今日 8月14日(土)は、アルマス・ヤルネフェルトの誕生日です。
■前奏曲
ーーー(約3分)ーーーーーーーーーーーーーー
https://youtu.be/v0dTIZ7ptLg?list=RDEMmxxJNRr-5aPQPcyy-7e1eg
■210814 ーーーーーーーーーーーーーーー
エドヴァルト・アルマス・ヤルネフェルト(Edvard Armas Järnefelt, 1869年8月14日 フィンランド ヴィープリ - 1958年6月23日 ストックホルム)はフィンランドの指揮者で、作曲家です。
ラベルには、ガルビニア スイート 「キャロライン」と印刷されています。バラと同じようにガーベラも毎年沢山の新品種が作出され、市場に出るようです。(名前が覚えられませんね。)
父親は、ロシア陸軍の将軍でスウェーデン系軍人(貴族)のアウグスト・アレクサンデル・ヤルネフェルト、母エリザベト(旧姓クロット=フォン=ユルゲンスブルク)はドイツ系ロシア貴族の出身です。
アルマスはヤルネフェルト家の8人兄弟の一人で、長兄アルヴィドは作家、次兄エリック(またはエーロ)は画家、妹アイノは作曲家のジャン・シベリウスと結婚しました。
赤花烏羽玉(あかばなうばたま)が咲きましたが、雨模様の天気で今一つぱっとしません。
ヤルネフェルトは、ヘルシンキでフェルッチョ・ブゾーニ(1866 - 1924)ほかに学んだ後、パリでジュール・マスネ(1842 - 1912年)に作曲を師事しました。
ヘルシンキとストックホルムオペラ劇場の客員指揮者を経て、1906 - 07年にヘルシンキ音楽院院長になり、07年からストックホルムで王立オペラ劇場の指揮者(1923年に首席指揮者)に就任します。1909年にはスウェーデンに帰化しています。
フィンランドでは、1932~36年まで、国立オペラ劇場の監督を歴任し、その後交響楽団の指揮者を務めました。
ヤルネフェルトは、ワーグナーの歌劇をフィンランドで指揮した最初の音楽家として知られています。作曲家としては国民様式(民族的色彩の濃いロマン派様式)で書かれた管弦楽曲と合唱曲、歌曲を残しています。
碧瑠璃ランポウ玉(へきるりらんぽうぎょく)つぼみが上がってきました。
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げん地方、夕方 市の広報車が回ってきました。大雨の警戒レベルが3になり、避難所を開設したので土砂災害等で身に危険を感じる人は避難してくださいとのことです。(年に何回かあります。)
地区の住民の方は高台の家から川沿いの家まで、色々な場所に生活されています。浸水や地滑り等雨による被害が最小限で済みますように。