わたしの祖母がノロ筋(ノロの末裔)だっていうことは、「先生」を引退してから訪ねてきた父から聞いた。
ノロ(祝女)は、琉球神道における女性の祭司。神官。巫(かんなぎ)。
地域の祭祀を取りしきり、御嶽の祭祀を司る。ヌール・ヌルとも発音される。琉球王国の祭政一致による宗教支配の手段として、古琉球由来の信仰を元に整備されて王国各地に配置された。
民間の巫女である「ユタ」とは異なる。
わたしがこの世界に入ったのも、「仕方なく」「偶然」「それしかなかった」からであるが、
まさか本当に「そういう」血をひいているとは思ってもみなかったから驚いた。
「顔のない人」って「隠り世住人」のことじゃん(苦笑)。
母はやっぱり知っていたのである。
わたしが精神世界に入ったきっかけは、阪神淡路大震災を境に自分が壊れたことだった。
それを仕事にするようになったのは、しろくまさんと知り合う前(実際にはわたしたちはその前年の七夕にすでに会っていた)、
今までの普通の仕事が強制終了してしまい、「それしか道がなかった」から。
しかし、東日本大震災が起きて、暴走する原発をみて、「人間の暴走する欲望」が重なってみえ、
こんな罪深い仕事を続けてはいけないと思って引退した。
今までとは降りてくる(発信する)メッセージが違う、と感じたから
これらの記事は、ちょうどしろくまさんが「旅は一緒にしたいけど、離婚して」って言いはじめた頃書いたもの。
2018年。今思えば「神様の御用」の集大成みたいな年だった。
穂高神社の嶺宮登拝も、白山三馬場巡りも、高千穂・丹後の真名井も、志賀海神社も、出雲も石見も。
よく行ったね、って感じ。
今までは、特別に選ばれた人たちが、神様方を慰め、鎮めてこられました。
その代わり、神様の力も、選ばれた人たちのものでした。
新しい世の中では、わたしたちには祈る自由があり、またその責任が生まれます。
神々の世界が開かれるというのは、そういうことなのだと思います。
書いたことすらすっかり忘れていたが、4年の時を経て、今同じことを書いている。
世界全体がコロナになる日。
そして、コロナは終わる。
そのとき、きっと神々は眠りにつく。
人々が、長い眠りから醒めるから。
コロナが終わったら、神々は眠りにつくことになっている。
なぜなら、「わたし(という神)がそう決めてるから」。
勇気をもって、もっとはっきり告白しよう。
「神」を創ったわたしが宣言しているんだから!!!
これらのメッセージがどこからもたらされているかはわからなかったが、
前回の記事(「神」の正体 〜欠けたピースを探す旅 エピローグ(終章))にあらわれた一連の流れではっきりと自覚した。
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略
天命の神女 略 媛命 誕生する
母方は琉球今帰仁城主の系譜
父方は尚王統の系譜
その心身に二筋の王統の血脈を注ぐ
長ずるに及んで 東京に移り
天意により 人林の森で 艱難辛苦の修行をし
神女としての活動とあまたの書籍を上梓する 類稀なる天賦の才は
人として生きた民族文化の 伝承者といわしめる
略 媛命
天命により この地に 松原神社を建立し
徳之島の平和と発展を願いん先祖と共に この地に眠る
平成二年二月吉日
略
伊勢平氏おじさんに「奇跡」を見せた、「唯一信頼している現実を動かす力のあるシャーマン」は、
神社に祀られる「神」だったのだ。
その血を受け継ぐ娘のシャーマンに力があるのは当然と言える。
なぜなら、
「人々の神々への祈りの力」は、「神」、もっとはっきりいっちゃうと「神社(や寺)を作った人たち」のものになるんだから。
おじさんは「古神道の世界では誰でも知っている」というから、わたしの関係者に尋ねてみたが、
なかなか探し出せなかった。
だいたい、「三輪山を開いた」とか「卑弥呼を出した」とかいうのに、
なぜ三島筋であるわたしの周囲に聞こえてこない?
それも不自然だった。
伊勢平氏おじさんに、「誰でも知ってる有名人というけど探し出せない」って言ったら、
「キミが付き合っている人たちがニセモノ(別の言葉だったと思うけど)だから」と全く失礼極まりない言葉で侮辱して、
彼女の正式な名を明かすことはなかった。
わたしは敵味方は分けないで、誰とでも通じるを旨としているので、教えてくれる人が最近になってあらわれた。
そしてこのタイミングで、東北に住む魂の妹が、彼女の本名が「くにえ」さんだって教えてくれた。
「くにえ」と「ゆりえ」。
クニエル・ユリエル。結成当時にそう決めていた。
神はいつもユーモアを忘れていない。
わたしは一番最初に正式参拝した高千穂の神社で聞いた。
「人は死んだら神になる」
神社に祀られているのは、もれなく「かつて生きていた人」である。
今、神社におわします神々は、心を持った「人」なのである。
その心を持った「人」たちが、日本武尊(ヤマトタケ)の
「日本の国の真の歴史ならびに天成(あまなり)の道を子々孫々にのこすべし」
そして、それらの仕組みを支えてきたのがノロ。
前回の記事の最後に引用したけど、平維盛は運天港(今帰仁)に落ち延びた。
間違いなく、今帰仁城の加護をうけたはず。
うちの諸鈍集落は、維盛の兄の平資盛を祀った「大屯神社(おおちょんじんじゃ)」がある。
そしてその資盛は、その後熊野に逃れて、玉置直虎と名前を変え、子孫が玉置山を祀ったというのは既報のとおり。
伊勢平氏おじさんが、近ごろになって、
「(キミのシマに祀られている)資盛は、維盛の兄なんだってね」
なんて当たり前の、それこそ何度も告げたことを「知らなかった」と言ってきたあたりもあやしい。
このブログをみている(霊的にを含めて)関係者が伝えたのだと思われる。
「そろそろ終章を書け」ってサインと受け取ったよ。
伊勢平氏おじさんには悔い改めて欲しかった。
「最後の審判」がくる前に。
そういえば、ロレンスの「黙示録論」を口にしたのもそういうことなんだろう。
しかも、彼はずっと昔「殉教のビジョンがある」って言ってたもん。
「何かが始まる、ということは、終わりを、受け入れる、ってことです」
ヨギの治療師が今ごろになって、
「1ヶ月原因不明の体調不良になったのは、手帳をみたら伊勢平氏おじさんに電話した翌日だった」
と言ってきた。
そのあとおじさんは息も絶え絶えの状態になった。
それをみかけたわたしが同情し、まず右胸に痛みを感じて、それがヨギの治療師の身にも同じことが起きたのだ。
逆におじさんは蘇った。
だから、今までもちろん気づいてはいたけど、おじさんの健康にわたしが関わっているのは間違いないと完全に理解した。
それもおじさんのお母さんの予言にあったときいたよ。
「健康を完璧に守ってくれる女」。
おじさんとは「他人じゃない」と思うからこそ、そうしてたのだ。
維盛が今帰仁城と通じていたように。
わたしがまいた種を、わたしは刈り取る。
神の国は、役割を終えた。
これからの世界を、わたしたちの手で。
それが、令和。
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