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「未来と芸術展」感想~SECTION2:ネオ・メタボリズム建築へ

どうも遊木です。

 

この記事は森美術館「未来と芸術展」の感想②です。

引き続き、素人の素人による素人のための感想です。

 

① 「SECTION1 都市の新たな可能性」についてはこちらからどうぞ。

 

 

SECTION2 ネオ・メタボリズム建築へ

前のセクションでは都市そのものがテーマとなっていましたが、ここでは、それを構成する具体的な素材や工法について言及しています。

バイオテクノロジーを活用した新素材の提案や、3Dプリントの普及によって発案された新工法、伝統的なデザインや人間の深層心理をコンピューターで分析し、新たな表現へと変換したものなど、今すぐ使えそうな具体的な企画から、建築とは、デザインとは、という問いを抽象的な切り口で捉えなおすことで、人間の無意識に触れる作品が展示されています。

 

このセクションに限ったことではないですが、個人的に3Dプリンターの汎用性が思っていた以上で興味深かったです。

例えば、《NASA 3Dプリンター製住居コンペ案》では、宇宙飛行士が火星に移住し、過酷な環境下で1年間働くための住居を建築するため、3Dプリンター機能を持つ自律型機械の使用が提案されています。

イメージ図だけでもテンションが上がりますが、火星にある砂を材料とした建築方法、可変性住まいへの意識など、地球からどこかの惑星に移り住む系(?)のSFで活かせそうなアイデアが詰まっています。最近インターステラーを見たばかりだったので、謎のタイムリー感があった。

 

 

 

また《MX3Dの橋》では、産業用ロボットアームによって制作される、ステンレス製の橋の紹介がされています。3Dプリンターの導入とコンピューター制御によって、従来では難しかった複雑で自由なデザインの建築を目指しており、現在は実現に向けて検証中です。

将来的にはロボットによる自動的な施工を目指しており、これがなされればデザインの自由度が上がるだけでなく、例えば災害によって孤立した場所でも、素早い動線の確保や被災者に適した環境づくりが可能になるのではないでしょうか。

 

 

 

もう一つ興味深かった作品が、《気分の建築》です。

この作品は、従来のトップダウン型の建築、つまり、権力や一定の地位を得た一部の建築家や開発業者が決定権を持つ建築概念に対し、人間の「欲望」「深層心理」を分析することで、個人を重視したボトムアップ型の建築概念の提案がされています。

具体的な建築、デザインの提案というよりは、価値観の提案という方が正しいと思います。人間の隠された心理を解析し、それを読み取ったロボットが、バイオ・セメントを素材に自動で住居を生成する……という設定で、一応、“建築”という体で作品はつくられていますが、多分、物理的な建築というよりは、「概念的なものを“建築”という依代を借りて提示している」という方が正しいと思います。

では、作者が提示したい概念とは一体何なのか……これがなかなか難しいのですが、おそらく、多分、確信はまったくないですが、同行した須々木氏と議論を重ねた結果、こう解釈しました。

この作品で提示したいのは、我々が、例えば魂、アニミズムと呼ぶような論理的な正解が提示できないものを、コンピューターや科学を用いて分析し、そこに生まれる矛盾を受け入れることで、未知なるものに直面する。それは、現状に深く根付いているトップダウン型の概念に一石を投じる解毒剤的な役割になるかもしれない。そして、この研究(と言って差し支えないかと)はいまだ解明されていない人間の潜在的可能性に対する期待が基盤となっている……みたいな感じでしょうか?

正直言うと、この作品で私はオーバーヒートしました。コンセプト自体は、アートとしてそんなに小難しいものではないと思うのですが、成果物と補完する形で展示されている壁の文章が、あまりにも難解で……。理系だけでなく、哲学、政治、情報系などの知識もないと、そもそも単語の意味を正しく理解できない。後日、ネットを駆使して読み解こうとしましたが、言葉の意味や言い回しを100%理解するのは無理でした。誰か授業してくれ。

 

 

 

 

SECTION2の作品は、都市を構成する新素材や工法の提案から、人間が築いてきた概念に切り込んでいるものもありました。

個人的には、SECTION1で感じたようなディストピア的なほの暗さは感じず、純粋に新たな素材や技術に感心しました。この差は何でしょうね。やはり素材や技術は人間が使うもの=人間の方が優位という意識が強いのでしょうか。ただ、AIについて深く考えだすとまた違うのかもしれません。その辺は後のセクションで触れるかと。

新技術の誕生は、創作者としてわくわくしますし、今まで不便な人生を送ってきた多くの人を救う可能性もあるでしょう。一方、新たなリスクも生まれます。例えば、3Dプリントを使えば既存のチェック体制からはばれないよう、銃の製造も可能となってしまいました。これは2014年に実際に起きた事件です。

高度経済成長の時代、社会の変化に合わせて有機的に成長する建築、つまりメタボリズムの概念が提唱されました。“固定的な「機械」の原理ではなく、変容的な「生命」の原理に基づいた建築こそ、将来の社会を支える”という考えは、アニミズムが根付いている日本らしい発想だと感じます。しかし、1960年代にはその概念に応えるような技術はありませんでした。

2020年になり、多くの新技術が生まれる中、この展覧会からは「概念に技術が追いついた、故に今一度メタボリズムを問う」という意識を強く感じます。同時に、いくつかの作品からは、技術の進歩により、既存の建築概念が刷新されるなら、そこに住まう人間の思考もまた、新たな価値観を受け入れるために古いものを捨てていかなければならない……つまり、思考の新陳代謝の必要性を説いているようにも感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セクション名で使われている「ネオ・メタボリズム」という言葉が、メタボリズムの復活を意味するのか、メタボリズムを基盤とした新しい概念の誕生を意味するのか、もしくは両方の意味を示しているのかはわかりません。ただ、都市とそれを構成するあらゆるものが刷新されるならば、人間自身にもまたそれに見合う価値観と知識、ルールが求められるはずです。

新しいものに踊らされ、翻弄されるような無様な住人にならないよう、我々は冷静な目で新技術を見極める必要があるのかも知れません。

 

次回は「SECTION3 ライフスタイルとデザインの革新」について。

 

aki