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Rainbow farm

nanaがたまに思いついたことを
忘れないようにするために
綴っていくblog。

胎内記憶。

それは、「母親のお腹の中にいたときの記憶」のことを言います。


細かくは、陣痛から誕生までの「誕生記憶」、お腹に来る以前の「中間生記憶」などにも分けられますが、一般的には「産まれる前の記憶」を総括して「胎内記憶」と呼んでいるようです。



こちらも参考に↓(より詳しく書いてあります)

胎内記憶ネットワーク



2番目の子が、今6歳と8ヶ月。

4歳くらいになると、フッと記憶がなくなってしまうとされる、“胎内記憶”の話を、まだしてくれるかな?と思い、ゆっくり聞かせて欲しくて、二人で布団にもぐりこんで、聞いてみたの。

 

 

すると、キラキラと目を輝かせて、スルスルと話し出した。

 

 

* * * * * * *

 

『あのね、ママのお腹の中でね、赤と青の光が見えたの。

それでね、お天道様が来てね、二つお願い事を言いなさい、って言われたからね、こうお願いしたの。』

 

『一つ目はね、まだ生まれたくないです、って言ったの。もうちょっとお腹の中に居たいです、って言ったの。生まれる二日くらい前に。』

 

『もう一つはね、ミルクをください、って言ったの。すごくお腹がすいていたから。もも味とかぶどう味とか、色んな色のミルクで、すごく美味しいの。でも、ジュースじゃないよ。』

 

『お天道様はね、おじいちゃんみたいな人で、ヒゲが生えてて、“?マーク”みたいな杖を持っていて、鈴みたいなのが付いているんだよ。

とっても優しいの。あー、またお天道様に会いたいなー。』

 

私『髪は生えてるの?それともハゲてるの?』

二人で爆笑。

娘『ハゲてないよー。(ゲラゲラ)』

 

 

* * * * * * *

 

今まで、何度か胎内記憶らしき発言はあったものの、ここまでリアリティのある証言は初めてだったのよね。

 

当時の、この子が生まれるときと照らし合わせてみると、色々噛み合う。

 

一つ目の『まだ生まれたくない』

 

6日前の前駆陣痛の時のことなのか、1日前に破水した時のことなのか、どっちのことかはわからないけど、本陣痛に乗るまで痛みが引いたことがあったんだよね。

このことだったのかー。

 

 

 

二つ目の『ミルクをください』

生まれる前に、たくさんミルクを飲んだせいか?、生まれてからはあまりおっぱいに食いつかず、片乳飲んでは寝てしまって、無理やり起こしてもう片乳飲ませるのに必死だったなー。

そうか、お腹いっぱいだったんだね。

そう言えば、出生後の計測で、腹回りの太い子だと言われたのを思い出した。

めっちゃ腹いっぱい、お腹の中でミルクを飲んできたんだなー。と、今更ながら納得した。

 

 

 

一人目の子にも、5歳になるまで何度か聞いてみたけど、

“は?何それ??覚えてるわけないじゃん!”みたいな感じで、全然話してくれなくてねー。

 

胎内記憶は、3人に1人の割合で覚えていたり、話してくれるらしいので、割合からはずれていたのね、この子は。

 

 

 

胎内記憶は、様々な研究がされており、実証され始めてはいるけど、それって本当なのかは、まだ良くわかっていない。

 

でも、嘘か誠か、事実か真実か、なんてことはどっちでもいいって思う。

 

だって、こんな素敵な話、嘘だっていいから、信じていたい。

その方が、幸せな気持ちで、子どもを見つめていられるもの。

 


娘に、その時の光景を絵に描いてもらったの。



暗闇の中で色んな光が見えた様子。
十字の光と米字の光があったんだって。



お天道様も描いてくれました。



アタシは信じてる。

お空の上で、キューピーちゃんだった頃の話。
お空の上にいる、神様やお天道様の話。


私達を選んで生まれてきてくれたことに、ありがとうと言う気持ちでいっぱいになる。

 

 

センス。Sense. 英語で五感の意味。転じて、美的感覚や感性のこと。才能と似た意味である。

Wikipediaより

 

日本で「センス」と言えば「センスがある」「センスが良い」などの使い方が有名である。

「センスがある」と言えば「判断力が優れている」「物の微妙な見極めができる。」「感覚が優れている」「細部の違いまで理解できる」のような意味で使われる。

ニコニコ大百科より

 

* * * * * * *

 

センスって、なんだろう。

 

私、最近思った。

 

センスって、

「予測できること。」

なんじゃないか、と。

 

自分がどうすれば、どうなるか、予測できること。

 

センスを要されるもので例えてみる。

 

画のセンスがある、と言う場合。

この色とこの色で、あの色を作ることができる。

こういう筆のタッチで、表情を表現できる。

 

音楽のセンスがある、と言う場合。

この音とこの音で、こういうメロディーを作ることができる。

このコードを付けて、感情を表現できる。

 

料理のセンスがある、という場合。

この食材とこの食材で、あの料理を作ることができる。

パンチが欲しい時はこの調味料、まろやかさが欲しい時はこの調味料、何をどのくらい入れたら、味の方向がどうなるかわかる。

 

運動のセンスがある、という場合。(シュミレーションスポーツの場合)

ここに誰がいて、敵がどう動いて、自分はどこに走ってパスを受けて、あそこに走ってくる誰にパスを繋げていいのかわかる。

 

運動のセンスがある、という場合。(道具を使うスポーツの場合)

あの速さにこの道具を当てると、どういう方向に動くかわかる。

 

 

まだまだあります。

 

ファッションのセンスがある、という場合。

この服にこれを合わせて、こういった小物でこれを引き立たせ、靴はこれを履くとこうなる、というのがわかる。

 

 

笑いのセンスがある、という場合。

この雰囲気で、この人に、どんなことを言えば笑うということがわかる。

 

 

要は、自分がこう表現したいということを、その通りに表現できるか、ってことなんじゃないだろうか。

 

 

近所にスポーツ何をやってもできちゃう子がいまして、この子はどこでその感覚を捉えているんだろうか、と、ふと思ったら、『センス』って言葉が降ってきたんですよ。

 

こうしたらこうなる、ってことを、体のどこかが感覚で解ってその先の動きなんかを予測できちゃってるんだろうなー、と。

 

 

アタシにあるのは、ちょっとだけ笑いのセンスがあるくらいでしょうか。

 

 

 

・・・いや、笑いのセンスがあるとか、どうとかこうとかじゃなくて、

何か一つでも、この人から笑いをとらねば!という、精神や気質的なところからくるのかもしれないなぁ。

 

アタシが言った言葉で、誰かが笑ってくれたら、

アタシはこっそり心の中でガッツポーズ取ってると思う。(笑)

 

 

あなたが笑うためなら、アタシは体を張ってでも、笑いを取るわ!!

いつもは私が「やりたい!」と言って開催している「お産を語る会」ですが、前回参加していただいた方が、「私の町でもやりたいです!」と言ってくれたのがきっかけで、第3回目を開催することができました。

 

その方は、今回会場となった認可外保育施設の先生をされており、お知らせ、呼びかけ、会場の設営など、ホントに力となっていただいたお陰で、功を成した会となりました。

 

老若男女、みな集まりました!(笑)
新生児を連れて参加してくれたママさん、4人の子育て奮闘中のママさん、お孫さんの出産や子育てを優しく見守るお祖母ちゃんとなった方、地域興しや街づくりに尽力する議員さん。

世代や性別を交え、多方向から見たお産を語り合うことができました。

 

 

今回良かったのは、語るだけで終わらず、これから子育てをして行くお母さん達の、「あぁだったらいいな」「こうだったらいいな」を議員さんに発信できたことが大きな収穫だったんじゃないかな!と思います。

 

また、議員さんにとっても、今後の活動のニーズを知るきっかけにもなったことと思うので、これからのご活躍が楽しみです!

 

 

 

さてさて、今日、みなさんからいただいたメッセージから学ばせていただいたことは、「時代は繰り返さなくていい」ということです。

 

私達は、世代ごとに課題を抱えています。

 

親は子どもに、悪いことは言いませんね。

絶対に言わない。

苦労や悲しみ、過ちを犯さないよう、良い事を教えてくれます。

 

熱いやかんに触っていいよ、なんて、どこの親だって言わないでしょう。

この分かれ道、あっちに行ったら熊が出るってわかっていたら、絶対に教えてくれるでしょう。

 

 

やってみることで得るものがあるならやらせるでしょう。

だけど、させなくてもいい苦悩や苦労からは、やるだけ無駄だという事を教えてくれるでしょう。

 

頭寒足熱とか、産後は新聞読むな・水を触るなとか。

昔から言われている事には、ちゃんと根拠があるものばかりだと思うんです。

 

それは、大切な子孫を、苦労や悲しみ、過ちから守るため。

 

時代が移るにつれ、私達は便利な世の中に生まれ、大変な思いをすることも少なくなりました。

 

「最近の若者は苦労を知らない」という類の言葉を聞くことがありますが、きっとそれは、私達みたいな苦労をしろ!ということではなくて、そう言った苦労があったから、先人達は知恵を絞り、解決策を作り、今日に至ったということに、感謝するべきことだということなのかな、と思います。

 

だから、ご先祖さまがしてきた苦労を知ろうとすること。

そして、そのお陰で今の暮らしが豊かになったことに感謝することを忘れてはいけない、と言うこと。

 

だから、「時代は繰り返さなくていい」。

私達には、私達の世代の課題があるのだから。

私達の次の世代までに、この課題を解決できるように、無駄な苦労をすることないよう、先人たちが教えてくれた事を守って行けばいいのだ。

そう、気付かされました。

 

 

ネイティブアメリカンの言葉で、

感謝する理由が見つからなければ

落ち度はあなた自身にある

という言葉があります。

 

「感謝」の反対の言葉は、「当たり前」

ありがとう(有り難い)という気持ちに気付かないということは、それが当たり前だと思ってしまっているからなんだと思います。

 

そんな、当たり前に気付き、感謝する気持ちって、やっぱり大事だなーと、再確認することができました。

 

そして、親が子どもに願う事は、

「無事健康で生まれてきてほしい」

「生きていれば、それでいい」

 

我が子が生まれてきてくれたことに、そして、こんな楽しい人生を生きることができ、産んでくれた親に感謝の気持ちでいっぱいとなって、今回のお産を語る会を終えることができました。

 

ありがとうございます。