琉球から雨降山へ 〜雨降山・大山寺 | かんながら

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2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その1 聖地の本質

2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その2 ふたたび安須森へ

からのつづき。

 

今朝もいつも通り5時起床。

仕事しながら、参拝時間まで日記を書いて、いざ出発。

うっかり普段より遅れての参拝。

 

 

表参道からちょうど朝日が昇る頃。

冬至ごろ、明治神宮にまっすぐ差し込む朝日。

 

琉球国王 英祖王(えいぞおう)、尚寧王(しょうねいおう)の墓も、冬至に朝日が差し込む場所である。

 

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浦添ようどれ。

玉城の夏至の太陽は有名だが、冬至だってある、と教えてくれたのは、白山のサルタヒコ

 

いつも通り代々木八幡宮に行こうと思って参宮橋門を出たら、「雨降山」って浮かんで、そういえば、前回代々木めぐりをサマリーさんとした日(CHARGE.)、「大山石尊大権現」の石碑をみせたら、サマリーさんの息子ちゃんがいってて、その翌日はサマリーさんがいったといっていた。

 

が、しかし。

参拝するだけのつもりできたから、財布持ってない。

しかも歩く格好だから薄着。

一応カシミアのマフラーはしている。

 

カーシェアのカードとクレジットカードはある。

切符はモバイルSuicaだ。

 

いけなく、はない。

 

目に入った日めくりカレンダーは日の丸のついた(祝日)1月11日。

111。

3柱!!!

 
これはサインだ。
伊勢平氏おじさんが「昨日か今日」って言っていたから、かち合う可能性があるけど、早ければ間に合うかもしれないし。
 
 
検索したら、乗り継ぎのいい電車が3分後に出る。
 
走れば乗れる!!!
 
 
 
で、伊勢原まで1時間5分。
 
電車に乗ったタイミングで、なにわの審神者(さにわ)から
 
子子子子子子子子子子子子はなんて読む?
 
って変なメール。
 
 
 
じゅうにし=干支!!
 
 
 
って返したら、wikiのリンクが返された。

「子子子子子子子子子子子子」(ねこのここねこ ししのここじし)は、日本言葉遊びである。「の子仔猫、獅子の子仔獅子」と読む。この問題を考え出したのは嵯峨天皇、解いたのは小野篁であると伝えられている。

嵯峨天皇の時代、内裏に「無悪善」と書いた立て札が立てられた。天皇が篁に読み方を尋ねたところ「さが(悪)なくてよからん(嵯峨天皇がいなければよいのに)」と読んだため、読めたのは篁が書いたために違いないとして怒った天皇は、自分は何でも読めるのだと弁明する篁に「子」の字を12個連ねたものを差し出し「ならば、これが読めるか」と問うたところ、「ねこのここねこ、ししのここじし」とたちどころに読んだため、天皇の怒りが解けたという[1]

(中略)

後半の話は「子子子子子子子子子子子子」ではなく「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」(月夜には来ぬ人 待たるかきくもり 雨も降りなん 恋いつつも寝ん)となっている。

 
「無悪善」か。
今わたしにはテーマだ。
 
そして、沖縄師範健児の塔に行ったとき(2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その1 聖地の本質)に感じたけど「いいこと」「悪いこと」って判断する生きている人の思いがその場所の本来のエネルギーを損なう。
 
 
それに。
 
「月夜には来ぬ人 待たるかきくもり 雨も降りなん 恋いつつも寝ん」
月夜には、来ない男がつい待たれる。 いっそのこと、空がさっとかき曇って、雨が降ってくれたらいいのに。 そしたら、月も隠れて、もしかしたら彼が来るかも、なんて期待をしないで眠ることができるのに。
 
伊勢平氏おじさんを思うわたしの歌?いや、違う。
月夜と月読さんが好きなおじさんではあるが。
 
 
「雨も降りなん」、雨降じゃん?
だいたい、小野篁がからむそれが、ただの恋の歌ってことない。
だって、彼は、毎晩六波羅蜜寺から地下道を通って?閻魔様のもとに通ってたんだよ?
絶対なにか重大なことが隠されているはずである。
 
 
 
バス停にあった看板。
 
大山詣りは、鳶などの職人たちが巨大な木太刀を江戸から担いで運び、
滝で身を清めてから奉納と山頂を目指すといった、他に例をみない庶民参拝である。
そうした姿は歌舞伎や浮世絵にとりあげられ、また手形が不要な小旅行であったことから
人々の興味関心を呼び起こし、江戸の人口が100万人の頃、年間20万人もの参拝者が訪れた。
大山詣りは、今も先導師たちにより脈々と引き継がれている。
首都近郊に残る豊かな自然とふれあいながら歴史を巡り、山頂から眼下に広がる景色を目にしたとき、
大山にあこがれた先人の思いと満足を体感できる。
 
とある。
 
雨乞いのために、って渋谷で見た看板には書いてあったんだけど、なぜに木太刀?
農業と関係ないような?
なんなのそれは?
 
 
 
バスでケーブル駅まで、のはずが。
「良弁(ろうべん)滝」ってバス停が。
最近みたことあるけど、なに?って思って検索したら、東大寺を作った人だった。
 
東大寺?修二会、お水取り。
そして若狭・神宮寺の「鵜の瀬」からの「お水送り」
 
その形代が、首里城の新年の「わか水」を安須森(北部)の「(神名)アフリガー」から冬至に汲んで届けるというのに重なったから。
「あふり」=「雨降(あふり)」
大山阿夫利(あふり)神社は、「雨降(あふり)山」にある。
 
 
 
良弁僧正。横に控えるのは大日如来。
不動明王がいるところ、大日如来あり。
 
良弁(ろうべん)滝。
この間見た玄武洞の滝を彷彿とする感じ(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その10) 〜 麒麟はくるか!?)石の感じもスケールも違うんだけど、これはこれでとてもいいお地場をかんじる。
 
お隣は飯綱権現。
 
 
光がさしてきた。
雨が本当に降ってるみたいにみえる、不思議な滝。
 
 
水を汲もうと思ったが、水が落ちてるところには、滝に入らなければならない。
足元で済ませようと思ったが、少々躊躇(ためら)われる。
 
あそこまで行ければ。
 
でも今日はいつものリュックに入ってるタオルもない。
このまま入る?
ちょうど膝上くらいの深さ。
 
冷たいよな、今でも十分冷たい。
普段飲まないホットティを買ったくらいなのだ。
 
でも。
上着を脱ぎ、時計を外し、靴を脱いで、意を決して中にはいる。
 
 
冷たい!!
でも、もう入ってしまったんだから、とすすむ。
落ちてくる水を取るのは結構大変。
足元のことしか考えてなかったが、水をそういう場所で汲むと当然全身にしぶきがかかる。
 
で、ずぶ濡れに。
 
 
でも、ゲットした。
服は着て乾かす。山ではいつもそうだったし。
濡れた自分を乾かすのに服を濡らすという体験ははじめてだったが。
(つづく)
 
 
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