境域をこえていく 〜冬至前のデトックス | かんながら

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旅の記録です

 

前回(目で殺す 〜 瞳の奥にある宇宙)も書いたけど、
今日もまた同じことを別の人にメールした。
 
「話聞いて」のお断りメール。
まあ、かつては話を聞いたからってこんなにダメージなかった。
 

 

お金の問題も含めて、ちゃんと敬意を払ってくれる人としかつきあわずに済んでいた。

 

それがしろくまさんのいう「目で殺す」ってやつだったんだと思われる。
 
 

 

それはもちろんわかってる。

 

「キミを通してくる障り」の伊勢平氏おじさんの影響。
 
「祓う」って概念のある人たちって、自分で作ったバケモノと戦ってるとしか思えない。
よくヒーラーが、悪いところを治すっていうのも、「(クライアントの不調を)自分に移して」「自分を癒す」ことみたい。
 
見ててそう思うし、実際に何人かの人にはそうしていると聞いた。
 
 
わたしは違うやり方をしているけど。
だから影響を受けない。まったく。
 
 
それでも伊勢平氏おじさんとつき合ったおかげで自分の力は落ちたと感じる。
「朱に交われば」は真なりと思う。
 
 
本来だったらエネルギーのやりとりは双方向なんだけど、断りのメールを送ったおじさん同様、伊勢平氏おじさんは、わたしの時間に対して敬意がないからね。他にもいる。本人は自分がそうだと思っていないようだけど。
 
 
わたしが、彼らを引き上げることができていないことが、問題だって書きながら気づいたよ。
もしくはまあ、気づいてはいたけど、引導を渡すか。
 
 
だって彼らが「この国の呪詛」に加担しているのは間違いないからね。
 
 
そして、自分たちだけが下駄を履かせてもらっていい暮らしをしてきた。
地を這う人たちが困らずに生きていけるようにいつも目を配るのが、上にたつものの責任だというのに。
帝王学を身につけていない彼らが、権力を行使して今がある。
 
 
もちろんその意味を理解して、つましく生きている人たちも、わたしの周りにはいる。
 
 
「下駄を履かせてもらって社会で成功してきた人」とわたしがみなしているあるカテゴリーの人たちは、
本当に自分は「(自分以外の人たちの力を)奪ってる」って意識がない。
これがわたしの血の中にもある、って思う。
 
 
わたしもしろくまさんから「あなたはもっと感謝すべきだ」みたいなことを言われていたけど、
もしかしたら彼らと同じでそうなのかな。
 
最近振り返っている。彼と暮らした10年を。
わたしは彼と入籍して彼の苗字を名乗るようになってから神社に行くようになったと転機を明確に知覚していたけど、
彼はそれと引き換えに、北極に行くのを諦めていた。
しかも、わたしは神社巡りをしたいわけではなかった。巻き込まれていった、というのが正直なところ。
 
 
それは、散骨で10年ぶりに北極の町の彼の友人夫婦を訪ねたら、奥さんから告げられた。
 
「あなたと結婚したとき、彼は泣いて電話をしてきて、もうここ(北極)には来れないって言った」って。
 
それも、彼がこの世を離れてわたしが初めて知った衝撃の事実。
 
わたしはしろくまさんの北極行きを禁じたことはなかったし、また一緒に行きたいって思ってたぐらいだし。
彼にとっては、わたしとはいけない場所だったってことなのかな。
 
 
でも多少わかるようにはなってきたよ。
だって、わたしに「話を聞いて」って言ってくる人たちに、わたしは
「そんな大事なことは奥さんと共有してください」って思うわけ。
 
 
それって、本当に大事なことは妻とは共有しないってことなの?
 
でもわりと一般的なことみたいよ。
わたしは女性からも聞いたことがある。
 
 
わたしにはない感覚だからわからない。
 
でもあの2013年の高千穂峯からはじまった、神社巡りの日々はなんだったんだろ。
 
 
明らかに彼はわたしが行き先を決めるっていうことは承知しているみたいだったけどね。
実際「神様」が好きだったのは彼の方で、わたしはその場所にしか興味がなかった。
 
 
山の中の名もなき廃れた神社もたくさんみたからね。
何人かそういう場所を追ってる人たちにも出会ったけど、そういえば病気したり怪我したり、いろいろあるみたいだったな、そういえば。
 
わたしはそもそも、旅は好きだったけど、インディジョーンズでもミステリーハンターでもないし、なんでそんな場所にいってたんだろう?
 
 
来年期限切れになるしろくまさんの苗字のパスポート見てて思う。
ペルーすらこのパスポートには記録がない。
つまりしろくまさんと入籍してからの旅は、ほとんどがババのアシュラムと、イスラエルってことになる。
 
その前は、シャスタ、セドナ、マチュピチュ、カミーノ、ルルド、って世界中いろんなところにいっていたんだよ?
 
この時期、表参道では明治神宮に月は沈み、太陽は表参道側から上る。
月と太陽の交代を感じる光景。
 
 
白山のサルタヒコに、断りのメールを添削してもらったが、
「これじゃ伝わらん」って例文が送られてきた。
 
前略 ○○さま。
お伝えしたいことが、あります。
今後電話であろうと何であろうと、あなた様から私への如何なる接触をお断り申し上げます。
この約束が護られないときは、法的手段も辞さない所存です。
私も生身の人間で、生活して行かなければなりません。
現在、生産性のないお付き合いは整理させて頂いております。
どうか私の真意を、お汲み取りくださいませ。
サヨウナラ。
 
今回は、前回の記事みたいに「なんで嫌なのか」ってことを書いてみたんだけど、
それより言いたいことを簡潔に言えってアドバイスだった。
 
 
サルタヒコと絶縁していたときのやり取りだから彼は知らないんだけど、
 
「今仕事以外で人と会う余裕がない」
「お仕事のご紹介の話なら出向く」
 
など、それだけを簡潔に返事したメールはすべてスルーだったので「なぜ」を入れたわけだったんだけどね。
 
 
わたしの予想としては、これを送っての反応は、今まで通り完無視・スルーだろうなって思うけど。
それくらい、鉄板のメンタルなのであろう。
 
 
というか、それが今まで世の中を牛耳っていた人たちの頭の中。
ムー民(ムーの住民)みたいな「人のいい人たち」は搾取される。
 

 

冬至前だからだと思うけど、とにかくきつい。

ひとすじの光をみつけようと努力しているのに、漆黒の世界に連れて行かれる。

 

前にあった境域?境域の守護者とやらがいる場所(リアルすぎる夢)。

 

とにかくここから出ようともがくけど、うまくいかない。

 

そろそろここから出る準備をと思って、「とりあえずの約束」をひとつひとつ潰そうと考えて

「経営者の役割は、従業員に給料を払うこと」ってわかってる独身の人があらわれたから「デートしませんか」もやってみたけど、あれこれ理由をつけて断られた。

 

 

伊勢平氏おじさんがいる限り、彼氏もできない。

「キミに変なものが来ないように祈ってる」って影響じゃないでしょうね。

「目で殺す」のしろくまさんじゃないけど、ふたりは同じにおいが多少あるからね。

 

 

「つきあう気がないなら、邪魔しないで!!」って言ったけど、
「じゃあお幸せに」っていいながら肩に手をかけてくるあたり、もうどうしたらいいのかわからない。
 
わたしが呼んでるってもう認めるしかない気がする。
どう書き換えればハッピーエンドの台本になるんだろ。

 

 

これだけ多くの満たされない想念を、ひとつひとつ浄化というか昇華しようと思ったら、

社会全体がしあわせになるしかないと思う。

それが、償いではなく、贖い(あがない)。

A course in Miraclesでいう「atonement」。

 

一気に浄化する。

視点を変えることによって。

 

わたしがしあわせでいるとき、わたしに連なる世界は、すべてしあわせになる。

わたしが癒されているとき、わたしにつながる世界は、癒される。

 

それをみながそれぞれの場所ですることが、この地球を変えていく。

 

 

 

だってもう神社の宮司さんたちやお坊さんたちが祀りきれてないんだもん。

 

 

わたしがしろくまさんと旅する過程で出会った山の中の廃れたお社や場所は、

すでにその神社が「誰を」「なんのために」祀っていたか記録がないとか、

社家が絶えて、知らない人が宮司さんになったり、合祀してわからなくなったなんてことはいっぱいあって、

 

しかもそこに「祈り」っていう今生きてる人たちの「不足の想念」が置いていかれるから、

それらが共鳴しあって恐るべき状態になっている。

 

 

わたしは、3年の時を経て、なにわの審神者(さにわ)や白山のサルタヒコとか、

伊勢平氏おじさんが言ってることとかでようやく、

自分があちこち行って、知らず知らずにあれこれ(いろんな想念やいわゆる霊っていうものを)

磁石のようにひろってくっつけているってことを自覚するようになった。

 

 

伊勢平氏おじさんにさえ関わらなければ(そもそも見えなかったわけだから)影響もなかったんだけど、

伊勢平氏おじさんとつきあっているうちに、彼が「祓っているもの」を知覚できるようになった。

 

もちろんそれが幻想だと知っている。
でも多くの人たちが、それらにとらわれていることにも気がついた。

 

 

わたしの方の次元に彼をもってこれれば、彼もみえなくなっただろうけど、

彼は祓いという名の戦いをしているから、当然わたしの次元にくることは拒否している。

 

でも祓っているものも、観察していれば、「彼の想念」なのでね。

サイキックアタックとかいっても、こちらが受け取らなければなんの影響もない。

 

今わたしが「(新しい出会いを)邪魔されている」のは、

「わたしが伊勢平氏おじさんの次元と繋がっているせいで」祓いの影響をうけているからと自覚している。

 

 

人っていうのは、霊止(ひと)である。

明らかにスパイだなって思うことはしょっちゅうある。

もちろん本人に悪気がまったくないしそのつもりがないことが多い。

 

わたしも無自覚にそうだったし、たぶんそれは避けられないだろう。

 

だからこそ、「自分がどうありたいか」はいつも自分の心に問うておきたい。

依存的な人間ほどあっけなく利用される。

 

 

 

とある気ののらない約束を相手の都合でスケジュールしたのに、3度ドタキャンされた。

そのことで、自分の「依存の問題」が解決していないことに気づいた。

 

「美志摩さんが嫌なら美志摩さんがドタキャンすればいいんですよ!」

 

って若い友達から言われて3度目は自分からドタキャンしようと思ったが、トラブルでまたしても成立しなかった。

4度目の約束を指示されたが、もう返事する気にもならなかった。

 

 

「いい人」は「かわいそうな人」や「困った人」からエネルギーを吸い取って生きている。

依存症の周りには、依存症を支える善良な人が必ずいる。

 

 

ひとりで飲んだくれて家も家族も持たない自由人もいるにはいるけど、

多くの依存症は、依存できる環境にあるから依存する。

 

阪神淡路大震災で自分が壊れたときに、その問題が吹き出していろいろあって、解決した、と思っていた。

でもできてなかった。

わたしは、わたしはなにかあったら放浪してバランスをとっていた。

ヨーロッパの最果てをめぐったり、アフリカだったり、カミーノだったり。

 

 

今だって自分が不安定になったら旅に出てバランスをとっている。

でもこの時期にわたしがこの依存の問題をもう一度自覚するのは、地震と関係があるのかもしれないなと思う。

 

 

「すずめの戸締まり」も出たことだしね。

 

 

みえない世界からの呼びかけがあれこれうるさくなってくると、今までは旅に出られたのに、

このところことごとく邪魔が入るみたいにいけなくなる。

 

 

でもそれはおおむねわかってて、わたしが今幸福感がなくて、拾ってくるものを浄化しきれないからである。

しろくまさんとの生活は、幸せで楽しかったから未浄化霊なるものの影響などゼロであった。

 
でも今は、伊勢平氏おじさんに拒絶されたり悲しいことが多すぎて安心感や幸福感が薄いから、
他の悲しみを拾ってきたら自分がそれにのみ込まれてしまう。
 
だんだん自分の浮き沈みの激しい今の精神状態が自覚できるようになって、
「なんかある」と感じるものを極力拾いたくない、と思うようになった。
 
やっぱり精神状態がおかしいのは困るんだもん。
「デートしてください」っていったことで、間違いなくおかしいって察知されたと思うけどね。
 
で、ふんわり入院を勧められたりするけど、わたし子どものときから気づいているんだもん。
精神病院って古墳の上とか、「土地が話しかけてくる場所」にあるって。
 
 
そして一旦入ったら自分の意思で簡単には出られない。
そしてみえない世界の住人の声を聞く、人ばしらである。
同じ世界の住人だから。
 
 
あと、遊園地とか、公園とか、学校とかも多い。
霊はね、人がしあわせにしているのをみていると、供養になるみたいよ。
 
 
ま、わたしも「人がしあわせでいるのをみていたい」ってずっと思っていたけど、
それこそが「隠り世(かくりよ)の人間だった」ってようやく理解したわけだけどね。
 
 
死者の世界で、黄泉の国で、隠り世。
それをどうも、神の世界っていうみたい。
 
 
ようやく、よ、ようやく。
 
わたしも、阪神淡路大震災のあのときに帰ったら、現世(うつしよ)に生きていた頃の自分を思い出せるんだろうか。
自尊心とともに失ってしまったであろう記憶は、まだ全部はもどってきていない。

 

 

 

 

○○さま
おはようございます。体調はいかがでしょうか。
わたしは気分を変えに出かける元気もなく今日は東京にいることになりました。

○○さまのお話は、い普通ではお聞きできないような貴重なお話で誠に光栄なのですが、

仕事がなく拠りどころもない今の私にはご期待にそうよう浄化差し上げることも難しく、困惑しております。

私はご存じのように世界中のあらゆる場所を無意識に楽しく旅し、

縁ある方々のお話を聞き、それらの思いを聞き続けてまいりました。

 

それを支えてくれていた夫を喪ってからも、いのちある限りはそれが使命と引き受けてまいりました。
ですが、日々の生活に拠りどころも喜びもない今は、聞こえるもの感じるものを

アマビエ同様、差し出されるものすべてをととのえ、浄化しきれないのです。

 

みなさん気軽にお話を持って来られますが、わたしにはそれは大きな仕事でした。

 

ですので、わたしは占い師として生業としてきました。
もしくはわたしがクラブのホステスででもあればそれも仕事と成り立ったのでしょうが、

ただお話を伺うという今の○○さまとのお時間は、わたしにとって負担です。


それは、奥方のお仕事かと存じます。


わたしは阪神淡路大震災で自分自身の人生が狂ってから、わたしに差し出された社会の母として生きてきました。

そしてそれを支えるパートナーがそれぞれ支えてくれました。


亡くなった夫は、世界の平和のため、人々のしあわせのため、とわかっていて、

わたしの夫の役割を引き受けてくれていたのです。

わたしは精神を病んでおり、そのような事情で普通の人間ではございませんので、ご理解いただきたく存じます。


○○さまや○○さまのお父様が引き受けてこられたさまざまな思いだけでなく、日本という特殊な国家の中で無念のうちに亡くなられた英霊の思いがたくさん持ち込まれてきました。


世界の平和のため、人々の幸せのため、供養し浄化してまいりたいと心から思い、取り組んできましたが、今のわたしにはもう限界で支えきれずにおります。


お金の問題ではございません。


わたしの時間に敬意を払ってくれ、わたしの肉体をもった人間としての生活に敬意を表してくださる方としか時間をもちたくございません。

また、わたしは他の方々のように都合よくオンオフを切り替えるとか、お金のためと割り切るなどという器用さは持ち合わせておりません。


あらためて、お考えいただければと思います。