リビングストーン教会早天祈祷会2017.6.27


聖書本文:民数記20:14‐29

おはようございます。今日のQT個所民数記20:14‐29です。

★世代を超えて続く「憎しみ」「恨み」の問題
14節モーセはカデシュからエドム王に使者を遣わした。「あなたの兄弟であるイスラエルはこう申します。あなたは、わたしたちの上にふりかかった患難をすべてご存じのことでしょう。
今日の本文では、イスラエルは、『兄弟』であるエドム人にその領土を通過させて欲しいと願います。ご存じのように、エドム人はエサウの子孫、イスラエルはヤコブの子孫、イサクの「双子の兄弟」です。しかし、弟ヤコブは兄ヤコブの祝福をだまし取るという悲しい歴史がありました。それ以来、ヤコブとエサウの関係の悪さは時代を超えて受け継がれてきました。約500年後のこの時代にも、イスラエルとエドムの関係は良くない事が分かります。どんな形であれ、飲み水の代金を払うと言っても、エドムはイスラエルの通過を認めませんでした。

★解決はイエス様しかない
21節エドム人はこのように、自分の領土をイスラエルが通過することを許さず、イスラエルは迂回しなければならなかった。
世代を超えた憎しみと恨みの問題はどこでも見られます。現在の中東問題、ユダヤとアラブの問題も同じく、近い兄弟同士の民族の問題であり、それはいつの時代、世界どの場所でも見られる場所です。憎しみと恨みは罪の結果であり、それはアダムの罪のように世代を超えます。この問題を解決できるのはイエス様の和解と赦しの力しかありません。
21節にあるように、イスラエル民族はエドムを『迂回し』、避けて通りました。イエス様の時代、ユダヤ人はサマリアを『迂回し』避けて通りました。憎しみと恨みの問題は誰もが避けて通りたい問題です。しかし、イエス様はサマリアを迂回せず、直接そこに入り、サマリアの女を救いました。イエス様こそが、憎しみと恨みの問題の中心に入り、人々の憎しみと恨みを受けて死ぬことを通して、和解を成し遂げた救い主です。私達はいつの時代も、どんな関係においても和解の主であるイエス様に頼らなければなりません。

★不完全な祭司、アロンの死
24節「アロンは先祖の列に加えられる。わたしがイスラエルの人々に与える土地に、彼は入ることができない。あなたたちがメリバの水のことでわたしの命令に逆らったからだ。
最初の大祭司アロンはホル山において生涯を終えようとしていました。それは、昨日の個所でモーセとイスラエルがメリバの岩で神に不従順したと聖書は語ります。アロンは約束の地に入ることなく、ホル山で大祭司の服を脱ぎ、息子のエルアザルに着せ、息を引き取りました。このようにして、大祭司の職は世代を超えて受け継がれます。

★完全な大祭司はイエス様のみ
エルアザルの祭司職は更に、息子のピネハスに受け継がれました。人間の祭司職は有限で、永遠に私達の執り成しをしてくれる人はいません。しかし、イエス様は永遠の大祭司としてこの世に来られ、十字架で完全な生贄を捧げて、限りある人間による祭司職を終わらせました。そして、イエス様は二千年前に十字架で死なれ、救いを完成させられ、今まで二千年間、私達の為に天において執り成しの祈りをして下さるお方です。真の大祭司であるイエス様の故に、私達は日々赦され、日々とりなされていることを感謝しましょう。そして私達もまた、神の選ばれた民、王のような祭司(一ペテロ2章)として、遣わされる場所において祭司として、人々の為にとりなす者となることを願います。