DV家庭に育つ子どもたちへの援助 | Cherish a feeling

DV家庭に育つ子どもたちへの援助

「DV家庭に育つ子どもたちへの援助」

というエンパワメント・センター主催の

森田ゆりさんの研修を受けてきました。

DV家庭に育つ子どもは、「忘れられた被害者」と呼ばれています。

両親間の暴力(精神的も含む)を目の当たりにすることは虐待なんですね。

下記の書籍を資料として勉強したのですが、



森田 ゆり
ドメスティック・バイオレンス―愛が暴力に変わるとき

こんなふうに書かれています。

「妻や恋人に暴力をふるう人たちは、

その家庭に同居する子どもたちにも

深刻なダメージを与えています。

にもかかわらず、その子どもたちに

援助の手が差しのべられることは稀です。

置き去りにされ、忘れられた被害者たちは

その後大人になってからも

暴力の後遺症に苦しむのです。」

ここでの暴力は、わかりやすい身体的なもの、

誰が見ても暴力、と感じるようなものだけではないのです。

「デートDV」という言葉もあります。

これは今回ロールプレイで一例を見せてもらったのですが、

割と良くある恋人どうしの会話、行動です。

相手を尊重する、ということがない関係であっても、

多くの人が「私はこんなに愛されている」というふうに

勘違いしてしまうようなふるまいです。

相手の安心・自信・自由を奪う自己中心的な言動を

「愛するがゆえ」と双方で勘違いをする。

そして、結婚や妊娠・出産を機に問題が顕著になり深刻化するようです。

「エンパワメント」という視点がないと陥りやすい関係であると思います。

また、DVは公衆衛生の問題でもあるということです。

もし10人に一人というような割合で疫病が蔓延したら、

深刻な国の非常事態になります。

平成18年の内閣府における調査では、

「日本女性の約4人に一人が夫等から身体的暴力を受けている」

と公表されています。

上記の書籍にもありますが、

「虐待・暴力がもたらす被害者の健康医療上の深刻な被害において、

それは公衆衛生の問題であり、虐待が公衆への予防教育の徹底に

よって発生件数を減らすことができる点においても、

公衆衛生の問題なのです。」

これだけ多くの被害があり、現実に心的外傷を抱え多くの子どもたちが

苦しんでいる状況を考えれば、公衆衛生の問題として

広く社会に認知されるべき問題であると強く感じました。

・・実際に、研修の中でDVが家族ダイナミックスに与える影響、

という項目の中では、私の生育環境がそのまま当てはまるもの

ばかりでした。 「あぁ~なるほど、それでそうなるんだ!」

加害者の心理や被害者の心理、またその子どもの心理など。

そして、「これがわかってたら不要な罪悪感を抱えて

長い間苦しむこともなかったのになぁ。」としみじみしました。

子どもの受ける心的外傷はかなりのものです。

注目されず、抱えたまま大人になり、その後の人生に

さまざまな生きづらさや怒り・悲しみを抱えて

生きていかなければならなくなってしまう。

また、DV家庭における価値観の中で最も生きづらくさせるもの、

ジェンダーバイアス。これもこのままで刷り込まれていくと、

めちゃくちゃ生きにくいですよ。気づきにくいですからね。

多くの人が、「こうするものだ」という認識を持つものであるが

ゆえに、非常に恐ろしいと私は思います。

自分の人生を自分らしく生きずに、役割や誰かの価値観に

合わせて生きるのであれば、誰の何のための人生を

こんなにいっしょうけんめい生きているのか?ということだと思います。

知らずにやらされている。これではまるで操り人形ですよね。

しかも本人は自分の意思であるという認識であるとすれば、

これはもうSF映画の題材になりそうです。

しかしそれでいて非常に身近な問題なのです。

特別な人に起こる問題ではないということですね。

身近に潜む恐怖。

知らないうちに侵され感染する、まさに疫病のようなもの。

そんなふうに思いました。

ドメスティック・バイオレンスは特殊な家庭で起こる

特殊な問題ではけしてありません。

根本的な自らの価値観の問題として、

一人ひとりが「自分はどうなんだろう?」と考えていくことなくして

生きづらさの負の連鎖の蔓延は断ち切ることができないと思います。

対岸の火事ではない、という認識が不可欠であると強く感じました。