こんにちは。

今回は最近の私の出来事から「義と慈愛の聖なる真の神様に最も忠実な人〜古代イスラエル末裔日本人こそが耳を傾けるべきお方〜」と題して書こうと思いました。

 

先ずは以下の画像をご覧ください。

 

 

画像引用 https://x.com/kamunagimeeem/status/2059841359704699076

 

ルパン小僧様の旧ツイッター御投稿の返信欄へsasura様という方が御返信を投稿されてます。ちょっと脇へ逸れますが、極めて重要なことなのでウイルス学の嘘をご存知ない方には御投稿のベイリー博士の解説動画を必ずご確認いただきまして、これ以上西洋医学の礎であるウイルス学の嘘欺瞞に騙されて毒注射などの接種をなさらないでいただきたいと思います。医師、専門家、学者、医療関係者の方々がこの事実に向き合うことは相当に困難なことと考えます。何故ならば自分が費やしてきた人生を全否定することに繋がる大嘘だからです。故に西洋医学、医療から利害関係の無い私たち一般人こそがこの嘘をきちんと理解して、向き合って、事実を伝えるべきです。また毒注射接種を医師によっては積極的に推進して接種を行ったことに以下の背景があります。通常ワクチンの仕入れには費用が発生しますが、この偽感染症の新型コロナ毒注射(他のワクチンもウイルス学が嘘ですから毒です)の場合は頭脳明晰な官僚が私たち日本人の接種を促進させるべく病院側には毒ワクチンを仕入れる費用も発生させず、さらに打てば打つほど病院へお金が入る制度設計を行いました。日本人は国(日本人ではない亜細亜人が権力を握る政府)により製薬会社や医療の食い物にされたんです。ですから、注射接種後に体調が悪くなったけれど因果関係が証明できない…と考える必要などなく、そもそものウイルスの存在証明がありませんから打つべき根拠がありませんし、存在証明のないものに対してどのようにして最適なワクチンなるものをあんな短期間で開発製造できるのかという話です。騙された日本人は現憲法に基づいて一致団結して立ち上がるべき時です。

画像引用 https://x.com/TsutomuIkarashi/status/2033197997887238655

画像引用元で医師の説明動画をご覧ください。

 

話しを戻しますが、sasura様の御投稿をご覧になって他者の投稿を紹介だけしているこの引用投稿の問題点がお分かりになるでしょうか。私は以前フェイスブックを利用していたことがありました。個人の名前で登録するフェイスブックは全く利用する気などなかったのですが、私が当時注目していた方の発信情報を得たいと思いその方へ問い合わせたところ、自分の情報発信はフェイスブックからなので口座を取得するように促されたことがきっかけで渋々始めました。当初は名前を登録しておりましたが、適当な仮名を利用している人がいることも判り私も仮名へ変更して個人情報は出さないようにもっぱら読むこと専門に利用してました。その後私は今の信仰の道を歩む決心をするのですが、福音伝道に於いては今では口座削除したこのフェイスブックで日々活動を行っておりました。それは新型コロナの嘘や憲法改悪の危機など同じ認識を持つ方と交流することも増え、自分の個人情報を明かすことがなくても私の情報発信から信頼して交流してくださる方との繋がりも多くはないですが出来上がっていたので、そのような世の嘘欺瞞に気付いている方々を中心に主イエスへ立ち返るきっかけをつくりたい、聖書の真実性を広く伝えたいと考えました。そのようなSNS上の交流でたまたまやり取りしたドイツ在住の女性がおられて、ネット利用の危険性について彼女も似た考え方でズームは危険だから他の役務を利用していると話してくれ(私もズームは危険と考えて利用したことはなく、同種の役務の利用も危険という認識です)、フェイスブックの危険性もよくわかったから近いうちに口座を閉じると仰って彼女はフェイスブックから去っていきました。またアメブロ「真の聖書福音と預言」の著者であられるミカエルさんも五年前の記事で以下の通り警告してくださってます。

 

フェイスブックは利用者に本名を要求し詳細な個人情報を利用者自らが書き込んで曝し、支配層や政府は世界中の人々の個人情報を収集し、また支配層にとって不都合な真実は人工知能を悪用して検閲し、削除したりしてる。ツイッターやグーグル傘下のユーチューブもこれらの一員であり、庶民のためになることをせず、むしろ、庶民を政府や大手報道機関の情報を信じさせるために有益な真実を検閲して削除して見させへんようにし、結果的に大衆に損害を与えることに注力したり、聖書や主イエス・キリストについて嘘を吹聴したり、娯楽を広めて真理から注意を逸らす企業や。何より、米国企業ばかり躍進し、情報技術分野において市場を占拠されてる事態を怪しまねばならんよ。米国が特別優れてる訳やのうて、競合となる他の有能な人や国を潰してるからなんですよ。それも知らんと、安易に米国万歳になり、米国製品を愛用し、漫然と利用してるだけで何も考えへん人はアホや。あんたの知らん間に、知らん所で個人情報を抜かれ、売られ、監視されてるってことにええ加減気付け。コンピュータもマイクロソフトのウィンドウズとアップルのマックという二大米国企業に市場を長年に渡り占有されてる。コロナ茶番によって不良悪徳政府や知事らによって中小企業潰しが行われ、外資の大企業が益々肥え太る結果になってる。ライン(LINE)にしても南朝鮮の企業やし、支那に情報を盗み取られてるし、ほんまに現代日本人は身の回りの物が外国産で溢れ、支配されつつあるという危機感が欠けてる。フェイスブックは利用者に本名を要求し詳細な個人情報を利用者自らが書き込んで曝し、支配層や政府は世界中の人々の個人情報を収集し、また支配層にとって不都合な真実は人工知能を悪用して検閲し、削除したりしてる。ツイッターやグーグル傘下のユーチューブもこれらの一員であり、庶民のためになることをせず、むしろ、庶民を政府や大手報道機関の情報を信じさせるために有益な真実を検閲して削除して見させへんようにし、結果的に大衆に損害を与えることに注力したり、聖書や主イエス・キリストについて嘘を吹聴したり、娯楽を広めて真理から注意を逸らす企業や。何より、米国企業ばかり躍進し、情報技術分野において市場を占拠されてる事態を怪しまねばならんよ。米国が特別優れてる訳やのうて、競合となる他の有能な人や国を潰してるからなんですよ。それも知らんと、安易に米国万歳になり、米国製品を愛用し、漫然と利用してるだけで何も考えへん人はアホや。あんたの知らん間に、知らん所で個人情報を抜かれ、売られ、監視されてるってことにええ加減気付け。コンピュータもマイクロソフトのウィンドウズとアップルのマックという二大米国企業に市場を長年に渡り占有されてる。コロナ茶番によって不良悪徳政府や知事らによって中小企業潰しが行われ、外資の大企業が益々肥え太る結果になってる。ライン(LINE)にしても南朝鮮の企業やし、支那に情報を盗み取られてるし、ほんまに現代日本人は身の回りの物が外国産で溢れ、支配されつつあるという危機感が欠けてる。

引用 動画五回目投稿 ほんまもんの愛と暦とは

 

そしてミカエルさんからはフェイスブック利用当時、機会が与えられてやり取りさせていただいた際に同役務は閉鎖的でもあるため(口座を持っている人しか福音伝道内容が閲覧できないため)やめるようにとご親切に御忠告を賜ったことがありました。この御忠告を今の私でしたら神様の定められた創造の秩序の重要性から聞き従い、しかもミカエルさんは「見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」と旧約聖書マラキ書三章二十三節(新共同訳以外では四章五節)に預言されている主なる神様から召命されてエリヤの働きをなさるお方であられますから、速やかにやめるのですが、当時は創造の秩序の重要度の認識が今程深くありませんでした(個人的にミカエルさんは自分にとっては聖書で言うところの「神の人」のようなお方という印象は持っていたのですが)。そしてその御返信には「福音伝道に皆が同じ役務に集中するのも得策ではない…」という旨の一文が偶然にもあり、神の人が私と同じようなお考えをされたということに合わせまして以下の聖句が思い出されました。

 

新約聖書 マルコによる福音書 十六章十五節 新共同訳

それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。

 

私は個人情報に関わるような投稿もさほど行っておらず、アプリケーションは使用しないで利用しており、当時「真の聖書福音と預言」の伝道をされておられた方は皆様が揃って旧ツイッターを利用されていたこと、そのような状況から一人ぐらいは別の場所での情報発信をした方が良いということなのだろうかとも思われて、ミカエルさんの「やめるように」と言う御忠告の方に聞き従って止めるのではなく、フェイスブックの利用を継続してしまいました…。そして私が聖書や真の聖書福音と預言を伝えれば伝えるほど、私の投稿に対してそれまでは好意的に応答くださった方からの反応はなくなり、人によっては遮断(ブロック)されたりと、孤立していきました。たまに反応がある方は交流したことのない人からのものでした。またフェイスブック自体の私の投稿への妨害、例えばハッシュタグを活用した投稿もハッシュタグが機能しないようにされるなどいろいろ妨害を受けるようになり、これ以上フェイスブックで投稿しても拡散できないと判断したこと、またミカエルさんからはフェイスブック経由でミカエルさんのブログへ来た人、門を叩いた者は皆無と厳しい現実を告げられたこともあり、(聖書で言うところの実を結ぶとは他者を主イエスへ立ち返らせることとも思っていましたので)このままでは一つの実も結ぶことができないとも思い、他に適当な役務も見当たらず他の皆様と同じ旧ツイッターへ活動場所を移しました。このフェイスブックを活用していた時に、嘘コロナに気付いた方々の間では有名で人気のあった既にお亡くなりになってしまった医師が他者の投稿と思われる文章をあたかも自分で書いた文章かのようにして度々投稿していることに気付きました。そして被害を受けた方やその事実をご存知の人たちの間では丸パク先生と呼ばれていることを知りました。私は自分が良いと思われた投稿内容を紹介するにあたって、この医師のような方法は絶対にしてはならないと強く認識していたのですが、sasura様のような方法は元の投稿者を明らかにしてその投稿内容の紹介をしているだけだから別段問題はないと思い込んでいたため、私自身もSNSの「引用投稿機能」で同じ形式での投稿を行ってました。

 

いん‐よう【引用】 

[名](スル)人の言葉や文章を、自分の話や文の中に引いて用いること。

 デジタル大辞泉

 

いん‐よう【引用】 〘 名詞 〙 

① 自分の論のよりどころなどを補足し、説明、証明するために、他人の文章や事例または古人の言を引くこと。

精選版 日本国語大辞典

引用 https://kotobank.jp/word/引用-11444

 

上記の定義の通り、引用とは自分の文章の中で他者の文章などを用いることを引用とするのが本来です。さて数ヶ月前、引用投稿機能を利用して自分の文章が全く無い私の引用(定義に基づけば引用と言えない)投稿について、ミカエルさんから無駄な引用をしないようにと御注意いただきまして、しばらくの間は御注意下さったことを守っていました。しかし、先に述べたような誤った認識は変わらないまま、引用の行為も引用元を添えて明白にすればそれで問題ないと、御注意いただいた時点でも正しく理解できていなかった私はある情報を目にしたことをきっかけにそこに書かれた手法とその効果を取り入れて自分が紹介したい投稿を少しでも多くの方の目に付くように、認知してもらうべく、またミカエルさんがご注意下さったことで自分の文章のない引用投稿を止めていたそのきっかけのことも忘れてしまって、正しくない引用投稿を再開してしまい、ミカエルさんから再びご注意いただくことになります。その二度目においても正しくない引用投稿をやめるようにという御注意がミカエルさんの御趣旨でしたが、一度目に御注意いただいた時点で自分の引用投稿の問題点を全く理解できていなかった私は、その二度目の御注意では私が引用投稿を行っている理由も合わせて問われた御投稿だと思い、反省とお詫びを申し上げるどころか、長々とその理由を述べると言う頓珍漢な返信をしてしまいました…。その私の返信に対するミカエルさんのご返信からどうやら理由はまったく尋ねられてはいなかったのだということが判り、調べてみると人に理由を尋ねる時に使うと思っていたその言葉は上方語では必ずしも理由をたずねる時だけに使うとも限らない言葉であるらしいこともわかりました。さて引用について検索したところ、他にも以下のような詳しい説明がありました。

 

● 引用部分が自身の文章と明確に区別できること 

● 引用元の文章と自身の文章の間に主従関係が存在すること 

● 引用元の文章や図表が改変されていないこと

引用 https://www.profuture.co.jp/mk/column/about-quote

 

引用は上記の正しい形式が必要で、二番目の自分の文章が主で引用が従となるものが引用となりますが、自分の文章が何もなかった私の場合にはそもそも主従関係すらありませんでした…。憲法や法に大変お詳しいミカエルさんは上記にお示ししました引用説明よりも更に詳しいことを把握されておられることは想像に難くありませんので、ミカエルさんが「引用」という言葉から想起される内容(定義や法からの視点)を基準に私の投稿をご覧になれば、先に私が丸パク先生のようなことは絶対にしてはならないと強く認識するのと同じような感覚で御認識なさり、私が他者の投稿を(丸パク先生と同じように)あたかも自分の投稿かのように投稿しているようにお感じになられるのは至極当然のことで、そのようなことから私へわざわざ二回も御注意下さったのでした。このことは、ミカエルさんが言葉(の定義)をとても大事になさっておられることの強い現れだとも私は思い、ミカエルさんのとても誠実なお人柄を感じます。

このように程度の低い私なのですが、言葉の扱いはいろいろな側面から考えてもとても大事なものであり、本当に大切にしなくてはいけないという強い意識は持っているつもりです…。言葉とは本当に大事だなと強く思わされたきっかけを思い返してみますと、同性の同級生、当時の彼女は部活で球技をしており髪は短くて男性的な格好の良い雰囲気を漂わせていたため、たまたま間近で話したときに遠目に見る印象とは裏腹の彼女の愛らしい顔に私は「よくみると可愛いね。」と言ってしまったのですが、彼女からは「よく見ないと可愛くないんだ。」と返されてしまい、自分が思っていることを、使う言葉や表現によって必ずしも相手には自分の意図が正しく伝わらないものなんだ、相手を傷付けることにもなりうるのだという印象がその時とても強く残りました。また、学校の課題で出されたカトリック教作家の故三浦綾子さんの「道ありき」の中で、自分が交わした言葉に対してどんなに小さな事柄までも必ず守る人物が描かれており、このような姿勢が自分の言葉に責任を持ち、言葉に忠実で、言葉を大事にするということなんだと深くと認識するようになり、同時にこんなにも誠実な人が世の中には存在するものなのか、とも思いました。

 

いくら口先では立派なことを言っていても、普段の態度や言動からその人間の品性が分かります。もっとも、偽り者は話す言葉からすぐに偽り者だと私には分かります。有言実行(善いことを言い、そのとおりに実行する)、または不言実行(言わなくても善い行いをする)が正しい者であり、有言不実行(善いことを言うが行わない)が偽善者です。不言不実行(何も言わないし、何もしない)のは論外です。これが実で見分けることです。聖霊の力で正しい信仰を持てば、聖書の真理に則った正しい言動をするキリストに近い品性がその実としてなります。この実を熟成させるにはある程度成長期間が必要で、実のなり様も人によって異なります。

引用 神の御心を行う

 

随分昔に読んだ本なので細部までは覚えていませんが、「道ありき」に描かれていたその人物は上記のミカエルさんの記事に当てはめればご自分が言葉にされたことを必ず実行に移される有言実行な方でした(また、不言実行な方であったとも記憶します)。そして言葉というと以下の聖句が思い出されます。

 


新約聖書 ヨハネによる福音書一章一節から五節と十四節 新共同訳 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 

(中略)

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

 

 

言は神であった。」の通り言葉は神様です。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」の通り主イエスは言葉であり、神様であられることが上記から明らかです。ただ、上記の引用の中で「もっとも、偽り者は話す言葉からすぐに偽り者だと私には分かります。」

というミカエルさんの記述からも、言葉には本物の言葉と偽りの言葉があるわけですから当然見極めが必要です。その見極めに必要不可欠な知恵や知識が収められている書物が神様の御言葉が収められている聖書ということになります。例えば、ある銘柄の商品が露天で販売されていてその銘柄の本物の商品を実際に知っている人であれば、銘柄という上辺だけで惑わされずに本物の商品と偽物の商品との区別を付けられることと同じ、本物を知らなければ偽物と見抜くことができず騙されるのと同じように、聖書で神様の御言葉(本物)を学び、神様そのものでもある聖句(御言葉)を自分のものとすることで、偽りの言葉を見抜けるようになる、そのように考える次第です。

 

 

旧約聖書 詩編百十一編十節 (引用 現実逃避をやめよ)

主への畏れは知恵の始まり。これを行う者は皆、ええ洞察力がある。主の賛美は永遠に続く。

 

旧約聖書 箴言一章七節 (引用 現実逃避をやめよ)

主への畏れは理解力(洞察力)の始まり。愚か者は、知恵と矯正を酷く嫌う。

 

 

主への畏れを持つようになるのは、主を知ることがなければおそれるようになることはなく、主を知るためには神様であられる主は御言葉なわけですから、神様の御言葉であり主そのものである聖書を読まないことには始まりようがありません。聖書を読むことで真の神様を知り、それにより知恵や理解力が与えられて洞察力を持てるようになって洞察力が高められ、嘘や欺瞞を見抜けるようになるのだろうと思います。

 

 

旧約聖書 箴言八章四節から十三節 新共同訳

「人よ あなたたちに向かってわたしは呼びかける。 人の子らに向かってわたしは声をあげる。浅はかな者は熟慮することを覚え 愚か者は反省することを覚えよ。聞け、わたしは指導者として語る。 わたしは唇を開き、公平について述べわたしの口はまことを唱える。 わたしの唇は背信を忌むべきこととしわたしの口の言葉はすべて正しく よこしまなことも曲がったことも含んでいない。理解力のある人には それがすべて正しいと分かる。 知識に到達した人には それがすべてまっすぐであると分かる。銀よりもむしろ、わたしの諭しを受け入れ 精選された金よりも、知識を受け入れよ。知恵は真珠にまさり どのような財宝も比べることはできない。わたしは知恵。熟慮と共に住まい 知識と慎重さを備えている。主を畏れることは、悪を憎むこと。 傲慢、驕り、悪の道 暴言をはく口を、わたしは憎む。

 

新約聖書 ヨハネによる福音書 五章三十九節 新共同訳

あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。

 

 

上記の箴言からも、聖書から神様の御言葉(聖句)を受け入れて、聖書の御言葉を学び、学びを生活の中で実践することにより、自分の中にしっかりと聖書の御言葉を定着させることができます。つまり知恵と知識が備わり、それにより熟慮できるようになり、噓欺瞞の言葉を見抜いて世の嘘に騙されない「もっとも、偽り者は話す言葉からすぐに偽り者だと私には分かります。」という先のミカエルさんの御言葉に繋がります。また聖書に記された神の律法(という御言葉)が神様の御品性でもあることから聖書の御言葉が自分に定着するということは自分の品性を神様の御品性へ近付けることと理解します。そしてそれらのことをこの現代の真正イスラエルである日本において真っ先に実践されて今日に至るまで絶え間無く継続なさって「聖書の御言葉」に最も忠実な人、上記ヨハネによる福音書にある通り「聖書は主イエスを証しする書物」ですから、即ち「御言葉であり義と慈愛の聖なる真の神様であられる主イエス・キリスト」に最も忠実なお方とは、聖書を正しい底本原語から日本語へ翻訳し研究されて、知り得たことをご自身で確実に実践されて、聖書の真理、福音をすべての人へ向けて記事を作成し無償公開で伝道されてこられた、聖書真理を体現されながら唯一正しく説いておられる「真の聖書福音と預言」の著者であられるミカエルさんです。

 

拙者は全知全能の万物の創造主である主イエス・キリストを畏れる者であり、その辺に居てる不信仰で、神を畏れず、自分の利益のためなら何でもやる、手段を選ばへんといったことを絶対にせえへん人物であることをご認識ください。それを約束いたします。

(中略)

嘘をつくことは律法違犯の罪(レビ記十九章十一節)であり、嘘つきは将来は地獄行きになります(黙示録二十一章八節)。拙者も嘘や偽りを言わず、騙したりも一切いたしませんし、真摯に対応いたします。

引用 https://the-way-of-christ.themedia.jp/pages/4772735/contact

 

 

旧約聖書 詩編十五編 新共同訳

【賛歌。ダビデの詩。】 主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り 聖なる山に住むことができるのでしょうか。それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉があり舌には中傷をもたない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。主の目にかなわないものは退け 主を畏れる人を尊び 悪事をしないとの誓いを守る人。金を貸しても利息を取らず 賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。これらのことを守る人は とこしえに揺らぐことがないでしょう。 

 


世間ではなんでもかんでも思いついたことを後先考えずに簡単に言葉に出して、その言葉に責任を持たないような人の方が圧倒的に多いように思います。よく考えて言葉にしている場合でも、真のキリスト者とそこを目指している者以外の方は神様の御言葉である聖書の正しい知識、聖書真理を知りませんから、知らないことを前提に考えることは不可能、つまり真理を根拠に考えることが先ずはできません。ですから、真理を知らなければ真理に依拠した正しいことを語ることは不可能ということになります。善のみ行って罪を犯さないような人間は この地上にはいない。」(旧約聖書 コヘレトの言葉 七章二十節 新共同訳)にある通り聖書は正しい人間がいないことを教えてますから、聖書を知らない方、知ろうとしない方に正しいことを語ることは絶対にできないのです。今回紹介しました私の出来事やミカエルさんのこれまでの数々のブログ記事、そして上記にご紹介しておりますミカエルさんが御自身について書かれている事柄などから上記の旧約聖書詩編十五編の箇所を読むと私はいつもミカエルさんのことが重なります。

 

 

旧約聖書 コヘレトの言葉 一章十八節 新共同訳

知恵が深まれば悩みも深まり 知識が増せば痛みも増す。

 

 

これまでミカエルさんのブログ記事から聖書の真理、世の真相などを学ばせていただいて、他の多くの方が知らない、気付かないような世の真実なども知り、私の場合は程度がまったく高くありませんがそれでもそれなりに知恵が深まり知識が増すことで、信仰の道を歩み続けることの大変さは、やはり無くはありません…。まして、ミカエルさんほどにもなれば、聖書に精通すればする程、私には想像がつかない程の悩み、苦しみや痛みがあるだろうと思います。ただこのように書くと聖書を知ることは不幸でしかないと大きな勘違いをされてしまうと困ります。九年も前にミカエルさんは以下の通り断言されておられるのですから。

 

私は、主イエス・キリストに従う人の人生は幸せに満ちていると断言する。

 

この世でいくら肩身の狭い思いをしても、孤独を感じても、世の多くの人間から称賛されなくても、まったく気にならない。それは不幸を意味しない。

 

富が手に入らなくても、それが神と相反していることを知っており、富が人を幸せにするのではないことを知っている。

 

神の義を第一に求めれば、必要なものは加えて与えられることも知っている。

 

金やプラチナ等の貴金属、宝石、現金、土地等の不動産を持つこと、有名になったり、人間から称賛されることを追い求めることの愚かさを知りたいか。

そのような物は、神の賜物に比べれば、すべて散りゆく花、灰に等しい。

引用 義を求めて

 

旧約聖書 イザヤ書 四十章五節から八節 新共同訳

主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。 永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。 この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

 

新約聖書 ペトロの手紙一 一章二十節から二十五節 新共同訳

キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。こう言われているからです。 「人は皆、草のようで、 その華やかさはすべて、草の花のようだ。 草は枯れ、 花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。

 

 

永遠に変わることがない主の御言葉を自分の中に蓄えて、その御言葉を一つひとつを実践することにより神様の義と慈愛が自分の中に定着してゆき、罪深い肉なる者が、永遠であられる神様の御品性に近付くことが可能であるということは言葉では言いあらわせないほどの素晴らしいことであり、これこそ真の幸いではないでしょうか。

 

この世の悪化は酷く、今後も良くなりようがないことはミカエルさんが九年も前から書き続けて下さったアメブロの記事をすべて読めば明らかなことです。この世で求める希望に幸いは絶対にありません。この度の私の拙い記事ですが、ミカエルさんの御警告と諭しに耳を傾けてくださる古代イスラエル末裔である日本人の方が一人でもおられれば、と願っております。

 

貴重なお時間を割いて、最後までお読みいただきまして誠にありがとうございます。