今日 7月18日(日)は、ボノンチーニ(Giovanni Battista Bononcini)の誕生日です。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ(1670年7月18日 - 1747年7月9日)は、イタリア・バロック音楽の作曲家であり、チェリストです。
■『シンフォニア集(作品3)』より「2本のトランペットと弦楽のためのシンフォニア」
ーーー (約 10分)ーーーーーーーー
https://youtu.be/z_rcRNM0I1k
■210718 ーーーーーーーーー
※ 2本のトランペットの動きをスコアで見ると より演奏の凄さを感じます。
格好いいです!
イタリア北東部のモデナ出身であり、音楽家の家系に生まれ、父はヴァイオリニストで作曲家のジョヴァンニ・マリア・ボノンチーニ。弟は作曲家のアントニオ・マリア・ボノンチーニです。
ボローニャでチェロを学び、この楽器のための最初の作品を1685年に発表し、1688年にモンテ・サン・ジョヴァンニ教会の楽長となりました。
その後、オペラの作曲を手掛けるようになり、ミラノ、ローマ、ヴェネツィア、ベルリンを経て、1698年から1711年までウィーンの神聖ローマ皇帝の宮廷に滞在しました。
1714年にローマに戻り、イタリア各地でオペラの上演を行っています。
赤花うば玉(群生)の花が咲きました。
1720年にイギリスのマールバラ公ジョン・チャーチルの誘いを受けて、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの対抗馬としてロンドンに渡り、ヘンデルとはライバル関係にありました。
おおむねトーリー党がヘンデルを支持したのに対し、ホイッグ党はボノンチーニを支持しました。
しかし1727年に作曲したマドリガルに盗作の疑いがかけられるというスキャンダルのため、1733年にロンドンを離れることを余儀なくされパリに渡りまます。
1741年に再びウィーンへ赴き、マリア・テレジアから年金を支給されて余生を送りました。
作品としては、多くのオペラ、室内楽曲、声楽曲(カンタータ)などがあります。
赤花烏羽玉の花が咲きました。色のついているラベルは交配記録です。
彼のオペラの一つ『セルセ』は、後にヘンデルによって改作されています。その中でもとくに有名なアリア「オンブラ・マイ・フ」(別名「ラルゴ」)の旋律は、ボノンチーニによるものといわれています。
今日ご紹介する「2本のトランペットと弦楽のためのシンフォニア」は全4楽章より構成されています。
1.アダージョ ー アレグロ
2.グラーベ ー アレグロ
3.アダージョ
4.ラルゴ ー アレグロ
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椎茸を30分~1時間で良いのに2時間以上も干しすぎてしまいました。まあ良いですかね。
逆に洗濯物(シーツ、布団カバー)干し忘れて洗濯機の中に入れたままでした。あはっは。
自分のこと 分かってくれる人が一人でもいれば良いのです。
2人、3人、沢山欲しいなんて欲はかきません。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ