穴と橋とあれやらこれやら -291ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

我がホーム・滋賀県内にいくつかあるねじりまんぽ物件、その一つをご紹介。

 

 

初訪問は2009年9月23日。膳所駅から石山駅まで、駅間徒歩探索の途中だった。ほぼほぼジャスト11年前か~。

 

 

 

もはや記憶も定かでないが、たぶんここがねじり物件だと知った状態で訪ねたんだったと思う。

 

でなきゃ、

当時のわたくしがわざわざここを降りることはなかっただろう(笑)。

 

現在位置はコチラ

 

 

 

 

 

完全に余談だが上の写真右側、東海道本線西側の一角は、当時

このようにのどか~な場所だった。

 

宅地の中にわずかに残された、古き良き「里の景」が大好きだったのだが、近年きれいさっぱり宅地化されてしまった。悲しい~。

 

 

 

 

当日は、このように

彼岸花が咲き誇る場所もあったなあ…。

 

そう、宅地化されてしまったせいで、最初の写真の場所も、川に降りるにはちょっとハードルが上がってしまったぞ。

 

 

 

 

さて、降りる際に間近で目にすることになるプレートには

「兵田川橋りょう」と。

 

「中心キロ程」に注目。さよう、ここから石山駅方に向かって357mの位置にあるのがこれ。ここもこの日に撮影したものだ。

 

で、「しゅん功」は下り線が昭和42年12月、上り線が明治22年。上り線側が開業時のオリジナルが今も使われているということ。

 

 

 

 

 

さて、降りてみるとうまい具合にキャットウォーク的なスペースがあった。

 

そこを伝って、

オリジナルの上り線側まで辿りつけた。

 

わかりにくいが、アーチ環巻厚は煉瓦四層。当然ながら斜めになっている。

 

 

 

 

いや~、

やっぱりイイね!

 

きれいな仕上げとは言えないが、ねじりの造形美には惚れ惚れさせられる。ここ、斜角はけっこうきつい方だと思う。

 

 

ビジネスシューズなんで(笑)これ以上はイケない。残念ながら撤収。

 

 

 

 

線路をくぐってまわり込んできた上り線側(線路東側)。

植生がワッサ~と生い茂り、仕様がわからない。

 

 

 

 

 

至近で上から見ると、

坑口(橋梁だからホントは違うが)が斜めっているのがよくわかる。

 

 

 

 

 

 

ここ兵田川橋梁には、2011年5月22日の「春の煉瓦祭り」(笑)の際に再訪している。

ノンフラッシュヴァージョンも悪くない。

 

 

 

 

 

でもやっぱ記録するには

フラッシュ焚かないと。

 

バカなことにこの日もスニーカーしか持ってなく、悔しい思いをした。なので、この次の物件で早くもじゃぶじゃぶと水に入ったりましたわ(爆)。

 

 

写真が不完全なので本来は再訪して撮り直さないとだが、放置して久しい。これも近場の甘えか…。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

今宵は、この季節にピッタリなナンバーをご紹介。JUDAS PRIEST、1977年の傑作アルバム「SIN AFTER SIN」より、“Last Rose of Summer”。

 

JUDAS PRIESTというバンドを知っていればいる程にビックリするであろうこの曲、知らなければむしろ好都合。どなた様にもぜひ聴いていただきたい。過ぎ去った夏に思いを馳せる、甘酸っぱくも切ない、大人のセンチメンタル・ソングである(実際の歌詞の内容はちょっとニュアンスが違うけど)

 

 

 

 

実際のところ、JUDAS PRIESTと言えば「メタル・ゴッド」の尊称とともに語られるヘヴィメタル界の重鎮であり、ヴォーカリストであるロブ・ハルフォードの超ハイトーンなスクリーミング・ヴォイスが代名詞の一つなのだが、この曲で聴かれるロブのヴォーカルときたら…。

「男の色気」を感じさせる抑制の効いた歌唱が素晴らしいの一言で、改めて素晴らしいヴォーカリストだなと。

 

メタルが苦手であれば、この曲以外は聴かなくてよろしい(笑)。メタル好きでこのアルバムが未聴なら、ぜひイッとこう!

 

 

 

 

と言いつつ…わたくしこれカセットテープでしか持ってないんだな~。しかも処分しちゃった気が(汗)。

 

 

 

 

昨日、2020年9月15日。仕事が午後半休だったので、久しぶりに仁丹住所看板および古い住所看板ハントに勤しんできました~。

 

 

今回はけっこう難易度高いやつをいくつか見つけることができて、自分で自分をほめてあげたい(笑)。

 

以下はその現場写真ですが…わかりますかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、3枚目写真のやつが、一番難易度高いかな?

 

最後のは看板ハントに関係ないやつ。そのうち撮り直しに行かなアカン案件なんですが、この水かさを見て思わず行きそうになって(笑)。照明ないのに行っても無駄無駄無駄ァァァ!

 

 

 

 

 

さて、久々にハントを楽しんだわけですが、

歩きすぎやろ(笑)。

 

 

京都のど真ん中、狭い道で車や自転車を気にしながら行ったり来たりのこの距離は、なかなかにハードでしたぜ。

 

 

 

 

記事はまた個別に、おいおい。

 

 

 

 

【北側篇】より続く。

 

 

 

 

安養寺隧道の北側(織田側)を確認完了し、続いて

現道の安養寺トンネルを武生側に抜けてきた。現在地コチラ

 

わかりやすい旧道分岐は、こちらも簡易封鎖されていた。やはり徒歩進軍ってことか。

 

 

 

 

 

つうわけで、

まずは「速度落とせ」を観賞しながら進軍開始。

 

のっけから一車線分が浸食されてグリーン・ヘルになってる。

 

 

 

 

 

 

 

全体的に、

こっち側(武生側)の方が廃感強めかな?いい感じだ。

 

 

 

 

 

まあ、

勾配の強さは同じってことで。

 

 

 

 

 

そして、突き当たりの右カーブの先に…

おおおお…これは~。

 

 

 

 

 

 

 

豪雪地特有のスノーシェッドが、まずお出迎えだ。

隧道坑口はこの奥にあるんだろうが、すでにオーラが溢れ出してる。

 

いや実際、シェッドの中からは白い靄が漂い出ていて、なかなかの雰囲気だ。

 

 

 

 

 

 

 

進入してみると、

この状態。

 

真夏の炎天下、むせかえるような熱気と湿気に息が詰まる。これは…やはりこちら側も隧道は完封されてるな。風の流れが一切ない。

 

 

 

 

 

 

これは手持ちマグライトで照らし、かつ明度を大幅に上げた写真。

やはり、コンクリ完封されているのがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

とても奥まで行く気にはなれず、途中で振り返り。

それなりの数の廃隧道を訪ねたり潜ったりしてきたが、ここがもっとも不快な場所だったかも。

 

コンクリ完封とスノーシェッド(それも綻びなく原型を留めてる)って組み合わせはアカンね。空気の澱みがエグかった。

 

あと…この趣味では心霊的なことは度外視して臨んでいるが、少し気味悪くもあった…ような気がする。よく覚えてないけど。まあこういうのは、天候とタイミングですな。

 

 

 

脱出&撤収。

 

 

 

ちょっとの時間だったが、朝の外気がウマイ~(笑)。

深呼吸しながら、隧道を後にした。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

2012年8月17日、福井県遠征2日目。この日のネタで記事にしているのは、山中隧道左右一号隧道国道305号・玉川トンネル旧廃道鯖波トンネル湯尾の総レール製水管橋大門の洞門など。

 

今日明日と2回に分けてご紹介するネタはこれらよりも先、この日朝方に訪ねた、それなりに有名な廃隧道。

 

 

 

 

まずはこれ。

あちらに見えるは、今回のターゲットとは関係ない武宮トンネル。まるであれの旧隧道に向かうかのような写真だが、そうではないのであーる。ちょっと珍しいな、こういうロケーション。

 

 

 

 

 

つうわけで、ノートさんのいる場所はコチラ

この道は、福井県道190号小曽原武生線の旧道。ここで簡易な通行止め措置アリのため、徒歩進軍に切り替え。

 

 

 

 

 

 

いきなり、ぐいぐい登っていく。

なかなかの勾配、旧峠道はまた別にあるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

こういう立派な二車線の廃道も

いいものですな~。

 

 

 

 

 

 

振り返りの景を確認しておく。

眼下に見えるのが現・県道。もちろん左手前に現トンネルがある。

 

 

 

 

 

 

 

そして旧道は、

急速に廃オーラを纏いはじめ…

 

 

 

 

 

 

そこからはすぐに

見えた。雰囲気あるぞ~。

 

 

 

 

 

 

 

で、いやでも残念ポイントが見えるのだが、とりあえずおいといて、

安養寺隧道、西側坑口。オレンジ色の苔が独特なテイストを醸し出している。

 

 

 

 

 

 

 

扁額。

隧道名の下に刻まれた文字は、「福井県知事 北栄造 書」。

 

1968年編纂の「道路トンネル大鑑」によるこの隧道のスペックは、昭和39年建造、延長306.0m、車道幅員5.5m、限界高4.5m。なるほど、確かに北知事の在任期間とも合致する。

 

しかしこの隧道、実は1917(大正6)年建造の古洞だという。昭和39年というのは、大きく改修された年なのだということで、扁額がこの時点のものだということは、それまではもしかしてポータルを持たない素掘り隧道だったのだろうか。

しかもここには、未完に終わった幻の初代隧道の痕跡も残っているのだとか。この時にはそんなん知らなかったので、宿題となっている。

 

ちなみに、現トンネルの供用開始は2003(平成15)年8月である。

 

 

 

 

 

 

とりあえず現在、この隧道は

コンクリ充填によって完封されている。

 

この封鎖の仕方って、わたくしの経験値においては非常に独特なもので、福井県の他の物件でも見たかもしれないが、いずれにせよ福井でしか見たことない気がする。

なんか無残なような、ポータルの外観を直接的には損なわないという意味ではありがたいような、なんとも複雑な気持ちになるんだな~。とりあえず、密封された漆黒の洞内空間を創造する時、なんかゾクゾクする。

 

 

この封鎖の仕方だと、これ以上やれることは何もない。よって撤収。

 

 

 

 

 

ポータル前からの景。

あ~、イイですな~。

 

 

 

 

 

 

 

わずか4分で、

ノートさんまで帰還。

 

続いて、隧道武生側(東側)探索へと移行する。

 

 

 

【南側篇】に続く。