息子と旅に出た日々は かけがえのない宝物 | Rainbow farm

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nanaがたまに思いついたことを
忘れないようにするために
綴っていくblog。

旅とは、いつもの日常から、違う日常へと誘(いざな)われることを言うのかもしれない。

 

 

 

 
 

 

それは、突然やって来た。

 

 

ある日、息子が「明日から学校行かない」と言ったことから、それは始まった。

 

半信半疑で“またまたぁ~”と思いながら、ちょっとカマをかけてみた。

「学校行かんかったら、お家の仕事(養鶏)手伝わんなんよ!?」

 

すると、「朝給餌して、卵採って、卵拭いて、でしょ?・・・僕そっちがいい。学校行かないで養鶏のお手伝いする!」と言い張る。

 

私「勉強どうするの?」

息子「自分で時間割たてて自分で勉強する!」

 

と言った感じで、どうやら本気らしい。

 

妹達もいたので、別の部屋で、詳しく話を聞くことにした。

 

私「どうして学校行きたくないの?何かあったの?」

すると、ポロポロこぼれるように、言葉を吐き出し、解き放たれたかのように泣き出した。

 

9歳の息子は、小学校3年生。

 

ざっくり言うと、学校の嫌な所、友達の嫌な所、転校した友達がいなくなって寂しかったこと、学校のルールに従えなかった時の罪悪感や嫌悪感・・・などなど。

 

 

 

 

 

オーマイガッッッ!!!

 

 

 

 

息子よ、そんなに抱え込んでいたなんて!!!!!

 

学校から帰宅し、誰もいない家で一人悩んで、学校から配布された“子ども110番”なるものの番号に、何度電話しようか思い躊躇っていたと言う。

 

しゃくり上げながら、「台所の包丁でね、死のうかなとも思ったよ」

と言われた時は、頭をハンマーで殴られたかのような、胸を滅多刺しされたかのようなショックだった。

 

開業して3ヶ月、目まぐるしく慌しく、怒涛の日々の中でろくに話を聞いてあげられなかった私、申し訳ない気持ちでいっぱいで、二人でボロボロと泣いた。

 

 

ギュギュギュギューっと抱きしめて、頭を撫でて、

「よく今まで頑張ったね。偉かったね。全部話してくれてありがとう。明日から学校行かなくていいよ。先生にはママから言っておくね。」

と言った感じで話し、息子の表情も柔らかくなったところに、パパが帰宅。

 

私と息子の真っ赤な目を見て、ただ事じゃないと思ったのか、

「一体何があった???」と聞いてくるパパに、また一から十を説明する息子。

私は席を外した。

 

 

話を終えて部屋から出てきたパパは、

「よし、明日から学校行かなくて良し!!」

と言い、息子との旅が始まったのである。

 

 

 

*  *  *

 

 

 

思えば、前兆のようなことは度々あった。

 

起床の時間に起こしても起きず、ギリギリになるまで起きず、起きたかと思えば超~~~不機嫌。

朝の仕度も色んなものに当り散らし、妹達にも八つ当たりで、荒々しく玄関のドアを開けて出て行くことが多くなっていた。

 

 

それが、学校行かなくて良い!と言った次の日は、私が起こしに行かなくても自分から起きて、「おっはよ~!」とルンルンのご機嫌なのである。

「パパ、起きて!給餌行くよ!」とハツラツとして、妹達に優しい。

 

こんなにも違うものか、と感心してしまった。

 

 

給餌から戻ると朝ごはん。

「あーーー、味噌汁が沁みる~~~。ご飯めっちゃうまい!!おかわりっ!!」

とモリモリ食べる。

 

もう、こっちでええやん。

 

 

すると、心配して担任の先生が家までやって来た。

事情を説明し、しばらく落ち着くまでは学校を休み、自主学習という形をとりたい、と伝えた。

 

先生も心境や状況を理解してくださり、その日学習する内容のプリント等を持ってきてくれた。

 

 

朝食後、少し休んだら午前の仕事。

パパが草刈機で刈った草を集め、カゴに入れる。

ゴミ出しや、飼料の運搬。(軽トラに乗ってるだけ笑)

 

 

ちょっと休憩。(のつもりが、息子がいると、なんだかんだ長くなり、ママとしても、いつにもないおやつを用意してしまうのでありますです、はい。)

 

それから採卵と緑餌(刈った草が鶏の餌になるわけです)では、自分にできることを手伝い、3人揃ってお昼ごはん。

 

疲れた午後は自宅で学習するか、パパと卵の検品。

気分で選んでいた。

 

そんな日が1週間くらい続いた。

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 

1年生の妹が「お兄ちゃんばっかりズルイ」となってきた。(笑)

 

 

そうだね、わかるよ、お兄ちゃんばっかり・・・だよね。

 

私が学校に行ってる間、パパとママを独り占めだし、なんか楽しそうだし、今日のお昼ご飯ラーメンだったでしょ!!(←ゴミを見てる笑)

 

ズルイー

ズルイー

 

でも、行かせた。

特に理由もないけど。

 

1週間くらいゴネていたけど、いつの間にか気持ちを切り替えていたみたい。

たぶん、「お兄ちゃんはお兄ちゃん。私は私。私は学校が楽しいから行くんだ。」

そんな様子が見て取れた。

娘も娘で、一つの壁を自分で乗り越えたみたいだった。

 

 

毎朝、息子を迎えに来る先生は、“今日もダメか・・・”と、1年生の娘だけ連れて学校に戻ったが、娘は先生と話しながらの通学路を楽しんでいた。

 

 

*  *  *

 

 

毎朝の先生のお迎えも、いつしか息子も私も(たぶん先生もじゃないかな?)負担に感じるようになり、止めるよう伝えた。

 

 

 

数日後、今度は教頭が詳しく知りたいのでと、放課後の学校に夫婦で呼ばれ、話をした。

 

ただ、息子が言わないで欲しいという内容は言わなかった。

 

学校も寛容に受け止めてくださり、図書室の出入りを自由にしてくれたり、支援学級も好きなときに来てもいいと言ってくれた。

 

 

トラブルとなった子とは、その子の担任の先生が間をもってくれて仲直りできたお陰で、前より仲が深くなった気がする。

 

この時、その子と週1回は一日登校するという約束をし、学校に行かない日は朝の給餌、午前中は図書室に行ったり、自宅で自主学習したり、好きな科目だけ受けに行ったり、午後はパパと卵の検品と言う日が続いた。

 

 

*  *  *

 

 

そんな中、学習発表会が催された。

ほとんど学校に行かない息子にとっては、出番もないのだが、妹の発表は見たいから行くと言う。

 

 

行くと言う気持ちを尊重してあげたい。

だけど、お友達はどう思うんだろう。

きっと戸惑うだろうな、

ちょっと調子良くないか?と正直思い、行くことを許さなかった。

みんなこの日のために、一生懸命調べて話し合いして練習して、会場の準備も生徒達で頑張って、その晴れ舞台に、本当は舞台側の人がぬけぬけと客席で見て、終わったらそそくさと帰って行くのを、誰が気持ち良く思ってくれるだろうか?

 

 

息子を一人家に残し、旦那と私は発表会へと出掛けた。

 

 

帰宅して、みんな息子が居なくて寂しかったみたいだよと伝え、どんな気持ちだったか聞いてみた。

 

 

 

うちの学校はね、全校生徒9人なんだよ。

 

100人の生徒が一人休んで99人になるのと、

9人の生徒が一人休んで8人になるのとでは、

全然違うんだよ。

 

 

1年生、2年生とやってきた学習発表会がどんなものか知っているし、自分以外のみんなが一つの大きな達成感を得たこと、

やっぱり応えたであろう。

 

月曜日からは学校に行く!と言い出し、それから今日まで、嫌がる事もなく学校へ行き、息子との旅は呆気なく終わったのでした。

 

 

*  *  *

 

 

旅の間、息子に3つの仕事を任せた。

 

一つは、雛鶏の給餌。

卵を産む成鶏と、ヨチヨチの雛鶏は、別の場所で飼育している。

パパが成鶏の給餌をしている間、雛鶏の給餌を息子一人に任せたのである。

 

二つ目は、朝ご飯のお茶碗洗い。

ご飯茶碗、汁椀、コップに箸が6人分、なかなかの量になるけど、ママが朝余裕の無いときは、お願いしました。(あ、ほぼ毎日。。。)

 

三つ目は、米炊き。

7合の米を研ぎ、鍋で炊く。

うちには炊飯器がないから、毎日鍋で炊く。

点火はパパかママがいる時が条件で、水加減や火加減、時間を教えた。

最初の頃はよく焦がしていたが、2ヶ月経つ頃には私より美味い米を炊きやがる。

 

私が米を研いでいると、

「炊いていなくてごめんねー!」と謝ってくる。

そうか、もう自分の仕事と思っているのかー。

 

我が家認定、米炊きマイスターである。

本人は、「次は味噌汁マイスターを目指したい」と公言している。(笑)

 

私が洗濯物を干していると、「僕もやるー」と真上にあるピンチにちょんちょんに背を伸ばし、靴下を挟む。

 

そして、趣味は「家事」であると、彼は話す。

(旦那様になって!と旦那の前で言ってみた。←横目)
 

*  *  *

 

 

この旅を終え、少し経った今、息子の変化に気付く。

 

時間の使い方、妹達への接し方、自分に出来ることは何かを考えるようになった。(親に褒められたい・親を喜ばせるという考えから何をしたら助けになるのかへシフト)

 

 

少し垢抜けたというか。

賢さを身に付けた彼は、磯野カツオを尊敬している。

 

“学校に行きたくない”理由となった要因達は、風に吹かれ何処かへ消えて行ってしまったかのように、今ではあっけらかんとしている。

 

 

そして、旅を共にした私達、特に一緒に過ごす時間が多かったパパは、他愛も無い会話の中から、9歳までに教えておきたいことの殆どを語り合うことが出来た事が、この旅の一番のお土産であったように思う。

 

 

自営業となった故に、生活が一変し、子ども達も動揺を隠せずにいるのは事実であるし、それを受け止めている。

でも、自営業であるが故に、学校に行かないと訴えた子どもの声を拾うことが出来たのも事実である。

 

然るべき出来事だったということか。
 

 

 

でも、またいつか、一緒に旅したいなぁ。

 

 

その前に、種子島に移住したこと自体、旅だよね~

 

 

 

そうか~

まだまだ旅の途中だったっけ。

 

 

 

来週のナナエさんは、

「次女、旅先で思わぬトラブル」

「年末年始も休まず採卵」

「冬休みのお昼ご飯は何にしよう」

の3本です!

お楽しみに!!