https://ameblo.jp/random-walk2010/entry-12583595944.html?frm=theme 

 

 25話中最後の3話くらい残した状態で原稿期間に突入してしまい、1ヵ月くらい間が開いてしまいました。また最初から見直していたら予定よりかなり遅くなってしまいましたが、ようやくアニメ『ソードアート・オンライン』を見終わった!…のですが、「これ1期だけで感想書くのはちょっと…ッ!」ってなってます。はやく3話見て2期見始めれば良かった!と現在なっております。とりあえず現時点での感想も書きますが、もうちょっと先まで見てから総括の感想も少し書きたいですね。はい。

 

 元々TVゲームが好きなのでオンラインゲームの要素を取り入れたシナリオも楽しめました。魔法が使えないゲームという設定は新しいな!ってなりました。タイトルにも納得。基本物理で殴るオンリーはキツいですね!話運びの構成もエンタメ性が高い&説得力もあり、しっかり面白かったのですごいなぁ~と思いました。結構序盤でヒロインと想いが通じ結婚まで行くのには驚きましたが、早すぎる感や唐突感を感じなかったのにも驚きました。中盤では決断力と覚悟が既に完了してるキリトさん普通に主人公としてカッケー!てなりました。関係の発展が食事や胃袋掴まれてる所だったり、いける所まで行っちゃうというか、生々しい所が逆に「起こりそう」なリアルさを出してる気がしました。はい。

 

 ただ『ゲーム』が題材の作品では、やはり『ゲームをクリアする瞬間が見たい!』という欲求が強いです。1期25話までの段階だと、オンラインゲーム+デスゲームを合わせて特有の人間関係の問題アレコレを表現しつつ感情の揺さぶる+開発者側の所謂大人の都合やメタ要素も含まれつつで、シナリオ的にはとても面白かったけれど「ゲーム」としては不完全燃焼なのが引っかかったまま終わってしまう印象でした。

 本編で「これはゲームあっても、遊びではない」とあったけど、生き返らない仮想現実てそれはもうほぼ現実だし「『遊び』がない『ゲーム』って一体…」と私の中で若干「ゲームとは?」て感じでゲシュタルト崩壊してたので、「…一先ずスッキリしたりので2期では分かりやすく『ゲームクリア』してくれると嬉しいなぁー!」と思ってます。でも、まだまだシリーズは沢山出てますし、SAOのシステム使った他のゲームも出てくるのかな?とか、システムの話を聞くともっと世界規模のサイバーテロ的な大事件も起きそうだな~とか思ってますが、ゲームとしてのクリアはどこかであると良いなぁ~と思います。

 

 H×Hのグリードアイランド編で例えると、1期では「ズル&殺戮をするボマー一派は倒した!」て一段落した感じはあるけど、本来のゴンたちの目的は「父親が作ったゲームを正攻法で攻略してクリアする(ゲームを遊び楽しむ)」ことだったので、「本来の目的だったゲームクリア」するパートも見れるといいなぁ~って感じです。はい。まぁ、SAOでは「ゲーム」と「現実(人生?)」がほぼ同列なものの様に感じたので、「ゲーム」と「遊び」はSAOのテーマとはちとズレるかなぁ~とも思うので私の期待通りにはまずならないかなぁ~とも予想はしてるのですが。人生ゲームはそれこそ死ぬまで続きそうな予感。

 2期では再びSAOの舞台の塔が再登場&再攻略するみたいですし、せめてここまでは見なきゃ結論が出ないままモヤモヤしそうなので、これからまた少しづつ2期を見始めたいと思います。1期後編ではお姫様ポジになってたアスナがまた活躍することを期待。

 

 蛇足ですがハゲのおっさんとヒゲのおっさん(25)が生存してくれて良かった!!!ほぼ毎話「死なないでくれ~~~!」と手を合わせてたので滅茶苦茶安心しました。いや、2期以降のシリーズでどうなるかは知らんけど。あと子安さん、気持ち悪いキャラやらせると本当に気持ち悪いのすごいな、て思いました。(褒めてる)

 

noz