リビングストーン教会礼拝説教
あなたの罪は赦された

48そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。49同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。
イエス様は、この罪深い女性に対して、「罪の赦し」を宣言しました。ところで、

いつ、この女の罪が赦されたのでしょうか?
1.この女性は今日の本文よりも前にイエスに会っていたのでしょうか?
2.それとも、今日、初めてイエスに出会い、その献身的な愛の行いにより、罪が赦されたのでしょうか?
もし、答えが後者であるとするならば、この女性が涙で足をぬらして香油を塗り、足に口づけをしたその熱心な愛の行いが、この女性の罪を赦したことになります。もしそうならば、もはや私達が学んでいるものは、福音ではなくなり、宗教になります。
世の宗教は、私は神に従う、だから、私は神に受け入れられる。であるのに対して、
キリスト教は、私は神に受け入れられている、だから神に従う。だからです。

この女性は以前、イエスと出会い、イエスにより罪を赦されていたのでしょう。この女性の職業は売春婦です。今も昔も、軽蔑されるべき職業でしょう。しかし、神の導きにより、この女性はイエスの言葉を聞き、イエスによる罪の赦しを受け入れるようになりました。自分のような罪人が赦され、受け入れられ、神に愛されているという喜びと感激が、今日の本文にあるように、この女性の行いに導かれたのです。

私達は毎回の礼拝ごとに、赦され、「安心して行きなさい」と言われる必要がある。
ここで、更に大切なことがあります。この女性はこの時、どういう心でイエスの元に来たのでしょうか?
1. イエスによって罪が赦されてから、完全に生活も変わり、行いも変わった。そのような完全に変えられた人生に感謝を表すために、イエスの元にやって来た。
2. イエスによって罪は赦されたけれども、完全に生活が変わった訳ではない。未だに問題を抱え、罪も抱えている。もしかしたら、売春婦を未だに止めていないかもしれない。

もちろん、聖書に答えは書いてありません。しかし、いずれにせよ、イエス様が確信をもってこの女性に励ましている言葉があります。
50イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

自分自身の話。

イエス様を信じて生きる人生は、映画やドラマのように劇的に変わるものではありません。もちろん、そうなる場合もあります。しかし、イエスを信じたからと言って、完全に人生が変わらないからと言って落胆してはいけません。私達は、それこそ、何度も倒れ、何度も赦しを受けるべき存在です。

あなたの告白は、「だからイエスを愛している」なのか、「それでもイエスを愛している」なのか?
私達はすぐには、完全には変わることができない罪人です。それは私達だけでなく、偉大な使徒パウロもそうでした。私達がイエスを愛そうとする時、私はイエスにより罪が赦され、変えられた、だからイエスを愛しているという事もできるし、私はイエスにより罪が赦された、しかしまだ変わらない所が沢山ある。それでもイエスを愛していると言う事ができるのか、二つです。人それぞれであると思います。しかし、私達がどんな状況にあ
ったとしても、私達の行いによらず、罪が赦されているのは確かなことです。だからこそ、私達は毎回毎に、イエス様から『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』と言われる必要があるのです。
「安心して」という言葉は、ヘブライ語の「シャローム」です。
シャロームは平和という言葉だけでは余りにも足りない言葉です。ユダヤ人達はお互いの挨拶をかわすとき、シャロームと言います。その意味は、『平和、繁栄、完全さと善良さと祝福』まで、豊かな意味が含まれる言葉です。イエス様はこの「シャローム」という言葉をもってこの女性を送り出し、私達を送り出してくださいます。