こんにちは。

 

今回は、書き方がいつもと違いますが、私が今思うことをそのまま書きます。

 

 

子供のように素直で純真な心で主イエスを想い、追い求め、それは義を求め、義に生きることになる。

 

主イエスを試みることをせず、疑いを起こさず、従順な者には主イエスは御自身を表される。

 

邪な考えは、人を神から遠ざけ、悪の道を模索するようにさせる。

 

正しい信仰から得られる知恵は、悪の行いをする者、闇の衣をまとう者には無縁のもの。

 

聖なる霊による知恵は、天の父なる神と主イエスを冒涜する者どもを負かし、真理を語る。

 

神は人の考えを見抜き、発する言葉の一つも逃さず聞いておられる。故に、無駄口も下卑た言葉もすべての責任をかの日には問われる。

 

知恵ある者は、無意味な不平不満を漏らさず、悪口を慎み、舌を制御する。

 

偽りを言う口は、魂をも滅ぼし得る。

 

道を踏み外して自ら滅びへと向かうな。

 

本来、神は滅びのために人に命を吹き込まれたのではなく、滅びを喜ばれるのでもない。すべては神の創造された被造物で、愛されたもの。

 

しかし、その神の御意向を理解しようとしない者、神を信じない者は主イエスをも拒絶し、自らの言葉と行いによって罪に定められて死に近づく。

 

そして、死に近づくだけでなく、死に対して自らの意志で死と契約まで結び、その仲間を集めようとして他人を取り込む。

 

彼らは、何も分かっていない。

 

何も分かっていないのに、分かった気になって、驕り高ぶり、虚勢を張って、虚言を吹聴することを恥とも思わない。

 

彼らにとって、主イエスに従う者は忌々しく、邪魔で仕方ない。故に騙して道を踏み外させようとする。

 

闇の行いを弾劾し、主イエスの教え、神の掟や律法に背くことに対して咎めて非難する真のクリスチャンは目障りな存在だろう。なぜなら、その生き方が他の者とは異なり、言動も違い、汚れることを恐れて避けるかのように、大多数の者とは同じ道を歩まないからだ。

 

私は、主イエス・キリストに従う人の人生は幸せに満ちていると断言する。

 

この世でいくら肩身の狭い思いをしても、孤独を感じても、世の多くの人間から称賛されなくても、まったく気にならない。それは不幸を意味しない。

 

富が手に入らなくても、それが神と相反していることを知っており、富が人を幸せにするのではないことを知っている。

 

神の義を第一に求めれば、必要なものは加えて与えられることも知っている。

 

金やプラチナ等の貴金属、宝石、現金、土地等の不動産を持つこと、有名になったり、人間から称賛されることを追い求めることの愚かさを知りたいか。

そのような物は、神の賜物に比べれば、すべて散りゆく花、灰に等しい。

 

悪に染まる者は、主イエスに従う者の生活は窮屈だと主張し、奔放にすることを好む。

 

時に、彼らは神の民を迫害し、神を試そうとする。

 

神の民ならば、神に救ってもらえと罵り、何が起きるか見てみようと謀り、超えてはならない一線を超えることもある。

 

しかし、同時にこれは神の民への試練でもあり、悪への忍耐ぶり、神への忠誠心が分かることもある。無論、人によって受ける試練は違い、すべての者が同一の試練を受けるのではない。

 

悪に目と心を覆われている者たちは、人間では到底すべてを理解し尽くすことのできない神の御旨を少しも理解していないので、間違った試みを企てて、ぬか喜びをする。

 

人は、神の似姿として創造され、最初の人、かつ、男であるアダムを創造された。

 

人が一人でいるのはよくないと思われた主なる神は、そのアダムを助ける者として女であるエバを次に創造された。

 

男と女はそれぞれ召命が異なることを知恵ある者ならば、知っていなければならない。

 

男と女が、肉体的、精神的に異なるのはそれぞれの役割のためである。

 

男と女が不平等ということではなく、どちらかが優越しているということでもない。

 

神が定めたそれぞれの役割を知り、人間の欲求で勝手にそれを破ってはならない。

 

男女ともにまったく同じことをする、同じ立場になるというのが平等を意味するのではないことを弁え知りなさい。

 

夫は自分の体のように妻を愛し、妻は夫を敬い、仕えるように従う。主イエスの下にあっては、どちらも支え合わなければならない。

夫を従わせるような妻が聖書にあっただろうか。

 

一つの体において、外形的肉体と精神の不一致だという主張は有り得ず、そう主張する者は神に反逆する者である。

 

結婚した男女間の自然な関係以外を追い求める者たちが、どういう者であったかは、ソドムとゴモラに対する神の業を見れば分かるであろう。それとも、実際に自分の身にそれを受けるまで分からないとでも言うつもりか。

義人で、性的倒錯したり、同性愛をした者があっただろうか。よく考えるがよい。

 

人は性的欲求に身を焦がしてはならない。そうする者は、悪魔に心と身を委ねている。一部の天使が天から落とされて行った業からも明らかだ。

 

主イエスに従う者は、その体を聖霊が宿る神殿のようなものであることを知るべきであり、それを汚すことがどういうことになるのかよく考えるがよい。

 

真に悔い改めて闇の行いから脱却したならば、主イエスを愛して信じ、神の掟に従い、善悪を弁え、不義や悪を自然に避ける。そして、飽くなき心で、義を行う。

 

律法による義ではなく、信仰の義に生きる。人は、自らの行いだけで救いを得ることはできない。故に、主イエス・キリストを唯一の救い主として信じて人生を全うする者が勝利を得る者となり、その時にようやく命の冠が与えられる。

 

神は、ご自分の民を知っておられる。主イエスは良い羊飼い。羊は、その声を聞き分けて従ってどこまでもついていくが、聞かない者は豚のように泥の中を転げ回っている。

 

ひたすら、主イエス・キリストを信じて従順になり、義を行いなさい。