リビングストーン教会早天祈祷会2017.7.4


聖書本文:民数記22:41-23:12

おはようございます。今日のQT個所(民数記22:41-23:12)です。

★全世界の主である神様
民数記後半にあたる個所で、モアブの王バラクは預言者バラムにイスラエル民族を呪うように依頼します。イスラエル民族はいよいよ長い荒れ野の生活を終えて約束の地であるカナンに近づこうとしていました。今はモアブの平野に宿営しているところです。今日の本文でバラムはバラク王にお願いされた通り、イスラエルに預言の言葉を語りますが、イスラエルの神に祭壇で犠牲を捧げ、与えられた言葉は呪いの言葉ではなく、祝福の言葉でした。バラクとバラムの話は民数記の中で3章分を占めますが、そこにはモーセもヨシュアも、信仰の人々は出て来ません。不思議に思いますが、ただ一つ言える事は、『神はイスラエルの神のみにあらず、全世界の神』であるということです。そして、神はイスラエルの選ばれた信仰者のみを用いるのではなく、御心のままに、全ての人々(未信者を含めて)用いられます。神は全世界の主です。

★私達の取るべき態度
神が私を用いたから、私を通して神が働かれたからと言って、それは『私の信仰が正しい』、『私の生活は正しい』ことを意味しません。正しくない異邦人さえも神は用いるからです。そこで、私達は、『神が私を用いて下さる時、それは神の恵み以外の何物でもない』ことを悟るべきです。そして、私達は用いて下さる神に感謝し、謙遜になるべきです。

★呪いを祝福に変えるバラム
バラムは異邦人の預言者でありながら、イスラエルの神に御言葉を求めて犠牲を捧げました。与えられた言葉は、祝福の言葉で、それを聞いたバラク王は怒って抗議しました。しかし、バラムの言葉は明確です。「主がわたしの口に告げること、わたしはそれだけを忠実に告げるのです」(12節)ある意味、これは預言者として正しい態度です。イスラエルでは数多くの偽預言者が現れましたが、彼らは主が告げていない事を告げて、罰せられました。バラムは呪いを祝福に変えましたが、もちろん、彼は正しい預言者とは言えません。

★神の言葉のみを語る真の預言者であるイエス
私達はこの時代の数千年後に、本当の意味で、呪いを祝福に変える真の預言者が現れるのを知っています。その方はまさに「主がわたしの口に告げること、わたしはそれだけを忠実に告げるのです」(12節)
ヨハネ12:49『なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。』
イエス様こそが、真の預言者として、父なる神が命じた言葉のみを忠実に語りました。

★呪いを祝福に変える真の預言者であるイエス
そして、イエス様こそが、呪いを祝福に変える真の預言者です。十字架は『最も呪われた』死刑でした。イエスの十字架は、全人類の罪、呪い、憎しみを意味します。全ての人類の呪いはイエスに注がれました。イエスはそれを自ら、私達の為に背負われました。そのようなイエスの十字架の身代わりの死、神の子羊の犠牲は、真に人類の呪いを祝福に変え、憎しみを赦しに、怒りを愛に変えました。イエスを通してこそ、全ての呪いは祝福へと変えられます。私達は呪われるべき罪人でありながら、イエスがそれを背負って下さり、私達は祝福の子に変えられました。

★世に出て行き、小さなキリストとして呪いを祝福に変える。
この世には数多くの呪いが満ちています。社会、職場、学校、家庭に至るまで、憎しみや怒り、嫉妬があります。クリスチャンは、小さなキリストとして、この世に出て行き、イエス様の愛をもって、呪いを祝福に変える人々です。