インナーチャイルドとインナーペアレンツ
機能不全家族で育った生き辛さの問題を考える時、
アダルトチルドレンという考え方を用いると、
注目したいのは、自分の心の中にいる
インナーチャイルドと、インナーペアレンツです。
インナーチャイルドとは
保護者の不適切な関わりにより、
抑え付けられた欲求を抱えた
子どもの頃の自分の感情です。
例えば子どもとの関わりの中で、
子どもが子どもらしい欲求を
要求してきたとき、
それに応えられずにイライラが募り
冷たくしてしまう、怒鳴ってしまう、
頭ではわかっているのに
感情がついていかない、など。
子どもが泣き止まない
いつまで泣いてるの!いい加減にしなさい!
なかなか片付けをしない子どもに
片付けなさいって言ったでしょ!
何度言ったらわかるの!どうして言う事聞けないの!
また、子どもの言動に対し、
「やめなさい!」
「静かにしなさい!」
「ダメ!」
と、頭ごなしに禁止する、など。
これらは、幼い頃の自分、
インナーチャイルドが
過去の自分と同じような状況により
記憶を刺激され登場し、
「わたしは我慢してきた!」
「親の言う事を聞いてきた!」
「お前だけ甘えることは許さない!」
と、怒っているのです。
インナーペアレンツとは
インナーペアレンツは、
子ども時代に親から受け続けた不適切な言葉が
自分の中に刷り込まれ、暗示にかけられたように
それが自らの言葉・考え方としてその後も
自分自身を縛り、追いつめます。
「ほんとにダメな子ね」
「あなたがそんなことするからでしょ」
「わるいことばかりして」
「我慢しなさい」
「お兄ちゃん(姉)なんだから」
このような言葉が大人になり
「わたしはダメな、弱い人間」
「わたしのせいなんだ」
「わたしはわるい・ずるい人間なんだ」
「これぐらい我慢しなきゃ」
「兄(姉)としてしっかりしないと」
というふうに、何かにつけ自分を追いつめます。
親が姿を変えて自分の中に住み続けているのです。
生き辛くさせる原因を取り除くには、
このような怒りやイライラの感情、
自分を責める・叱咤する考えが
頭に浮かんだとき、
「今、インナーチャイルド(ペアレンツ)が出て来たんだな」
のように現在の自分と区別すること、
インナーチャイルド(ペアレンツ)を俯瞰して見る、
一歩引いたところで眺めるようにして、
それらに心を占領されないようにすることです。
長年の思考のクセでもあるので、
これには練習が必要です。
また、インナーチャイルドには
「辛かったね」
「悲しかったね」
「よく頑張ったね」
などの癒しが必要であり、
インナーペアレンツという
固定された概念との決別が必要です。
いずれにせよ、自分の心の中に向き合って
時には辛い記憶を反芻するこの作業には、
パニックや混乱を防ぐために
専門家のサポートが大切だと思います。
無理せず、自分のペースで
行っていけたらいいですね。
アダルトチルドレンという考え方を用いると、
注目したいのは、自分の心の中にいる
インナーチャイルドと、インナーペアレンツです。
インナーチャイルドとは保護者の不適切な関わりにより、
抑え付けられた欲求を抱えた
子どもの頃の自分の感情です。
例えば子どもとの関わりの中で、
子どもが子どもらしい欲求を
要求してきたとき、
それに応えられずにイライラが募り
冷たくしてしまう、怒鳴ってしまう、
頭ではわかっているのに
感情がついていかない、など。
子どもが泣き止まない
いつまで泣いてるの!いい加減にしなさい!なかなか片付けをしない子どもに
片付けなさいって言ったでしょ!何度言ったらわかるの!どうして言う事聞けないの!
また、子どもの言動に対し、
「やめなさい!」
「静かにしなさい!」
「ダメ!」
と、頭ごなしに禁止する、など。
これらは、幼い頃の自分、
インナーチャイルドが
過去の自分と同じような状況により
記憶を刺激され登場し、
「わたしは我慢してきた!」
「親の言う事を聞いてきた!」
「お前だけ甘えることは許さない!」
と、怒っているのです。
インナーペアレンツとはインナーペアレンツは、
子ども時代に親から受け続けた不適切な言葉が
自分の中に刷り込まれ、暗示にかけられたように
それが自らの言葉・考え方としてその後も
自分自身を縛り、追いつめます。
「ほんとにダメな子ね」
「あなたがそんなことするからでしょ」
「わるいことばかりして」
「我慢しなさい」
「お兄ちゃん(姉)なんだから」
このような言葉が大人になり
「わたしはダメな、弱い人間」
「わたしのせいなんだ」
「わたしはわるい・ずるい人間なんだ」
「これぐらい我慢しなきゃ」
「兄(姉)としてしっかりしないと」
というふうに、何かにつけ自分を追いつめます。
親が姿を変えて自分の中に住み続けているのです。
生き辛くさせる原因を取り除くには、
このような怒りやイライラの感情、
自分を責める・叱咤する考えが
頭に浮かんだとき、
「今、インナーチャイルド(ペアレンツ)が出て来たんだな」
のように現在の自分と区別すること、
インナーチャイルド(ペアレンツ)を俯瞰して見る、
一歩引いたところで眺めるようにして、
それらに心を占領されないようにすることです。
長年の思考のクセでもあるので、
これには練習が必要です。
また、インナーチャイルドには
「辛かったね」
「悲しかったね」
「よく頑張ったね」
などの癒しが必要であり、
インナーペアレンツという
固定された概念との決別が必要です。
いずれにせよ、自分の心の中に向き合って
時には辛い記憶を反芻するこの作業には、
パニックや混乱を防ぐために
専門家のサポートが大切だと思います。
無理せず、自分のペースで
行っていけたらいいですね。
ストレスの対処法
一口にストレスと言っても、
その感じ方は人それぞれですよね。
ストレスとは、
外からの刺激や、状況(ストレッサー)により、
個人の物事の受け止め方や考え方による反応の
ことであり、一般的には、精神的な緊張や
負担のことを指しています。
また、ストレスに対処する方法を
ストレスコーピングと言うそうです。
ストレスが溜まると、
イライラして八つ当たりしたり、
物事の冷静な判断が難しかったり、
溜まり過ぎると健康を損なうこともあるので、
ストレスをどのように受け止め、対処するか、
ということはとても大切なんですよね。
さて、その対処法(コーピング)には、
ストレッサー(刺激)に対するコーピング
ストレス要因であるストレッサー(刺激)
を明らかにし、なくす、減らしていく方法
評価に対するコーピング
「こうあるべき」や「こんなふうに思われている」
などの思い込みや自分を追いつめる思考を変える方法
反応に対するコーピング
身体反応(緊張や動悸)に対処する方法
リラクゼーションや腹式呼吸・自律訓練法
社会的支援を活用するというコーピング
まわりの人の助けを借りる,という方法。
受容や共感を得る、カウンセリングを受ける。
このようにさまざまなコーピング(対処法)
があるのですが、まずは自分はどのような傾向に
あるのかを知る事が大切だと思います。
ストレスの感じ方には、
その人の現状や生育環境など、
その人特有の背景が関係するようです。
の評価へのコーピングにあるように、生育環境により
「こうあるべき・こうあらねば」
という”べき思考”のクセがついていたり、
「こんなふうに言うと、こんなふうに思われる」
「こんなことをすると、こう思われるに違いない」
というような他者の顔色を伺うクセがついている場合、
同じストレスでも、それらのクセがない人の
何倍、何十倍となって身体と心を
苦しめる事もあるかもしれません。
このような自分の思考のクセを知る事が、
ストレスの適切な対処へと繋がっていくのですね。
のストレッサーに対するコーピングの方法の具体例として、
自己主張する
自分の気持ちや考えを素直に表現すること
お互いを尊重するコミュニケーション
・アサーティブなコミュニケーション
・アイメッセージ(親業)
相談する
気持ちに共感し、受け止める姿勢で
聴いてくれる人を持つことはとても大切です。
自分は大切な存在なんだ、という自己肯定感や、
見守ってくれる人がいる、という安心感が得られます。
※相談者は吟味しましょう。
逃げる・離れる・避ける
とても重要です。
例えば自分さえ我慢すれば、と
誰かの感情のはけ口にならなくていいのです。
他者は変えることはできません。
人格否定や貶めるなど暴力的な言動をする人
からは逃げる・離れることもできます。
そしてまた
の評価へのコーピングの具体例としては、
認知の歪み(べき思考など)に気づき、修正する
・なぜ、そう思うのか考える。
・本当にそうなのか、考える。
・人の数だけ感じ方や考え方があることを知る。
・”べき”に従わなくてよい。
過度の一般化に気づき、修正する
(過度の一般化とは、ひとつの出来事が
大きく見えて、他が目に入らないこと。
ひとつ失敗すると、すべて失敗すると思い込むような事。
「こうなったのは、わたしのせい」
「すべてはわたしがわるいんだ」)
・視野を広げる
・安心して話せる人に自分の考えは
本当かどうか聴いてみる
自分に優しくする
・(不調な時)まぁ、そんな時もある
・無理せず、自分のペースでいい
・わたしはよくやっている、など、
追いつめる言葉でなく、励ます・労る言葉に変える。
ストレスをどのように扱うか、ということが
自分の能力を存分に発揮できるかどうか、
に関わってくるそうです。
子どもにも身につけて欲しいですよね。
子どもは親の生き方を学習するようですから、
まず親が身につけることが大切ですね。
健康にも深く関わってくることなので、
選択肢をいくつも持って、
ストレスを溜めないような
対処法(コーピング)を身につけたいですね
その感じ方は人それぞれですよね。
ストレスとは、
外からの刺激や、状況(ストレッサー)により、
個人の物事の受け止め方や考え方による反応の
ことであり、一般的には、精神的な緊張や
負担のことを指しています。
また、ストレスに対処する方法を
ストレスコーピングと言うそうです。
ストレスが溜まると、
イライラして八つ当たりしたり、
物事の冷静な判断が難しかったり、
溜まり過ぎると健康を損なうこともあるので、
ストレスをどのように受け止め、対処するか、
ということはとても大切なんですよね。
さて、その対処法(コーピング)には、
ストレッサー(刺激)に対するコーピングストレス要因であるストレッサー(刺激)
を明らかにし、なくす、減らしていく方法
評価に対するコーピング「こうあるべき」や「こんなふうに思われている」
などの思い込みや自分を追いつめる思考を変える方法
反応に対するコーピング身体反応(緊張や動悸)に対処する方法
リラクゼーションや腹式呼吸・自律訓練法
社会的支援を活用するというコーピングまわりの人の助けを借りる,という方法。
受容や共感を得る、カウンセリングを受ける。
このようにさまざまなコーピング(対処法)
があるのですが、まずは自分はどのような傾向に
あるのかを知る事が大切だと思います。
ストレスの感じ方には、
その人の現状や生育環境など、
その人特有の背景が関係するようです。
の評価へのコーピングにあるように、生育環境により「こうあるべき・こうあらねば」
という”べき思考”のクセがついていたり、
「こんなふうに言うと、こんなふうに思われる」
「こんなことをすると、こう思われるに違いない」
というような他者の顔色を伺うクセがついている場合、
同じストレスでも、それらのクセがない人の
何倍、何十倍となって身体と心を
苦しめる事もあるかもしれません。
このような自分の思考のクセを知る事が、
ストレスの適切な対処へと繋がっていくのですね。
のストレッサーに対するコーピングの方法の具体例として、
自己主張する自分の気持ちや考えを素直に表現すること
お互いを尊重するコミュニケーション
・アサーティブなコミュニケーション
・アイメッセージ(親業)
相談する気持ちに共感し、受け止める姿勢で
聴いてくれる人を持つことはとても大切です。
自分は大切な存在なんだ、という自己肯定感や、
見守ってくれる人がいる、という安心感が得られます。
※相談者は吟味しましょう。
逃げる・離れる・避けるとても重要です。
例えば自分さえ我慢すれば、と
誰かの感情のはけ口にならなくていいのです。
他者は変えることはできません。
人格否定や貶めるなど暴力的な言動をする人
からは逃げる・離れることもできます。
そしてまた
の評価へのコーピングの具体例としては、
認知の歪み(べき思考など)に気づき、修正する・なぜ、そう思うのか考える。
・本当にそうなのか、考える。
・人の数だけ感じ方や考え方があることを知る。
・”べき”に従わなくてよい。
過度の一般化に気づき、修正する(過度の一般化とは、ひとつの出来事が
大きく見えて、他が目に入らないこと。
ひとつ失敗すると、すべて失敗すると思い込むような事。
「こうなったのは、わたしのせい」
「すべてはわたしがわるいんだ」)
・視野を広げる
・安心して話せる人に自分の考えは
本当かどうか聴いてみる
自分に優しくする・(不調な時)まぁ、そんな時もある
・無理せず、自分のペースでいい
・わたしはよくやっている、など、
追いつめる言葉でなく、励ます・労る言葉に変える。
ストレスをどのように扱うか、ということが
自分の能力を存分に発揮できるかどうか、
に関わってくるそうです。
子どもにも身につけて欲しいですよね。
子どもは親の生き方を学習するようですから、
まず親が身につけることが大切ですね。
健康にも深く関わってくることなので、
選択肢をいくつも持って、
ストレスを溜めないような
対処法(コーピング)を身につけたいですね

親の不適切な発言 具体例
親の不適切な発言は、親が考える以上に
子どもの人格形成に影響を与えるようです。
言葉による精神的な虐待は、
目に見えないので過小評価されがちですが、
受け続けた言葉により長い間苦しんだり、
対人恐怖、または信頼関係を築きにくい、
そして心身症・精神病を発することも多い、
ということです。
怖いのは、暴力に慣れてしまうことだと思います。
暴言を繰り返し受けるうち、
暴言を暴言と思えなくなってしまう。
言われたとおりに自分は価値のない人間だ、
と思い込んでしまう。
どうせわたしはダメな人間だから、
何をやってもうまくいくハズがないんだから、
最初からこうなる運命なのだから、
とあきらめてしまう。
意欲を失ってしまうんですよね。
人格を否定されたり、
貶められたりすると、
怒りが湧くのは自然な感情です。
しかし毎日のように受け続けると、
感情が鈍磨して(自分を守るため)
「たいしたことではない」
「いつものこと」
というふうに認識してしまいます。
人を貶める人からは
逃げないと危ないのですが、
このような危険を感じる力が
鈍ってしまうと、逃げるのが遅れます。
子どもが自分で自分を守るための
危険察知能力が身に付かないのです。
具体的な例を挙げておきます。
(※フラッシュバックに注意してくださいね)
人格や性格を否定
「何をやらせてもダメだね」
「可愛げのない子ね」
「わがままな子ね」
「バカじゃないの」
「わるいことばかりして」
「ダメな子(わるい子)ね」
グズ・のろま・役立たず
怠け者・落ちこぼれ・ルーズ
ずるい・うそつき・最低
意欲・やる気を失う
「あなたには無理」
「できるわけないでしょ」
「何やってるの」
「何回やればできるの」
「(頭ごなしに)やめなさい」
「どうしてできないの」
恩に着せる(依存的)
「あなたのためを思ってやってるのに」
「あなたのために我慢したのに」
「あなたのためにと苦労したのに」
「一生懸命育ててやった(やってる)のに」
冷たく突き放す
「もううちの子だと思わない」
「あなたにお金をかけたって無駄」
「どうせいつかは出て行くんだから」
感情をぶつける
「出て行け」
「死んでしまえ」
「顔も見たくない」
「もう、知らない!」
「勝手にしなさい!」
人の目を気にする
「みっともない」
「世間に顔向けできない」
「親の立場も考えなさい」
「恥ずかしい・恥さらし」
比較
「お兄ちゃん(きょうだい等)に比べてお前は・・」
「○○ちゃんを見習いなさい」
意見を言わせない(価値の貶め)
「生意気言うな」
「口出しするな」
「あなたの話なんて聞く必要はない」
こんなことを言われ続けたら、
自尊心も意欲も奪われてしまいます。
これらは、言われた人ではなく、
言う人の持つ問題です。
言われた人は、
言われた言葉を背負わなくていいんです。
他者の問題を背負わなくていいんです。
あなたは何もわるくない。
言われたことを、同じように誰かに
言ってしまわないように、
傷ついた心に気づいて
本来の、素晴らしい生きる力を持つ、
大切な自分自身を、取り戻したいですね。
良い親にならなくてもいいんです。
見本のような優秀な親にならなくてもいいのです。
完璧な人間がいないように、完璧な親もいませんよね。
自分らしさを、自分自身を尊重すること、
自分に合ったやり方で、
無理はせず、自分に優しくすること。
それが大切なんだと思います。
子どもの人格形成に影響を与えるようです。
言葉による精神的な虐待は、
目に見えないので過小評価されがちですが、
受け続けた言葉により長い間苦しんだり、
対人恐怖、または信頼関係を築きにくい、
そして心身症・精神病を発することも多い、
ということです。
怖いのは、暴力に慣れてしまうことだと思います。
暴言を繰り返し受けるうち、
暴言を暴言と思えなくなってしまう。
言われたとおりに自分は価値のない人間だ、
と思い込んでしまう。
どうせわたしはダメな人間だから、
何をやってもうまくいくハズがないんだから、
最初からこうなる運命なのだから、
とあきらめてしまう。
意欲を失ってしまうんですよね。
人格を否定されたり、
貶められたりすると、
怒りが湧くのは自然な感情です。
しかし毎日のように受け続けると、
感情が鈍磨して(自分を守るため)
「たいしたことではない」
「いつものこと」
というふうに認識してしまいます。
人を貶める人からは
逃げないと危ないのですが、
このような危険を感じる力が
鈍ってしまうと、逃げるのが遅れます。
子どもが自分で自分を守るための
危険察知能力が身に付かないのです。
具体的な例を挙げておきます。
(※フラッシュバックに注意してくださいね)
人格や性格を否定「何をやらせてもダメだね」
「可愛げのない子ね」
「わがままな子ね」
「バカじゃないの」
「わるいことばかりして」
「ダメな子(わるい子)ね」
グズ・のろま・役立たず
怠け者・落ちこぼれ・ルーズ
ずるい・うそつき・最低
意欲・やる気を失う「あなたには無理」
「できるわけないでしょ」
「何やってるの」
「何回やればできるの」
「(頭ごなしに)やめなさい」
「どうしてできないの」
恩に着せる(依存的)「あなたのためを思ってやってるのに」
「あなたのために我慢したのに」
「あなたのためにと苦労したのに」
「一生懸命育ててやった(やってる)のに」
冷たく突き放す「もううちの子だと思わない」
「あなたにお金をかけたって無駄」
「どうせいつかは出て行くんだから」
感情をぶつける「出て行け」
「死んでしまえ」
「顔も見たくない」
「もう、知らない!」
「勝手にしなさい!」
人の目を気にする「みっともない」
「世間に顔向けできない」
「親の立場も考えなさい」
「恥ずかしい・恥さらし」
比較「お兄ちゃん(きょうだい等)に比べてお前は・・」
「○○ちゃんを見習いなさい」
意見を言わせない(価値の貶め)「生意気言うな」
「口出しするな」
「あなたの話なんて聞く必要はない」
こんなことを言われ続けたら、
自尊心も意欲も奪われてしまいます。
これらは、言われた人ではなく、
言う人の持つ問題です。
言われた人は、
言われた言葉を背負わなくていいんです。
他者の問題を背負わなくていいんです。
あなたは何もわるくない。
言われたことを、同じように誰かに
言ってしまわないように、
傷ついた心に気づいて
本来の、素晴らしい生きる力を持つ、
大切な自分自身を、取り戻したいですね。
良い親にならなくてもいいんです。
見本のような優秀な親にならなくてもいいのです。
完璧な人間がいないように、完璧な親もいませんよね。
自分らしさを、自分自身を尊重すること、
自分に合ったやり方で、
無理はせず、自分に優しくすること。
それが大切なんだと思います。
子どもへの肯定的な働きかけ
人が生きていく上で欠かせないものの
ひとつが、心の栄養です。
交流分析では、
その人の存在を認めるための働きかけを
ストロークといい、これには
肯定的と否定的の2種類があります。
肯定的ストロークは与えられると嬉しくなり、
心の栄養が溜まっていきます。
否定的ストロークは、与えられるとイヤな気持ちになり、
ストレスが溜まっていきます。
具体的な例を挙げてみます。
肯定的ストローク
言語的
ほめる・慰める・励ます
語りかける・挨拶する・ねぎらう など
身体的
なでる・さする・抱っこ・肩車
握手する・拍手・おんぶ
手をさしのべる ・手をつなぐ ・マッサージ
手をにぎる ・授乳 ・ほほずり
看護する ・肩もみ ・腕枕 ・膝枕 ・手当する
介護する ・足浴 ・髪のブラッシング など
心理的
微笑む・うなづく・相手の話に耳を傾ける
敬う ・愛情 ・身を乗り出す ・まかせる
見守る・仲間に入れる など
否定的ストローク
言語的
叱る・悪口を言う・非難する
責める・皮肉を言う など
身体的
たたく・つねる・蹴る・殴る
暴力をふるう・食事を与えない など
心理的
返事をしない・無視する・嘲笑う
信頼しない・拒絶する など
そして、ストロークの対局にあるのが、
ディスカウントです。これは、
”自分、もしくは相手の存在価値を
無視、軽視する働きかけ”で、
人間関係において、してはいけないことです。
ディスカウント
いじめ ・ 無関心 ・ かげ口 ・ 虐待
無視 ・なぐる ・ ける ・物をぶつける など
また、それぞれのストロークには、
条件付きのものと、
無条件のものがあります。
条件付きストローク
・肯定
あなたは~だから好き
(勉強する・いい子)
・否定
あなたは~だから嫌い
(言うことをきかないから)
無条件のストローク
・肯定
あなたが好き
あなたは大切な人
・否定
あなたが嫌い
同じ肯定でも条件付きの場合は、
それ(勉強)ができなければ
そう(良い子)でなければ
愛してもらえない、というような
見捨てられ不安を持つこと、
つまり「ありのままではダメ」
「自分のままでいいと思えない」
ということになるかもしれないので、
注意が必要ですね。
例えば、いつでも人の評価に
左右されてしまう、など。
また、肯定的ストロークを
もらえない状態が続くと、
ストローク飢餓に陥り、
否定的なストロークでもいいからもらいたい、
というような心理が働き、
問題行動を繰り返したりすることもあるそうです。
例えば、親に褒められたい子どもが、
それが叶わないとき、叱られるような行動をする。
小学生の子どもが、自分の好きな相手が
関心を示してくれないとき、
いじめたりして関心を引く、など。
「かまってほしい」というサインですね。
そんなストロークの法則の中に、
「ストロークは銀行と同じ。
他者に与えてばかりいると、
預金が底をついてしまう。」
というものもあります。
子どもに与えるためには、
保護者自身も肯定的ストロークを
受け取って、心の栄養を溜めることも
とっても大切なんですよね。
夫婦間でそのようなコミュニケーションが
とれているといいですよね。
子どもが安心・自信・自由を持ち、
自分で感じて、考えて、行動するには、
肯定的ストロークと、無条件の肯定
が必要なんですね。
ひとつが、心の栄養です。
交流分析では、
その人の存在を認めるための働きかけを
ストロークといい、これには
肯定的と否定的の2種類があります。
肯定的ストロークは与えられると嬉しくなり、
心の栄養が溜まっていきます。
否定的ストロークは、与えられるとイヤな気持ちになり、
ストレスが溜まっていきます。
具体的な例を挙げてみます。
肯定的ストローク言語的
ほめる・慰める・励ます
語りかける・挨拶する・ねぎらう など
身体的
なでる・さする・抱っこ・肩車
握手する・拍手・おんぶ
手をさしのべる ・手をつなぐ ・マッサージ
手をにぎる ・授乳 ・ほほずり
看護する ・肩もみ ・腕枕 ・膝枕 ・手当する
介護する ・足浴 ・髪のブラッシング など
心理的
微笑む・うなづく・相手の話に耳を傾ける
敬う ・愛情 ・身を乗り出す ・まかせる
見守る・仲間に入れる など
否定的ストローク言語的
叱る・悪口を言う・非難する
責める・皮肉を言う など
身体的
たたく・つねる・蹴る・殴る
暴力をふるう・食事を与えない など
心理的
返事をしない・無視する・嘲笑う
信頼しない・拒絶する など
そして、ストロークの対局にあるのが、
ディスカウントです。これは、
”自分、もしくは相手の存在価値を
無視、軽視する働きかけ”で、
人間関係において、してはいけないことです。
ディスカウントいじめ ・ 無関心 ・ かげ口 ・ 虐待
無視 ・なぐる ・ ける ・物をぶつける など
また、それぞれのストロークには、
条件付きのものと、
無条件のものがあります。
条件付きストローク・肯定
あなたは~だから好き
(勉強する・いい子)
・否定
あなたは~だから嫌い
(言うことをきかないから)
無条件のストローク・肯定
あなたが好き
あなたは大切な人
・否定
あなたが嫌い
同じ肯定でも条件付きの場合は、
それ(勉強)ができなければ
そう(良い子)でなければ
愛してもらえない、というような
見捨てられ不安を持つこと、
つまり「ありのままではダメ」
「自分のままでいいと思えない」
ということになるかもしれないので、
注意が必要ですね。
例えば、いつでも人の評価に
左右されてしまう、など。
また、肯定的ストロークを
もらえない状態が続くと、
ストローク飢餓に陥り、
否定的なストロークでもいいからもらいたい、
というような心理が働き、
問題行動を繰り返したりすることもあるそうです。
例えば、親に褒められたい子どもが、
それが叶わないとき、叱られるような行動をする。
小学生の子どもが、自分の好きな相手が
関心を示してくれないとき、
いじめたりして関心を引く、など。
「かまってほしい」というサインですね。
そんなストロークの法則の中に、
「ストロークは銀行と同じ。
他者に与えてばかりいると、
預金が底をついてしまう。」
というものもあります。
子どもに与えるためには、
保護者自身も肯定的ストロークを
受け取って、心の栄養を溜めることも
とっても大切なんですよね。
夫婦間でそのようなコミュニケーションが
とれているといいですよね。
子どもが安心・自信・自由を持ち、
自分で感じて、考えて、行動するには、
肯定的ストロークと、無条件の肯定
が必要なんですね。
禁止令(子どもに言ってはいけないこと)
親が子どもに言ってはいけない言葉を、
交流分析(TA)の禁止令より引用します。
(※交流分析における禁止令の意味が、
子どもに言ってはいけない言葉である、
ということではありません)
保護者自身が、
不安や失望、寂しさや惨めさ、
怒りを感じている中で
子どもに与えるメッセージ、だそうです。
禁止令の基本的リスト
-Robert Goulding & Mary Goulding-
(1) 存在するな
虐待や無視、親の問題を子どものせいにするような言動
「生まなきゃよかった」
「そんなことをするから叩かれるんだ」
(2) 成長するな
「まだ子どもなんだから、そんなことはできませんよ」
(3) 成功するな
「何をやってもダメだね」
「何回言ってもできないんだから」
(4) 重要であるな
「あなたにそんなことできるわけないでしょ」
(5) 自然に感情を感じるな
「これくらいで怖がってどうするの」
「いつまでも泣くんじゃない」
(6) 健康であるな・正気であるな
病気の時だけ、可愛がられる
(7) 仲間になるな
「あんな子と付き合うのはやめなさい」
「あの子とは口をきかなくていい」
(8) 実行するな
「さわっちゃだめ!壊すから」
(9) 子どもであるな
(子どものように楽しむな、遊ぶな)
「良い子にしなさい」
「おとなしくしなさい」
(10) 近づくな(愛するな、信用するな)
愛情表現が見られない家庭
(11) おまえ(男、女)であるな
「男の子ならよかったのに」
「女の子がうまれてがっかり」
(12) 考えるな
「お母さんの言うことをききなさい」
これらを保護者から毎日のように
聞かされることにより、
自分の中に取り込んでしまうんですね。
そして、自分で自分を縛ってしまう。
また、同じく保護者より与えられた
メッセージですが、禁止令を打ち消すように働き、
人をそうしないではいられないように駆り立てる
メッセージとして拮抗禁止令と言うものがあります。
拮抗禁止令(ドライバー)
(1) 完全でありなさい
(2) 周りを喜ばせなさい
(3) 一生懸命やりなさい
(4) 強い人間になりなさい
(5) 急ぎなさい
禁止令と拮抗禁止令が合わさった例
「周りを喜ばせているなら存在してもいい」
存在自体に条件がついてしまい、
「ありのまま」では存在してはいけない、
という破壊的なメッセージになってしまいます。
こうして、幼少時から信じて来た、
「こういうものだ」と
特に意に介さずにきたものなどを、
理論的に見てみることで、
「そうだったのか」と腑に落ちる、
または冷静に見つめることが
できることもあると思います。
それが気づきとなり、
変化を促すきっかけになることも。
伝えたいことは同じでも、
伝え方はさまざまです。
伝え方によって、
相手がモチベーションをあげたり、
自分を大切な存在だと思えることもあれば、
傷つき、「自分はダメだ」と
自己を否定しまうこともあるようです。
伝え方を考える・変えることは、
脳の機能の働きを活性化させます。
相手を傷つけず、自分も大切にする伝え方は
こちらのアイメッセージを参考にしてみてください。
保護者の精神状態や、
自己の内面を見つめる姿勢、
こうした基本的な知識に対する柔軟性などが
子どもの情緒的発育に密接に関わって来るのですね。
交流分析(TA)の禁止令より引用します。
(※交流分析における禁止令の意味が、
子どもに言ってはいけない言葉である、
ということではありません)
保護者自身が、
不安や失望、寂しさや惨めさ、
怒りを感じている中で
子どもに与えるメッセージ、だそうです。
禁止令の基本的リスト
-Robert Goulding & Mary Goulding-
(1) 存在するな
虐待や無視、親の問題を子どものせいにするような言動
「生まなきゃよかった」
「そんなことをするから叩かれるんだ」
(2) 成長するな
「まだ子どもなんだから、そんなことはできませんよ」
(3) 成功するな
「何をやってもダメだね」
「何回言ってもできないんだから」
(4) 重要であるな
「あなたにそんなことできるわけないでしょ」
(5) 自然に感情を感じるな
「これくらいで怖がってどうするの」
「いつまでも泣くんじゃない」
(6) 健康であるな・正気であるな
病気の時だけ、可愛がられる
(7) 仲間になるな
「あんな子と付き合うのはやめなさい」
「あの子とは口をきかなくていい」
(8) 実行するな
「さわっちゃだめ!壊すから」
(9) 子どもであるな
(子どものように楽しむな、遊ぶな)
「良い子にしなさい」
「おとなしくしなさい」
(10) 近づくな(愛するな、信用するな)
愛情表現が見られない家庭
(11) おまえ(男、女)であるな
「男の子ならよかったのに」
「女の子がうまれてがっかり」
(12) 考えるな
「お母さんの言うことをききなさい」
これらを保護者から毎日のように
聞かされることにより、
自分の中に取り込んでしまうんですね。
そして、自分で自分を縛ってしまう。
また、同じく保護者より与えられた
メッセージですが、禁止令を打ち消すように働き、
人をそうしないではいられないように駆り立てる
メッセージとして拮抗禁止令と言うものがあります。
拮抗禁止令(ドライバー)
(1) 完全でありなさい
(2) 周りを喜ばせなさい
(3) 一生懸命やりなさい
(4) 強い人間になりなさい
(5) 急ぎなさい
禁止令と拮抗禁止令が合わさった例
「周りを喜ばせているなら存在してもいい」
存在自体に条件がついてしまい、
「ありのまま」では存在してはいけない、
という破壊的なメッセージになってしまいます。
こうして、幼少時から信じて来た、
「こういうものだ」と
特に意に介さずにきたものなどを、
理論的に見てみることで、
「そうだったのか」と腑に落ちる、
または冷静に見つめることが
できることもあると思います。
それが気づきとなり、
変化を促すきっかけになることも。
伝えたいことは同じでも、
伝え方はさまざまです。
伝え方によって、
相手がモチベーションをあげたり、
自分を大切な存在だと思えることもあれば、
傷つき、「自分はダメだ」と
自己を否定しまうこともあるようです。
伝え方を考える・変えることは、
脳の機能の働きを活性化させます。
相手を傷つけず、自分も大切にする伝え方は
こちらのアイメッセージを参考にしてみてください。
保護者の精神状態や、
自己の内面を見つめる姿勢、
こうした基本的な知識に対する柔軟性などが
子どもの情緒的発育に密接に関わって来るのですね。
習慣化される思考(アダルトチルドレン)
機能不全家族に育ったアダルトチルドレンの
思考の傾向として、次のようなものがあげられています。
自分らしさ、自分のペース、自分のための人生を
取り戻すための参考になれば、と思います。
これらの思考は、自分が弱いから、ダメな人間だから、
そうなったのではなく、子ども時代を生き抜くための手段
と身につけたものであり、簡単ではないとしても、
思考の傾向を変更することはいつからでも可能であり、
誰もが本来生まれながらにその力を持っているのだと
私は信じています。
先取り不安と時間感覚の障害
まだ起っていない“悪い未来”への不安に縛られてしまう。
また「自分の将来に待っているのは悪い未来ばかり」としか思えない。
見捨てられ不安
“良い子”の自分でいないと、好きな人から嫌われてしまうし、
もう他の誰からも愛してもらえないと思う。
マインド・リーディング
相手の言動や表情から「自分はイヤがられている」
「私がこの人を不快にさせてしまった」などの
“悪い答え”ばかりを引き出してしまう読心術。
承認欲求と愛されたい願望
「認められたい」「愛されたい」という
他者への過度の欲求で、自分自身が混乱してしまう。
テスティング
相手を困らせたり不快がらせる言動をわざとして、
自分への愛情度を測る「試し行動」。
親密感と距離感の問題
他者との関係が、くっつき過ぎか離れ過ぎかの
どちらかになってしまい、互いにとっての
適度な距離感が実感できないし、維持できない。
対人恐怖
むしろ相手との関係が親密になってゆく過程で出て来る問題で、
表面的な関係では極度な対人緊張として感じる。
自他の境界線の問題
他者の感情や行動上の問題に、自ら巻き込まれてしまう。
また逆に自分の 感情や行動へ相手を巻き込んでしまう。
白黒思考
「誰からも愛されている」か
「誰からも嫌われている」か、
そのいずれかだけというように、
自分の中にいつも二者択一の選択肢しかない。
完璧主義
白黒思考と似たオール・オア・ナッシング的な考え方で、
「全ての準備」 や「成功への約束」が整わないと、
“何もしない完璧主義者”になり易い。
パワーゲーム思考
人間関係を「優・劣」「上・下」「勝ち・負け」
の尺度で見てしまう。しかも多くの場合、
自分が「劣」「下」「負け」側になっている。
自己主張の問題
嫌なことを「イヤ」と相手に言えなかったり、
正当な欲求や要求を「自分のわがまま」だと
思い込んでしまい、言葉にして伝えることが出来ない。
責任感の問題
「この場をつまらなくさせているのは自分が居るからだ」
など、過剰で不要な責任を感じてしまう反面、
果たす必要がある責任を放棄してしまう。
自分の感覚や感情への不確実感
「嫌だ」「好きだ」と感じた自分の感覚や、怒りなどの自分の感情に、
「そう感じた通りで正しい」という実感が持ちにくい。
怒りの感情と、その表現の仕方(伝え方)の問題
淋しさの感情とその感情との“つきあい方”の問題
問題自体の否認やコントロール欲求の強さ
-Wikipediaより引用-
生き辛さを感じる時、
自分自身の物事の捉え方や考え方が
更に自分を生き辛くさせてしまうことがあります。
刷り込まれた思考を新しく塗り替える作業の
第一歩が、思考傾向に気づくことかもしれませんね。
思考の傾向として、次のようなものがあげられています。
自分らしさ、自分のペース、自分のための人生を
取り戻すための参考になれば、と思います。
これらの思考は、自分が弱いから、ダメな人間だから、
そうなったのではなく、子ども時代を生き抜くための手段
と身につけたものであり、簡単ではないとしても、
思考の傾向を変更することはいつからでも可能であり、
誰もが本来生まれながらにその力を持っているのだと
私は信じています。
先取り不安と時間感覚の障害
まだ起っていない“悪い未来”への不安に縛られてしまう。
また「自分の将来に待っているのは悪い未来ばかり」としか思えない。
見捨てられ不安
“良い子”の自分でいないと、好きな人から嫌われてしまうし、
もう他の誰からも愛してもらえないと思う。
マインド・リーディング
相手の言動や表情から「自分はイヤがられている」
「私がこの人を不快にさせてしまった」などの
“悪い答え”ばかりを引き出してしまう読心術。
承認欲求と愛されたい願望
「認められたい」「愛されたい」という
他者への過度の欲求で、自分自身が混乱してしまう。
テスティング
相手を困らせたり不快がらせる言動をわざとして、
自分への愛情度を測る「試し行動」。
親密感と距離感の問題
他者との関係が、くっつき過ぎか離れ過ぎかの
どちらかになってしまい、互いにとっての
適度な距離感が実感できないし、維持できない。
対人恐怖
むしろ相手との関係が親密になってゆく過程で出て来る問題で、
表面的な関係では極度な対人緊張として感じる。
自他の境界線の問題
他者の感情や行動上の問題に、自ら巻き込まれてしまう。
また逆に自分の 感情や行動へ相手を巻き込んでしまう。
白黒思考
「誰からも愛されている」か
「誰からも嫌われている」か、
そのいずれかだけというように、
自分の中にいつも二者択一の選択肢しかない。
完璧主義
白黒思考と似たオール・オア・ナッシング的な考え方で、
「全ての準備」 や「成功への約束」が整わないと、
“何もしない完璧主義者”になり易い。
パワーゲーム思考
人間関係を「優・劣」「上・下」「勝ち・負け」
の尺度で見てしまう。しかも多くの場合、
自分が「劣」「下」「負け」側になっている。
自己主張の問題
嫌なことを「イヤ」と相手に言えなかったり、
正当な欲求や要求を「自分のわがまま」だと
思い込んでしまい、言葉にして伝えることが出来ない。
責任感の問題
「この場をつまらなくさせているのは自分が居るからだ」
など、過剰で不要な責任を感じてしまう反面、
果たす必要がある責任を放棄してしまう。
自分の感覚や感情への不確実感
「嫌だ」「好きだ」と感じた自分の感覚や、怒りなどの自分の感情に、
「そう感じた通りで正しい」という実感が持ちにくい。
怒りの感情と、その表現の仕方(伝え方)の問題
淋しさの感情とその感情との“つきあい方”の問題
問題自体の否認やコントロール欲求の強さ
-Wikipediaより引用-
生き辛さを感じる時、
自分自身の物事の捉え方や考え方が
更に自分を生き辛くさせてしまうことがあります。
刷り込まれた思考を新しく塗り替える作業の
第一歩が、思考傾向に気づくことかもしれませんね。
機能不全家族の子どもの役割
機能不全家族に育つ子どもは、
生き延びるため、自分を守るために
以下のようなさまざまな役割を担います。
これらのタイプは、固定するものではなく、
一人でいくつもの役割を担ったり
入れ替わったりすることもあるようです。
ヒーロー(家族の期待を背負う)
良い子、しっかりした子として
家族の期待に応えようと頑張ります。
責任感が強く、失敗するとひどく自分を責めます。
もっともっと頑張らなければと、
常に自分を追い立てています。
家の問題から目をそらせるため、
がむしゃらに努力し、世間に注目されることで
両親の関係を取り持ちます。
親の虚栄心を満たすため、
自分のすべてを犠牲にしているので、
他者に厳しく、思い遣りを育むことができません。
スケープ・ゴート(家族の問題を行動化)
問題はすべてこの子のせい、
という幻想を抱かせられる生け贄役です。
そうすることで家族の崩壊を防いでいます。
暴れたり反抗するなどの問題行動や
怪我や病気、心身症や精神病さえも
役割の一環だそうです。
身体を張って家庭の問題を外に出そうとします。
ピエロ(おどけた仮面をかぶる)
家族に緊張感が走ると、ふざけたりおどけたりして
自分に関心を引き寄せなごませようとします。
本当は悲しくても明るく振る舞うなど、
まわりに合せた感情表現ばかりしているので、
自分の気持ちはわからなくなっていきます。
イネイブラー(家族を支える役)
偽せ親とも呼ばれます。
家の中の問題をなんとかしようと親の代わりを努めます。
自分より他者の都合を優先し、
自分の都合を優先することに罪悪感を感じます。
親の配偶者役や兄弟姉妹の親役割もやってしまいます。
他者の思いを中心に動いているので、
自分の望みや感情がわからなくなります。
プラケーター(家族の慰め役)
小さいカウンセラーとも言われます。
家の問題に疲れて溜息をついている親
(多くは母親)を慰める役です。
ロスト・ワン(居ない子)
忘れられた子どもです。
「壁のシミ」とも呼ばれるそうです。
家族の問題から逃れ、身を守るため、
なるべく目立たないようにしています。
プリンス・プリンセス(お人形)
溺愛され可愛がられ、甘やかされますが、
一人の人間としての意思は無視され、
親の思うままの人形として支配されます。
パパやママのお姫様・王子様、として、
理想どおりに振る舞うことを求められるので、
自分らしく生きられません。
私はどうやらスケープゴートのようです。
どの役割も共通して、親を中心に、
自分を押し殺して生きていますよね。
どの役割の子どもも、
どこかで見た事のあるような感じがします。
日本は、家族の80%が機能不全家族であると
言われているそうです。
私も、めずらしいことではないと思っています。
自分の生まれ育った家族を振り返ることは、
自分のための人生を、
自分らしくいきいきと生きるために
生き辛さや苦しさをひも解き、理解し、
進化・改善させていくための
ひとつの手段であると思います。
生き延びるため、自分を守るために
以下のようなさまざまな役割を担います。
これらのタイプは、固定するものではなく、
一人でいくつもの役割を担ったり
入れ替わったりすることもあるようです。
ヒーロー(家族の期待を背負う)
良い子、しっかりした子として
家族の期待に応えようと頑張ります。
責任感が強く、失敗するとひどく自分を責めます。
もっともっと頑張らなければと、
常に自分を追い立てています。
家の問題から目をそらせるため、
がむしゃらに努力し、世間に注目されることで
両親の関係を取り持ちます。
親の虚栄心を満たすため、
自分のすべてを犠牲にしているので、
他者に厳しく、思い遣りを育むことができません。
スケープ・ゴート(家族の問題を行動化)
問題はすべてこの子のせい、
という幻想を抱かせられる生け贄役です。
そうすることで家族の崩壊を防いでいます。
暴れたり反抗するなどの問題行動や
怪我や病気、心身症や精神病さえも
役割の一環だそうです。
身体を張って家庭の問題を外に出そうとします。
ピエロ(おどけた仮面をかぶる)
家族に緊張感が走ると、ふざけたりおどけたりして
自分に関心を引き寄せなごませようとします。
本当は悲しくても明るく振る舞うなど、
まわりに合せた感情表現ばかりしているので、
自分の気持ちはわからなくなっていきます。
イネイブラー(家族を支える役)
偽せ親とも呼ばれます。
家の中の問題をなんとかしようと親の代わりを努めます。
自分より他者の都合を優先し、
自分の都合を優先することに罪悪感を感じます。
親の配偶者役や兄弟姉妹の親役割もやってしまいます。
他者の思いを中心に動いているので、
自分の望みや感情がわからなくなります。
プラケーター(家族の慰め役)
小さいカウンセラーとも言われます。
家の問題に疲れて溜息をついている親
(多くは母親)を慰める役です。
ロスト・ワン(居ない子)
忘れられた子どもです。
「壁のシミ」とも呼ばれるそうです。
家族の問題から逃れ、身を守るため、
なるべく目立たないようにしています。
プリンス・プリンセス(お人形)
溺愛され可愛がられ、甘やかされますが、
一人の人間としての意思は無視され、
親の思うままの人形として支配されます。
パパやママのお姫様・王子様、として、
理想どおりに振る舞うことを求められるので、
自分らしく生きられません。
私はどうやらスケープゴートのようです。
どの役割も共通して、親を中心に、
自分を押し殺して生きていますよね。
どの役割の子どもも、
どこかで見た事のあるような感じがします。
日本は、家族の80%が機能不全家族であると
言われているそうです。
私も、めずらしいことではないと思っています。
自分の生まれ育った家族を振り返ることは、
自分のための人生を、
自分らしくいきいきと生きるために
生き辛さや苦しさをひも解き、理解し、
進化・改善させていくための
ひとつの手段であると思います。
機能不全家族とは
子どもの心が健全に発達するには、
家庭が子どもにとって
リラックスできる場所であり、
心の安全基地であることが大切です。
これらが機能しない家庭は
アダルトチルドレンを世に出す
と言われています。
アダルトチルドレンとは、
安全基地として機能しない家庭に育ち、
幼少時に心の傷を抱えたため、
大人になっても生き辛さを抱えて
人間関係がうまくいかなかったり、
心身症を発症したりしてしまう人のこと、
だそうです。
アダルトチルドレンは病名ではなく、
私自身は生きやすくするための
考え方のひとつとして使用しています。
さて、そうしたアダルトチルドレンを
世に出すと言われる機能不全家族とは・・
(1)よく怒りが爆発する家族
(2)冷たい愛のない家族
(3)性的・身体的・精神的な虐待のある家族
(4)他人や兄弟姉妹が比較される家族
(5)あれこれ批判される家族
(6)期待が大きすぎて何をやっても期待に沿えない家族
(7)お金や仕事、学歴だけが重視される家族
(8)他人の目だけを気にする表面上はしあわせそうな家族
(9)親が病気がち、留守がちな家族
(10)親と子の関係が反対になっている家族
(11)両親の仲が悪い、ケンカの絶えない家族
(12)嫁姑の仲が悪い家族
ということだそうです。
私の育った家族に該当するのは
(1)(5)(9)(10)(11)
と、(3)の身体的虐待、といった
ところでしょうか。
同じく(3)の精神的虐待に関しては、
そのほかの項目のほとんどが、
結果としてこれに該当するように思います。
(8)の表面上はしあわせそうな家族、
というのが最も多いように思います。
人間は環境の動物とも言います。
生き延びるためには、過酷な環境にも
適応していかなければなりません。
内実はしっかりした基盤のない、
少しの衝撃で崩れそうな家族であっても、
慣れてしまえばそれを常態として受け入れてしまう。
そんな危険性を感じます。
また、AC(アダルトチルドレン)概念の生みの親である
クラウディア・ブラックは、機能不全家族には、
次のような暗黙のルールが支配していると述べています。
[話すな]問題について話し合うのはよくない。
[感じるな]感情を素直に表わすのはよくない。
[信頼するな]人を信じてもろくなことはない。
このルールは子どもにとって辛いですよね。
ここで認知の歪みが生じるように思います。
青いものを見ているのに、
「赤と言いなさい。」と言われているような・・
話すな、感じるな、という言葉から、
親自身が自己肯定感を持てず、
自信を持てないことから、問題を先送りにし、
自分の問題に向き合うことから逃げる、
現実を直面から見ようとしない。
そういう親の生き方が浮かび上がってきます。
人を信じてもろくなことはない、
というのは、親自身の心の叫び、
SOSのように感じます。
自分を信じる事ができないと、
他者も信じられませんもんね。
誰も信用できない、という
状態は、不安ですよね。
どんなにか孤独だろうと思います。
子どもには、イヤなことがあったら
誰かに話してもいいんだよ。
ひとりじゃないよ、
助けてくれる人は必ずいるよ、と
安心させてあげたいですよね。
家庭が子どもにとって
リラックスできる場所であり、
心の安全基地であることが大切です。
これらが機能しない家庭は
アダルトチルドレンを世に出す
と言われています。
アダルトチルドレンとは、
安全基地として機能しない家庭に育ち、
幼少時に心の傷を抱えたため、
大人になっても生き辛さを抱えて
人間関係がうまくいかなかったり、
心身症を発症したりしてしまう人のこと、
だそうです。
アダルトチルドレンは病名ではなく、
私自身は生きやすくするための
考え方のひとつとして使用しています。
さて、そうしたアダルトチルドレンを
世に出すと言われる機能不全家族とは・・
(1)よく怒りが爆発する家族
(2)冷たい愛のない家族
(3)性的・身体的・精神的な虐待のある家族
(4)他人や兄弟姉妹が比較される家族
(5)あれこれ批判される家族
(6)期待が大きすぎて何をやっても期待に沿えない家族
(7)お金や仕事、学歴だけが重視される家族
(8)他人の目だけを気にする表面上はしあわせそうな家族
(9)親が病気がち、留守がちな家族
(10)親と子の関係が反対になっている家族
(11)両親の仲が悪い、ケンカの絶えない家族
(12)嫁姑の仲が悪い家族
ということだそうです。
私の育った家族に該当するのは
(1)(5)(9)(10)(11)
と、(3)の身体的虐待、といった
ところでしょうか。
同じく(3)の精神的虐待に関しては、
そのほかの項目のほとんどが、
結果としてこれに該当するように思います。
(8)の表面上はしあわせそうな家族、
というのが最も多いように思います。
人間は環境の動物とも言います。
生き延びるためには、過酷な環境にも
適応していかなければなりません。
内実はしっかりした基盤のない、
少しの衝撃で崩れそうな家族であっても、
慣れてしまえばそれを常態として受け入れてしまう。
そんな危険性を感じます。
また、AC(アダルトチルドレン)概念の生みの親である
クラウディア・ブラックは、機能不全家族には、
次のような暗黙のルールが支配していると述べています。
[話すな]問題について話し合うのはよくない。
[感じるな]感情を素直に表わすのはよくない。
[信頼するな]人を信じてもろくなことはない。
このルールは子どもにとって辛いですよね。
ここで認知の歪みが生じるように思います。
青いものを見ているのに、
「赤と言いなさい。」と言われているような・・
話すな、感じるな、という言葉から、
親自身が自己肯定感を持てず、
自信を持てないことから、問題を先送りにし、
自分の問題に向き合うことから逃げる、
現実を直面から見ようとしない。
そういう親の生き方が浮かび上がってきます。
人を信じてもろくなことはない、
というのは、親自身の心の叫び、
SOSのように感じます。
自分を信じる事ができないと、
他者も信じられませんもんね。
誰も信用できない、という
状態は、不安ですよね。
どんなにか孤独だろうと思います。
子どもには、イヤなことがあったら
誰かに話してもいいんだよ。
ひとりじゃないよ、
助けてくれる人は必ずいるよ、と
安心させてあげたいですよね。
死別の悲しみからの回復プロセス
このブログには”死別”で検索して来られる方も
多いので、書いてみようかなぁと思いました。
私が夫と死別したのは‘98年。
かれこれ10年になります。
さて、回復プロセスなのですが、
いろいろな理論があるようです。
その中で今の私が
過去を振り返ってみてしっくり来たのが
アルフォンス・デーケンの12の段階です。
(1)精神的打撃と麻痺状態
頭の中が真っ白で何が何だかわからない。
ショックを少しでも和らげようとする
本能的な働き(防衛機制)だそうです。
泣く・悲しむ、などの感情も
あまり湧いてこず、
ボーっとしているような状態でしょうか。
実は私もこの時期のことは記憶が断片的です。
無意識下で一生懸命、自分を守っていたのでしょうね。
(2)否認
死の事実が受け入れられない状態ですね。
なかなか受け入れられるものじゃないですよね。
(3)パニック
ショックやら受け入れられない現実やら
悲しみやらいろんな感情が整理されずに
混沌として更にそれがそれぞれ激しさを
帯びているので、自制不能、という
感じでしょうか。
家族や友人の協力を得て
見守ってもらうことが必要でしょうね。
(4)怒りと不当惑
なぜこんな目にあわなきゃいけないのか。
なぜわたしだったのか。
わたしが何をしたというのか。
強い怒りの気持ちが湧きます。
本当に苦しかった。
(5)敵意と恨み
怒りから派生する、恨めしい気持ち。
まわりも自分も、共に扱いにくい状況だと思います。
(6)罪意識
これにも参りました。
わたしがこうしていれば、ああしていれば、
最悪の状況は防げたんじゃないか。
そんな気持ちです。
(7)空想形成、幻想
空想の中で、亡くなった人を生きているように
思い込んで実生活でもそのようにふるまうそうです。
出張していると思い込もうとする、など。
私はここはなかったように思います。
そう思うことが逆に虚しく感じたからかもしれません。
(8)孤独感と抑うつ
寂しさや、孤独感でどうしようもなく気分が沈みます。
一人ぼっちで取り残されたように感じます。
(9)精神的混乱と無関心
これまでの生活目標を失った空虚さから、
何もやる気が起きず、人と会うのも億劫に。
引きこもったような状態ですね。
(10)あきらめ→受容
やっと、あきらめもつき、受け入れられるように。
(11)新しい希望
新しい生活へと歩みだそうとする希望が生まれます。
(12)立ち直りの段階~新しいアイデンティティの誕生
悲しみを乗り越え、新たなアイデンテティを獲得していきます。
これらは”悲嘆のプロセス”と呼ばれる、
残された人が経験する一連の情緒的反応だそうです。
日にち薬、などといいますが、
愛する人がいない、という状況に、
時間をかけて慣れていくしかないんだな、
そう思った時を覚えています。
それが(10)のあきらめかもしれませんね。
(8)や(9)の状態が長く続くと健康を損ない、
身体症状がでることもあるそうですので、
カウンセリングやグループワークなど、
専門家の力を借りる事も必要だと思います。
私も両方経験し、ずいぶんと助けられました。
無理をせず、頼れる時は頼り、
人のちからを借りて、
自分のペースを大切に、休み休み、
ゆっくりと進んでいけたらいいですね。
多いので、書いてみようかなぁと思いました。
私が夫と死別したのは‘98年。
かれこれ10年になります。
さて、回復プロセスなのですが、
いろいろな理論があるようです。
その中で今の私が
過去を振り返ってみてしっくり来たのが
アルフォンス・デーケンの12の段階です。
(1)精神的打撃と麻痺状態
頭の中が真っ白で何が何だかわからない。
ショックを少しでも和らげようとする
本能的な働き(防衛機制)だそうです。
泣く・悲しむ、などの感情も
あまり湧いてこず、
ボーっとしているような状態でしょうか。
実は私もこの時期のことは記憶が断片的です。
無意識下で一生懸命、自分を守っていたのでしょうね。
(2)否認
死の事実が受け入れられない状態ですね。
なかなか受け入れられるものじゃないですよね。
(3)パニック
ショックやら受け入れられない現実やら
悲しみやらいろんな感情が整理されずに
混沌として更にそれがそれぞれ激しさを
帯びているので、自制不能、という
感じでしょうか。
家族や友人の協力を得て
見守ってもらうことが必要でしょうね。
(4)怒りと不当惑
なぜこんな目にあわなきゃいけないのか。
なぜわたしだったのか。
わたしが何をしたというのか。
強い怒りの気持ちが湧きます。
本当に苦しかった。
(5)敵意と恨み
怒りから派生する、恨めしい気持ち。
まわりも自分も、共に扱いにくい状況だと思います。
(6)罪意識
これにも参りました。
わたしがこうしていれば、ああしていれば、
最悪の状況は防げたんじゃないか。
そんな気持ちです。
(7)空想形成、幻想
空想の中で、亡くなった人を生きているように
思い込んで実生活でもそのようにふるまうそうです。
出張していると思い込もうとする、など。
私はここはなかったように思います。
そう思うことが逆に虚しく感じたからかもしれません。
(8)孤独感と抑うつ
寂しさや、孤独感でどうしようもなく気分が沈みます。
一人ぼっちで取り残されたように感じます。
(9)精神的混乱と無関心
これまでの生活目標を失った空虚さから、
何もやる気が起きず、人と会うのも億劫に。
引きこもったような状態ですね。
(10)あきらめ→受容
やっと、あきらめもつき、受け入れられるように。
(11)新しい希望
新しい生活へと歩みだそうとする希望が生まれます。
(12)立ち直りの段階~新しいアイデンティティの誕生
悲しみを乗り越え、新たなアイデンテティを獲得していきます。
これらは”悲嘆のプロセス”と呼ばれる、
残された人が経験する一連の情緒的反応だそうです。
日にち薬、などといいますが、
愛する人がいない、という状況に、
時間をかけて慣れていくしかないんだな、
そう思った時を覚えています。
それが(10)のあきらめかもしれませんね。
(8)や(9)の状態が長く続くと健康を損ない、
身体症状がでることもあるそうですので、
カウンセリングやグループワークなど、
専門家の力を借りる事も必要だと思います。
私も両方経験し、ずいぶんと助けられました。
無理をせず、頼れる時は頼り、
人のちからを借りて、
自分のペースを大切に、休み休み、
ゆっくりと進んでいけたらいいですね。
必要なことなら、いつかはできる
自分にとって本当に必要なことなら、
”今は”できないこともいつかできるようになります。
気づけばできるようになっているのですね。
いつの間にか、自然に。
できない、できない、どうしてーー?!
と七転八倒している時期を過ぎて、
自分を明らかに見ることができ、
「まぁ、いっか。ゆっくり行こう」
と今の自分にOKを出し、
「”今”、必要なこと」
を少しづつこなしていくうちに
「あれ?私、できるようになってるやん
」
・・とまぁ、こんなカンジ。
七転八倒してしまうのは
目標設定が違うんだと思います。
例えば、ダンスのインストラクター経験から言うと、
初級レベルの生徒さんが
初級の課題をこなす前に、
中級レベルの課題をやろうとして
「できない、できない、どうしてーー!!」
と言っている、ようなことですね。
何事にも基礎が必要ですよね。
ターンなど、基礎がなくては回れない。
基礎ができてないのに
無理に回ってはコケ、回ってはコケる、
で、イライラ・・
これではいつまでたってもできませんし、
そのうち怪我してしまうかもしれませんし、
「どうせ、できない」
とやる気を失う事も・・
基礎を身につけるには、毎日の練習がいります。
繰り返し繰り返し、の積み重ねで
頭だけでなく身体全体で感覚を掴んでいくのです。
そして、その前に
「私には今、基礎を身につける事が必要なんだ」
と自覚することですよね。
「ダンサーなのに、基礎もできないなんて・・」
・・と責めるのではなく。
どんなにカッコいいプロのダンサーも
最初は基礎からやってますからね~
また、こんなこともあります。
ダンスグループのリーダー経験からです。
あるステージの出演のために
グループから何人か選抜されます。
そのメンバーAが、故障したとします。
休まないといけないのに、Aは休もうとしない。
「私、できます!大丈夫です!」
見るからに辛そうですし、
いつもの実力が出せていません。
Aからすると、
「迷惑をかけたくない」
「これくらいどうってことない」
のかもしれませんが、
グループ全体として見ていくと、
その状態で参加されると、
結局他のメンバーに迷惑がかかるのです。
余計に悪化するのでは、と心配ですし、
いろいろと気遣いもいります。
それでもやりたい、と言うのはこの場合
自己中心的な考えになってしまいます。
グループ全体のことを考えると、
しっかりと休んでもらった方がいいのです。
「”今は”休むことが必要なんだ」
と心から自覚することですよね。
「ダンサーなのに、休むなんて・・」
・・と自分を責めるのではなく。
休む事は、恥ずべきことなんでしょうか・・?
どういう気持ちが、休むことを許さないのでしょうね。
休息は、心と身体のバランスを整えるために
必要な生活手段のひとつですよね。
むしろ、そうすることこそ
責任ある大人として賢明であると思います。
責める後者は自分のことしか考えてないですよね。
グループ全体として、他のメンバーのことを
思えば、前者のような気持ちになれると思います。
後者のままでは、同じように休んで快復したとしても、
自己中心的な考えがそのままであれば
いつかまた同じ事を繰り返すと思います。
「グループ」を「家族」に
「ダンサー」を「母」に置き換えても
同じことが言えるでしょうね。
どちらのケースにしても、
今、ここにある現状を見ずに
遠くの夢を追いかけて足元が固まらない、
今、自分に必要なことの
目標設定を取り違えている、ということだと思います。
目標設定は、いつでも変更可能ですよね
”今は”できないこともいつかできるようになります。
気づけばできるようになっているのですね。
いつの間にか、自然に。
できない、できない、どうしてーー?!
と七転八倒している時期を過ぎて、
自分を明らかに見ることができ、
「まぁ、いっか。ゆっくり行こう」
と今の自分にOKを出し、
「”今”、必要なこと」
を少しづつこなしていくうちに
「あれ?私、できるようになってるやん
」・・とまぁ、こんなカンジ。
七転八倒してしまうのは
目標設定が違うんだと思います。
例えば、ダンスのインストラクター経験から言うと、
初級レベルの生徒さんが
初級の課題をこなす前に、
中級レベルの課題をやろうとして
「できない、できない、どうしてーー!!」
と言っている、ようなことですね。
何事にも基礎が必要ですよね。
ターンなど、基礎がなくては回れない。
基礎ができてないのに
無理に回ってはコケ、回ってはコケる、
で、イライラ・・
これではいつまでたってもできませんし、
そのうち怪我してしまうかもしれませんし、
「どうせ、できない」
とやる気を失う事も・・
基礎を身につけるには、毎日の練習がいります。
繰り返し繰り返し、の積み重ねで
頭だけでなく身体全体で感覚を掴んでいくのです。
そして、その前に
「私には今、基礎を身につける事が必要なんだ」
と自覚することですよね。
「ダンサーなのに、基礎もできないなんて・・」
・・と責めるのではなく。
どんなにカッコいいプロのダンサーも
最初は基礎からやってますからね~

また、こんなこともあります。
ダンスグループのリーダー経験からです。
あるステージの出演のために
グループから何人か選抜されます。
そのメンバーAが、故障したとします。
休まないといけないのに、Aは休もうとしない。
「私、できます!大丈夫です!」
見るからに辛そうですし、
いつもの実力が出せていません。
Aからすると、
「迷惑をかけたくない」
「これくらいどうってことない」
のかもしれませんが、
グループ全体として見ていくと、
その状態で参加されると、
結局他のメンバーに迷惑がかかるのです。
余計に悪化するのでは、と心配ですし、
いろいろと気遣いもいります。
それでもやりたい、と言うのはこの場合
自己中心的な考えになってしまいます。
グループ全体のことを考えると、
しっかりと休んでもらった方がいいのです。
「”今は”休むことが必要なんだ」
と心から自覚することですよね。
「ダンサーなのに、休むなんて・・」
・・と自分を責めるのではなく。
休む事は、恥ずべきことなんでしょうか・・?
どういう気持ちが、休むことを許さないのでしょうね。
休息は、心と身体のバランスを整えるために
必要な生活手段のひとつですよね。
むしろ、そうすることこそ
責任ある大人として賢明であると思います。
責める後者は自分のことしか考えてないですよね。
グループ全体として、他のメンバーのことを
思えば、前者のような気持ちになれると思います。
後者のままでは、同じように休んで快復したとしても、
自己中心的な考えがそのままであれば
いつかまた同じ事を繰り返すと思います。
「グループ」を「家族」に
「ダンサー」を「母」に置き換えても
同じことが言えるでしょうね。
どちらのケースにしても、
今、ここにある現状を見ずに
遠くの夢を追いかけて足元が固まらない、
今、自分に必要なことの
目標設定を取り違えている、ということだと思います。
目標設定は、いつでも変更可能ですよね
