巡り会えた天職 | Rainbow farm

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nanaがたまに思いついたことを
忘れないようにするために
綴っていくblog。


開業して、

早くも2ヶ月が経とうとしていますが、

未だドタバタの日々を送っております、

nanaです。

 
あまりにもドタバタで、
自分にも余裕が持てず、
その皺寄せが子どもにも影響し、
開業して1週間で3人がお熱…😱😱😱
 
ごめんよ~
ごめんよ~
ごめんよ~
 
あぁ、余裕の無い母さんを許しておくれ。。。😢
 
 
走り出した列車は止まらない。
ヒヨコを受け入れたその日から、
鶏肉になるその日まで、
このお仕事を放棄することは、
もうできない。
 
盆も正月も、
一日たりともお仕事を休むことのできない、
“養鶏”という生産農家になったその覚悟を、
今試されているのかもしれない。
 
 
 
今はまだ要領が掴めずに、
“しなければならないこと”に追われ、
後手後手に回っている。
 
 
でもそれを、
夫婦で話し合って、
協力して連携して、こなしていく。
 
義務感に負われているはずなのに、
何故か窮屈さを感じず、
満たされた充実感を伴う。
 
 
そうか、夫婦で営むって、
こういうことなのか。
 
 
この2ヶ月間、
一連の作業を何とかかんとかやってみて、
ジワジワと湧き上がる私の中の想い。
 
 
ずっとずっと叶えたかった
“自分達が食べる肉を自分で捌く”
ということ。
 
この事業を引き継ぐことが決まった時、
先代の奥さんはずっとこう言っていた。
「そんな綺麗な仕事じゃないよ。」って。
 
それでも、
誰かがこの仕事しないと、
手に入れられないものがある。
 
綺麗じゃない仕事って、なんだろうか。
 
例えば、ゴミを収集したり、
し尿の汲み取りだったり、
あまり誰も望んでしたいという様な仕事ではないかもしれない。
 
と殺にしてもそう、牛や豚、鶏。
 
その昔、“部落民”という言葉は
差別用語として使われていたと言う。
 
そう、食肉処理、葬儀、
皮革加工や汚物処理など
「不浄」とされた職業に従事する人々は長年、
日本社会の隅へと追いやられてきたのだ。
 
 
自分の手を汚さずして、
お金を払えば綺麗な物として手に入る。
 
 

もし、そういう「不浄」なものに

一切触れずに生活できているのなら、

それはそれで幸せなことかもしれない。

 

あなたの家のトイレが、

いつもピカピカでう○こ一つついておらず、

ウォシュレットも清潔で、

トイレットペーパーが擦れて出る埃や

髪の毛1本落ちていないのなら、

きっとその環境を

誰かが作ってくれているのだよ。

 

誰かが。

 

 

お金を払って、

その環境を買っている人もいるでしょうし、


家族の誰かが

してくれている人もいるでしょうし、


または自分自身で

その環境を作っている人もいるでしょう。

 

 

どんな仕事も

素晴らしいと思っている私だけど、

やっぱり、

誰もが嫌がるお仕事をされている方たちを、

私は本当に尊敬する。

 

その方たちのお陰で、

牛や豚や鶏のお肉を食べることが出来るし、

衛生的に清潔な環境を保つことが出来るし、

ちょっといい鞄や財布を持つことが出来るし、

大切な人の死を追悼することが出来る。

 

もう、私は、
嫌がったり怖がったり
見ないふりなんてしない。
 
心の底から、その方たちを尊敬できる。
 
だから、私のこの鶏のと殺という仕事を、
胸張って素晴らしい仕事だと言いたいし、
この仕事に就けたことを本当に誇りに思うし、
自ら望んだ
“自分達が食べる肉を自分で捌く”ことで
お金をいただけることを、
本当に有り難く思う。
 
 
これはもう、私の天職。
 
こうして巡り会えたことに、
先代には深く深く感謝するばかりです。
 
そして、
ヒヨコからたまごを産む成鶏にまで育て、
やがてお肉となるまで
しっかり管理してくれる主人にも感謝。

こちらも見えない裏方の仕事で、
綺麗な仕事ではないのだけれど、
毎日汗だくになりながら、
この猛暑の中、
本当に頑張ってるなーと思います。
 


 
初めて自宅で鶏を飼いだした時は、
目も口もトサカも、
足の爪も怖かったけど、
今では本当に可愛い。

歩き方なんて、スッゲ可愛すぎる!!

この可愛い子たちが、
卵だけでなく、
最後の最期まで
美味しくいただいてもらえるよう、
私は全力で努めてまいりたいと思います!!
 
 



 「ちかまえたー♪」