リビングストーン教会主日礼拝2016.10.23
主題:ルターと宗教改革

マルティン・ルターは1483年に鉱山業に従事していた父と母の次男としてドイツのアイスレーベンで生まれましたた。彼の神に対する考え方は、家族関係が大きく影響したようです。ルターの父は上昇志向が強く、子供たちにもさらに上を目指すよう常に要求していた厳格な父親であったと言われています。

教育において非常に厳しい父の姿は、後のルターが『冷酷で厳格な父なる神様』というイメージを持つ上で強い影響を及ぼすことになりました。父の願いに沿う形でマルティンは勉学に取り組んだ。ルターは哲学を学び、成績優秀で父の期待するエリート・コースに乗るかに見えました。

1505年のある体験が彼の人生に大きな影響を与えました。家を出て大学へ向かったルターは激しい雷雨にあった。落雷の恐怖に、死の恐怖を感じたルターは「聖アンナ、助けてください。私は修道士になります!」と叫んだという。ルターは両親の願いを聞き入れるどころか父親の同意すら得ずに大学を離れ、そのまま修道院に入ったといういきさつがあります。

ルターは修道生活に入ってもにもすぐ慣れたようで、祈りと研究の日々をすごしていた。この修道士時代にルターは聖書を深く読むようになり1506年には司祭の任命を受けました。初めてミサを導く中で、ルターは弱く小さな人間である自分が礼拝を通じて偉大な神の前に直接立っていることに恐れを覚えたそうです。当時からルターはどれだけ熱心に修道生活を送り、祈りを捧げても心の平安が得られないと感じていた。ルターにとっての神は、幼い時の父親や教師のように、最後に審判において自分を厳しく裁く裁判官のような存在に思えたそうです。当時のカトリックにおいて、罪を犯した時に、神から許しを得る方法は、教会の告白室において罪を告白する『告解』の秘跡がありました。簡単に言うならば、神父の前で自分の犯した罪を告白することです。皆さん、ハリウッドの映画で見たことがあるかもしれません。もちろん、クリスチャンになっても罪は犯します。その時に、自分の罪を告白することは大切なことです。

聖書の第一ヨハネの手紙にある通り、

一ヨハネ1:9自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

とあるからです。ルターはこの御言葉の通りに何度も罪を告白しました。しかし、彼は考えました。もし、神の前で告白し忘れた罪がある場合はどうなるのか。そのようにして、彼は長い時間をかけて、神の前に全ての罪を告白するために徹底的に自分自身を分析しました。しかし、罪を告白すればするほどに、ルターはさらに気づかなかった自分の罪に気づくようになりました。時には、告白室から出た瞬間に、新たな罪を思いだすこともありました。

このようにして、ルターは、罪を告白することを通して神の前に義とされることは不可能だと絶望するようになりました。ルターには、どうやってこの問題を解決するべきなのか、分からなかった。救われるには自分の罪を告白しなければならないのに、どれほど努力しても、罪は告白できる限度をはるかに超えていると感じたからです。

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