今更ながら「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を見た。
須々木です。
タイトル通り、なぜか今まで見ていなかった「ビューティフル・ドリーマー」を見ました。
ご存知の通り、「うる星やつら」は高橋留美子が1978~1987年にかけて週刊少年サンデーで連載していた漫画で、本作は1984年に公開された劇場版アニメの2作目です。
1作目につづき押井守が監督をしていますが、「押井作品の原点であり出世作」とも言われていたりします。
そんでもって、押井守はこれにてテレビシリーズのチーフディレクターを降板、スタジオぴえろを退社し、以後フリーとなります。
本作については、賛否が大きく分かれ、中でも原作者からの否定的な評価は広く知られているところです。
これについては、作品を見ればわかるとおり、高橋留美子作品ではなく、完全に押井守作品となっているので、「そりゃそうだ」という感じです。
・・・などという話は、ネットで調べれば普通に出てくるので、以下は、完全に個人的な感想とかを書いていこうと思います。
他の押井作品同様、様々な人が考察し、独自に解釈しているので、そういったものと被るところもあるかもしれませんが、そういうのは気にせず、好き勝手書いていきます。
なお、押井守(監督)、西村純二(演出)、千葉繁(声優)によるオーディオコメンタリーも参考にしています(2002年収録?)。
※以下、ネタバレ多数。というより、みんな見たことあるという前提で。
学園祭前日をひたすら繰り返す本作は、当然のことながら、典型的な「ループもの」で、後の様々な作品にも影響を及ぼしています。
さて「ループもの」とわざわざ書きましたが、「ループ」という構造自体は、実は改めて書くようなものでもありません。
というか、原作漫画もある種のループ構造です。
原作は、俗に言う「サザエさん方式」というやつで、学年は上がらず季節が巡る(高校2年のクリスマスが何度も描かれたりする)タイプの漫画です。
連載漫画や放送期間の長いアニメでは、昔からわりとよくあるタイプ。
「同じ学年を繰り返しているはずだが、作品世界のキャラクターは違和感を持たない」という前提の存在する状態であり、これは紛れもない「ループ構造」です。
ただ、「ビューティフル・ドリーマー」では、そのことに非常に自覚的であるという点で、原作漫画と異なる構造が現れてきます。
「ループ構造」は、自己言及されると、極めてメタ的な構造になります。
とまあ、本作の根幹とも言えるこのあたりの話は、また後ほど。
本作では、いくつか特徴的なモチーフが繰り返し登場してきます。
代表的なものとしては以下のようなものが挙げられます。
※いずれもオーディオコメンタリーで触れられているので、意図的なもの。
●胡蝶の夢
・作中でも直接的に語られている。
・実際に、蝶を印象的に画面に入れている(喫茶店の場面)。
●浦島太郎
・これも作中で直接的に語られている。「浦島太郎で、カメを助けたのが村人全員だったら、気付くのだろうか?」という思考実験は、本作において重要な意味を持っている。
・ちょいちょいカメのデザインが登場する。
・キャラクターたちが世界の構造に気付く場面で、世界の土台として印象的に描かれている。
●エッシャー
・絵としても作品構造(無限ループ構造や錯覚)としても、明らかに大きな影響を受けている。
・特に、夜の校舎の場面では、まんまエッシャー的な描かれ方をしている。
●鏡のような水面
・あたるが吸い込まれる道路の水たまりや、面堂がラムに質問した直後に足元に広がっていく水たまり(?)など。
その他にも印象的な場面、演出がいくつもあります。
例えば、序盤、夜の町に現れるチンドン屋は妙に印象的ですが、これ自体を伏線とする描写はあとの場面にも出てきません。
他にも、しのぶが路地裏に入る場面の風鈴も同様。
これらは、作品内の伏線として使われてはいないので、単なる趣味なのか、意図的なものなのかはよくわかりません。
オーディオコメンタリーなどを聞いた限り、結構いきあたりばったりで制作しているところがあるようなので、本当に深い意味がなく、単に描きたかったという可能性もあります。
実際、「人のいない夜の町」は、押井守の中の「夢」のイメージにつながっているようです。
なので、単にそういったイメージの積み重ねであり、特段仕掛けがあるわけでもないのかもしれません。
この「夜の町」に関して、敢えて明確に仕掛けとして描かれているところを探すなら、「チンドン屋の後ろをついていく幼い少女」と「道路ですれ違った車が積んでいる大量のマネキン」といったところ。
マネキンに関しては、終盤で夢の世界が破壊されるとき再登場しますが、序盤で描かれたものには「夢の世界をつくりあげる準備をしている」という意味で付けがされている模様。。
他に伏線的に描かれている描写としては、あたるの家からみんなで登校する場面の「魚」あたりでしょうか。
道端の水たまりが、不自然な鏡面となっており、しかもその鏡の向こう側からの視点(当然、本来の水たまりの深さではありえないアングル)が描かれているわけですが、そのときに視界を「魚」が横切ります。
勿論いろいろとあり得ないわけですが、キャラクターたちが友引町の異変に気づき、町が大きく変貌して後のシーンで、巨大魚を釣り上げたところにリンクしているんでしょう。
つまり、世界の異様さを視覚的に示す指標として利用されているのでしょう。
あとは、そもそもこの「夢の世界」の発端となった「水族館」との関連性も感じるところです。
この「鏡のような水たまり」に足を踏み入れたあたるは、学校のプールにテレポートするわけですが、これは「空間」がめちゃくちゃになってきていることを表現する役割もあるのでしょう。
同様の表現として、校舎の時計が故障中になっているのは「時間」、校舎の階数が変動するのは「空間」がめちゃくちゃになっていることを表しているのでしょう。
「鏡面」や「あわせ鏡」は、異様さを印象付ける目的で繰り返し使われているので、その延長とも言えそうです。
そもそも、映画はオープニングなしで、唐突に、大きな池の中に沈みかけて廃墟と化した校舎で遊ぶ場面からはじまります。
本作で最も重要なロケーションである友引高校の校舎がこのように登場することからも、「水」が印象的に描かれていると言えそうです。
なお、オーディオコメンタリーによると、「学校が廃墟になったら行っても良いなと思っていた」(押井)らしいので、非常に楽し気な場面になっているのでしょう。
独特な台詞回しの多い「夢邪鬼」については、そのまんま押井守本人の言葉だと思いますが、のちの押井作品にも脈々と受け継がれているものを感じます。
このあたりが「押井作品の原点」と言われる所以なんでしょう。
「偽物のあたる(実は夢邪鬼)」や「獏を覚醒させるラッパ」は思い付きらしいので、それより手前の場面での伏線はなしとのこと。
獏が覚醒し、夢の世界を破壊していく場面で、床面にあらわれる方眼は、「模型(プラモデルでつくられた町)の土台」のイメージとのこと。
また、本来は、獏の覚醒後のシーンがかなり長かったけれど、バランスを考えてカットされたとのこと(本当は、延々と長かった)。
さて、まとまりなく書き散らしましたが、そろそろ話をまとめにかかりましょう。
本作は、あらゆる意味において「自己言及的」です。
すでに述べた「ループ構造」への作中での言及は、とても分かりやすいところですが、実際にはそれだけには留まりません。
そもそも、「文化祭前日」のゴチャゴチャした感じは、「アニメ制作の現場」に対応するわけで、つまり、この作品には、自己言及的な無数の比喩が散りばめられているということです。
その上で考えれば、本作でポイントとなる「〈現実の世界〉と〈夢の世界〉の対比構造」は、「〈原作漫画〉と〈アニメーション〉の対比構造」に対応することも明白です。
そう考えると、本作品の作中や、のちの押井作品で繰り返し言及されることになる「現実と夢を区別することはできるだろうか?(さめなければ分からないのではないか)」という問いの裏の意味も見えてきます。
つまり、この問いはそのまま「〈原作(漫画)〉と〈アニメーション〉で描かれるそれぞれの世界の持つ価値を分け隔てるものなどあるのか?」ということになります。
原作の世界観と、それを二次創作的に描いた作品における世界観に、上下関係があるのだろうか?
実際のところ、そういうことにつながってくるのでしょう。
そして、これが、本作における、原作者と押井守の衝突の根本的な理由と考えられます。
「原作をリスペクトするのが当然」とする原作者と、「両者は区別不可能であり、それゆえに一方がより優れているとはみなせない」とする押井の対立なのでしょう。
このあたりは、夢の世界を破壊しまくることになる「獏」に描かれた「マルC」(著作権マーク。実際に破壊するときには、マークが消える)が、驚くほど直接的に表現しています。
恐らく、押井守も、原作をそこまで軽視しているわけではないとは思いますが、それでも彼自身が脳味噌につくり上げている論理の方が上位の存在と位置づけられていると感じることは多々あります。
これが所謂「押井ワールド」であり、コアなファンを生む源泉となっています。
ただ、この「押井ワールド」の理屈で行くと、高橋留美子の「うる星やつら」のさばき方が難しい。
平たく言えば、納得しがたい。
なぜこのキャラクターがこう行動するのかというところで、受け入れがたいところがどうしても残ってしまう。
テレビシリーズを制作していく中で、そういったものが蓄積していったのでしょう。
だから、最後と決めていた本作で、それらをすべて発散し、「押井ワールド」と「うる星やつら」を無理やり両立させる最終手段を行使しました。
それが「夢オチ」という名の「メタ構造」です(「夢」は「夢」であると気付かれた瞬間に相対化され、メタ化する)。
押井守は、そもそも「うる星やつら」が「夢」だと結論付けた。
そうでなければ、この作品の世界観を受け入れられない。
テレビアニメシリーズを通し、一定期間関わってきた押井守として、「うる星やつら」をどうにか受け入れよう、理解しようとした結果、限りなく破綻に近い矛盾が表面化。
それでもなお矛盾を「うる星やつら」という作品内に押とどめようとした結果、作品はかなり無茶な許容力を求められることとなり、押井守の中で奇形的な肥大化をはじめた。
そして、その末に、当作品「ビューティフル・ドリーマー」に至った。
「うる星やつら」という作品そのものに、「〈うる星やつら〉は夢である」と言及させるという「メタ構造」。
象徴的なのがラスト、教室で目覚めたラムとあたるの会話。
「ダーリン・・・ダーリン、うち、夢みたっちゃ。ダーリンがいて、天ちゃんがいて、お母様やお父様やメガネさんたちがいて・・・」
「ラム、それは夢だよ。それは夢だ・・・」
「ダーリンがいて、天ちゃんがいて、お母様やお父様やメガネさんたちがいる世界」とは、そのまんま「〈うる星やつら〉の世界」。
そして、それは「夢」だと言い切っている。
一応、この解釈を成り立たせるための「根拠」(伏線)もあります。
それが、原作漫画の「サザエさん方式」です。
“それを言っちゃあオシマイ”なのは百も承知ですが、この「サザエさん方式」は、「押井ワールド」と絶対的に相いれないものです。
高橋留美子としては不本意極まりないはずですが、押井守は、「うる星やつら」を「夢」だと(無駄に)強調することで、己の中の破綻を回避する手段をとった。
実際、「ビューティフル・ドリーマー」という作品は、「うる星やつら」の中の一作品を描くというより、「うる星やつら」の構造を“そのまんま丸ごと”再現しているようにも思えます。
すなわち、終わることなく続く、あたるやラムを中心とするドタバタ劇です。
もう少し突っ込んで言うなら、本作では、そのドタバタ劇を“外部”から眺める観測者からの視点として描き直す試みが見て取れます。
鏡写し的な描き方であり、自己言及的な描き方です。
さて、「サザエさん方式」とは、終わらせないためにとられるある種の裏ワザです。
でも、終わらないもの、繰り返し続けるものは、本来ありえない(少なくとも、押井守としてはリアリティーをもって受け入れられない)。
それでもあるというのなら、そこには何らかの理屈が存在し、「ループ」が成立しているとしか考えられない。
そして、そのことを気付かせるためには「さめる」という部分を描く必要があり、自動的にメタ化する。
これこそが、押井守が辿り着いた結論であり、高橋留美子が拒絶した結論ではないでしょうか。
これしかないというのは理解できるものの、原作者としてはキレて当然としか言いようがない。
単純に、あたるの言動(ラムに対する感情の描写)がどうとかいう問題ではなく、本質的には以上のような流れがあるような気がします。
これについては、押井守という一個人の主義主張の表明なので、賛否両論があるのは当然ですが、本作品が世に出てから30年経過した現在を見渡せば、その影響力が多大なものであることだけは明白です。
その意味では、一考の価値あるネタです。
「好きな人を好きでいるために自由でいたい」とあたるが語るように、「作品(創作)を好きでいるために自由でいたい」のが押井守。
作品が持っていると多くの人がみなす「オリジナルの世界観」からでさえも自由であることを望む押井守。
その明確な意思表明が「ビューティフル・ドリーマー」という作品の本質であり、「ビューティフル・ドリーマー」であり続ける決心をした押井守の独白にも等しい本作品誕生の舞台裏なのではないでしょうか。
そして、その当然の帰結として、現実にも一つの出来事が刻まれます。
すなわち、本作を最後に押井守は「フリー」となったわけです。
sho
タイトル通り、なぜか今まで見ていなかった「ビューティフル・ドリーマー」を見ました。
ご存知の通り、「うる星やつら」は高橋留美子が1978~1987年にかけて週刊少年サンデーで連載していた漫画で、本作は1984年に公開された劇場版アニメの2作目です。
1作目につづき押井守が監督をしていますが、「押井作品の原点であり出世作」とも言われていたりします。
そんでもって、押井守はこれにてテレビシリーズのチーフディレクターを降板、スタジオぴえろを退社し、以後フリーとなります。
本作については、賛否が大きく分かれ、中でも原作者からの否定的な評価は広く知られているところです。
これについては、作品を見ればわかるとおり、高橋留美子作品ではなく、完全に押井守作品となっているので、「そりゃそうだ」という感じです。
・・・などという話は、ネットで調べれば普通に出てくるので、以下は、完全に個人的な感想とかを書いていこうと思います。
他の押井作品同様、様々な人が考察し、独自に解釈しているので、そういったものと被るところもあるかもしれませんが、そういうのは気にせず、好き勝手書いていきます。
なお、押井守(監督)、西村純二(演出)、千葉繁(声優)によるオーディオコメンタリーも参考にしています(2002年収録?)。
※以下、ネタバレ多数。というより、みんな見たことあるという前提で。
学園祭前日をひたすら繰り返す本作は、当然のことながら、典型的な「ループもの」で、後の様々な作品にも影響を及ぼしています。
さて「ループもの」とわざわざ書きましたが、「ループ」という構造自体は、実は改めて書くようなものでもありません。
というか、原作漫画もある種のループ構造です。
原作は、俗に言う「サザエさん方式」というやつで、学年は上がらず季節が巡る(高校2年のクリスマスが何度も描かれたりする)タイプの漫画です。
連載漫画や放送期間の長いアニメでは、昔からわりとよくあるタイプ。
「同じ学年を繰り返しているはずだが、作品世界のキャラクターは違和感を持たない」という前提の存在する状態であり、これは紛れもない「ループ構造」です。
ただ、「ビューティフル・ドリーマー」では、そのことに非常に自覚的であるという点で、原作漫画と異なる構造が現れてきます。
「ループ構造」は、自己言及されると、極めてメタ的な構造になります。
とまあ、本作の根幹とも言えるこのあたりの話は、また後ほど。
本作では、いくつか特徴的なモチーフが繰り返し登場してきます。
代表的なものとしては以下のようなものが挙げられます。
※いずれもオーディオコメンタリーで触れられているので、意図的なもの。
●胡蝶の夢
・作中でも直接的に語られている。
・実際に、蝶を印象的に画面に入れている(喫茶店の場面)。
●浦島太郎
・これも作中で直接的に語られている。「浦島太郎で、カメを助けたのが村人全員だったら、気付くのだろうか?」という思考実験は、本作において重要な意味を持っている。
・ちょいちょいカメのデザインが登場する。
・キャラクターたちが世界の構造に気付く場面で、世界の土台として印象的に描かれている。
●エッシャー
・絵としても作品構造(無限ループ構造や錯覚)としても、明らかに大きな影響を受けている。
・特に、夜の校舎の場面では、まんまエッシャー的な描かれ方をしている。
●鏡のような水面
・あたるが吸い込まれる道路の水たまりや、面堂がラムに質問した直後に足元に広がっていく水たまり(?)など。
その他にも印象的な場面、演出がいくつもあります。
例えば、序盤、夜の町に現れるチンドン屋は妙に印象的ですが、これ自体を伏線とする描写はあとの場面にも出てきません。
他にも、しのぶが路地裏に入る場面の風鈴も同様。
これらは、作品内の伏線として使われてはいないので、単なる趣味なのか、意図的なものなのかはよくわかりません。
オーディオコメンタリーなどを聞いた限り、結構いきあたりばったりで制作しているところがあるようなので、本当に深い意味がなく、単に描きたかったという可能性もあります。
実際、「人のいない夜の町」は、押井守の中の「夢」のイメージにつながっているようです。
なので、単にそういったイメージの積み重ねであり、特段仕掛けがあるわけでもないのかもしれません。
この「夜の町」に関して、敢えて明確に仕掛けとして描かれているところを探すなら、「チンドン屋の後ろをついていく幼い少女」と「道路ですれ違った車が積んでいる大量のマネキン」といったところ。
マネキンに関しては、終盤で夢の世界が破壊されるとき再登場しますが、序盤で描かれたものには「夢の世界をつくりあげる準備をしている」という意味で付けがされている模様。。
他に伏線的に描かれている描写としては、あたるの家からみんなで登校する場面の「魚」あたりでしょうか。
道端の水たまりが、不自然な鏡面となっており、しかもその鏡の向こう側からの視点(当然、本来の水たまりの深さではありえないアングル)が描かれているわけですが、そのときに視界を「魚」が横切ります。
勿論いろいろとあり得ないわけですが、キャラクターたちが友引町の異変に気づき、町が大きく変貌して後のシーンで、巨大魚を釣り上げたところにリンクしているんでしょう。
つまり、世界の異様さを視覚的に示す指標として利用されているのでしょう。
あとは、そもそもこの「夢の世界」の発端となった「水族館」との関連性も感じるところです。
この「鏡のような水たまり」に足を踏み入れたあたるは、学校のプールにテレポートするわけですが、これは「空間」がめちゃくちゃになってきていることを表現する役割もあるのでしょう。
同様の表現として、校舎の時計が故障中になっているのは「時間」、校舎の階数が変動するのは「空間」がめちゃくちゃになっていることを表しているのでしょう。
「鏡面」や「あわせ鏡」は、異様さを印象付ける目的で繰り返し使われているので、その延長とも言えそうです。
そもそも、映画はオープニングなしで、唐突に、大きな池の中に沈みかけて廃墟と化した校舎で遊ぶ場面からはじまります。
本作で最も重要なロケーションである友引高校の校舎がこのように登場することからも、「水」が印象的に描かれていると言えそうです。
なお、オーディオコメンタリーによると、「学校が廃墟になったら行っても良いなと思っていた」(押井)らしいので、非常に楽し気な場面になっているのでしょう。
独特な台詞回しの多い「夢邪鬼」については、そのまんま押井守本人の言葉だと思いますが、のちの押井作品にも脈々と受け継がれているものを感じます。
このあたりが「押井作品の原点」と言われる所以なんでしょう。
「偽物のあたる(実は夢邪鬼)」や「獏を覚醒させるラッパ」は思い付きらしいので、それより手前の場面での伏線はなしとのこと。
獏が覚醒し、夢の世界を破壊していく場面で、床面にあらわれる方眼は、「模型(プラモデルでつくられた町)の土台」のイメージとのこと。
また、本来は、獏の覚醒後のシーンがかなり長かったけれど、バランスを考えてカットされたとのこと(本当は、延々と長かった)。
さて、まとまりなく書き散らしましたが、そろそろ話をまとめにかかりましょう。
本作は、あらゆる意味において「自己言及的」です。
すでに述べた「ループ構造」への作中での言及は、とても分かりやすいところですが、実際にはそれだけには留まりません。
そもそも、「文化祭前日」のゴチャゴチャした感じは、「アニメ制作の現場」に対応するわけで、つまり、この作品には、自己言及的な無数の比喩が散りばめられているということです。
その上で考えれば、本作でポイントとなる「〈現実の世界〉と〈夢の世界〉の対比構造」は、「〈原作漫画〉と〈アニメーション〉の対比構造」に対応することも明白です。
そう考えると、本作品の作中や、のちの押井作品で繰り返し言及されることになる「現実と夢を区別することはできるだろうか?(さめなければ分からないのではないか)」という問いの裏の意味も見えてきます。
つまり、この問いはそのまま「〈原作(漫画)〉と〈アニメーション〉で描かれるそれぞれの世界の持つ価値を分け隔てるものなどあるのか?」ということになります。
原作の世界観と、それを二次創作的に描いた作品における世界観に、上下関係があるのだろうか?
実際のところ、そういうことにつながってくるのでしょう。
そして、これが、本作における、原作者と押井守の衝突の根本的な理由と考えられます。
「原作をリスペクトするのが当然」とする原作者と、「両者は区別不可能であり、それゆえに一方がより優れているとはみなせない」とする押井の対立なのでしょう。
このあたりは、夢の世界を破壊しまくることになる「獏」に描かれた「マルC」(著作権マーク。実際に破壊するときには、マークが消える)が、驚くほど直接的に表現しています。
恐らく、押井守も、原作をそこまで軽視しているわけではないとは思いますが、それでも彼自身が脳味噌につくり上げている論理の方が上位の存在と位置づけられていると感じることは多々あります。
これが所謂「押井ワールド」であり、コアなファンを生む源泉となっています。
ただ、この「押井ワールド」の理屈で行くと、高橋留美子の「うる星やつら」のさばき方が難しい。
平たく言えば、納得しがたい。
なぜこのキャラクターがこう行動するのかというところで、受け入れがたいところがどうしても残ってしまう。
テレビシリーズを制作していく中で、そういったものが蓄積していったのでしょう。
だから、最後と決めていた本作で、それらをすべて発散し、「押井ワールド」と「うる星やつら」を無理やり両立させる最終手段を行使しました。
それが「夢オチ」という名の「メタ構造」です(「夢」は「夢」であると気付かれた瞬間に相対化され、メタ化する)。
押井守は、そもそも「うる星やつら」が「夢」だと結論付けた。
そうでなければ、この作品の世界観を受け入れられない。
テレビアニメシリーズを通し、一定期間関わってきた押井守として、「うる星やつら」をどうにか受け入れよう、理解しようとした結果、限りなく破綻に近い矛盾が表面化。
それでもなお矛盾を「うる星やつら」という作品内に押とどめようとした結果、作品はかなり無茶な許容力を求められることとなり、押井守の中で奇形的な肥大化をはじめた。
そして、その末に、当作品「ビューティフル・ドリーマー」に至った。
「うる星やつら」という作品そのものに、「〈うる星やつら〉は夢である」と言及させるという「メタ構造」。
象徴的なのがラスト、教室で目覚めたラムとあたるの会話。
「ダーリン・・・ダーリン、うち、夢みたっちゃ。ダーリンがいて、天ちゃんがいて、お母様やお父様やメガネさんたちがいて・・・」
「ラム、それは夢だよ。それは夢だ・・・」
「ダーリンがいて、天ちゃんがいて、お母様やお父様やメガネさんたちがいる世界」とは、そのまんま「〈うる星やつら〉の世界」。
そして、それは「夢」だと言い切っている。
一応、この解釈を成り立たせるための「根拠」(伏線)もあります。
それが、原作漫画の「サザエさん方式」です。
“それを言っちゃあオシマイ”なのは百も承知ですが、この「サザエさん方式」は、「押井ワールド」と絶対的に相いれないものです。
高橋留美子としては不本意極まりないはずですが、押井守は、「うる星やつら」を「夢」だと(無駄に)強調することで、己の中の破綻を回避する手段をとった。
実際、「ビューティフル・ドリーマー」という作品は、「うる星やつら」の中の一作品を描くというより、「うる星やつら」の構造を“そのまんま丸ごと”再現しているようにも思えます。
すなわち、終わることなく続く、あたるやラムを中心とするドタバタ劇です。
もう少し突っ込んで言うなら、本作では、そのドタバタ劇を“外部”から眺める観測者からの視点として描き直す試みが見て取れます。
鏡写し的な描き方であり、自己言及的な描き方です。
さて、「サザエさん方式」とは、終わらせないためにとられるある種の裏ワザです。
でも、終わらないもの、繰り返し続けるものは、本来ありえない(少なくとも、押井守としてはリアリティーをもって受け入れられない)。
それでもあるというのなら、そこには何らかの理屈が存在し、「ループ」が成立しているとしか考えられない。
そして、そのことを気付かせるためには「さめる」という部分を描く必要があり、自動的にメタ化する。
これこそが、押井守が辿り着いた結論であり、高橋留美子が拒絶した結論ではないでしょうか。
これしかないというのは理解できるものの、原作者としてはキレて当然としか言いようがない。
単純に、あたるの言動(ラムに対する感情の描写)がどうとかいう問題ではなく、本質的には以上のような流れがあるような気がします。
これについては、押井守という一個人の主義主張の表明なので、賛否両論があるのは当然ですが、本作品が世に出てから30年経過した現在を見渡せば、その影響力が多大なものであることだけは明白です。
その意味では、一考の価値あるネタです。
「好きな人を好きでいるために自由でいたい」とあたるが語るように、「作品(創作)を好きでいるために自由でいたい」のが押井守。
作品が持っていると多くの人がみなす「オリジナルの世界観」からでさえも自由であることを望む押井守。
その明確な意思表明が「ビューティフル・ドリーマー」という作品の本質であり、「ビューティフル・ドリーマー」であり続ける決心をした押井守の独白にも等しい本作品誕生の舞台裏なのではないでしょうか。
そして、その当然の帰結として、現実にも一つの出来事が刻まれます。
すなわち、本作を最後に押井守は「フリー」となったわけです。
sho
HCP関連作品「ジレンマ喰いの笑い猫」Prologue:「夜明けの猫」
どうも、ややお久しぶりの遊木です。
ツイッターでも流しましたが、「ヒビカ・シテイー・プロジェクト」で私が進めているシリーズ、「ジレンマ喰いの笑い猫」の2作目を更新しました!2作目だけど、ここでやっとプロローグです。
以下、作品情報↓↓
▶▶ヒビカ・シティー・プロジェクト
Prologue:「夜明けの猫」

夜明けを直前に控えた街は、しんと静まり返っている。
銀灰色の髪をなびかせて、今日もヒビカの夜を彷徨う、ひとつの影。
それはまるで、夜の集会から帰る一匹の猫のよう―――。
▶▶1作目 EpisodeXX「エンプティー・スマイル」
小説ですが、挿絵とかの関係でPixivに更新しています。
6000文字程度の内容ですので、さらっと読めると思います。基本、主人公がどんな人物か、みたいな説明がつらつらある感じ。
ところで以前の記事で、私の進めるHCPシリーズは、今後も媒体がごっちゃ混ぜ…的なことを書いたと思いますが、違う媒体同士の中身は片方が未読でも、話が繋がって読める仕様にしようと思ってます。
小説だけ追う人も、漫画だけ追う人も、一応全部違和感なく読める…みたいな。ただ、全部の作品を見てくれる人は、より詳細までわかるよ!って感じです。
多分漫画と小説がメインだと思いますが、展開が進むときは漫画、小説はそこに入りきらなかったキャラクターの心情描写とか、別視点とか、スピンオフ的な役割になるかと。逆のパターンになる可能性もありますが…。
まぁやってみないと上手く作れるかわからないので、全ては未定です←
ちなみに使用した挿絵はこんな感じ↓↓


結局本文以外にイラストを3枚描きましたが、なんとなーく全部タッチを変えています。
深い理由はないんですけど…あえて言うなら、しっかり一枚絵を描くのが久しぶりだったので、自分の描き方を思い出すため?みたいな。私…どの描き方が一番合ってたんだっけ…みたいな。
完成したものを並べたら、ビックリするぐらいスゲェまとまりなかったです。(真顔)
近日中に、メイキングっぽいものも更新予定ですので、そちらも合わせてどうぞ~。
何も特別な作業はしてないんですけどね…私の描き方は基本アナログ寄りなので。機能を駆使して描ける人、ホント尊敬します。
ではでは。
これから共同制作の方も本格的に作業が始まるので、気合を入れ直していきます。
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
<他シリーズまとめ>
「レディー・バグについてのエトセトラ」 須々木正
「弓形のプリュイ」 霧島凜
「夢見るバクと悪夢のディナーを」 米原のぞみ
aki
ツイッターでも流しましたが、「ヒビカ・シテイー・プロジェクト」で私が進めているシリーズ、「ジレンマ喰いの笑い猫」の2作目を更新しました!2作目だけど、ここでやっとプロローグです。
以下、作品情報↓↓
▶▶ヒビカ・シティー・プロジェクト
Prologue:「夜明けの猫」

夜明けを直前に控えた街は、しんと静まり返っている。
銀灰色の髪をなびかせて、今日もヒビカの夜を彷徨う、ひとつの影。
それはまるで、夜の集会から帰る一匹の猫のよう―――。
▶▶1作目 EpisodeXX「エンプティー・スマイル」
小説ですが、挿絵とかの関係でPixivに更新しています。
6000文字程度の内容ですので、さらっと読めると思います。基本、主人公がどんな人物か、みたいな説明がつらつらある感じ。
ところで以前の記事で、私の進めるHCPシリーズは、今後も媒体がごっちゃ混ぜ…的なことを書いたと思いますが、違う媒体同士の中身は片方が未読でも、話が繋がって読める仕様にしようと思ってます。
小説だけ追う人も、漫画だけ追う人も、一応全部違和感なく読める…みたいな。ただ、全部の作品を見てくれる人は、より詳細までわかるよ!って感じです。
多分漫画と小説がメインだと思いますが、展開が進むときは漫画、小説はそこに入りきらなかったキャラクターの心情描写とか、別視点とか、スピンオフ的な役割になるかと。逆のパターンになる可能性もありますが…。
まぁやってみないと上手く作れるかわからないので、全ては未定です←
ちなみに使用した挿絵はこんな感じ↓↓


結局本文以外にイラストを3枚描きましたが、なんとなーく全部タッチを変えています。
深い理由はないんですけど…あえて言うなら、しっかり一枚絵を描くのが久しぶりだったので、自分の描き方を思い出すため?みたいな。私…どの描き方が一番合ってたんだっけ…みたいな。
完成したものを並べたら、ビックリするぐらいスゲェまとまりなかったです。(真顔)
近日中に、メイキングっぽいものも更新予定ですので、そちらも合わせてどうぞ~。
何も特別な作業はしてないんですけどね…私の描き方は基本アナログ寄りなので。機能を駆使して描ける人、ホント尊敬します。
ではでは。
これから共同制作の方も本格的に作業が始まるので、気合を入れ直していきます。
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
<他シリーズまとめ>
「レディー・バグについてのエトセトラ」 須々木正
「弓形のプリュイ」 霧島凜
「夢見るバクと悪夢のディナーを」 米原のぞみ
aki
映画観たよ!7
すっかり夏ですね~
陽射しで溶けそうです。かき氷食べたい。
夏野です。
今週はミーティングがありました!
HCP(ヒビカシティープロジェクト)の共同制作、話し合いが進んでおります。
共同制作については、こちら。
手探りですが、少しずつまとまって来ていますので、
そろそろ本格的な作業に入れそうです。
夏に負けずに頑張りたいですね。
さて!
以上で簡単な近況報告と致しまて、
今回も観た映画を報告するシリーズです。
軽いネタバレもありますので、お気をつけ下さい。
以前の記事はこちら↓
第一回「海街diary」
第二回「パフューム ある人殺しの物語」
第三回「エコール」「ミネハハ 秘密の森の少女たち」
第四回「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」「おおかみこどもの雨と雪」
第五回「パニック・ルーム」
第六回「最後の恋のはじめ方」
○
今日は、インディジョーンズシリーズ
「レイダース/失われたアーク<聖櫃>」です!
私はねずみの海が好きで、割と頻繁に遊びに行くのですが、
そこにあるんですよね、このアトラクションが。
もちろんシリーズの存在は知っていたので、
ずっと観たいなーと思っていたのですが、
なぜか観ていなかった作品でした。
ようやく観られた!という感じです。
というわけで、初見。
シリーズの他の映画も続けて観る予定です。
ざっくり言うと、ジョーンズ博士がお宝探しする話。
今回のお宝は遺跡に眠る聖櫃(アーク)だそうです。
前知識が無い状態だったので、
どんな映画だろう?とわくわくしながら観ました。
感想としては……思ったよりアクションだったかな!
宝探しとか考古学とか、
そういうモチーフが全面に出てくるのかなと思っていたのですが、
意外と……なのかはわかりませんが……闘ってましたね。
とにかくテンポが良くてスピーディー。
一難去ってまた一難というタイプのエンタメで、
常にハラハラドキドキという感じ。
展開が早く、事がどんどん起こるので、
前半一時間は本当にあっという間でした。
冒頭のシーンの引きもすごかったです。
アークのオチ~ラストに関しては、
え!?それでいいの!?と思いましたが、
まぁ大事なのはそこじゃないから良いのかなと……
しかし結構暴力的なシーンも多くて、その辺は、
映画ってこういうところあるよなー……と感じました。
プロペラと……トラックはやばかった……
大量の蛇がかすむ勢いだった……
暴力とエロは映画の大事な要素なんだなって、いつも思うよ。
続編も楽しみだね!
どうしても氷系のアイスが食べたくて、
帰りにスーパーに寄り道しました。
夏野でした。
aka
陽射しで溶けそうです。かき氷食べたい。
夏野です。
今週はミーティングがありました!
HCP(ヒビカシティープロジェクト)の共同制作、話し合いが進んでおります。
共同制作については、こちら。
手探りですが、少しずつまとまって来ていますので、
そろそろ本格的な作業に入れそうです。
夏に負けずに頑張りたいですね。
さて!
以上で簡単な近況報告と致しまて、
今回も観た映画を報告するシリーズです。
軽いネタバレもありますので、お気をつけ下さい。
以前の記事はこちら↓
第一回「海街diary」
第二回「パフューム ある人殺しの物語」
第三回「エコール」「ミネハハ 秘密の森の少女たち」
第四回「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」「おおかみこどもの雨と雪」
第五回「パニック・ルーム」
第六回「最後の恋のはじめ方」
○
今日は、インディジョーンズシリーズ
「レイダース/失われたアーク<聖櫃>」です!
私はねずみの海が好きで、割と頻繁に遊びに行くのですが、
そこにあるんですよね、このアトラクションが。
もちろんシリーズの存在は知っていたので、
ずっと観たいなーと思っていたのですが、
なぜか観ていなかった作品でした。
ようやく観られた!という感じです。
というわけで、初見。
シリーズの他の映画も続けて観る予定です。
ざっくり言うと、ジョーンズ博士がお宝探しする話。
今回のお宝は遺跡に眠る聖櫃(アーク)だそうです。
前知識が無い状態だったので、
どんな映画だろう?とわくわくしながら観ました。
感想としては……思ったよりアクションだったかな!
宝探しとか考古学とか、
そういうモチーフが全面に出てくるのかなと思っていたのですが、
意外と……なのかはわかりませんが……闘ってましたね。
とにかくテンポが良くてスピーディー。
一難去ってまた一難というタイプのエンタメで、
常にハラハラドキドキという感じ。
展開が早く、事がどんどん起こるので、
前半一時間は本当にあっという間でした。
冒頭のシーンの引きもすごかったです。
アークのオチ~ラストに関しては、
え!?それでいいの!?と思いましたが、
まぁ大事なのはそこじゃないから良いのかなと……
しかし結構暴力的なシーンも多くて、その辺は、
映画ってこういうところあるよなー……と感じました。
プロペラと……トラックはやばかった……
大量の蛇がかすむ勢いだった……
暴力とエロは映画の大事な要素なんだなって、いつも思うよ。
続編も楽しみだね!
どうしても氷系のアイスが食べたくて、
帰りにスーパーに寄り道しました。
夏野でした。
aka
映画観たよ!6
生活リズムが狂ってるので、
どうしても深夜から明け方の更新になります。
夏野です!
最近、一日一本映画を観る!を目標にしています。
ただぼーっと観るだけではなく、何でも良いので、
感じたことを自分の外に出しておこうと思い、
ちまちまブログも書いてる次第です。
おすすめの映画があったら教えて下さい!
というわけで、
観た映画を報告するシリーズです。
軽いネタバレもありますので、お気をつけ下さい。
以前の記事はこちら↓
第一回「海街diary」
第二回「パフューム ある人殺しの物語」
第三回「エコール」「ミネハハ 秘密の森の少女たち」
第四回「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」「おおかみこどもの雨と雪」
第五回「パニック・ルーム」
○
今日は、「最後の恋のはじめ方」です。
パニック・ルームと一緒に観るのに、
何か楽しいものを観よう!と思って選んだ映画。
モテない男性に、様々なアドバイスをするデートドクターの「ヒッチ」。
セレブな女性に恋をした、かなり冴えないアルバートにアドバイス中の彼は、
ゴシップ記事の編集者である女性に惹かれ、だんだん本気になって行きます。
正直、中盤は若干眠かった……けれども、
全体的に楽しく、軽い感じで観られる映画でした。
ヒッチが恋をする相手のサラは、仕事一筋の人で、
言いよってくる男にも「興味が無い」とばっさり行くような女性。
でもなぜかヒッチとは気が合う……らしい。
洋画の、男女のこういうシーンを観るたびに、
「え!?今運命感じたの!?一体どこで……」
と思いますね。不思議ですね。
やっぱりこの辺の感覚はちょっと違うのかな……とも思います。
超美人セレブがアルバートに惹かれていく経緯にも、
「そ……それでいいのか……」とつっこみつつ。
誤解や、すれ違いもありましたが、
最終的には納得いくところにすとんと落ちた感じでした。
後味爽やかで、深い事を考えずに観られるのが良いな~と。
物語の流れは王道で、展開は読めてしまうんだけど、
キャラが豊かで役者さんの演技も魅力的なので、
観ていて楽しかったです。
むしろ王道の良さを感じました。
どのシーンもくすっと笑えましたが、
婚活パーティーに乗り込んで大喧嘩するシーンがおかしかったです。
「一年も男と寝てないのよ!」っていうおばさま、
完全に巻き込まれたかたちで可哀相すぎる……笑
余談ですが、
原題は「Hitch」(主人公の名前)だそうで、
日本語タイトルって意訳なんだなぁと改めて思いました。
個人的に、今までで一番「それでいいの!?」と思ったのは、
「Thanks for Sharing」という原題の映画。
様々な依存症に苦しむ人と、その家族や恋人を描いた映画で、
原題はグループセラピーで自分の話をした後に言う、
「聞いてくれてありがとう」という意味の言葉だそうですが。
邦題が、「恋人はセックス依存症」だったんですよね……
実際に映画を観たら、じんと胸に来る素敵なものだったので、
邦題はあまりにニュアンスが違うのでは……と思ったのが印象的で、
今でもふと思い出します。
○
そろそろ正しい生活リズムを取り戻したいです。
夏野でした。
aka
どうしても深夜から明け方の更新になります。
夏野です!
最近、一日一本映画を観る!を目標にしています。
ただぼーっと観るだけではなく、何でも良いので、
感じたことを自分の外に出しておこうと思い、
ちまちまブログも書いてる次第です。
おすすめの映画があったら教えて下さい!
というわけで、
観た映画を報告するシリーズです。
軽いネタバレもありますので、お気をつけ下さい。
以前の記事はこちら↓
第一回「海街diary」
第二回「パフューム ある人殺しの物語」
第三回「エコール」「ミネハハ 秘密の森の少女たち」
第四回「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」「おおかみこどもの雨と雪」
第五回「パニック・ルーム」
○
今日は、「最後の恋のはじめ方」です。
パニック・ルームと一緒に観るのに、
何か楽しいものを観よう!と思って選んだ映画。
モテない男性に、様々なアドバイスをするデートドクターの「ヒッチ」。
セレブな女性に恋をした、かなり冴えないアルバートにアドバイス中の彼は、
ゴシップ記事の編集者である女性に惹かれ、だんだん本気になって行きます。
正直、中盤は若干眠かった……けれども、
全体的に楽しく、軽い感じで観られる映画でした。
ヒッチが恋をする相手のサラは、仕事一筋の人で、
言いよってくる男にも「興味が無い」とばっさり行くような女性。
でもなぜかヒッチとは気が合う……らしい。
洋画の、男女のこういうシーンを観るたびに、
「え!?今運命感じたの!?一体どこで……」
と思いますね。不思議ですね。
やっぱりこの辺の感覚はちょっと違うのかな……とも思います。
超美人セレブがアルバートに惹かれていく経緯にも、
「そ……それでいいのか……」とつっこみつつ。
誤解や、すれ違いもありましたが、
最終的には納得いくところにすとんと落ちた感じでした。
後味爽やかで、深い事を考えずに観られるのが良いな~と。
物語の流れは王道で、展開は読めてしまうんだけど、
キャラが豊かで役者さんの演技も魅力的なので、
観ていて楽しかったです。
むしろ王道の良さを感じました。
どのシーンもくすっと笑えましたが、
婚活パーティーに乗り込んで大喧嘩するシーンがおかしかったです。
「一年も男と寝てないのよ!」っていうおばさま、
完全に巻き込まれたかたちで可哀相すぎる……笑
余談ですが、
原題は「Hitch」(主人公の名前)だそうで、
日本語タイトルって意訳なんだなぁと改めて思いました。
個人的に、今までで一番「それでいいの!?」と思ったのは、
「Thanks for Sharing」という原題の映画。
様々な依存症に苦しむ人と、その家族や恋人を描いた映画で、
原題はグループセラピーで自分の話をした後に言う、
「聞いてくれてありがとう」という意味の言葉だそうですが。
邦題が、「恋人はセックス依存症」だったんですよね……
実際に映画を観たら、じんと胸に来る素敵なものだったので、
邦題はあまりにニュアンスが違うのでは……と思ったのが印象的で、
今でもふと思い出します。
○
そろそろ正しい生活リズムを取り戻したいです。
夏野でした。
aka
映画観たよ!5
何か貼れる画像を求めて古いフォルダを漁ったら、
大学の頃に書いていた漫画が大量に出て来て、
思わず読んでしまいました、夏野です。
節操なさ過ぎ……と思いました。(感想)
観た映画を報告するシリーズです。
軽いネタバレもありますので、お気をつけ下さい。
以前の記事はこちら↓
第一回「海街diary」
第二回「パフューム ある人殺しの物語」
第三回「エコール」「ミネハハ 秘密の森の少女たち」
第四回「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」「おおかみこどもの雨と雪」
○
今日は洋画「パニック・ルーム」です。
普段自分からはあまり手を伸ばさない系統なのですが、
パフュームを好きだと言っていた友人のおすすめで選んでみました。
映画の趣味って結構はっきり分かれますよね。
あらすじはざっくりこんな感じ。
夫と離婚したばかりのメグと、その娘サラ。
二人は元々お金持ちの老人が住んでいた豪邸に引っ越して来ます。
その豪邸には緊急時に非難する為の「パニックルーム」という小部屋が用意されており、
ある夜、侵入してきた強盗から逃れるため、二人はパニックルームに逃げ込みます。
パッケージを観た時は、怖いかも……と思ったのですが(ホラーが苦手)
完全にサスペンスだったので怖くはなかったです。
しかも、強盗に押し入られて……ということで、
もっとぞっとするような展開なのかと思いましたが、
意外と笑えます。
そもそも強盗三人組は「空き家だと思って侵入」した素人集団で、
行動も全体的に行き当たりばったり。
リビングで「この後どうするんだよ!?」と会議してる始末です。
(しかもその様子が監視カメラで親娘に筒抜け)
パニックルームから出るに出られなくなってしまった親娘と、
どうしてもパニックルームから親娘を出したい強盗たちの頭脳戦。
二畳くらいの狭いパニックルームと、吹き抜け階段が印象的な豪邸のギャップも面白いです。
一方後半は、いきなりの暴力による恐怖や、
他者の介入による状況の変化と緊張もあり、
ハラハラしながら観られます。
といっても、映画にのめり込み、息をするのも忘れる……というよりは、
「頑張れ!もうちょっとだ!」と親娘に思わず言いたくなる感じでしたが。笑
ご都合主義な部分や、突っ込みたくなる部分もありますが、
そういうところも含めてバランスが良い感じがしました。
一軒の家の中で、全ての事が展開しているというのも面白いなと。
たまにはサスペンスも良いですね!
私はラブコメとかドラマ系が好きなのですが、
SFやサスペンスも観て行きたいなと改めて思いました。
パニック系にも最近興味があります……
あと、「ムカデ人間」が観てみたい……
……けど……怖そう……と、ずっと悩んでます。
おすすめの映画があったら教えて下さいね!
夏野でした。
aka
大学の頃に書いていた漫画が大量に出て来て、
思わず読んでしまいました、夏野です。
節操なさ過ぎ……と思いました。(感想)
観た映画を報告するシリーズです。
軽いネタバレもありますので、お気をつけ下さい。
以前の記事はこちら↓
第一回「海街diary」
第二回「パフューム ある人殺しの物語」
第三回「エコール」「ミネハハ 秘密の森の少女たち」
第四回「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」「おおかみこどもの雨と雪」
○
今日は洋画「パニック・ルーム」です。
普段自分からはあまり手を伸ばさない系統なのですが、
パフュームを好きだと言っていた友人のおすすめで選んでみました。
映画の趣味って結構はっきり分かれますよね。
あらすじはざっくりこんな感じ。
夫と離婚したばかりのメグと、その娘サラ。
二人は元々お金持ちの老人が住んでいた豪邸に引っ越して来ます。
その豪邸には緊急時に非難する為の「パニックルーム」という小部屋が用意されており、
ある夜、侵入してきた強盗から逃れるため、二人はパニックルームに逃げ込みます。
パッケージを観た時は、怖いかも……と思ったのですが(ホラーが苦手)
完全にサスペンスだったので怖くはなかったです。
しかも、強盗に押し入られて……ということで、
もっとぞっとするような展開なのかと思いましたが、
意外と笑えます。
そもそも強盗三人組は「空き家だと思って侵入」した素人集団で、
行動も全体的に行き当たりばったり。
リビングで「この後どうするんだよ!?」と会議してる始末です。
(しかもその様子が監視カメラで親娘に筒抜け)
パニックルームから出るに出られなくなってしまった親娘と、
どうしてもパニックルームから親娘を出したい強盗たちの頭脳戦。
二畳くらいの狭いパニックルームと、吹き抜け階段が印象的な豪邸のギャップも面白いです。
一方後半は、いきなりの暴力による恐怖や、
他者の介入による状況の変化と緊張もあり、
ハラハラしながら観られます。
といっても、映画にのめり込み、息をするのも忘れる……というよりは、
「頑張れ!もうちょっとだ!」と親娘に思わず言いたくなる感じでしたが。笑
ご都合主義な部分や、突っ込みたくなる部分もありますが、
そういうところも含めてバランスが良い感じがしました。
一軒の家の中で、全ての事が展開しているというのも面白いなと。
たまにはサスペンスも良いですね!
私はラブコメとかドラマ系が好きなのですが、
SFやサスペンスも観て行きたいなと改めて思いました。
パニック系にも最近興味があります……
あと、「ムカデ人間」が観てみたい……
……けど……怖そう……と、ずっと悩んでます。
おすすめの映画があったら教えて下さいね!
夏野でした。
aka
