(追記あり)「神」の正体 〜欠けたピースを探す旅 エピローグ(終章) | かんながら

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旅の記録です

これから、「欠けたピースを探す旅」を書こうと思ったから、プロローグって書いたけど、

やっぱりこれは、エピローグ(終章)だ、って思ったから、書き直した。

はじまりの終わりで、終わりのはじまり。

 

長いながい旅だった。

30年。

50歳を過ぎた今からの30年があるとしたら、それは「あっという間」だろうけど、

はたち過ぎのわたしにとっての30年は、「大人としての自分」の全部みたいなものだった。

 

パソコン通信っていうインターネットより前にあった今でいうSNSに生まれた「わたし」って存在。

それは、わたし自身が、わたしの責任で生み出した「わたし」だった。

その「わたし」のドラマ。

 

 

ある島のとある神社の石碑の写真が手元に届いた。

 

時がきた、って思った。

もう時間がない。本当に。

コロナが終わったら、新しい世界がはじまるってわかってた。

もうすぐ冬至。わたしにとっては「はじまり」のサイン。

 

 

陸軍関係者に対して「なぜわたしが断っているのか」について長々と書いた(伝わらないと言われたが)

メールは予想通り今のところスルーである。

 

わたしのこの混乱ぶりは、わかっている人にはわかると思う。

 

それでもわたしは投げかける。

うまくいっていないときに行動してもうまくいかないことは知っている。

でも、自分が何も投げかけなければ、誰かが投げかけた思いが自分の世界を創るだけである。

 

 

今まで意識的にも無意識にも、わたしはわたしの思いを放棄してきた。

神に委ねるとか、大いなる力(サムシンググレートやハイヤーパワー)に委ねるとか。

 

で、実際うまくいっていた。

あるときまでは。

 

 

大いなる力も、わたしにとっての神も、わたしと一体で、そこに割り込むものはなかったから。

 

今は違う。わたしが投げかけなければ、誰かの想念が入り込んでくる。

 

人に創られた「神」という名の存在が、巧みにわたしと神の間に入り込む。

 

 

あ、でもこれが「ヒロは後悔してる」ってやつね(謎)。

 

 

朝、伊勢平氏おじさんとケンカした、っていうか今言わなければ、って思った。

 

だから会えそうな場所に行った。

 

そこは、もう20年以上前に3ヶ月だけ(天気の子の街代々木のときと一緒だ!)住んだことのある場所で、

そのころ伊勢平氏おじさんもひとつ先の通りに引っ越してきた。

わたしたちは同じタイミングで目と鼻の先に引っ越してきたということになる。

 

そしておじさんの家には、お告げがあって、

おじさんの亡くなったパートナーはその部屋に越したおかげで「10年寿命がのびた」と聞いた。

 

 

同じ偶然は、ヨギの治療師ともある。

わたしがアフリカ前に瞬間風速的に住んだ亀好きの元ダンナの家。

 

わたしはしろくまさんが、わたしと結婚したときに、仲のいい北極の街の夫婦の家に電話して

「もう(そこには)行けない」と泣いた話をした。

「彼(ヒロ)は、あのとき死んで、あなたを選んだ」と、言われたってことを。

 
伊勢平氏おじさんも「もしかしたら彼は見張りだったのではないか」と言っていたから。
でも最近チラッと言ったことがある。
「彼はとても霊格が高かったから」って。
 
 
でも伊勢平氏おじさんの「依代ぶり」は半端なく、
「そんなこと言ってない」が多すぎて、わたしは嘘つきにされている。
 
「御用」を終えたから切れると思った縁が切れない。
しかも自分自身が執着している。というか、心を離せない。
 
 
伊勢平氏おじさんは、いつものようにわたしに「キミの要望にはこたえられない」とか
「キミと付き合っていたつもりはまったくない」といい、
「キミのやってることはストーカーだ!!」と言った。
 
「わたしは付き合ってもいない人の別荘にのこのこついていくような女じゃありませんよ!!」
「あなたのやっていることは詐欺です」と睨み返した。
 
彼はわたしの目をみて話せない。
「わたしの目をみて」何度も言ってこちらを向けるが、自然に彼の目はわたしの視線から離れていく。
彼が話しているのは、「わたしという存在」ではなく「彼の想念が創り出しているわたし」である。
 
わたしはずっとその「彼の想念の中のわたし」に被せられたさまざまな侮辱を引き受けてきたのである。
 
 
「キミの考えが特殊で古いだけで、今はそんな時代ではない」と伊勢平氏おじさんは平然と言い放ったが、
 
 
自分の娘が、つきあっている(と思っている)男から同じ扱いを受けても、
娘に対して「今はそんな時代ではない」とわたしに向けた暴言の数々を言えるとでもいうのだろうか。
 

 

 

 

近ごろ、わたしは、伊勢平氏おじさんと出会った最初ころを振り返っていた。
最初の夏。あのころは普通のつきあいだった。
 
わたしは「美志摩かな」ではなかったし、おじさんも「つきあっているつもり」だったはずである。
 
転機は、彼自身が言ったように、
「あの炎に焼かれたくまさんをみたとき」(阪神淡路大震災から26年 〜神の居場所)。
 
 
「キミは電話がしつこかった」
「あなたはあなたの奥さんが病気が急変してあっという間に亡くなったというけど、あなたにはそれでも看病する時間があったじゃないですか。わたしはあなたと出かけて帰ったその日に彼は亡くなっていたんですよ?その衝撃がわかります??わたしは親もきょうだいも頼る人がいなくて一番身近な人はあなただったんです。それでも自分で葬式も出し、散骨も遺品整理も引っ越しもしたんです。誰かと話したくて(相談相手のひとりとして)電話をかけたりはしましたが、それでもあなたに手伝ってもらったことも、悩みを聞いてもらったことも、なにひとつありませんよ!?」
 
だいたいその大変な時だって、長電話っていってもせいぜい1時間だ。
しかもこっちだって仕事の電話がひっきりなしで無駄な長電話をする余裕などなかった。
彼は、寂しいときは電話をかけてきて1時間以上一方的にしゃべり、「疲れた」って電話を切ることがよくあったではないか。
 
 
結局理由は後付けである。
あの火炙りのくまさんの絵をみたとき、しろくまさんの空いたポジションにはまっている自分に気がついて、
この先が怖くなったのだろう。
 
 
で、逃げる。
おじさんの先祖だっていう平維盛と同じ構図。
結局大将のくせに、自分は部下を残して逃げる。
 
 
おじさんは、山本七平の著作で「日本軍がどれほど酷かったか」ってことをしょっちゅう口にするけど、
あなたの先祖も、あなたも同じだから!!!
 
 
上に立つ者は部下を守りきる。
船長は最後のひとりが脱出するまで船に残る。
 
それが大将たるものの振る舞いである。
 
 
「キミの周りはよく人が死んでるね」
「あなたの周りもじゃないですか」
 
 
彼は、看病もでき、娘や親族もいて支えてもらっていたってことを棚に上げて、わたしが依存的だとと突っぱねる。
 
 
それでも彼は妻を亡くしてしばらくなにもできなかったといい、
そして這うように別荘にいって、自分を取り戻したのだと言っていたのである。
 
 
わたしだって、あの山に癒された。
しろくまさんがいなくなって色を喪った世界に、小さなしあわせを運んでくれたのは、伊勢平氏おじさんだった。
あの山での時間。
 
 
だから伊勢平氏おじさんに感謝している。
あの山のてっぺんが伊雑宮と繋がっていたとか、満洲開拓団や日本帝国陸軍や北朝戦のこととかは最初の夏には知らなかったけどね。
 
「美志摩かな」の御用の旅をやったから知った、日本を支配している「神という存在」。
 
 
翌年振り返ってこんなことを書いている(そして、七夕 〜旧暦七夕の1週間(旧盆)に起きたこと)。
やっぱりわたし、本当はしあわせだったんだな。
 
 
都合が悪くなったら弱いものを置いて逃げ出す、おじさんの血の起こしたカルマを贖うことができたら、
わたしはもう一度しあわせになれるような気がする。
 
尾鷲の大先生が言っていたように「維盛の子孫だから、わたしたちは他人じゃない」のだ。
 

「わたしのことを思い出せませんか」とおじさんに聞いた。

涙が止まらなくて、もう自分がみっともなくておかしいのはわかっているけど止められなかった。

 

おじさんは、近所の手前まずいと思ったらしく、「少し歩こう」と言った。

 

「おじさんは、いつからあんなふうに祈るようになったんです?」

「え?」

 

「仕事で忙しかったころには違ったでしょう?」

 

 

 

おじさんは、家族が大病したとき、彼は家族を助けたくて名だたる霊能者やヒーラーを訪ねたことあると言っていた。

そしてその誰ひとりとして、それを治すことはできなかった。

 

だから彼はその類をことを信じなくなったと言っていた。

 

 

それから数十年の時が過ぎて、彼のキャリアに変化が訪れ彼のもとにはたくさんのスピ系や霊能者が訪ねてくるようになったらしい。彼らのことはもれなく小馬鹿にしていたのに、あるひとりの霊能者を紹介され、その人のことだけは「力のあるシャーマン」と思ったそうである。

 

そこから彼は「見えない世界」を信じるようになったのだそうだ。

 

「あのシャーマンにあうまでは、この世界を信じていなかった。力のあるシャーマンはいる。」

 

やっぱりな。

昨日の夜すでにきたよ、その人の徴。

 

 

洗脳と同じ仕組みって気づかないのか。
「人はひとつ奇跡をみたら全部が正しいって信じるんだ」っていつもわたしに言ってるのに。
 

 

わたしは「力のあるシャーマン」の存在は認めるが、尊敬しない。

 

この世の必然を「人の情」で動かすから、洒落にならないエネルギーのキャリーオーバー起きてしまうのだとわたしは思う。
お金のかたよりは、この世の気持ち悪いほどの格差に、
そしてエネルギーのかたよりは、地震や水害などの自然災害になる。
 
 
人の想念をさしはさんで、かたよりを起こすと、「いいところ」と「悪いところ」ができる。
いい方に当たった方はよいだろうが、悪い方を引き受けさせられるのはどうなのだ
 
 
できごとには、「いい」「悪い」の区別はなく、みている人間の作り出す幻想である。
 
しかし、
「いいこと」をつくれば、「悪いこと」ができるのだ。
 
 
そして、この国には「よかれと思って」それをコントロールしてきた過去がある
 
 
それが人がつくった「神」という存在。
 
 
前回の記事(境域をこえていく 〜冬至前のデトックス)でも書いたけど、もうそれがコントロールしきれていないことは、現状をみればあきらかである。
 

 

なにをやっても空回り。

屋久島の治療師に電話した。「先生」以前のわたしを知っている仲間のひとり。

 

実は今週、いよいよ漆黒の世界に落ち込んでまずいと思ったから旅に出ようと思った。

 

その中のひとつが長崎にあるとある島だった。

知人の離島ライターさんの記事が新聞にのり、白山のサルタヒコが記事に上げたタイミングで、

わたしが「エーゲ海のつづき」を探していたとき、エフェソスで出会った神父さんから宿題をもらっていたことを思い出したから。

 

そのとき、きたのがそこだった。

 

夕方遅くだったが、今から飛行機に飛び乗って福岡に向かえば、夜行のフェリーで到着できる手筈は調えた。

しかし、荷物を作って背負って、出ようとしたが、どうしても行きたくない。

で延期した。

 

ちょうど翌日屋久島の治療師と電話して、「知らない場所にいくくらいならこっちにこいよ」と言ってくれたから、

それもそうだなと思って準備をした。

宿にも連絡して、飛行機の手配をしようと思ったら急激に眠くなって寝落ちした。

で、飛行機は満席になり、荒天までに辿り着けなくなってしまった。

 

 

「まにあわなかった」って電話して、現状を報告した。

 

「旅に出るのにここまで行けないってことは今までになかったし、他のこともことごとく足をひっぱられる」と訴えたら、

「ヒロが、邪魔してる」と言った。

 

「!?」

 

「とにかく後悔してるんだってさ。彼がやりたいことができなかったのは、お前に遠慮して彼がしなかったからだけどさ。」

「どうしたらいいと思う?」

「動物園に行け」

「?」

「動物は霊媒になってくれる。ヒロと対話してこい」

 

途中、ブロ友さんがメッセージを送ってくれていた。

同じ隠り世の住人。

祈ってくれている、と感じた。

 

でも扉からでるときは、一緒だよ。

だってあなたもわたしの世界の一部なのだから。

 

そして、悪どいおじいさんたちも。

 

 

 

で、動物園。

上野苦手なんだけど。だって無念の霊がどっさりいるし、徳川あるし。

 

でも、歩きながら思い出した。

わたしが伊勢平氏おじさんと同じ街に住むようになった最初のきっかけは、湯島に勤めたからだった。

 

人生を変えたきっかけの一冊の本に出会ったときも、通勤でこの道を歩いていた。

湯島天神。

そこには戸隠もある。わたしにはいろんな意味で因縁深い場所だった。

 

 

ホッキョクグマをみた。

常同行動でせかせかしてて、なんか生きてたころのしろくまさんみたいだなって思った。

 

あーこれを伝えたかったのね。

 

 

同じところを歩き回る常同行動は、ストレスが原因と言われている。

 

 

 

彼はいつも心配ばかりしていた。

わたしがのんき過ぎたから、彼は心配することになってしまったのだ。

 

だから、わたしが心配すれば、バランスがとれたか、っていったら違うと思う。

 

 

やっぱり「心配」を減らす努力以外になかった。

地獄をなくすには、天国をなくすもあるけど、それは天国を手放すのは難しいし、意味がない。

地獄をなくすことしかない気がする。

 

 

 

しろくまさんのもつ不安に入り込んできたのが

 

「豊かさは無限」

「好きなことで稼ぐ」

 

などのスピリチュアル系自己啓発と

 

「アダルトチルドレン」

「毒親」

「心の傷を癒す」

 

などの家族系トラウマビジネス。

 

 

 

わたしも東日本大震災以前の数年、スピリチュアルカウンセラーをやっていた。

当時はまだスピリチュアルという言葉がようやくではじめた時期で、占いというカテゴリーに「スピリチュアル」を売りにしている人はいなかった。

わたしは多くの人にスピリチュアルな生きかたを知ってもらいたいと思って「占い」というチャンネルを選んだ。

 

 

 

家族系トラウマビジネスは、阪神淡路大震災後にとある専門家のもとで仕事をした。

自分自身もその渦中にいて、心の傷から立ち直ることを模索していた。

一瞬救われた気持ちになったが、それは麻薬と同じで一時的な安心感しかもたらさなかったから距離をおいた。

 

 

わたしは結局大いなる力に、委ねることと、同じ世界を共有できる仲間たちの存在によって、自分の内に安らぎを得て回復していったのだ。

 

 
わたしが自己啓発やスピリチュアルやトラウマ解放を、意味がないと遠ざけるから、しろくまさんはひたすら隠していたが、遺品整理でどれほどおびただしい数の自己啓発やスピリチュアル、そして心の傷を癒すテーマの本がでてきたかわからない。タイトルをみただけで気持ち悪くなったくらいだ(意思のチカラの使い方 〜ネガティブと、どうつきあうか)。
 
 
 
そして、もうひとつ。
この国の「神」という名の存在。
 

 

パンダはただ楽しい。

なんかやっぱりかわいいって思う行動をする。

 

 

で、ゴリラ。

ボスがいて、その中でほんとまちまちに好きにマイペースで皆が暮らしてる。

とても平らかで平和な世界。

 

わたしの理想はこれだな。アフリカだし。

 

やっぱりホッキョクグマもイルカも自分じゃない。

わたしはゴリラ系。

そもそもサル年で、「このエテコウ!!」とか、しろくまさんにケンカで言われたことあったしね。

 

 

夜。阿佐ヶ谷。

そういえば、屋久島の治療師も、ジャズピアニストで阿佐ヶ谷で演奏してたことあったな。

彼とはしろくまさんと出会う前からの知り合いだから、わたしの「先生」以前を知っている。

古いネット仲間たちとはしろくまさんとの10年は距離があった。

 

わたしにはそのつもりはなかったが、

「神様やってた」って言われたくらいだから。まさに隠り世。

 

この世にいなかったのは間違いない。

それで、過去の自分を知っている人に会おうと思った。

失った記憶のかけらを取り戻すことが、現世に戻れる鍵だと思ったから。

 

で、20年ぶりの知人と飲むことに。

20年前は飲み過ぎて救急車。

 

彼と初めて出会ったのは、東京にはじめて出てきた20代でアフリカ前。

とある会社をクビになっての労働闘争がらみで紹介された当時の仲間。

 

富山の実家に行ったときに駅の写真をみて、「なんでそこに」と10年以上ぶりの反応があったことで、意識に上っての再会。

 

当日の約束しかできないわたしがめずらしく「来週の予定」を入れていた。

しかし、何度キャンセルしようと思ったことか。

でもどうせ断るなら当日にしようと思ってそっとしておいた。

 

動物園に行った勢いでこれた。

 

待っている間、福田恒存(つねあり)を読んでいたら、「なんで福田恒存?」と早速聞いてきた。

彼はまあ普通に考えて逆サイド。

 

福田恒存は最近カウンセラーの知人にも反応された。

意外だったが、心理学の研究分野にはシェイクスピア文学の研究があるらしく、福田恒存は知られているらしかった。

 

 

「どうしたのよ、一体」

「3年もつきあってるおじいさんに、キミとつきあう気は全くないって今さら言われて落ち込んでる!!」

 

 

「で、いくらもらってるの?」

「無料」

「なんでつきあってるの?」

「結婚してなかった時期ないんだもん」

 

 

おじさんの(自慢の)プロフィールと、彼のよく引用するエピソードを披露したら

 

 

「クズやな」

「で、そんなクズとつきあってるあんたもクズってことねー(爆笑)」

 

 

「20代でオタクのように事実婚(しかもそれすら住宅ローンのために受け入れたという)カップルに会って、

結婚は国家によるセックスの管理だとか、変な意見を入れ知恵されたせいでまともな結婚ができなくなった!!」

 

「いや、美志摩ちゃんはそもそもぶっ飛んでた!!」

 

伊勢平氏おじさんとの涙の3年半は、泡盛が触媒となって笑いに変換。

 

 

そういえば、彼もアフリカつながり。

南アフリカに住んでいたころ、彼もきたことがあったから(わたしはすれ違いで会ってないけど)。

 

アフリカで繋がる人たちのこのおおらかさはなんなんだろ。

 

 

 

話してて気づいた。

やっぱり伊勢平氏おじさんはしろくまさんの代わりだった。

 

しろくまさんとは、個人のレベルを整えればよかった。

だから、私たちの周りには、社会のお母さんになる女性たちが集まっていたし、

実際、今は社会のおかあさんとしてそれぞれの場所で活躍している。

 

 

しろくまさんの代わりに差し向けられたギラついたおじさんたちは、

国に関わる人たちで、彼らはこの国の「神」と関わっていた。

 

丹後の神人は、「彼(しろくまさん)とおったらあんたの御用が果たせない」って言ったが、

そんなこと言われる前から、差し向けられる人たちが変わり、わたしが向き合うべき相手が変わった、と感じていた。

 

さすがに自分自身もパートナーがいるのに明らかにあちらは女性としてのわたしを求めて(あからさまにそんな欲望を向けられるのも初めての体験だった)近づいてくる好きでもないおじさんたちを相手にすることには躊躇があって、当時ある人に相談した。

しろくまさんが亡くなる前の、雪の降る日に。

 

 

まだ出会ったばかりだったけど、しろくまさんは、いつものようにずいぶん年下の彼に「わたしといると自分のやりたいことができていない」って相談をもちかけて、「この人は天使や!!」って怒られていた。

 

わたしは自分なりに考えて、彼らとのつきあいを自分の使命として受け入れたのだ。

 

 

 

image

 

 
わたしが占い師としてデビューする前、たまたまヒプノのトレーニングで一緒だった人が
くにえさんで、クニエルと名乗っていたので、わたしはユリエルと名乗った。
たんに、「る」をつけただけ。
 
くにえる・ゆりえるって、お笑いのコンビ名くらいのノリでつけた。
大天使の名前が〜エルだってことすら知らなかった。
 
決して、「el(エル)」をつけたわけではなかった。
 
el(エル)とは神をあらわす、ということは、最近になって神学を学んでいる飲み仲間から聞くまで知らなかった。
 
 
でも笑える。
「神」になったくにえさんがここにもいたとは。
 
しかも伊勢平氏おじさんに、神という妄想を見せた人。
 
 
「あなたの先祖とあなたのまいた種を刈り取れ」
わたしはずっと、伊勢平氏おじさん対してに思ってる。
もちろん「他人に言っていることは自分自身に言っていること」で、わたしは自分自身にそれを言っていることに当然気づいていた。
 
 
わたしのしろくまさんを追い詰めたのは、自己啓発と家族という名の幻想、そして神。
そこには、全部あった。
 
 
 
そして翌朝、「平維盛は運天港に落ち延びた」って一文がわたしのところに届けられた。
 
(つづく)

 

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