そして、東京 島とノロ 〜わたしの思いがつくる未来 | かんながら

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旅の記録です

隔離施設でありがたくしあわせな3日間を過ごした。

 

その間もいろいろあった。

 

高校時代にとあるラジオ番組のスタッフをしたことがある。

そのときのメンバーが最近急に呼びかけてきてLINEグループができた。

 

その中の変わり者のひとりとは、お互いの人生の転機でのみ繋がっており、彼はわたしの歴代の夫たちを直接会ったりもして知っているのであるが、他の人たちとは10年以上まえにたった4人で20年ぶりの同窓会をしてそれっきりである。

 

そんな彼らのうちふたりが「隔離でヒマ」だろうからと電話で話し相手をしてくれた。

 

 

今の等身大の自分ではなく、過去の(しかも阪神淡路大震災前の)私の記憶を持っている人と話すのは、エネルギーが必要なんだということは、なにわの審神者(さにわ)と話してて気づいた。

 

 

人は、相手のイメージという想念を知らず知らずのうちに送り、「相手」を創り出しているようだ。

そのギャップを「驚き」として、「イメージと違うわたし」を受け入れてもらえるか、「イメージ通りのわたし」を創造されてしまうか、でエネルギーの動きは全然違う。

 

 

もちろん、前者の方はエネルギーロスがないので快適である。

しかし、後者は、エネルギーが落ちているとき、ポジティブなイメージを送ってもらえると波動は上がるであろう。

 

 

しかしそれも、「たま」とかけ離れたイメージだとしたら、

それがたとえ、「よきもの」であったとしても、その高揚感は長くは続かないであろうが。

 

 

 

 

そして、波動が落ちるとモヤモヤしたものが湧き上がってくる。

 

なにわの審神者(さにわ)が、

 

「それを戻ってこないくらいに思い切り蹴飛ばしてしまえ!」

 

 

というのでやってみた。

 

わたしの場合は父の後妻さんの意地悪の数々を袋に詰めて蹴っ飛ばした。

 

それでスッキリしたところに父から電話。

 

ひとつは、わたしの島の親族が亡くなっていたこと。

父のいとこだというのに、この旅の準備で親族に電話して知ったという。

 

亡くなったおじさんもわたしと同じ「先妻の子」。

「父が死んでも(後妻さんからは)連絡ないかもな」って思ってはいたけど、実際に見聞きすると複雑な気分。

 

 

父の今の奥さんとの子では実はなかった、とバレたとき、おじさんの奥さんが泣いてくれたのは、

そういう事情だったと後で知る(加計呂麻島の旅 つづき)。

 

 

それと、

 

「寅さんのリリーの家は、ウチのばあさんの実家やった」

 

「!!」

 

きたよ。

明日の加計呂麻島ミーティング(籠から出て向かう先 その2 〜ギリシャとローマの出会う場所で待っていたのは)に用意したような「おみやげ」。

 

そもそも、父が最後のわたし孝行にルーツの奄美に行こうといい出したのは、宮古島のハローワークであの不思議ネーネーに会う直前だった(「1」をうみだす 〜宮古島にて)。

 

最後もなにも、孝行されたことなんかない。

 

 

父とは2度、鹿児島限定で旅したが(実の父と二人旅 〜鹿児島へ)、一度は後妻さんに泣かれるし、2度目は1週間前に突然告げてきて、旅費も自腹で父はなんだか格安のエアチケットを買えたらしいが、こちらはようやく貯まったマイルを使うハメに。

 

 

父はわたしと違ってそれなりのステイタスで宮仕えを全うしたので退職金も年金もそれなりにあるはずなのだが、

週イチの夜警のバイト(当時)の収入以外は全ての収入を後妻さんが管理しており自由にできるお金がない。

 

だから、後妻さんが一緒のときは、焼肉や日帰り温泉に行くが、

父とふたりで出かけるときは、餃子のチェーン店で定食と決まっている。

小銭入れから折りたたんだ千円札を出す姿を見ているとビールをおかわりする気にもなれない。

 

 

もちろん、そのことそのものが、っていうことではない。

わたしだってそんなもんだし、わたしにご馳走してくれる仲間たちだって同じような感じ。

問題は、「父は本当はお金がないはずではない」ってことなのである。

 

 

専業主婦の後妻さんが、

そのお金を自分の子どもたちにすべてつかい、

先妻の子のわたしには1円たりともつかいたくない、

 

としか思えないその態度が気に入らないのである。

 

 

なんか、それって伊勢平氏おじさんとの間でも起きているので

わたしの持っているカルマのみあれであろうが、気分が悪い。

 

わたしや母は、父から養育費やお祝いの類を一度ももらったことはない。

彼女たちはその分すごく楽できたはずである。

 

 

 

しかも、わたしは父に会いたいと言われたくない母に忖度したのと、

わたしの存在がなければ、父の新しい家族が平和でしあわせでいられるならそれでいいと思い、

面会を求めたことも、援助を求めたこともなかった。

 

 

わたしは自分が最初の離婚をするまで、生後半年で父が家から出されて以来、

物心ついてから、ただの一度も父に会うことがなく大人になったのである。

 

 

だいたいわたしがこんなふうに浮世離れするようになったのは、

父の不在が大きな原因であると、精神科医も含め、わたしの周りのすべてのココロの専門家が断じており、

 

どうみても迷惑を被った側はあきらかにわたしの方であるのに、

後妻さんの彼女の方は、わたしの存在を親族に知られること自体を屈辱と思うのもわからない。

 

 

そうだった。

そもそもこの天国の隔離期間にストレスを感じたのは空気の読めないいとこが父がわたしとの旅にその後妻さんを連れてくるつもりと速報してくれて、それでモヤモヤし始めたのであった。

 

イライラを蹴散らしたらスッキリした。

 

 

表参道の緑は濃くなっていた。

 

待機期間が過ぎたらmySOSのアプリは初期画面に戻ってた。

 

 

で、2年ぶりの島ミーティングへ。

 

 

久しぶりに仲間に会えて嬉しかった。

繊細な優しさをもったみんなはいつも、社会とは距離を置いている。

 

だからコロナに対して過剰な反応はしていない。

 

 

コロナは生きづらさを抱えたわたしたちには恩寵だったと本当におもう。

 

 

寅さんの「リリーの家」が祖母の実家だったというトピックは、予定通りウケた。

 

リリーが浅丘ルリ子で、子どもの頃みた記憶しかないけど、また観たらわかることあるかもしれないな。

 

吉永小百合の「鹿のフン」もそうだが、あの当時の芸能は「単なる娯楽」ではなく、

鎮魂の意味でもありそうな不思議っぷりだったから。

 

 

帰りは青山熊野神社を通過。

いつも、わたしの周りには熊野がある。

 

 

そもそも、産土神は熊野権現だ。

いつのまにか、素戔嗚尊になっていたけど。

 

 

しばらく別の店になっていたがまたコロナ検査所に。

連休明けくらいにまた、コロナ陽性者は増えるだろう。

 

検査数が増えたら陽性者が(きっと陰性者も)増えるのはあたりまえだと思うんだけど。

 

 

 

東京に帰ったら、みんなが「ひさしぶり」っていってくれてうれしかった。

わたしが旅に出てたって知ってる人はいないんだけれど。

 

 

まだ、大神島にはいく気になれないが、今はこの東京でやることがあるように思うからそれでいいって思う。

東京は、もう新しい世界を生み出しはじめている、ってかんじるから。

 

わたしたちの思いが、世界を作っている。

今、この瞬間も。

わたしたちが呼吸するときの心持ちひとつで、未来のありようが変わる、そうかんじる。

 

 

伊勢平氏おじさんには「島にいったのか」って言われた。

「ううん、トルコ」
「え?ほんとにいったの?」
 
「いくって言ったでしょ」
 

「もっといればよかったのに」

「下見だから」

 

 

実際、行ってみて、意外とヨーロッパはすでに旅できそうだってわかった。

「また来年」って言われたし。

今度は少し知識を得て行ってみたい。

 

 

伊勢平氏おじさんが「力のあるシャーマン」って絶賛する霊能者さんの話。

そちらのおうちも別の島のノロで、誰でも知ってる有名な人だった、とかなんとか。

 

 

ノロは神の声を聞くからその力は「みえる力」と思っているかもしれないけど、
わたしが思うノロの力とは、「集落を治める力」だと思う。
 
 
だってみえるだけなら、ユタでいいわけでしょ。
 
琉球王府の組織に属していたから、ノロなわけ。
 
 
 
伊勢平氏おじさんは、いつものようにとぼけているのか、
本当にわかっていないのか、わからないが、わたしが思っているようには思っていないようである。
 

 

猿田彦に道案内をさせた天鈿女命(あめのうずめ)も、

甕星香香背男(みかぼしかかせお)を尻に敷いている倭文姫も(常陸の先に諏訪がある!?)、

なんか同じ匂いを感じる。

 

 

わたしは天鈿女命(アメノウズメ)も倭文姫(シトリヒメ)も

なんか権力の手先みたいで好きになれなかったが、

自分の血のなかに同じものがあると知って、それが腑に落ちた。

 

 

わたしたちは、わたしたちの世界に責任がある。
わたしたちの思いと、この世は不可分だから。
さて、そろそろまいた種を刈り取るときがきた、ってかんじる。
 
どんな形でできるのかは、わからないけど。
 

 

 

 

(関連記事)

加計呂麻島の旅 つづき

実の父と二人旅 〜鹿児島へ

籠から出て向かう先 その2 〜ギリシャとローマの出会う場所で待っていたのは

「1」をうみだす 〜宮古島にて

常陸の先に諏訪がある!?