Cherish a feeling -11ページ目

自分のペースを知る

子どものことを大切に思っているお母さんほど

子どものためにと無理をしてしまい、

結局子どもへの思いが裏目に出てしまう、

というケースもありますよね。



子どもも、大好きなお母さん・お父さんの

要求に応えようとして頑張り過ぎ、

それが習慣となるうちにハードルが上がっていき、

親子とも気づかぬまま子どもが追いつめられてしまう

結果になってしまわないよう、注意したいですよね。



そのためにも、自分のペースを客観的視点で把握し、

“ 自分自身を知る ”ことは大切です。



「母親なんだからこれくらいできなければ」

「これくらい出来て当たり前」



などと自分以外の何かを基準にして

自分を縛ってしまうことのないように。



これらは他人との「比較」によって生じます。

「こんなこともできないなんて思われたくない」

「あの人がやっているなら私もやらなければ」

のような考え方です。



誰でも得手・不得手はありますよね。

「私はここまでならできるな、

  でもここからは疲れてくるな」

というふうに自分のための基準をつくるといいようです。



その時に、“ 他の人にどう思われるか ”

を考えてしまうと、無理をしたり

自分には合ってなかったりしてしまうので、

 “ できない自分もOK ”

を忘れないようにしたいですね。



「比較」は抑圧なんだそうです。

子どものころに、兄弟姉妹やお友達と比べられたり、

または「○○歳なんだからこれくらいできるでしょ」

という“ 世間一般 ”と比べられたり。



我が子がそれら抑圧に苦しまないように、

比較しないようにするには、まずは自分を

誰かと比較することをやめたいですね。



無理をするとストレスが溜まります。

溜まったものはいつか爆発するので、

無理せず、頑張り過ぎず、自分のペースで

快適に過ごしたいですね。



自分を大切にするために、自分の基準、

ペースを把握しておくのはとても必要なんですね。





自分を褒める・労う

自分を褒める、労うことも、

自分を大切にするひとつの方法なんですね。



同じような失敗を繰り返してしまったとき、

「またやってしまった」

「私はどうしてこうなんだろう」

・・と自分を責める方向に向いたときは、

意識して気持ちを切り替えることが大切です。



「まぁいい、まぁいい。そんな時もある^^」

「よく頑張ってるよね^^」

そんなふうに自分を受け止めます。



これも意識してその都度繰り返していくと

新しい回路ができてクセになっていきます。



落ち込んだり、罪悪感を感じたり

しなくてすむようになって、無理せずに

「また次の時頑張ればいいや」

って思えるようになっていくんですね。



失敗したらそれで終わり、ではなく、

それを次に活かしていけばいいんですよね。



◆人間、順調なときもあったら不調なときもある。

 いつもいつもうまくできるなんて

 ありえないんだから。失敗してもいい。



文章にすると当たり前のようなのですが、

いざ自分のことになると、けっこう

不調な自分を許せなかったり、 責めたり、

裁いたりしてしまうんじゃないでしょうか。



こうした“ 責める思考→落ち込み ”の

スパイラルに陥った時に

気持ちの切り替えはとても有効です。



自分を責める思考は

心と身体に負担になります。

自分にとっての

“ マイナス要因 ”を心に入れることになり、

“ こころの安心 ”を奪われてしまうんですよね。



この思考は多くが刷り込みです。

「自分の親(大人)に言われたこと」を、

無意識に繰り返してしまってるんですね。



そのままにしておくと、子どもにも

同じことをしてしまうので、

気づいたら切り替えていきたいですよね。



そして「やってしまった」と感じる

「やってしまう時」はたいていが

「疲れている時」だと思います。



なので、

そろそろ疲れてくる時期を見計らって

休むこともしていきたいですね。



何でもそうですが、適度に休憩をとることも

とても大切なことだと思います。



これらの方法が何よりもいいのは、

子どもを知らず知らずのうちに

追いつめずにすむことだと思います。



うまく思考の切り替えをして、

ラクになれたらいいですよね。



しんどい時は・・

動いたり考えたりをやめる、が私は基本ですニコニコ

しんどい時、身体と心が弱って悲鳴をあげている時は、

とにかく”休む””寝る”ことが優先でしょうね。



ぐぅぐぅ適切に休むぐぅぐぅことって

身体と心を大切にする意味でもすっごく重要ですし、

私は家庭のみならず、義務教育でも

教えて欲しいくらいなんですけど、

罪悪感を感じたり、無力感を感じたりするように

育って来た人も多いですよね。




まずはあれこれ考えるより休まないとね、

湧くはずの意欲も涸れてしまうんですよねショック!

成長したくとも、意欲が湧かないと、

結局「やらされている」ことになってしまい、続きません。




動くことはもちろんですが、

考えることもエネルギーを使います晴れ



そういう、弱っている時に考えると、

悪循環が始まりますね。経験から。

どんどんどんどん、無限ループに陥ってしまいます叫び



弱ってるから思うように動けないわけです。

なので、調子の良い時にできることができない。

とても理に適っています。

良い・悪いではないんですよねチューリップ赤

発熱している時、思うように動けないのと同じなんですが、

心が弱ってる場合は、発熱時のように

「寝よう」とか「休もう」とか思えない。

そんなふうに育つと、そうなる。これも理に適っています。

真面目で、責任感も強く、一生懸命な人ほど、そうだそうです。

「~しなきゃいけない」

「でも、できない」

・・そりゃーそうなんです。弱ってるんですからショック!



そういう時は、思っている以上に

まずはしーーーっかり休まないと、

発熱時に動くのと同じなので、悪化します。

動けない(または、成長したい、変わりたいけど、できない)
右矢印責める右矢印落ち込む右矢印考える右矢印でもやっぱり動けない、

以下最初に戻って繰り返し・・と

抜けられるループも抜けられなくなってしまいますガーン



”動けない”の次は”休む・寝る”なんですね。

そうするとね、少し動けるようになります。

寝た分・休んだ分はエネルギー溜まりますからね晴れ



まぁでもね、ほんとに追いつめられたら、

それこそ発熱と同じで、動きたくても動けなくなります。

身体は正直ですニコニコ



身体に栄養が必要なのと同じく、心にも栄養が必要。

同じく、身体が弱ったら発熱するように心も弱ると発熱します。

熱が出るのは身体のお知らせで、

ベルそろそろメンテナンスの時期で~す」

ってことなんですよね。

「熱を出す人が悪い」のではないですあせる

なので、心が疲れて思うように動けないのも、

ベルそろそろメンテナンスの時期で~す」

ってことですね。同じです。

「動けない人が悪い」のではないですニコニコ




「どうしてもしなくてはいけない」と思っていること。

それも「ホントにしなくちゃいけないの?」

信頼できる人に聴いてみる。ひらめき電球

思い込みかもしれません。



それでもホントに「しないと生活できない」レベルのことなら

”気持ちを軸にして”優先順位をつける。

書き出してみるのもいいですねメモ

自分を責めるエネルギーはこっちにまわした方が建設的です音譜



”しなければならない”等の

「~ねば」「~べき」は優先順位の下位から排除していく。

気持ちを大切にする(軸にする)ことですね。

平常も必要ですが、弱った時はもっと必要です。

高熱が出たと思ってあきらめる、とか工夫しつつ。

ずーーっと排除するわけではなく、

不調なあいだ、エネルギー充電のあいだ、ですから、

排除せず無理して同じループ上でぐるぐる回るよりは

抜け出すために排除した方が効率的ですよねひらめき電球



子育て中は、適宜休める環境を確保するため、

家族・友人・または自治体の関係機関などを利用して、

「自分が快復する」ことを目的に設定し、

目的のための行動を考えるにも専門家のサポートを受ける、

などすると選択肢や方法も広がり、希望が持てるようにもなります。




生き辛い世の中、そうでなくても、誰でも快調・不調はあります。

弱った時、再びエネルギーを充電して

また動き出すための生活の知恵

用意しておくと、安心ですよねニコニコ



ママ友間のいじめの構造

チャムグループとピアグループというものがあります。
仲間関係の発達過程ですね。

旗チャムグループ(サリバンの定義)

同質を経験するグループです。時期は思春期前半。
数人のメンバーから成り立ち、
内面的な共通性が重視されます。

いわゆる仲良しグループですね。
興味や趣味の共通点で結ばれています。
「わたしたち、一緒ね、同じだね音譜
と、同質であることを確認します。

ここで、マズローの欲求段階説の第3段階、
親和・帰属欲求を満たすのでしょう。

ただし、このグループは仲間内の異質性に対する
許容度が低いので、いじめの背景にもなるそうです。

ピア・プレッシャー(仲間からの同調圧力)がかかるんですね。
グループとして閉鎖的で、異質性は排除、互いに束縛するという特徴です。


旗ピアグループ

チャムグループでの同質をたっぷり経験し、
帰属欲求を満たした思春期後半、今度は
お互いが自立した人間として認め合える仲間です。

互いに違うことを認めた上で尊重し合うグループですね。
個性の違いが一緒にいる意義になるそうです。

互いの価値観や考え方、想いなどを語り合い、
異質性をぶつけ合うことで他者との違いを
明らかにしつつ、自分の内面を築きあげ、確認する。

異質性・多様性を認め合うグループですね。

これは面白いですよね。
他者との違いを発見することで自分がより明らかになります。

欲求段階説で言えば第4段階の自我欲求が満たされますね。
仲間が自分の価値を認めてくれる、という状態です。



チャムグループは思春期前半となっていますが、

これが長期化する傾向もあるようですね。

自己実現に向けてチャムグループで同質をたっぷり経験する

ことは成長するために必要なのですが、

そこで停滞する傾向も多いようです。

言わずもがなですが、ママ友のいじめや仲間はずれも

チャムグループの異質性の排除や閉鎖的な状態ですよね。



それこそ人それぞれですから、チャムグループのまま、

そこに留まっていたい、という人もいるようです。

いじめなど問題が起こらなければ、

その人の生き方の問題ですから、それはそれでいいですよね。




ただ、現状がイヤなのになぜ抜け出さないのか、

というのは、潜在的な不安が高いからだと思います。

自分に自信がなくて、まだまだ「同じだね音譜一人じゃないよラブラブ

って確認できる仲間が必要なのかもしれませんね。



異質なものに対する恐れ、もあるでしょうね。

違いを認められないのは「自分のままでいい」と思えないからですよね。

「違う私は間違ってる?」と大きな不安に襲われるので、

自分以外の人を「違うのはあの人がおかしいからだ!」と

決めた付けた方がラクなんですね。

それに同意してくれる仲間がいれば尚更、

とりあえず安心です。

でも、ほんとの安心じゃないですけどね。

ありのままの自分に自信がないのはそのままですから。




そんな仲間ですから、

「みんなと一緒」であることに必死になりますよね。

ちょっとでも違ったら仲間はずれですから、

自分の想いと違っても「みんな」に合せてしまいます。



ここで一人をスケープゴートにしていじめてしまうのも、

家庭の、あるいは現在や過去の親子関係・人間関係の、

鬱憤を他者の安心を奪うという形で表現しているんだと思いますね。

歪んだ形ですが、しかしこれもSOSですよね。



同質を経験するのは必要なことですが、

いじめに発展してしまうグループが

大人社会に蔓延しているのは、困りますよね。

それを間近で見ている子どもは希望を失ってしまうと思います。



いろんな感情を抱え、溜めていることに気づかないと、

ほんとにたくさんの弊害があるんですよね~汗

また、子どもが生き辛さを感じないように、

多様性という概念を知り、広い視野を持つことも

大切なことだな~と思いますニコニコ




講演会、無事終了致しました☆

森田ゆりさん講演会
「親と子の一生の安心のために」無事終了致しましたクラッカー

きっかけは昨年末の森田さんの”子どもの安全対策”に関する研修です。

この研修で、大きく心が動きました。
「これは・・とにかく少しでも広めなければ」と思いました。

危機感が私を動かしました。
今のままの安全対策では子どもが歪んでしまう、と思いました。

それから1週間の後にはPeace of mindのHPを立ち上げました。
それと共にゆりさんの講演会をグループ主催でやることを決めました。
「それをせずにはおられない」という気持ちでした。

”子どもの心が危ない”という今までも確かに抱いて来た気持ちが、
大きく振幅して最大に振り切った、という感じでしょうか。

全国で、連れ去りだけでなく、虐待やいじめやDV、事故などで
子どもが犠牲になっていることにもひとつの過渡期を感じていました。

とにかく、森田ゆりさんの掲げる安全対策は、
可及的速やかに広める必要がある、と思いました。

森田さんの安全対策は、
「私が子どもの頃にこれを知っていたら」と思うようなものばかりだったからです。

荒んで絶望した心にも、まっすぐに届き、
希望を見いだすだけの力を持つ内容だからです。

私も過去、モノから人間まで、あらゆることに大きな「不信」を抱き、
めったなことには心を動かされず、開かず、
反対に「何をわかったようなことを」と思うような
傷ついた心を抱えていましたが、
それをして深く納得させ、周囲の景色がそれまでと一変していくような
今までにない安心というものへの新たな視点・変化のチャンスなど、
いろいろな始まりのきっかけ、が、そこには確かにありました。

そんな経験も踏まえて受けた研修で、
自分にできることをしたい、しないとおれない気持ちになったのです。

それが実現できたのも、オレンジさんのおかげです。
彼女は以前私が所属したダンスグループの事務所で
ダンサーもしつつマネージャーや営業の経験もあったのですが、
その貴重な経験を、まさに余すところ無く発揮してくれました。

その仕事をやっていれば誰もができるというようなレベルではありません。
この手腕には森田ゆりさんも「すごいね、彼女」と感嘆されたほどです。
おかげで私がめちゃめちゃ心強かったのは言うまでもありません。

カウンセラーさんにも精神的な支えをはじめ、大きな協力を頂きました。
森田ゆりさんのことを知れたのもカウンセラーさんのおかげです。

森田さんのお話はさすがでした。



”内にある安心”について、子どもを中心に、社会で起こる
さまざまな出来事、親子関係から事件・事故に至るまで
多数の例えを用いて多くの側面からお話いただきながら、
講演の目的、主題からは決してそれることなく、
”本当の安心”について、
わかりやすくそれでいて深く広いお話になっていました。

日々の暮らしの中、好むと好まざるに関わらす、周囲からメディアから
さまざまな情報を得て、'全く不安を感じることがない'などないでしょう。
それらの不安に対し、”最も適切な”「安心を取り戻すための対処法」を
体得しておくこと、外に求めるのではなく、内に確かに存在するものを
引きだしていくこと、それこそが一生の安心に繋がるのだと思います。
その基本となる「生きる力を取り戻す」方法を森田さんは説いておられます。

「もっと聴きたかった」というたくさんの声も
参加者の方々からいただきました。私もそう思います。
ぜひ森田さんの著書でその考えや想いを深めていただきたいと思います。

ご参加・ご協力いただいたすべての皆様に深く感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

最後に、オレンジさん、本当にありがとう。あなたはスゴい。

これらすべてのきっかけを私にくれたアップルくん、
あなたの存在が大きな原動力です。本当にありがとう。


子どもの気持ちを受け止める

”マズローの欲求段階説”というものがあります。

人間の欲求はピラミッドの5段階になっていて、

ひとつの欲求が満たされることで次の欲求の段階へと

進む欲求(意欲)が湧くという形の自己実現への成長過程ですね。

この底辺から3つめ、親和の欲求、4つめの自我の欲求が

子どもの気持ちの受け止めとなるでしょうか。

気持ちを受け止めてもらう、という体験は、

「自分の気持ちを大切にする」ということに繋がるんですね。

受け止めてもらうこと=大切にされること なんですね。

なので、「気持ちの受け止め=受容・共感」は

子どもの心の健全な成長のために大切な栄養なんですね。

・・しかし、

すべての親が子どもの気持ちを受け止められるわけではないですね。

受け止められない大人がほとんどだからこその社会の現状です。

1気持ちを受け止めてもらっていない=気持ちを大切にされていない 

と、他者の気持ちの受け止めなんてできません。

まずは自分の気持ちが大切にされるという体験なくして受容・共感なんて無理です。

英語を聞いた事も習ったこともない人に、いきなり

「さぁ、今日から英語で話しなさい」というようなもの。

その状態で「子どもの気持ちに共感しましょう」なんて言われたら

追いつめられたように、または責められているように感じてしまいます。

至極当たり前、自然な感情ですね。

1の状況は、気持ちが抑圧されて溜まっています。

欲求段階説で言えば3、4の欲求が満たされてないんですね。

飛び越えて5段めを実践しなさい、と言われてもやはり無理です。

で、1の状況にある人にも例えばこんなケースがあって、

(a)溜まった欲求を他者に八つ当たりすることで満たそうとする

(b)溜まっていることを認めない。否認する。現実逃避。
  しかし、欲求は溜まっているので、本人は隠しているが言動に怒りが漏れている。

(c)自分の内面、抑圧された感情(主に怒り)に向き合い、浄化させる。

(c)は欲求を満たす行為ですので、繰り返すことで前に進めます。

私は(a)でした。そして自分の内面に気づいた後、

(c) の作業を繰り返してきました。

(b)の抑圧された感情の否認は、傍目にも厄介だと思います。

(a)はある意味感情に取り込まれているので、

本人も自覚しやすいんですよね。

自覚して改善しようとするか開き直るかは本人次第ですが・・

(b)は自分に対しても否認してウソをつくほど、自分の感情を認めたくない、

ということなので、まず最初に大事な「認める」という作業が困難なわけです。

本人から「認めない」オーラがでているので、周りも言いにくいしね。

自分のことはわからないのに、他者のことだとよくわかる、

ということがあるように、隠しているつもりでも、見抜かれているものです。

これはしんどいと思いますよ~あせるうちの父もそうでしたニコニコ

自分への高い評価を求めている人に多いように思います。

例えば、「良い成績をとれないならウチの子じゃない」のような

”条件付きの愛情”メッセージを受け続けたりするとこうなるようですね。

「常に高い評価を受けること」を要求されて育つと、

自分に対しても、感情に良い悪いの評価をして

「こんな感情を持つ事を認めない」のでしょうね。

気持ちを受容するのでなく評価して裁くことが

意識・無意識関係なく”常態”なのですから、

「子どもの気持ちを受け止める」ことを要求されれば、怒りが湧くでしょう。


要するに、気持ちを受け止めることがストレスであったり、

追いつめられる・責められていると感じるということは、

”自分自身の気持ちが抑圧されている”、

という心のメッセージなんですよね。

それに気づいて認めて浄化するか、

それすら無視・否認して社会のしくみや

自分の親が悪いのだ、と、ある種の責任転嫁をするか、

いずれ自分次第なのだと思います。


とっても可愛い絵本です。

ぼくたちのあさ/たにむら まゆみ

¥1,050
Amazon.co.jp

ページを開くごとに絵の可愛らしさに感動しましたラブラブ

「いや~可愛い~~ラブラブ」ってずっと言ってましたあせる

スッゴク和ませてもらいました~~クラッカー

色使いや表情に優しさが溢れている作品だと思います。

愛情と安心が詰まった絵本ですよ合格

「ぼく」が赤ちゃんを大切に思う気持ちがよく伝わってきます。

ステキな絵本です。おすすめですよ~音譜音譜

素晴らしい!!

土・日と森田ゆりさんの研修

お手伝いに行かせていただきましたニコニコ

家族えん会議のファシリテーター養成講座だったのですが、

ロールプレイで森田ゆりさんがファシリテーターをされ、

その素晴らしさに心の中でスタンディングオベーションクラッカー

どのように話が脱線しても、しっかりと傾聴しつつ

会議の目的に戻るように進めて行くのには、本当に感嘆。

お見事!!でした。

「あぁ、そんなふうに言えばいいのか・・ビックリマーク」と、

すごく勉強になりました。

その場に参加する人ひとり一人の意見を尊重し、

人間関係を修復するために

参加者一人ひとりが持つパワーを引き出し、

活用していく、エンパワメントな関わりを

外側から見せていただいたと思います。

本当に「わぁ~、スゴいなぁ~。」って。

なんというか、人間の持つ可能性の素晴らしさを

再認識したというか。

関わり方によって、如何様にも変化するんですよね。

あんなに素晴らしいファシリテートは、

なかなかできるもんじゃないと思う。さすがです。

家族えん会議。

ぜひ今後、日本でも、広まって欲しいです。

また、土曜日は研修後に背高女

活動にも参加しましたニコニコ

楽しかったなぁ音譜

さて、今年の日記は森田ゆりさんのことばかり。

たくさんの刺激や影響を受けています。

まだまだ知らないことがたくさんあって、

もっと知りたいビックリマーク体験したい!!

という欲求がムクムクと湧いてくるのは楽しいです。

あとは体調管理ですネ~音譜

ファシリテーターのスキルアップ研修

エンパワメントセンター主催、森田ゆりさんの

「ファシリテーターのスキルアップ研修」を受講しました。

めちゃくちゃ楽しかったです!!

新しい気づきもありました音譜

ファシリテーターとしてはまだまだ新米なのですが、

ダンサー&シンガー時代に司会・MCをやっていたこと、

また10代後半から20代前半、

グループリーダーをやらせてもらっていたことも

自分の中にある引き出しとして新たに活用され、

多いに役立っていると感じ、過去にそういうチャンスを

いただいたことに多大な感謝を感じています。

研修の中で、

「あぁ、そういうことかビックリマーク

「そうしてもいいんだニコニコ

のように、脳内が一新されるような嬉しい気づきがあり、

すごくエンパワメントされていることを感じて

新たな活力も生まれました。

「人生をあきらめなくてよかった~ラブラブ

と心から思う瞬間ですね。本当にありがたいことです。

「人生で起こるすべてのことには意味がある」んですよね。

森田ゆりさんの研修で共通して私が感じるのは、

「明確な目的の設定」です。

ビジョンを持つこと。

これはいつもお世話になっているカウンセラーさんの

言われることとやはり共通しています。

出発点はこれも「気持ちを大切にすること」です。

まず自分で感じることなんですね。

気持ちや感情を溜め込んでいると目的は認識できません。

認識できないことすら認識していない状態にもなり得ます。

また、目的を設定しても意欲がなければ動けません。

誰かの感じ方や何かの考えに従って目的を設定しても、

実行するために必要な意欲は持てません。

そしてもちろん、伝えたい人に伝わらないですね。

「こうしたい!」という気持ちがどれだけあるか。

自己満足でなく。

(子育てにも通じるものがありますね。)

なので、殊更難しいことでも、

選ばれた人だけができるということでもないんだと思います。

「気持ちを大切にする」ことは、本来すべての人が

そうするための生きる力を生まれ持っているのですから。

学ぶこと、脱学習することの楽しさ・素晴らしさを

改めて感じた週末でした合格

DV家庭に育つ子どもたちへの援助

「DV家庭に育つ子どもたちへの援助」

というエンパワメント・センター主催の

森田ゆりさんの研修を受けてきました。

DV家庭に育つ子どもは、「忘れられた被害者」と呼ばれています。

両親間の暴力(精神的も含む)を目の当たりにすることは虐待なんですね。

下記の書籍を資料として勉強したのですが、



森田 ゆり
ドメスティック・バイオレンス―愛が暴力に変わるとき

こんなふうに書かれています。

「妻や恋人に暴力をふるう人たちは、

その家庭に同居する子どもたちにも

深刻なダメージを与えています。

にもかかわらず、その子どもたちに

援助の手が差しのべられることは稀です。

置き去りにされ、忘れられた被害者たちは

その後大人になってからも

暴力の後遺症に苦しむのです。」

ここでの暴力は、わかりやすい身体的なもの、

誰が見ても暴力、と感じるようなものだけではないのです。

「デートDV」という言葉もあります。

これは今回ロールプレイで一例を見せてもらったのですが、

割と良くある恋人どうしの会話、行動です。

相手を尊重する、ということがない関係であっても、

多くの人が「私はこんなに愛されている」というふうに

勘違いしてしまうようなふるまいです。

相手の安心・自信・自由を奪う自己中心的な言動を

「愛するがゆえ」と双方で勘違いをする。

そして、結婚や妊娠・出産を機に問題が顕著になり深刻化するようです。

「エンパワメント」という視点がないと陥りやすい関係であると思います。

また、DVは公衆衛生の問題でもあるということです。

もし10人に一人というような割合で疫病が蔓延したら、

深刻な国の非常事態になります。

平成18年の内閣府における調査では、

「日本女性の約4人に一人が夫等から身体的暴力を受けている」

と公表されています。

上記の書籍にもありますが、

「虐待・暴力がもたらす被害者の健康医療上の深刻な被害において、

それは公衆衛生の問題であり、虐待が公衆への予防教育の徹底に

よって発生件数を減らすことができる点においても、

公衆衛生の問題なのです。」

これだけ多くの被害があり、現実に心的外傷を抱え多くの子どもたちが

苦しんでいる状況を考えれば、公衆衛生の問題として

広く社会に認知されるべき問題であると強く感じました。

・・実際に、研修の中でDVが家族ダイナミックスに与える影響、

という項目の中では、私の生育環境がそのまま当てはまるもの

ばかりでした。 「あぁ~なるほど、それでそうなるんだ!」

加害者の心理や被害者の心理、またその子どもの心理など。

そして、「これがわかってたら不要な罪悪感を抱えて

長い間苦しむこともなかったのになぁ。」としみじみしました。

子どもの受ける心的外傷はかなりのものです。

注目されず、抱えたまま大人になり、その後の人生に

さまざまな生きづらさや怒り・悲しみを抱えて

生きていかなければならなくなってしまう。

また、DV家庭における価値観の中で最も生きづらくさせるもの、

ジェンダーバイアス。これもこのままで刷り込まれていくと、

めちゃくちゃ生きにくいですよ。気づきにくいですからね。

多くの人が、「こうするものだ」という認識を持つものであるが

ゆえに、非常に恐ろしいと私は思います。

自分の人生を自分らしく生きずに、役割や誰かの価値観に

合わせて生きるのであれば、誰の何のための人生を

こんなにいっしょうけんめい生きているのか?ということだと思います。

知らずにやらされている。これではまるで操り人形ですよね。

しかも本人は自分の意思であるという認識であるとすれば、

これはもうSF映画の題材になりそうです。

しかしそれでいて非常に身近な問題なのです。

特別な人に起こる問題ではないということですね。

身近に潜む恐怖。

知らないうちに侵され感染する、まさに疫病のようなもの。

そんなふうに思いました。

ドメスティック・バイオレンスは特殊な家庭で起こる

特殊な問題ではけしてありません。

根本的な自らの価値観の問題として、

一人ひとりが「自分はどうなんだろう?」と考えていくことなくして

生きづらさの負の連鎖の蔓延は断ち切ることができないと思います。

対岸の火事ではない、という認識が不可欠であると強く感じました。