2019年9月16日訪問物件群の月イチ連載記事。月見橋、遊覧橋、笠屋橋、神日橋、神寶橋、三笠橋、本田橋、三軒屋橋&境橋より続く。皆様お待ちかね(自虐)、いよいよ大詰めである。
境橋から100mと少々。
次なる橋が見えてきた。ついに10本目になる。鳴尾新川筋は西へと転進したが、今度もまた「例のフォーマット」の橋のようだ。
…が、今度は様子がちょっと違った。
場所はこちら。まずは南側より正対。
高欄の意匠はこれまでと共通。つまり大人数の兄弟姉妹の一員だということだ。
お名前は
「なかがわはし」。名称に風雅さはなくなってるけどね…(笑)。
お誕生日も
まったくもって同じ!「昭和八年架設」。
あえてここまでの橋との違いを申せば、
これまでこの幅員の橋では存在しなかった歩道部が設けられていた。まあ後付けだろうが。
で、「これまでと様子が違う」のは、
これだ。
川がなくなってる!
いや、もちろん正確には「暗渠になってる」ってことなのだが。
そこは小学校のグラウンドになっており、拡張に伴って暗渠化されたのではないかと思われる。いよいよ、鳴尾新川筋に伴走する旅も終わりか?
振り返ってこちらは、来た方向。
そうそう、ここの高欄意匠は「アーチ型」だった。
ここまで、遊覧橋と本田橋、三軒屋橋が「ダイヤモンド型」、そして月見橋・笠屋橋・神日橋・神寶橋、三笠橋、境橋がここと同じ「アーチ型」、という内訳だった。
この使い分けにも明確な意図があったものと思われる。武庫川遊園のエントランスだった遊覧橋はじめ当時のメイン橋だけにダイヤモンド型を与えた…のではないだろうか。
北側より。
やはり片側が暗渠になってると、ちょっと印象が違うなあ。
漢字のお名前。
非常に当たり前な感じで「中川橋」。一部の橋と比べていかにも平明な名称だが、この「名づけの法則」も詳しく知りたいところではある。
最後に引きで。
なんかこうなると、橋の存在がかき消されるな。
まああんまり小学校の門前で写真を撮ってるのも憚られるので、ここまでバババッとね。
先ほど、「いよいよ、鳴尾新川筋に伴走する旅も終わりか?」と書いた。実質的にはまあ終わりなのだが、あと一回だけ「番外篇」をやる。
ではまた来月(笑)。