8月11日はヴァルヒャの命日──『イタリア協奏曲』『半音階的幻想曲とフーガ』『フランス風序曲』
8月11日はヘルムート・ヴァルヒャの命日である。彼が第2回目のバッハ・オルガン音楽全集の制作と並行して精力的に録音を重ねていた時期の演奏を聴くと、公開演奏や後進の指導と並んで、どれほど集中してレコーディングに取り組んでいたかがよくわかる。そのなかでも『イタリア協奏曲』『半音階的幻想曲とフーガ』『フランス風序曲』を収めた1枚は、壮年期の覇気と豪快な奏法を特に鮮やかに味わえる一枚だ。ヴァルヒャは音楽の基礎をバッハのオルガン音楽に置いた巨匠である。それぞれの声部が織り成す対位法を、少しの濁りもなく明瞭に聴かせるテクニックは、チェンバロ演奏においても全く揺るぎない。必要以上の感情移入や表現上の誇張、レジスターの濫用、テンポの恣意的な変化といったものが一切ない、ごくシンプルな奏法が貫かれている。聴いていると、バッハが書き記した自筆譜の1ページ1ページが次々と目の前に現れてくるような印象さえ受ける。しかし音楽の内側に向けられる情熱と集中力は尋常ではない。それが長丁場の作品で大伽藍のような構成美を感知させるのと同じ質の集中が、これらの曲ではより直接的な豪快さとなって現れている。使用楽器は例外なくアンマー製のモダン・チェンバロである。1962年頃までの録音であることを考えれば、古楽黎明期を迎えようとしていた時代にあって妥当な選択だった。アンマーの楽器は当時のモダン・チェンバロのなかでも柔らかく潤沢な響きを持ち、表現力に富み、声部の保持にも優れている。ヴァルヒャは決してレジスターを濫用しなかったが、ここぞという箇所で効果的な音色の変化を聴かせるのは、やはり名人芸のひとつである。19歳のときにバッハのすべての鍵盤音楽の暗譜を決意し、40歳の誕生日にはすでにそれを成し遂げたという恐るべき記憶力の持ち主でもあった彼の演奏は、点字楽譜がまだなかった時代に母親や夫人の弾く一声部ずつを記憶し、頭のなかで再構成して覚えるという離れ技から生まれたものだ。その努力が結晶のように純粋で堅牢な音楽を生み、声部の明晰さを支えている。晩年にはヒストリカル・チェンバロを用いた録音も残しているが、この時期のアンマーによる『イタリア協奏曲』『半音階的幻想曲とフーガ』『フランス風序曲』には、まだモダン楽器ならではの潤沢さと、壮年期特有の勢いが同居している。ヴァルヒャがこれだけのチェンバロ作品を遺してくれたことに、改めて感謝したい。命日の今日、これらの演奏に耳を傾けるのも、また一つの追悼のかたちだろう。バッハ:パルティータロ短調、イタリア協奏曲、半音階的幻想曲とフーガ(UHQCD)Amazon(アマゾン)1,455円