子どもの気持ちを受け止める | Cherish a feeling

子どもの気持ちを受け止める

”マズローの欲求段階説”というものがあります。

人間の欲求はピラミッドの5段階になっていて、

ひとつの欲求が満たされることで次の欲求の段階へと

進む欲求(意欲)が湧くという形の自己実現への成長過程ですね。

この底辺から3つめ、親和の欲求、4つめの自我の欲求が

子どもの気持ちの受け止めとなるでしょうか。

気持ちを受け止めてもらう、という体験は、

「自分の気持ちを大切にする」ということに繋がるんですね。

受け止めてもらうこと=大切にされること なんですね。

なので、「気持ちの受け止め=受容・共感」は

子どもの心の健全な成長のために大切な栄養なんですね。

・・しかし、

すべての親が子どもの気持ちを受け止められるわけではないですね。

受け止められない大人がほとんどだからこその社会の現状です。

1気持ちを受け止めてもらっていない=気持ちを大切にされていない 

と、他者の気持ちの受け止めなんてできません。

まずは自分の気持ちが大切にされるという体験なくして受容・共感なんて無理です。

英語を聞いた事も習ったこともない人に、いきなり

「さぁ、今日から英語で話しなさい」というようなもの。

その状態で「子どもの気持ちに共感しましょう」なんて言われたら

追いつめられたように、または責められているように感じてしまいます。

至極当たり前、自然な感情ですね。

1の状況は、気持ちが抑圧されて溜まっています。

欲求段階説で言えば3、4の欲求が満たされてないんですね。

飛び越えて5段めを実践しなさい、と言われてもやはり無理です。

で、1の状況にある人にも例えばこんなケースがあって、

(a)溜まった欲求を他者に八つ当たりすることで満たそうとする

(b)溜まっていることを認めない。否認する。現実逃避。
  しかし、欲求は溜まっているので、本人は隠しているが言動に怒りが漏れている。

(c)自分の内面、抑圧された感情(主に怒り)に向き合い、浄化させる。

(c)は欲求を満たす行為ですので、繰り返すことで前に進めます。

私は(a)でした。そして自分の内面に気づいた後、

(c) の作業を繰り返してきました。

(b)の抑圧された感情の否認は、傍目にも厄介だと思います。

(a)はある意味感情に取り込まれているので、

本人も自覚しやすいんですよね。

自覚して改善しようとするか開き直るかは本人次第ですが・・

(b)は自分に対しても否認してウソをつくほど、自分の感情を認めたくない、

ということなので、まず最初に大事な「認める」という作業が困難なわけです。

本人から「認めない」オーラがでているので、周りも言いにくいしね。

自分のことはわからないのに、他者のことだとよくわかる、

ということがあるように、隠しているつもりでも、見抜かれているものです。

これはしんどいと思いますよ~あせるうちの父もそうでしたニコニコ

自分への高い評価を求めている人に多いように思います。

例えば、「良い成績をとれないならウチの子じゃない」のような

”条件付きの愛情”メッセージを受け続けたりするとこうなるようですね。

「常に高い評価を受けること」を要求されて育つと、

自分に対しても、感情に良い悪いの評価をして

「こんな感情を持つ事を認めない」のでしょうね。

気持ちを受容するのでなく評価して裁くことが

意識・無意識関係なく”常態”なのですから、

「子どもの気持ちを受け止める」ことを要求されれば、怒りが湧くでしょう。


要するに、気持ちを受け止めることがストレスであったり、

追いつめられる・責められていると感じるということは、

”自分自身の気持ちが抑圧されている”、

という心のメッセージなんですよね。

それに気づいて認めて浄化するか、

それすら無視・否認して社会のしくみや

自分の親が悪いのだ、と、ある種の責任転嫁をするか、

いずれ自分次第なのだと思います。