愛は勝つ 〜夢の途中 ムクロジと崇徳天皇 | かんながら

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旅の記録です

♫ちゃーん ちゃら ちゃーら らーらー♫

♫ちゃーん ちゃら ちゃーらー らーらーらー♫

♫ちゃーん ちゃら ちゃーらー らーらーらー♫

♫ちゃん ちゃん ちゃーん ちゃらーらーらー♫

 

 

 

しーんぱーい ないからねー

きーみーのおーもいがー

だれかに とどくー あしたが きっとあるー♫

 

 

いきなり流れてきて泣けてきちゃったよ。

 

 

 

 

「必ず最後に愛は勝つ」か。

 

 

最近どこかで歌ったような。

下手くそなシャウトが浅い記憶の中から浮かび上がってきた。

そうか、最後に小ニーニーと会ったときか。

 

 

あのあと手痛い拒絶をうけてそれっきり。

 

 

今週は休まらなかった。

ずっと見張られているようで、実際、不審な動きが多発した。

マスクとって写真撮らせてとか、調査みたいな電話とか、頼んでない縁切りとか。

 

 

 

みんなに悪気はないし、大好きな友だちだけど、

「おかしい」って思った。

 

 

「霊止(ひと)って言葉を思い知った」、とでもいうか。

 

 

本人たちは気づいてない(と思う)。

 

 

ヨギの治療師が、「カードを選ばされた」ってことがあったけど(壊れるから生まれるもの 〜わたし、のゆくえ)、

自分の意思ではないことを、「させられてる」ってことに。

 

 

人の思念想念の中に暮らすって、しんどいんだな。

だから神の住まう表参道に住んでるのに。

 

 

今までも、「ミシマ劇場」のシンクロニシティの中に生きてきたけど、わたしの望まないことなんかひとつもなかった。

 

 

伊勢平氏おじさんは、わたしが

「自分の世界は、自分の意思の投影」

 

 

って言ったら、

「キミのいうように、そんな単純なものではない」

 

 

ってよく言ってたけど、

本当にそうなってきちゃった。

 

 

 

他者の介入。

それって、「祓い」を必要としてるおじさんの世界じゃん。

 

 

自分の罪穢れを海に流して「なかったこと」にする。

だから、目の前がきれい(なつもり)でも、おじさんの生み出す世界には厄介なものがあれこれでてくるのだ。

 

 

やっぱり関係にコミットすると影響受けるんだな。

 

「朱に交われば赤くなる」。

 

 

「つきあう人は選ぶべき」(神はよみがえる 〜投影の反対のゆくえ

はある意味で本当だった。

 

 

image

伊勢平氏おじさんにばったり会った。

 

「島にはいつ行くの?」

「・・・。」

「行くの?」

 

答えたくなかった。

 

「御用を促されてる」ってわかる。

 

わたしももう「御用」で島に行きたくない。

そんなミッションを背負ってるから、島からも拒絶されてるんだろうし。

 

 

「見張りが来ました」

「え?」

「ご存じだと思いますが、あなたの関係者がきました。」

 

 

前にもおじさんの関係者が「天気の子」の街に引っ越してきたと、「挨拶にきた」ことがあったが(みえない世界が動かす力 〜のっぴきならない関係について)、あきらかに「おじさん側のさぐり」みたいな現象がいくつかあったから。

 

 

おじさんは目を泳がせて明らかに挙動不審になって気持ち悪い笑みを浮かべて言った。

「ああそう、それはよかったね」

そしてそのまま背を向けて行ってしまった。

 

 

わたしの次の「天気の子」が「挨拶にきた」ときの記録をみて、今とほぼ同じ状況だって気づく。

あのときもいろんな思いが流れ込んできてぐったりしていたんだった。

 

そして、やっぱりこれが、「おじさん側のさぐり」で、「誰なのか」がわかった。

 

 

そしてそこにでてくる「崇徳天皇」。

後ほど登場(苦笑)。

 

 

今回は、戦略を変えたのだ。

(理想を同じくする人たちと)「協働する」ってことに。

 

すると伊勢平氏おじさんが、隠していたあれこれはあっけなく明らかになった。
人って本当に「決まったグループ」の中で過ごしてる。
だから、「異質なものと睦み合う」とすごい力が流れ込む。
出会わない人と出会い、知り得ない情報に出会う。
 
「分断される」っていうことが、一番自分自身の力を削ぐ。
居心地のよい人とだけ一緒にいることが、自分自身の力を広げることにいいとは限らない。
 

 

 

 

しろくまさんが一番思い残していたはずの、シロクマ写真を発表できたので、

しろくまさんも思い残すことがなく、そろそろわたしのお世話がかりを引退するってことなのかな。

 

前回の記事(神の世から、人の世へ 〜穢土を浄土に)で、

 

 

霊が、人が、さまざまな思いを語りかけてくるこの思念想念にまみれたこの人間の世界で、
わたしが「美しい」と思える生き方を貫いていく。
 
って宣言した。
 
 
しかしながら、結構な影響力。
そもそも波動が合わずに出会わない人(実際にはそこにいない存在)と出会うんだもん。気持ちがざわつくのはあたりまえ。
 
 
でもわたしは負けない。
 
必ず、「最後に愛は勝つ」んだから。
 
 

しかし、わたしの前に紡がれている現実はなんなんだろ。

今のところ「探り」だけだから、わたしが人間の世界に「興味を持って観察してる」のと同じ理屈かな。

 

 

悪意は感じない。

でも気持ちよいものではない。

 

 

マンボウ明け。

久しぶりっていうか、はじめての夜の新橋での飲み会。

そういえば、新橋で飲んだことないんだもん。

 

 

しかも女子会。

ケツァルコアトゥルつながり(謎)。

前に一緒に飲んだのは、1年前初めて大神島に行った直後(波動の法則!?〜変容中)。

今回は気があいそうな女友達を紹介したいって言ってくれて実現。ご主人は外国人。

3人の共通点は、「強すぎる女たち」。

 

 

ここを歩いてて、そういえば、頼まれてお参りした、瀬織津姫の神社があったよな(そして、七夕 〜旧暦七夕の1週間(旧盆)に起きたこと)って意識だけつなげる。

あれは2年前の夏、「瀬織津姫のしあわせは?(瀬織津姫のしあわせは?)」の名言を生み出したヨギの治療師に再会する直前だった。

 

瀬織津姫を祀る日比谷神社にお参りしたとたんに、「瀬織津姫のしあわせ」に言及するヨギの治療師があらわれる。

これも美志摩あるあるの「ザ・ミシマ劇場」。

 

ワインビストロでお腹いっぱい食べて飲んで、さらに蕎麦屋でシメるという、会社員時代のような飲みっぷり。

彼女たちは会社員で、明日も仕事があるというのに一緒に楽しく飲んで「また行こう」って別れた。

 

 

思えば久しぶりだな、こういう「普通の暮らし」。

彼女たちはその強さからして「普通じゃない」んだけど。

 

 

それでも彼女たちにも社会に居場所がある。

だから、東京は自由だなって思う。

 

 

結婚パーティにお呼ばれしたので、スタイリストのお友達にドレスを選んでもらって、そのドレスを着て結婚パーティの前の時間に、内観繋がりのわたしより10歳くらい年下の「ウルトラマン」社長さんとデート。

彼は、ひきこもりをプログラマーに、ヤンキーを営業マンにしてスタートした、年商7億円のIT企業を経営している。

 

 

 

亡くなる前、しろくまさんは、

「(わたしと一緒にいるせいで)自分のやりたいことができてない」

とわたしの前で彼に愚痴っていた。

 

 

そのとき彼は

 

「この人は天使や!!!」

 

と怒ってくれたのである。

 

そのときから、わたしたちふたりとも彼のファンだった。

そのあとすぐ、しろくまさんの方は天国に行ってしまったけど。

 

 

忙しいなかしろくまさんの写真を観にきてくれた。

 

 

彼はいつも目的に全力である。

 

「お金が必要だったらお金を稼ぐことに集中すべきで、そこにできない理由とか必要ありません!!」っていう。

 

その通りだと思う。

 

 

「どうやったら社長と話することができますか、って聞かれるでしょ」

「うん」

「友達ですけど、って電話したらいい、ってアドバイスするんですよ」

「なるほど」

「でもね、言い訳ばっかりして、誰もしないんですよ」

「そうでしょうね・・・」

 

 

 

わたしも自己啓発や成功哲学にはまっていたとき、

なんでこの本がベストセラーなのに、みなはなぜ成功しないんだ?って思っていたが、

多くの人はできない理由をつけてやらないものだ、と読んでいた成功哲学の本に書いてあった。

 

 

目的を達成するのには、手段を選ばず。

 

 

なるほどな。

わたしも某宗教団体で幹部をさせてもらったときはそうだったっけ。

感情を横におく。言い訳をしない。

 

 

ま、それは伊勢平氏おじさんとの2年間の美志摩かなの奮闘にも応用できて、

あのときの苦労は無駄にはならなかった、と思う。

 

 

 

とことん自分に厳しい彼は、いつも真剣に目の前の人のことを考えている。

 

 

「引きこもりで遅刻してくる子にも給料を払って食べさせないといけないから、金が必要だったんですよ」

「へー。どうやってそのお金作ったんです?その子はアテにならないわけでしょ」

「営業して作りました」

「え?仕事とってきても彼は仕事できないのに?」

「だから、浄水器売ったりとか。売りたい人と買いたい人をマッチングさせて。とにかく僕は営業しかできないんで」

「金が必要なときは、そうやって作るんですよ」

 

 

「!!!」

 

 

やっぱり本当に、無私になれる人っているんだな。

 

 

それでも、そこまでして育てた社員が引き抜きにあって去っていくとか、今まで何度もそういう目にあってきたみたい。

 

 

 

去っていった彼らは、彼らの「今」は、自分の努力と実力だって、思っているんだろうけれども。

 

彼は何度も繰り返してわたしに言った。

「自分だけの成功なんか、ないですよ」

 

 

彼はもちろん、自分自身の現在(いま)について謙虚に言っている。

 

 

でも、わたしにはわかる。

誇らしく自分のもとを去っていく彼らの背中を、どんな思いで見つめて見送ってきたか。

 

こんな思いが、報われる世の中になってほしい。

 

 

自分自身が愛されていることに気づけたら、どんなに人は、他人にやさしくなれるんだろうか。

 

 

 

会場のある桜丘町の桜並木はあっという間に満開に。

 

しろくまさんが亡くなる3ヶ月くらい前、ウルトラマン社長の彼からは、

「(おじさんたちから逃げずに利用して)墓場まで持っていけ」

 

ってすごいアドバイスされた。

 

 

当時のわたしには(今も)残念ながら、彼らを利用する力量はなかったし、

墓場まで持っていく必要のあることもなく、恥を覚悟でほぼ全部ここで書いている。

 

 

でも、逃げずに取り組んだつもり。

伊勢平氏おじさん含めて、当時差し向けられてた人全員。

 

 

 

その日と同じ喫茶店でケーキをご馳走になりながらその話。

 

 

「出会う人間のほとんどはロクでもない。利用してくるやつには、利用させちゃダメです!」
 
 
そういえば、わたし、彼らと出会うまで
 
「わたしを利用しようとする」
なんて人に出会ったことがなかった。
 
 
そもそも、利用される可能性のあるような目ぼしいものは、全部大阪に置いてきていたし。
 
 
次のアドバイスきたよ。
 
でもどうやって?

 

 

久しぶりにお友だちの結婚パーティに呼んでもらった。

 

というか、結婚パーティに出席させてもらったのって人生に3回しかない。

 

 

何度かクライアントさんに誘ってもらったことはあったけど、

仕事の方が楽しかったから辞退した。

 

 

ウルトラマン社長と同様、彼女も元ヤンの社会活動家で、

本も出してて、テレビにも出てて大忙し。

 

 

 

 

わたしが彼女と知り合った10年以上前は、彼女は悩めるひとりのお母さんだった。

 

息子さんのスピーチで、

「鬱で苦しそうだったママがしあわせに笑っているのをみてうれしい」

 

 

って言っていたけど、やっぱり、人はやりたいことをやるのが一番だって思う。

 

 

ウルトラマン社長じゃないけど、

「人生の目的のためには、手段を選ばず」

 

 

っていうのはある意味では、正しい気がする。

欲のない今のわたしには、しっくりこないのは否めないけど。

 

 

 

ご主人は音楽関係。

出席者も華やかで話も上手で楽しい。

 

 

こんな場所にきたのどれくらいぶりだろう。

こういう世界だったら人間世界も楽しいかも。

 

 

やっぱり個性的な人たちっていいな。

 

 

でもまあ、心に留めておこう。

 

ウルトラマン社長の

 

 

「人間のほとんどはロクでもないので、利用しようとする人には利用されないように」

 

 

っていう新しいアドバイスは。

 

 

話してみたい人には自分から話しかけて、楽しい時間を過ごした。

 

 

声もかけてもらった。

 

「光ってたから」ってあとで聞いて、

当時通ってた写真スタジオの暗室から出てきた人の中でわたしが「白く光ってた」から声をかけた、

といっていた亀の元ダンナとの出会いを思い出したのは言うまでもない。

 

 

冒頭で書いたように、実は226事件の頃(みえない世界からの答え 〜226 Mtg @ しぶや)から、

自分の身の回りが賑やかになった。

 

霊の声や人の思念が人を通して流れ込んできてうるさくなったのである。

 

今までは、なにか自分のことでわからないことがあったら、

彼らの方から距離を置かれた、ってのもあるけど、

なにわの審神者(さにわ)や白山のサルタヒコに聞いていたが、それらをやめた。

 

 

 

「マスクを外した写真を撮りたい」みたいな直接的なオファーとか、藤原方からの電話インタビューとかもあって、
とにかく「見張られてる?」ってことが増えた(自分を大切にするように ”神はよみがえる 〜投影の反対のゆくえ”)。

 

 
電話インタビューの人はご本人は悪意はないようだが、
明らかに伊勢平氏おじさんがいう「キミを通してくる(意思のチカラの使い方 〜ネガティブと、どうつきあうか)」さながら、
というか、まんまの事態が起きた。
 
 
わたしと理想がまったくあわない某有名スピリチュアリスト。
くだんの藤原氏はそのファンなのである。
 
 
しかも彼は「伊勢平氏おじさんとの悪縁を切ってあげようと」してくれたらしい。
 
 
しかし、わたしが
 
「対極の伊勢平氏おじさんと睦み合う」
 
 
をテーマに取り組んでいることを、このブログを読んでいるのだから、
まるで理解していないわけではあるまい。
 
 
わたしが伊勢平氏おじさんとつきあっているのは、
わたしがおじさんと結ばれて個人的に幸せになりたいからではなく、
本気で世界の平和のために必要だって思っているからなのに。
 
 
彼が親切でしてくれようとしていることは、まさに、おじさんの心を曇らせて、
わたしを
 
「知性のない気持ち悪い女」
 
にみせている抵抗勢力と同じではないか。
 
 
 
だから、丁重に断った。
もういい加減、自分以外の意思に従ってぐるぐる同じところを回りたくないって思ったから。
 
 
このあいだのたとえ話で書いたけど(令和の花咲爺は、梅を咲かせる)、祈りの力や験力って怖い。
誰かがかけた呪詛を、なにも知らない誰かの祈りが強めてしまう。
 
 
「帰依する」って帰依した相手に自分の力を明け渡して使われるってことなのに。
 
 
しかも、伊勢平氏おじさんは、自分に向かってきた呪詛は送った人に返すくらいのことはできる。
知らなかったとはいえ、祈った人も送った人になるのだから、自分のところや周辺に返るだろう。
 
 
彼のおかげで、妨害している勢力の存在がはっきりとわかってよかった。
ご本人も「なんかおかしかった」と言っていたし。
 
 
気づいてくれるといいけどな。
スピリチュアルの危うさ。もちろん自戒を込めて。
 
 
今までは源氏だからとか藤原だからとか、
敵、味方を考えて情報共有してきたけど、
あるときから、敵・味方を考えるのはやめた。
 
 
「人」を「霊止(ひと)」って書く人たちがいるけど、本当に人って「憑代」だと思うから。
 
 
 
昨日の味方は今日の敵。昨日の敵は今日の友。
 

どうせ不安定なら、女性は仲間意識だけで、まるっと仲良くやれる(籠に入った龍・宮城へ〜琉球弧・島巫女ネットワーク)、

って書いたことあるけど、

 

敵味方の判断を止める。

 

 

 

それが、「籠から出る」ヒントかもしれないよ。

 

 

まるで道案内がついてるかのように書棚に並ぶ

「御用」の地図。

 

 

明治神宮にもムクロジの木があったことに驚いた。

しょっちゅうこの木の下を通ってるのに、気づかなかった。

 

 

わたしの妄想では、

ムクロジは、骸子。

 

「骸(むくろ=ガイコツ)子(種)」である。

 

 

白山の山奥の地名に発見した「牛首」の地(ほぼ皆既月蝕 〜白山中宮〜立山(タチ山))にあった八坂神社(蹴鞠と崇徳天皇 〜梅と桜と牛と馬(と、鹿))。

あのときの旅は、もう「なんとか座ってられる」ぐらいの体調不良で何も記録できてない。

 

 

そこにあったのは、「林西寺」で、今上陛下が皇太子時代にいらしている。

白山下山仏といって、昔白山にあった仏像をおろしてきて祀った、「真宗大谷派」の寺である。

そして、そこには、「箒銀杏」さながらの姿の大銀杏があった。

 

真宗大谷派。

思い出すのは、陸軍関係者に国立博物館に連れられて教えてもらったシルクロードあたりを調査した「大谷探検隊」。

 

当時の旅行記(ほぼ皆既月蝕 〜白山中宮〜立山(タチ山))

 

 

箒銀杏っぽい木がめだつ。

後で知るんだけど、箒銀杏ってたぶん、高砂人形の嫗の持ち物。

だとしたら箒銀杏はまちがいなく「高砂」の嫗(おうな)だ。

箒銀杏は、代々木の天神さん(敵は本能寺にあり 〜満月と大山・銀杏と欅と梅)にも、

会津(西の守りは東にあった!?赤べこと白虎隊の街・会津 〜夏越大祓の前に その2)にもあったし。

 

って書いてある。

 

 

高砂の媼(おうな)と対になる(男性)なら、

お隣、「八坂神社」の「牛頭天王」であろう。

 

石川県神社庁のHPによると

養老2年泰澄大師が牛首開村の時牛頭天王を祀り本地の薬師如来を安置。後に薬師如来を失った。寛永16年加藤藤兵衛が石造奉祀、文政5年本殿造営、同時に織田利右衛門が薬師如来脇侍日光、月光菩薩十二神将奉安。他に泰澄大師自作のものを伝承。もと薬師山と称し、明治初年八坂社、大将6年4月村社、同年9月八坂神社に改称。

 

とある。

 

仏像まったくわからなくて

「日光、月光菩薩十二神将」いうのがわからなくて検索してみたら、

「日光菩薩」「月光菩薩」「十二神将」ってことみたい。つまり、薬師如来に、「日光菩薩」「月光菩薩」「十二神将」が控えてるってことかな。

 

 

日・月。きたよ。「明」。薬師如来だし(妄想)。

 

 

 

ところで、蹴鞠って、

鹿と馬の皮を縫い合わせた鞠」を、落とさないように蹴る

 

意味深すぎると思うのはわたしだけだろうか。

 

 

ここには、

 

ムクロジは、羽子板の羽につける玉になのだが、お釈迦さまは、この玉を108つなぎ合わせて首飾りを作ってたらしい。
 
ムクロジの実=骸だとしたら、
骸骨の首飾り=ムンダマーラー
シヴァ神だ。

 

とか書いてるし。

来たよ!インド!!! 天竺!!!

 

 

自我を消していったら生きるのが難しくなったって仲間のサイババ友だちが、昨秋のわたしの荒れっぷりをみて教えてくれた、女神・カーリー神。

 

彼の話によるとカーリー神は、美しいパールヴァティーという女神だったらしいのだが、悪と戦うためにすごい姿になって暴れまくったらしい。

誰も手がつけられなくなったところに、夫であるシヴァ神が呼ばれて、シヴァを踏んづけることで我に返って大暴れが止まる、ということみたい。

そうそう、虎とかライオンの上に乗ってるらしい。

虎の口ガマじゃん(瓢箪から駒が出て琉球王朝、そして、その先へ?!新しい時代のゆくえ 〜アトランティスの記憶、から7年次の、ステージへ)。

大石林山から大神島の先はやっぱり天竺(インド)だった

 

 

最近ちょうど日本古代のヒモヅケ文明さんから、「千葉にインドの女神がいるんですか」って問い合わせがきたばかりだったけど、

この予告編だった(謎)。

 

 

しかも、昨年秋にはこんなニュースも。

 

 

牛首村って映画ができる、って話。

 

しかも

 

牛首村がどんな映画なのか知らないけど、

牛首は牛頭天王、白峯=崇徳天皇と関わると思うよ。

 

だって。

 

 

 

そこに、「大化の改新」の「蹴鞠」。

きたよ、藤原鎌足!!

 

 

でね、今日の「崇徳天皇」とムクロジは、大事なところみたいだから、直接貼っておこう。

 

 

 

そういうことみたい。

ここで大事だと思われるのは、桜=大国主

 

 

桜といえば、武士の花。

散る花。

・・・。ってことだよね。

 

 

 

 

しかも、このところ主張していた(沈黙というこたえ 〜口をひらく)「都の西北」高田馬場にある、「新宿諏訪神社」。

地獄の番人、小野篁が大国主、事代主を祀ったのが最初。

 

 

もうすぐ祖父の命日。

覚悟の上の自死だった、とゆるぎなく思う彼が選んだのは、桜の花が満開のこの時期だった。

祖父は、桜の頃の墓参りを楽しみにしていたが、頼りにしていた肉親を失ったわたしには、その日から30年、満開の桜はトラウマになった。

 

 

でも今のわたしは、祖父と一緒に旅をして、祖父が見た景色をたどってる。

生きていたときの祖父よりも、ずっと年長のおじさんたちに導かれながら。

 

 

 

スーツケースいっぱいに詰め込んだ希望をもって、次にいけるかな。

今度こそ。

わたしはまだ、夢の途中を歩いてるのかもしれないな。(夢の途中 〜終戦記念日と聖母の被昇天)。

 

 

 

 

 

 

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