こんにちは。

今回は私たちが住むこの大地が球体ではなく平面であることについて、教えられたことを鵜呑みのままにせず、先ずはご自分で大地平面説に関わる情報を求めることから始め、そして考察して頂きたいと思い取り上げることに致しました。一つ前の記事で触れましたが、海外の教育ではこの世界の始まりをビッグバン仮説と創造論の両方を公平に取り上げるそうですが、日本の義務教育では仮説止まりのビッグバン理論を事実であるかのように前提にして教え込みます。これに付随する進化論も仮説に過ぎないのに扱いは然り。このような教育が刷り込みとなり自由な思想を妨げ、この大地が平面であるという大地平面説、所謂フラットアースについてもその可能性について自ら情報を一切求めることなく、考えることなく、最初から排除する傾向が日本人には強いと感じます。先日コロナ犯罪に気付かれている方とのやり取りで、初めてのことではありませんが、「平面説は絶対無い」と断言されたこともあり、今回取り上げようと思いました。

 

以下に一昨年ある方と大地平面説に関してやり取りしたものに修正を加えて転載することにしました。この方とはSNS上でお互い積極的護憲の立場として、ある現憲法否定の方とのやり取りの中で知り合いました(憲法改悪の危機が迫っており日本人で無関係でいられる人は皆無、故、改憲の問題点をご存知ない方はこちら「アメーバオウンド キリスト道 改憲問題」のご確認を必ずお願いします)。無学で教養もない私とは異なり、日本人であれば知らない人はいない国立大学法学部ご出身で論理的思考に長けた方ですが、その方から私の大地平面説の考え方は「筋は通っている、と思います」とお応え頂いたやり取りになります。ことの始まりは私がsnsの投稿にある動画を取り上げたところ、その投稿に対してご意見下さりやり取りが始まりました。この方はこの時のやり取りをするまでにも、無学な私でも分かりやすいように、絵図を作成して丁寧に、球体説の理論に基づき、球体説の正しさを何度も根気よく私に説明して下さった方でした。青字で転載するので「青さん」としておきます。

 

以下から当時のやり取りの転載です。

 

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【真実が記されていると思わせる地図】

地図に限らず、気を付けなくては…。

 

 

上記の私の本投稿に対してコメント欄で以下のやり取りが始まりました。

 

ここに完全な真実が記されているなんて誰も思っていませんよ。

球体を平面図に正確に表すことは無理ですよね? 用途に応じて何かを犠牲にしながら図面を作らざるを得ません。メルカトル図法だったら、最短距離もそうですし、面積比も極に近づくほど正確ではありません。それを踏まえた上で使われているわけです。

真実を表していない!だから嘘だ!というのは、言いがかりも甚だしいのです。

 

青さん、こんばんは。遠近法の方のお返事も滞っておりごめんなさい。

こちらの動画では「嘘だ」と主張しているわけではないですよ。私の見出しの書き方が悪く、誤解を招き申し訳なかったです。地図を元に以下のような大事故が実際発生しているので、同じように類推して、そこから他の物事においても気を付けないとということが私の言いたいことでした。語彙力と共に文章力も乏しいのでなんですが、これで意図が伝わるとよいのですが…。

https://youtu.be/DoXWJS9u-Uo?t=922

最近は自分の信仰に向き合うことでいま精一杯で、先般のテニスボールと地球のことについてもお話しするのに丁度いいなと思ったホームページがあったのですが、これも結局パパッと文章に出来ず今に至ってしまってます。

いつもコメントありがとうございます。

 

まるさん

球体を平面に表すための苦肉の策に対して、ここが嘘だとあげつらうことにより、球体説を否定するなんていうバカな話に乗っておられるのかと思いました。

動画は見ていませんが、地図は所詮、球体を平面にあらわそうとしたものに過ぎず、完全な真実ではないので、そういうものであることを踏まえて使用しなくてはいけませんよね。

お返事なんていただかなくても全然結構です。フラットアースの闇から抜け出てくださればそれで良いと思っています。

 

青さん、ご返信ありがとうございます。

私にとって重要なのは聖書に記述のある神、深い人間をご自分の命を捨てて贖って下さった主イエスに忠実であることです。

私の聖書解釈では、この私たちが住む世界の成り立ちについても、神の言葉を選択する(信じる)のか、人間の仮説(ビックバンや進化論など)を支持する(信じる)のか、どちらを選ぶかと言うことは神に忠実であるのか否かに関わることであると言うのが私の認識です。私にっては球体説もここに関わってきます。

私はこの欺瞞に満ちた世俗社会で今後やって来る聖書に神から人間へ予告(預言)された大患難の中、最後まで信仰の道を貫けるかどうかはわかりませんが、肉体が滅ぶその時まで慈愛と公平・公正の義なる神に忠実でありたいと思ってます。なので私が今後球体説に戻ることは限りなくゼロに近いです。

人間の罪深さについてですが、人間の世界でも仮に自分の知識不足で知らない法律でももしその法律に違反してそれが明るみに出れば知らなかったでは済まない、犯罪者と言うことになりますよね?私はこの世界の主権者は創造主の神であると思ってます。そして神がこの世を創造された時に神が定められた秩序、理があり、それらはいわゆる旧約聖書に記述のある律法に関わります。有名な所ではモーセの十戒ですが、律法は十戒だけにとどまりません。そしてそれらを一つでも犯した場合、旧約時代ではその罰としてほぼその場で「死罪」、それくらい厳しい(古代イスラエル・ユダヤ)世界でした(注一)。同時代の異邦人はバアルなどの悪魔を崇拝してました。そして新約聖書以降では、神の律法は当然今現在に至るまで「有効」なのですが(西欧キリスト教では律法は廃止されたと言う解釈)、主イエスの贖いで即死罪にならないだけで数々の律法を知らずに犯し続けて生きています。でもいずれは肉体が必ず死に至ります。そしてこの世に生を受けた人間は過去に既に死んだ人間も含め一人残らず今の世俗での生き方を悔い改めたのかどうか審判されます。主イエスを信じることなく悔い改めることがなかった人間は支配層の悪魔崇拝者と同じ運命を共にすることになり、主イエスを信じ悔い改めが神の基準を満たすのであれば悪の一切ない新しく再創造される天と地へ入れて頂くことが出来、そこに入れるのは本当に一握りと思います。西欧キリスト教の教えのような信じるだけで救われると言う安易なものでは決してないです。西欧キリスト教の解釈を信じる多くの人は新コロ茶番を始めとする支配層の仕込みに気付けない人と被っていると思います。

以下は主イエスのお言葉です。

 

新約聖書 マタイの福音書 五章二十九、三十節

もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。

もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。

 

審判により第二の死で新しい天地へ入れない大多数の人間が行くところは、目をえぐり出し、片手を失ってでも罪を犯さないようになる方がそこへ落とされるよりマシと教えているようなところです…。

長くなってしまいましたが、青さんが人は肉体が死んだら終わるとか、輪廻転生を堅く信じていると言うのならば仕方がないですが、そうでないならば、早くご自分で聖書が何を教えているのか、青さんご自身で確認なさってみて下さい。慈愛の神は過去においても現在においても人間にこれから起こることを一切隠さずきちんと教えてだからそれに備えよと教えて下さってます。先延ばししていたら本当に時間切れになってしまいますので…。

 

まるさん

目で見えて、また論理的に考えて、地球が球体であったとしても、それがまるさんの聖書解釈と合わなければ、球体説はとらない、ということですか?

 

青さん、おはようございます。

私は語彙力も乏しく、用語の捉え方も間違っているといけないので「論理的」について今一度確認しました。

 

「論理的」の意味と使い方

「論理的」は「論理」に「的」がついて、論理にかなっているさまを表わしています。論理とは、与えられた条件から正しい結論が得られるための筋道のことです。論理的とは論理にかなった様子を表わしますから、「この結論に至ったのはこれこれこういう理由だ」と筋道立っていることです。

 

引用) マナラボ 論理的とは|理論的、合理的との違い・類義語と対義語・論理的会話のコツなどを解説

 

青さんと私では球体か平面かの結論が異なるわけですが、そこに至った「理由(根拠)」の部分に大きな違いがあると思います。青さんの場合は、数学や物理等幅広い沢山の教養をお持ちで、それらやご経験を踏まえて根拠を積み重ね球体と言うことに確信をお持ちかと思います。私の場合はそれらが皆無に等しく、学校で習った、世間一般の認識・常識がそうだからと言ったレベルで自分では何の根拠も持たずに球体であると過去「信じて」いたわけです。でも、新コロを機にいろいろ調べて来て、それ以前からではあるのですが多くの点在するこの世俗にある様々な問題は一見全く関係がないように見えるけれど、実のところ土を掘り起こしてそれぞれの根を辿ってみればその根っこは繋がっており、更に一つの所へ行き着くのではないのか、そんな考え方を持つようになっていたのですが、この考え方は新コロ以降更に積み重ねた情報から強まりました。そして聖書を自分で読んだ(とりあえず旧約聖書・新約聖書を一通り読み、今は三回目の通読をしている最中です)ことによりこれは確信に変わりました。一つのところに行き着く、それはまさに聖書で言うところの六百六十六と言う人間をあらわす数字でもあり一般的に言い表すならばピラミッドの頂点と言うことになります。「結論に至った理由」根拠の部分、青さんや他の真相論者の方々と私の一番の大きな違いは、私たち日本人の歴史書としての聖書の情報、それも取り込んで検証しているのか否かと言う点だと私は思います。例えば、地軸の傾きは23.4度いう数字はどこから出て来たのでしょうか。いろいろな観察や数字を元に弾き出したのかもしれませんがその観察が正しいとか、根拠となる数字は証明されているとか私には説明を聞かされても理解出来ず、結局のところ私にとっては信じるのか信じないのかレベルです。一方聖書の記述を踏まえてさまざまに得た情報を積み重ねてその数字を考える(注二)、その方が私にとっては論理的に思考出来て納得がいくのです。今という時は過去の時間、歴史を積み重ねて来た上に存在してます。近現代史だけ切り取って今を考察しても、近現代史はそれ以前の歴史の上に成り立っているわけですからそれ以前の歴史も踏まえなければ、抜け落ちたままでは正解に近付くことは出来ないのではないかと思います。論理的思考にいくら長けていても、必要な情報が抜け落ちてしまっていたらどうやっても正解に辿り着くことは出来ないと私は思うのですが、聖書は必要な情報の一部と言うか、何事かを人間が思考する上での全ての土台であると私は考えています。デジタルは早く正確に答えを弾き出しますが、インプットするものが異なっていたら弾き出す回答が全く異なることと同じです。

私はこれまで得て来たさまざまな情報から私なりに論理的に思考してこの大地は平面であると言う結論へ至りました。フラットアーサーの人たちが発信する情報だけを元に信じ込んだわけではないのです。これでご質問のお答えになっているでしょうか。

容器に入れた水は決して弧を描くことはないです。海の水には私が理解出来ないような物理的な作用等が働いていると言うことなのかもしれませんが、私は同じ信じると言うことであれば、私の理解出来ない言葉による証明よりも、目の前の器に入ったコーヒーや鍋の水、湯船の水を観察して私が理解した水の性質の方を信じます。

私は聖書はやはり真理の書物だと思ってます。そして、正直なところ、この真理を知りその道理に従うことは、この世俗の価値観の中では幸せになれるどころか苦悩が増し加わることになると思います。以前、私のフラットアースの投稿でも、青さんや赤さん宛のコメントに受け入れるのに時間が掛かったと書いたと思います。覚悟を決めないと進めない道だと思ったからです。

青さんや他の真相論者の方々に聖書を一度ご確認頂きその上で信頼するに値しないと言うことであれば、もうそれは致し方ないことだと思ってます。話しが広がり過ぎた感じでうまくまとまっておらずすみません。

返信が遅くなりましてすみませんでした。

 

まるさん

論理的に考えてというのは、たとえば、A地点とそこから何キロ南に離れたB地点で同時刻に太陽が仰角何度で観測されたとの報告があったから、そこから考えて地球は球体であると結論づける、といったことです。

もちろん球体であるということも仮説に過ぎないわけですが、球体説を補強する観測結果がゴマンとあります。

手近で観察した液体が平らだとおっしゃいますが、既に平らではないですし(表面張力でふくらんだりしますし、葉っぱの上で丸くなった水もあります)、微細に見れば引力でふくらんでいるかもしれない、もっと大きな容器なら水がふくらんでいるのがはっきり見えるかもしれない。なので、手近な水がパッと見、平らに見えるということは、地球が平らであることの根拠にはならないわけですね。

聖書が、地球が平らであると言っているのですか? どんな観測結果を根拠にしてそう言っているのでしょう?

地軸の傾きが約23.4度というのも、観測結果から論理的に導き出されたもので、それ以上でもそれ以下でもありません。360度での表現が気に入らなければ、0.408ラジアンと言ってもいいわけです。

まぁしかし、そんな観測結果など信じない、私は自分の目で見た(と思っている)ことと聖書(で言っているとまるさんが解釈すること)のみを信じる、とおっしゃるのであれば、じゃあそうしてください、と言うよりほかはありませんが。

 

青さん、こんにちは。

 

> 球体説を補強する観測結果がゴマンとあります。

> 観測結果など信じない、私は自分の目で見た(と思っている)ことと聖書(で言っているとまるさんが解釈すること)のみを信じる、

 

新コロ以前に西洋医学の対症療法のおかしさを感じてました。そして新コロを機に西洋医学の始まりが巨大石油財閥に通じること、国連、WHOなどのおかしさも理解しました。この世俗にある国際的な機関や大きな組織、大きな運動と言うものは一般に「善意から立ち上げられて大きくなった」と民衆が認識しているような組織なども、決してそうではない、どれひとつとして支配層の意図が背後にないものはない、と言うのが今の私の認識(この認識が聖書通読により確信になりました)です。球体説を補強する観測が仰る通り沢山存在するのだろうと思います。それと同様にもしかしたら大地平面説を補強する観測結果もあるかもしれませんが、表に出さないだけの可能性は否定出来ません。また、大地平面説の前提を持たない人には観測結果から「見えてこないこと」も多々あると思います。それはどう言うことかと言うと、医療業界で働く人たちはその多くの方が善意でその仕事を遂行していると思いますが、例えばがん治療一つとってもそれは石油財閥の詐欺理論を基に発展して来たものですから百害あって一理ない行為にも関わらず、医師や研究者は善意からその治療法を学んだり発展させることに力を注いでいる現実がある、そう言うことです。そして同じようなことがこの欺瞞の世界では、残念ながら、医療に限らないと言うことです。宇宙開発などに携わる方々も然りです。

 

> 表面張力でふくらんだりしますし、葉っぱの上で丸くなった水もあります

 

容器に入った水の容器に触れる部分が表面張力で膨らみをおびることは事実と私も思います。葉っぱの上に出来る水滴が丸みをおびることは実はだいぶ前に他の方から同様の指摘をされました。そしてその時は違和感を感じながらもそれをうまく言葉に言い表すことが出来ませんでした。葉っぱの上の水滴は面積が小さい故に表面張力でふんわりとした弧を球体を保っていると思います。葉っぱの上ではなくとも表面に凹凸が一切ない平らな場所に少量の水滴を落とせば同じように球体に近い弧を保つと思いますが、これに水を増し加えれば水の面積は広がり水の円周、淵に当たる部分は表面張力で弧を描きますが、淵から離れた大部分の面積は弧を保つことが出来ず、平らになってしまうと思います。

 

> 聖書が、地球が平らであると言っているのですか? どんな観測結果を根拠にしてそう言っているのでしょう?

 

この辺りは私の勉強不足で今の私にはきちんと回答が出来ないです。形状について触れている御言葉がどの程度あるのかも心に留めて通読してみます。あと現代においては聖書を信じる多くの人は球体説支持者であるだろうと思います。大地平面説を支持するのはごくごく一握りだろうと思います。以下の創世記の御言葉は絵図に落とし込むと球体は描けないかなとは思います。ただこの訳もきちんと原語から確認しないといけないと思いますが(日本語でも一つの言葉に複数の意味と言うか深い概念が存在するように、原語も同様だからです)、今の私にはそこまでの力がないです。

 

旧約聖書 創世記 一章一節〜十節

初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。//神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。 

 

青さん、ご返信ありがとうございます。お返事が遅くなりまして失礼いたしました。

 

(画像引用元)

https://www.facebook.com/photo/?fbid=2199598263535857&set=g.1924324390962053

 

 

 

青さん。以下の動画で西洋医学と石油財閥のことを理解しました。日本語訳動画は削除されてしまいました。以下の動画をからも、支配層は必ず監視社会を成し遂げると思います。茶番を理解している人は社会インフラの依存度を下げる、自然農法等自給自足の準備など整えている方も多いと思います。しかしながら太陽がのぼり、雨が降るのは、主権者である神のお陰であり、それを理解していない真相論者の方が殆どです。それは単純にご自分で一度も旧約聖書から確認なさらないからです(但し確認の前提にこれが私たち日本人の祖先の歴史と言う認識は必要不可欠と思います。これがあるのとないのとでは解釈が異なってしまうと思います)。神は自分に忠実であると認めた者だけしか今後の患難において決して助けてくれることはないです。そしてその基準は極めて厳しいものです。だから聖書では「狭い門」と教えてます。その門をくぐり道を歩み通すには自分の力だけでは無理です。これまでの生き方を心から悔い改めて、神にすがるしかないです。憲法改悪がまだされないのも私は主権者である神のただただ古代ユダヤの子孫である私たち日本人への憐れみと恵みでしかないと思います。神は時を定めておられますし、人間へ予告(預言)されたことは必ず成し遂げられます。

 

【The Corbett Report How big oil conquered the world 】

 

元cia長官デヴィッド・ペトレイアス氏

「私たちはスマート家電を通して人々を監視する」公然と言った。

→堂々と監視社会体制構築進行中であることを公開したことと同じ

 

既得権益の企業が大衆のためにやっていると信じるように求められている

このテクノロジーは環境を守るためだと。

テクノクラシーのアジェンダは、環境を守るためでも、大衆を助けるためでも、お金を儲ける為でさえもなく、私たちの日常を完全にコントロールするためのものである。

 

・・・・・・・・・・

 

ジャーナリスト、コルベットさんによるドキュメンタリー

 

The Corbett Report How big oil conquered the world 

 

環境保護において最大の課題は?増大する人口です。

20世紀の幕開けに新たな国際秩序が出現した。石油に基づいたもの。そして20世紀終わりには、その秩序は確固たるものになった。光熱、交通、工業、プラスチック製造、医薬品、現代の生活面で石油に依存していないものはない。

 

Part1 優生学の台頭

優生学の流れを汲んだ、現在の隠れ蓑「分子生物学」

 

Part 2 石油財閥がリードする環境運動 

環境運動の歴史

 ロックフェラーの資金提供で誘導された運動

 表向きは、資源枯渇・公害・環境災害から守ること

 以上を隠れ蓑にした本当の目的は優生学の流れを汲む「人口コントロール」

 

Part 3 アジェンダ:テクノクラシー 

テクノクラシーのアジェンダは環境を守る為ではなく、大衆を助ける為ではなく、金儲けの為ですらなく、私たち大衆の日常生活を完全にコントロールすること

 

Conclusion 

この動画はstudy of power (権力の研究)のドキュメンタリーです。

我々大衆は見えない敵、認識できない敵と戦うことは出来ない。人々はこの問題が全く見えてない、敵が自分の形跡を上手く隠しているから。これが今の世界の最大の問題。

 

 

 

旧約聖書 出エジプト記 三十四章四節〜九節

モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

 

まるさん

医療が詐欺だとしても、球体説が詐欺だとは限りませんよ。医療は人体という極めて深遠な領域を扱っていますからそれだけ詐欺もやりやすいわけです。しかし地球が球体であることは、ある意味単純な事実なんですね。詐欺である余地がありません。

平面説を補強する観測結果を表に出さない? ということは、観測結果なしで平面説は唱えられているということですか? 観測に基づく根拠は無いんですね?

平面説の前提を持たない人には観測結果から「見えてこないこと」がある? 具体的にはどういったことでしょう。医療はいいので、地球の話で説明してください。

表面張力で丸くなることはお認めになるんですね。そして、引力によっても弧を描いています。手近な水だときわめてわずかなので確認できないですけどね。

地球が球体であることと、太陽の恵みが神の恩寵であることは両立します。万有引力の法則を説いたアイザック・ニュートンは熱心に神を信じる聖書学者でもありました。

医学は科学ではありませんから置いておいて、観測結果や数学から導かれる宇宙の驚異に目覚められますよう。自分の狭い視野では想像もつかないような摂理が働いておりますよ。

 

 

青さん、お返事ありがとうございます。

青さんと私とでは今後この混沌とした世の中で生きてゆく上で大切にしたいことに違いがあり、その違いから今回のことについても私の青さんへ一番お伝えしたい意図がなかなか伝わらないように感じています。

 

>平面説を補強する観測結果を表に出さない? ということは、観測結果なしで平面説は唱えられているということですか? 観測に基づく根拠は無いんですね?

平面説の前提を持たない人には観測結果から「見えてこないこと」がある? 具体的にはどういったことでしょう。医療はいいので、地球の話で説明してください。

 

この辺りを徹底して議論をお望みでしたら相手が間違ってます。私ではなくてフラットアースジャパンなどのメンバーの中で、論理的思考を基に大地平面説について真剣に取り組む、考えている方々がおられると思いますのでその方々と議論なさって下さい。その方が青さんにとっても有益かなと思います。

表面張力で水が丸くなるのは水の面積が小さいということが条件です。引力について理解を深める時間、割く時間を私は私の限られた時間を聖書に割きます。人は明日も生きているという保証もありません。

ニュートンは確かにカトリックを否定するクリスチャンのようですが、主イエスを認めない考え方なので私とは考え方が一致しません。

仰る通り私の視野は決して広くはないです。無学であることも自覚してます。そして残りの有限な時間の中で私が時間を割きたいことは大地平面説のことではなくて、聖書が何を人間に教えているのかということになります。

 

まるさん

私がここで問題にしていることは、なぜまるさんが平面説を採られてSNSでも説かれているのか、ということです。まるさんの問題です。

平面説を全然話題にされないのであれば、私もこうしてコメントすることはありません。平面説などという、私から見れば大変バカげた説をまるさんが唱えられることにより、まるさんがおっしゃっている他のことに説得力が無くなっているので、こうして絡んでいるわけです。

まるさんは何を根拠に平面説を唱えておられるのか。目の前にある、平らなように見える水だけが根拠ですか? それは大地がどこまでも平らである根拠にはなりませんよね?

もし平面か球体かに時間をかけたくないということであれば、そんなことは話題にしないことです。「私にはわからない」でいいんじゃありませんか?

 

青さん。

 

>なぜまるさんが平面説を採られてSNSでも説かれているのか

>まるさんがおっしゃっている他のことに説得力が無くなっている

 

太陽を中心にして回っている地動説は太陽神崇拝と深い関連があり、聖書を信じ主イエスの救いを信じると言っていても地動説を支持していれば太陽神崇拝に通じることになりその方は救いに預かれない可能性が高くなってしまうと私は考えてます。クリスマスを祝うクリスチャンが殆どですが、クリスマスはそもそも主イエスの誕生日どころか悪魔崇拝が起源であり、悪魔を崇拝していないつもりでもクリスマスを祝うのであればそれは悪魔崇拝に加担することと同じです。ハロウィンを単純にイベントとして楽しんでいたとしても、これも悪魔崇拝が起源ですから知らずに加担していることになります。ある法律を知らなくても、その内容を知らずに反することを行なっているのであれば明るみに出ていないだけで、法律違反、罪を犯していることに変わりはないです。

私はそのように解釈しておりますから、触れないわけにはいかないです。

説得力がなくなることは赤さんからも随分前に何度かご指摘頂きました。また黄さんが大地平面説支持者の故に他の真相論者まで気狂い扱いのレッテレを貼られてしまうという旨のことを以前仰っており、球体説が常識の現代においてはそれも仰る通りだと思います。ですから私がうちに秘める方が私自身にとっても、他の真相論者の方にとっても丸く収まり、人間的視点から言えば一番良い選択と判断出来ます。あえて主張することは真相論者の方々にとっては甚だ迷惑なことになり、場合によっては忌々しく思われるとも思います。でも、私は聖書の神を信じ、その教えを堅く守ってゆくと決めましたから、そうしないわけにはいかないんです。地動説を支持することが悪魔崇拝に通じると分かって(そのように解釈出来てその解釈が正しいと考えて)いながら黙っていることは偽り者です。聖書の教えは主権者である神のためになることを先ず第一にすること、そして二番目が隣人のためにすることです。主イエスは何一つ罪を犯しませんでしたが、神のご計画を全うされるために、そして慈愛から人間の罪を贖うためにご自分の命を捧げて十字架の死に従いました。そのような生き方が、この世俗の神である悪魔とは真逆の、慈愛と義なる神が求める人間の生き方であり、人間となってこの世に来られた主イエスの生き方は神の被造物である人間の手本であり、自分を捨てることが聖書の教えだからです。

 

新約聖書 マタイによる福音書二十二章三十六〜三十九節

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』

 

以上が私が大地平面説を時折取り上げる理由です。ご賛同頂けないとは思いますが、取り上げる理由そのものはこの文章でご理解頂くことが出来る内容に仕上がっているでしょうか…。福音に関わることを伝えることは聖書の神に従うことを決めた者にとっては大切なご命令のうちの一つなんです。

 

まるさん

つまり、客観的事実として太陽のまわりを地球が回っていたとしても、まるさんは地動説をとらないということですか? 天動説は何を根拠とされていますか?

そして、天動説=平面説ではないと思うのですが、平面説についてはまるさんは何を根拠にされているのでしょう?

天動説にしろ平面説にしろ、観測と推論に基づいて唱えられるならば結構だと思います。しかし、その根拠が、天が動いているように見えるからとか、目の前の水が平らに見えるからとか、そんなことでは到底、根拠になりません。地球のほうが動いているのかもしれないし、大きく見れば丸いかもしれないからですね。

異説を唱えるのは良いけれど、その根拠が欲しい、ということです。

ただ、どうやら、手近な観察と、まるさんなりの聖書解釈しか、根拠が無さそうですね。

フラットアース論というものが、せっかくのまるさんの説明の説得力を無くさせるための、悪魔の戯れ言だという可能性については、考えたことがありますか?

私は、どう考えても地動説、球体説は真実だと思いますし、聖書の教えとも両立するものだろうと思います。

その聖書の教え・真理が広まらないように、フラットアース論というものがねじ込まれているんじゃないか、という気がしてなりません。純粋な人々をたぶらかしているようにしか見えません。

早く目を覚ましていただきたいと願うばかりですね。

 

青さん、お忙しいところ貴重なお時間を割いて下さってありがとうございます。

最後に一点だけお尋ねしたいのですが、私のこれまでのコメントですが、青さんからすればお話にならない内容であったのだろうと思いますが、それはあえて脇へ置いていただいて、一連のコメント内容の筋自体は通ってはいたでしょうか。それともやっぱり筋も通っていないとか、矛盾している点などありましたか。そのように思われた点を率直にご指摘頂けませんでしょうか。自分では筋を通して書いたつもりですが、つもりなだけで気付けていないのかなと思った次第です。ご返信頂いたことから外れて厚かましいお願いですみません。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

まるさん

まるさんが身近に見ている水が平らに見えること、および、まるさんの聖書解釈により、平面説をとり、天動説をとる、ということでしょうか? だとしたら、論理は一貫していると思います。ただ、もっと大きく見た場合に本当に球ではないとは言い切れない。そして、まるさんの聖書解釈が、その点については間違っているのかもしれない。球体説をとり地動説をとるクリスチャンは多い、というか、圧倒的多数はそうでしょうしね。

私は、天動説や平面説は魔説だと思います。まるさんのように真面目に論じておられる人の説得力を破壊するものだと思います。これらの説は、現在の大多数の常識からかけ離れたものなので、「みんなは騙されている。本当はこうだ」と言いたい人にとって、とても誘惑的で魅力があるのですね。

ご質問の件については、筋が通っている、と思います。ただ、間違った筋の通り方だと、私には見えます。

 

青さん、おはようございます。

お忙しいところお付き合い頂き、質問にもお答え下さりありがとうございます。

 

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(注一) 死に至る罪とそうではない罪があります。

 

新約聖書 ヨハネの手紙第一 五章十六、十七節

死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません。不義はすべて罪です。しかし、死に至らない罪もあります。

 

(注二) 90度から66.6を引くと23.4という数字が出て来ます。

 

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青さんは上述の通り憲法改悪阻止と言う共通目的で知り合い、私が聖書を学んでいることを知った青さんの方から聖書についても知りたいということで友達申請頂き繋がってました。そしてこれらの大地平面説とそれに絡む聖書の一連のやり取りを経て程なくして友達の繋がりから外されました。

 

今回は大地平面説について取り上げましたが、これをきっかけに一人でも多くの方が一日も早く聖書を先ずはご自分で通読確認して下さることを願います。

聖書通読と併せて私が手引きとしているミカエルさんのブログ「真の聖書福音と預言」をご確認頂くことを推奨します。正しい底本原語に基づいて説明して下さっており聖書理解を深めることが出来ます。また、主イエスへの信仰に歩む決意をされた方はミカエルさんが管理されている教会「神のイスラエル教会」がありますからそちらをどうぞ目指して下さい。

 

新約聖書 ルカによる福音書 十八章二十七節

イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。

 

新約聖書 ヨハネの手紙第一 五章十四、十五節

何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。


以上、私の拙い文章ですが、これをきっかけに皆さんが慈愛と公平公正の義なる唯一本物の生ける神について真剣にお考えになり、速やかに主イエスの説かれた「悔い改め」を選択なさり、主なる神へ立ち返られることを切に願います。最後までお読みくださりありがとうございます。