月ヶ瀬橋クロニクル【2】(奈良市月ヶ瀬長引~月ヶ瀬尾山) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【1】より続く。

 

 

 

 

わたくし気づいてしまった。

旧橋の橋台遺構に。

 

先ほど見た「月ヶ瀬橋クロニクル」によれば、これが昭和六年架橋の二代目鉄筋コンクリート橋のものだろう。橋台もまたコンクリ製の非常に堅牢そうなビジュアル、内部はコンクリブロック積みかな?

 

 

 

 

 

そしてさらに気づいてしまった。

手前にもあるやん?こっちは残骸っぽいけど。

 

これを見てしまったからには、やっぱり見に行きたい。向こうを降りるのはなかなか厳しそうだけど、こっちは(なぜか写真を撮ってないのだが)橋台へと至る道(水没した旧道と思われる)があるようだったので、降り口を探しに向かおう。

 

 

 

 

 

つうわけで、月ヶ瀬橋北詰から県道82号を250mほど東進したコチラ。

これは振り返っての撮影だが、路傍に見つけちゃった。

 

 

 

 

 

はい、これまた間違いなく、

旧橋の親柱っすな。

 

それには「さつき(がわ)」と刻まれていた。そして、向こうにももう一本見えていて、

 

 

 

 

 

それには

「つきがせ(はし)」。

 

かくして、両岸に二本ずつ計四本、旧橋の親柱はすべて保存されていた。素晴らしい。

 

 

 

 

 

それにしても、こっちはなぜ橋から数百mも離れたここに保存されているのか?その答えは、

こちらの石碑に。「脇野喜郎君紀功碑」と刻まれている。

 

手前の小さな看板、見にくいのでこれまた書き出してみる。

「月ヶ瀬街道開通の功労者

脇野喜郎君紀功碑

〈表題文字は富岡鉄斎〉

裏面の碑文は大阪の儒学者藤澤南岳が撰し、

揮毫は有名な書道家村田海石、刻字石工は関西一流の

大田正治である。

月ヶ瀬梅渓保勝会」

 

…なんか自慢ばっかりで(笑)、我々的に肝心な情報は最初の行に尽きる。脇野氏は地元・尾山村外戸長から県議会議員となったいわゆる地元の名士だったようで、月ヶ瀬村史にを紐解けば詳しいことがわかりそうだ…が、もちろんわたくしは手つかず(笑)。

 

なんにせよ、脇野氏の紀功碑の両脇を固めるように親柱が置かれているのにも納得がいった。

 

 

 

 

 

で、紀功碑からさらに30mほど先に、

探していたものと思しき分岐発見。きっとこれだ。

 

 

 

 

 

降りていくと数十mで、

「一般車両進入禁止」のゲートが現れた。

 

もとよりわたくし徒歩なので問題はなし。静々と進入させていただいた。橋までの距離は一目瞭然で、こういう「先の見え方」もなんかいいものだ。

 

 

 

 

 

まあまあ写真を撮ったのだが、あんまり変わり栄えしないものをお見せしてもしようがないので、

前半は基本、こんな感じ。まあ廃道ですわ、当然…。

 

 

 

 

 

で、植生が切れてしばらく、行く手に何かが見えてきた。

わかりにくいだろうが、ささやかな橋、だ。

 

ちなみに上に見える平場は、さっき通ってきた県道82号。

 

 

 

 

 

橋の正対写真も撮ったけど、とても橋とはわからない状態だったので割愛。

 

こうして橋上でのみ

ごく低いコンクリート欄干が視認できる。これは上流方向(県道見上げ方向)。

 

 

 

 

 

こうして見ると、

ようやく橋だとわかるっていうね。

 

廃された旧道の、名も知れぬ小さな橋。水位によって水没していることも多いと思われる。なんか、健気だ。

 

 

 

 

 

これは下流側遠くからの遠望。

こっからだと橋というより暗渠みたいに見えるな。

 

 

 

 

 

健気な小橋との戯れを終えて、

最終コーナー。

 

 

 

 

 

これを立ち上がると

現場到着~。

 

 

 

 

 

さてさて、

どんなものが拝めますやら?

 

 

 

 

期待しないでね…と【3】に続く(笑)。