穴と橋とあれやらこれやら -197ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

先日記事にした初訪問から11ヶ月後の2012年12月8日、佐和山隧道に再訪した。

 

 

この日は、関東から遠征していただいた偉大なる先輩、まききさんとdoodoongooさんを隧道接待するべく、滋賀の誇る珠玉の隧道群にご案内した。お二方とも最近あんまり発信されてないようだけど、あの隧道愛が消えるとは思えず、活動はしておられるに違いない。

 

ちなみにこの日の模様は、横山隧道観音坂隧道杉本隧道谷出山隧道などの記事で小出しにしてきている。

 

 

 

 

さて、ここ佐和山隧道には午後遅めにやってきた。

左から、おろろnさんのエクストレイル、まききさんのテリオスキッド、わたくしのノート、よととさんのアウトバック。

 

 

 

 

 

まだ夕方ではないのに、日の短いこの季節、すでに西日っぽい光に。

 

↑の写真と↓の写真は、たぶんまききさんからいただいた写真。

 

いずれも写っているのはわたくしであります。わたくしの姿を出すのは珍しいことで(笑)。

 

 

 

 

 

かわりにってわけでもないが、

こちらが自家製の隧道探索キットを背負ったまききさんの勇姿。撮影用照明なども自作されていて、そりゃもう凄いのだった。

 

 

 

 

 

で、今回いきなりどーんと、

前回とは比べものにならないほどにスッキリと見えた、彦根側(西側)ポータル。こうして見ると、改めて横山隧道との相似性が際立つ。

 

 

 

 

 

 

横山隧道↓との唯一の違いは、

ピラスターの上部が笠石よりも上に突き抜けているか否か、だけのように思える。

 

 

 

 

 

 

一応この辺だけ、

 

 

押さえときまして…。

 

 

 

 

 

 

この日はお掃除と、

戯れに、簡単な土木工事も(笑)。

 

水抜きが人力では厳しいことはわかっちゃいたが、まあ、やっぱりねと。

 

 

 

 

 

このように、

総出でお掃除。わたくしだけが遊び回っていた(笑)。

 

 

 

 

 

この時にまききさんに撮っていただいた一枚に、さらなるコラージュと合成を加えた傑作を送ってくださったのだが、

ヘンなバンドのだっさいアー写みたいになってるのだが(笑)、奇しくも立ち位置が車の並びと同じってところに気づかれたのが素晴らしい!

 

いや~、よう出来とる!

 

 

 

 

 

まあ、そんなこんなで。

この日は、山越えしての鳥居本側(東側)見学は割愛した。なんとか明るいうちに谷出山隧道へとご案内するべく急いで移動したのだが、日が暮れちゃった(冒頭のリンク参照)。

 

 

 

これが、二度目の訪問。三度目の訪問は少し間隔が空いた。その様子も、また近日中に。

 

 

 

 

 

先日、「娘」と久々に会いました。およそ1年10か月ぶりかな。退社の挨拶をしに来てくれた時以来。

あ、ウチに子供はおりませんし、前妻(そんなんおらん)の子でも隠し子でもありませんよ(笑)。

 

 

「娘」については以前、こちらの記事にて書いておりますが、元ウチの会社の後輩…というにはかなり年齢の離れた後輩でして、今は退職して違う会社で働いてるんですが、しばらくぶりにメールをくれましてね。じゃあ久しぶりに話そうか、ということで。

 

 

 

とはいえこのご時世、かつ彼女にも家庭がありますので、夕方に1時間ほど、珈琲を飲みながらのお話となりました。

こっちはメールもらった時点から改めてお父さんモード全開。向こうは久々すぎてちょっと緊張してたらしいけど、すぐに以前の感じに戻ってくれました。

 

 

 

彼女にはこの間に色々と環境の変化があったんですが、いい意味で変わっていなくてホッとしました。そして、明らかにウチの会社にいたときよりも元気そうで幸せそうでした。

以前はいろいろと嚙み合わせが悪かったから、家庭と仕事(と猫)のいいバランスが見つけられたようで、良い転職だったということですな。お父さんとして嬉しかったです。

 

 

 

 

次に会うのがいつになるかはわかりませんが、折々に連絡をくれる限りは、これからも関西のお父さんとして見守っていこうと思います。

 

 

写真は本文と関係ありません(笑)。

 

 

 

 

いささか個人的すぎるけど、わたくし的には重要イベントだったんで、備忘として…。まあたまにはよろしかろ~。

 

 

 

先日、訪問させていただいている高橋みさ子さんのブログで、このような記事が上がっていた。リブログ許可をいただいたので、まずはぜひこちらの記事をご覧あれ。

 

 

この岡山臨港鉄道には、わたくし乗り鉄時代に乗ったことがあった。なんか気になって、散り散りになった写真やらなんやら、引っ張り出してきて関連の品を集めてみたので、ここに記事にしておく。改めて高橋みさ子さん、いいきっかけをいただきましてありがとうございました。

 

 

 

さて、改めて当時の記録を紐解いてみたところ、わたくし1984(昭和59)年9月16日にこの鉄道を訪ねていた。同年の12月30日をもって廃線となっていることから、その前に、ということで訪ねたものと思われる。

 

当日は、まず岡山電気軌道を完乗した後、清輝橋線の終点である清輝橋駅から国鉄宇野線・大元駅まで歩いたようだ。所要時間はおよそ20分。「途中にローソンがあった」とか、まあ細かくメモを書いてる(笑)。

 

 

 

 

つうわけで、ここ大元駅が

岡山臨港鉄道の起点であった。

 

 

 

 

 

古き良き風情の当時の駅舎だが、ストビューで現在のほぼ同アングル(たぶん)を見てみると…

思いっきり高架化されていて、面影はナッシン・アット・オール(笑)。

 

 

 

 

 

当日購入した大元駅の入場券がこちら。

硬券は一度印刷してしまうと修正がきかないため、こういう料金変更のスタンプはよく見られたものだ。

 

 

 

 

 

さて、それではさっそく、岡山臨港鉄道の車両をどうぞ。

キハ7002。銘板があったのだろう、当時「S31新潟鉄工所製」とメモしている。

 

 

 

 

 

側面に取り付けられていたサボ。

「大元ー岡南元町」と。

 

車内の様子が少しだけ写り込んでいるが、ビニール張りのクロスシートだったようだ。

 

 

 

 

 

この車両の特徴は、なんといってもこれ。

単行運転できるように、後部に無理くり作られた運転台。ぶっさいくだが、これがまた憎めない感じで(笑)。

 

ちなみに、突っ込み式のホームで気づかれたかもしれないが、岡南元町へはこっちが先頭となる。いや、マヌケよなあやっぱり(笑)。

 

 

 

 

 

始発である大元駅の駅名標。

次は、こうなんしんぼ。高橋みさ子さんが記事にされたとおり、今も駅跡が保存されているところだ。

 

 

 

 

 

その岡南新保の駅名標も撮っていた。

みさ子さんの記事で紹介されている現在の駅跡写真で、ホーム背後に同じような植え込みが写っている。もしかして、当時と同じ植栽がずっと維持されているんだろうか?

 

しかし、駅名標設置場所が謎だ。なぜに植え込みの背後?

 

 

 

ここから岡南泉田、岡南福田、並木町と続いていたのだが、それらの駅名標は撮らなかった(撮れなかった?)とみえる。できる限り各駅の駅名標を撮ってた時期でもあったはずなのだけど、もはや理由は一切記憶なし…。

 

当時のメモでは「岡南泉田~岡南福田の大カーブが撮影に良さそう」とか書いてる。

改めて今廃線跡を地図で確認してみると、確かに大きなカーブを描いているが、市街地のど真ん中。当時は周辺に何もなかったのだろうが、さすがに38年(本記事執筆時)の歳月の流れを感じるなあ…。

 

 

 

 

 

で、終点の

岡南元町、駅名標。

 

 

 

 

 

上の写真をよく見ると、背後に「岡山市立福島小学校校舎増築~」と書かれた看板が見える。

 

これはもしかして…と、またまたストビューで調べてみたら…

あった!

 

特徴的な校舎屋上の塔?でそれとわかる。手前側がこの時の増築で建てられた校舎かな?

 

上のストビューをぐりぐりしていただいても、ここがかつての駅跡だなんて、絶対にわからないだろうな。この写真は貴重なものになった。

 

 

 

 

 

駅舎の写真などが見つからないので、元から駅舎のないホームのみの駅だったのかと思われる。記録によると、大元発11時41分で岡南元町着11時55分、12時16分に折り返して大元着12時30分と折り返し時間に余裕もあったし、あれば絶対に撮ってたはずなので。

 

ただ…気になるのは、この駅についてこれも当時のメモで「もうすぐこの線がなくなるので無人化されていた」と書いていること。無人化ということは、駅舎や出札窓口などがあった、ともとれる。うわ~、どうだったんだろうか。まさかの駅舎撮り忘れか?昔からうっかりさんだったか?

 

 

 

 

 

折り返して大元へ戻り、駅員さんにお願いしてその時の往復切符をいただいた…ようだ。

当時のメモでも「駅員さんがいい人できっぷをくれた」とか書いてる(笑)。

 

しかしこの切符、けっこう貴重じゃないか。全駅名と運賃が書いてあって、社名も入っていて。

 

 

わかりにくいだろうが、発着駅として大元と岡南元町に、日付として9と10と6に、運賃として120円に、それぞれパンチが入っている。社内で車掌さんから購入したもので、あの熟練の手さばきで狙いすまして小さなマスに穴をあける技術に、惚れ惚れしたものだった。

これはもちろんここだけじゃなく国鉄や他の私鉄も含め、あの頃の鉄道の風物詩。今では失われた技術だと言えるかも。

 

 

 

 

 

つうわけで、今回の【追憶】シリーズ(シリーズだったのか?)は、高橋みさ子さんからのインスピレーションで岡山臨港鉄道をお送りした。最後にもう一度御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

 

 

とりあえず今回も感じたが、当時の自分のメモ、記録として優秀過ぎる(笑)。

 

 

 

 

 

【2】より続く。

 

 

 

ポータル右側を登っております…ってことで、

何をしてるかというと、もちろん反対側を見に行こうとしている。

 

ならば現道から回り込めば?ってところだが、この時にはそういう頭はなかった。反対側の残存情報と登りやすそうな右側を見ると、自然に登ってました、的な。

 

 

 

 

 

少し登ると、

このような石積み土留めが現れ、

 

 

 

 

 

徐々に道が浮かび上がってきた。

これは、隧道ができる前の山越え道で、通称「朝鮮人街道」(江戸時代に朝鮮通信使が江戸までの往来にこの道を使ったことによる)の一部である。

 

 

今昔マップも貼っておくのでご覧あれ。

 

余談だが、アメブロに今昔マップを地図の状態で貼っている方、どうやっているんだろう。HTML表示にして埋め込みURLを貼り付けたら「禁止タグが含まれているから修正しろ」的な表示が出て、どう直しても表示されないのだが…。なのでしかたなく、このようなリンクURLでの載せ方しかできなくて。わたくしがアホなだけ?やり方のわかる方、ご教示願いたいです~。

 

 

 

 

 

さらに詰めていくと、このような

ステキな掘割が。これは感動した。

 

もういっちょ感動したのが、ここから左手前方向奥に見つけたもの。

 

 

 

 

 

これなんだが、

「八幡宮常夜燈」と刻まれた石柱。

 

常夜灯っぽさは全然ないのだが、どうなってたんだろう。あるいは常夜灯の跡地的なことを示す石柱なのか?そもそも八幡宮ってどこの八幡宮だ?

 

 

 

 

 

いつのものかと見てみたら、

「嘉永七季(年)」の文字が。

 

 

 

 

 

でも他の面もよく見ると、

「明治十四年」「六月」「再發起人」といった文字が読み取れる(たぶん)ので、嘉永七年建立の石柱が失われたか損壊したかで、明治十四年に再建した?

 

でも、嘉永七年って1854年、明治十四年は1881年。江戸時代から明治時代へ、この27年の間に我が国に起こった激動を考えると、感慨深いものがあるなあ。

 

ちなみに佐和山隧道の建造は、以前書いた通り1924(大正十三)年。この石柱から比べればまだ若輩者だが、すでに鬼籍に入ってしまっている。

 

 

 

 

 

掘割は、その姿をよく留めていた。

そういえば先人の記録で、この掘割周辺に「官地界」と刻まれた標柱を見つけたとあったのだが、わたくしは気づけなかった。

 

 

 

 

 

さて、こっからはなぜかあまり写真を撮ってなかった。

 

 

 

掘割を後にしてしばし、隧道反対側の正確な位置やアプローチは知らなかったが、およその見当をつけ、朝鮮人街道を外れた。

 

そして、

現道の隧道を抜けてきた国道8号上を見下ろし。

 

写真中央あたり、国道から右に滑らかに分岐していく道が、かつての朝鮮人街道をトレースする滋賀県道239号。てことは、あの道から手前に向けての延長線上に隧道が眠っているはず。

 

 

 

 

 

…ってことで、さらにガサガサと斜面を降りていくと…

あった。

 

竹藪に埋もれた、煉瓦の壁。あれは埋められたポータルの最上部、パラペット部分に違いない!

 

 

 

 

 

降りてみたら、ビンゴ!

もっと苦労するかと思っていたが、案外あっさり見つけられた佐和山隧道・鳥居本側(東側)ポータル。

 

 

 

 

 

なにしろ、扁額が

こんな目前に!

 

まあ目前でじっくり見たところで、なんて書かれてるのかわからなかったのだが…(笑)。

 

 

 

 

 

上の写真手前側には、

揮毫者のものと思しき落款があった。これはなかなか間近で見られるものじゃない。…まあ、さっぱり判読できないことには変わりないんだが。

 

 

 

 

 

扁額向かって左あたりで、

パラペットにはでっかいクラックが。状態は良くない。

 

埋められてからのものか、こうした変状によって現隧道に切り替えられたのか…。

 

 

ちょうど帯石から上が露出している感じなので、本気で掘り返せば再貫通も可能かもしれない(実際にちょっと誰かが掘り返した痕跡も)。けど、そうしたことはやめておくべきと個人的には考える。このまま寝かしておいてあげようよ、と。やったところであのド水没なんだし。

 

 

 

 

 

なんか色々と写真は撮ったのだが、似たり寄ったり&使い物にならないものも多く、割愛。

 

堪能した。

扁額にタッチして撤収。

 

 

 

 

 

あの廃車群あたりで、

行きには気づかなかった赤い実を見つけた。南天に似てるけど、違うんだろうな。

 

 

 

 

 

最後に、現道の佐和山隧道についてもご紹介しておこう。

こちらが、彦根側(西側)。

 

 

 

 

判読しづらいだろうが、

「昭和参拾(たぶん)年参月竣功」とある。これまたすでにけっこうな古参である。

 

 

 

 

 

で、こちらが鳥居本側(東側)。

西側では離れていた佐和山歩道トンネル(1994年11月竣功)と並列している。

 

今回ご紹介した旧隧道の東側ポータルは、歩行者トンネルの直上あたりに位置している。どっから行くのか?まあそれは各自で見つけていただいて…(笑)。

 

 

老婆心ながら…。上の写真の撮影時期は9月初旬だが、わたくしの横断した斜面はとんでもないマント群落の海、そしてポータル付近もおぞましい激藪(&竹藪)となっているのがわかる。訪問されるには冬季一択、とだけ忠告しておこう。

 

 

 

 

以上で、初訪問時の一部始終は完結。ブレイクを挟んで、それぞれ思い出深い二度目、三度目の訪問も記事にしていく。

 

 

 

【1】より続く。

 

 

 

さて、では…

洞内へ、おもむろに…。

 

一見して水没しているのは明らか。この「陸地」も、すぐ先で尽きることは肉眼でも見えていた。

 

 

 

 

 

上の写真でも色鮮やかに認識できる、

ポータルを一周する大きなクラック。

 

これはよくない兆候だ。これが拡がり、いつの日かポータルの倒壊/崩落を引き起こす。

 

 

 

 

 

そしてこれが、「陸地」の果てからの絶望的な景。

長靴ではとうてい突破不可能な水深。よってここが到達可能な最深部ということに。

 

ウェーダー着用でこの奥へと進軍した猛者たちを知っている(うち女性1名含む)。ウェーダーを入手した今ならば、わたくしもこの奥へのチャレンジが可能だ。けど気は進まない。正直独りじゃ怖い(笑)。

 

 

 

 

 

ここまでの写真でもわかるように、

洞内の煉瓦は白華現象が顕著。つうか天井部…なんか膨らんでない?(大汗

 

気のせいかな…。

 

 

 

 

 

陸地の果てからの振り返り。

一見、水路隧道みたいだ。

 

 

 

 

 

同地点での、

フラッシュオン・ヴァージョン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユンボでも持ち込めば排水工事ができそうだが、

国道8号やその下の住宅地まで水が流れていくかも(笑)。

 

万が一そんなことになったら怒られるだけじゃ済まないだろう。やるなよ、ゼッタイ(笑)。

 

 

 

 

 

脱出。

 

 

 

そしてー。

ここをこんな目前に見ております。

 

 

 

 

 

ハイ、さようで。

ポータル右側を登っております。

 

 

 

 

 

【3】に続く。