サリエリ 戴冠式「テ・デウム」(1792年) | クラシックばっか 時空間

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今日 8月18日(水)は、アントニオ・サリエリの誕生日です。

 


■戴冠式「テ・デウム」
ーーー(約12分)ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

https://youtu.be/Bxq8_bUXhHA
■210818 ーーーーーーーーーーーーーーー

アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri、1750年8月18日 レニャーゴ - 1825年5月7日)はイタリアの作曲家です。
神聖ローマ皇帝・オーストリア皇帝に仕えるカペルマイスター(宮廷楽長)としてヨーロッパ楽壇の頂点に立った人物です。

幼少のころからチェンバロ、声楽、ヴァイオリンの音楽教育を受け、たぐいまれな才能を顕わしました。両親が死去した後、1766年にヴェネツィアを訪れていたウィーンの宮廷作曲家フローリアン・レオポルド・ガスマンに認められて、ウィーンに同行します。

以後、ウィーンに留まり、1770年代に入るとオペラ界で頭角を現し、翌72年には『アルミーダ』で、オペラ作曲家としての地位を早くも確立します。その後、宮廷作曲家兼イタリア・オペラの指揮者となり、皇帝ヨーゼフ2世によって1774年に宮廷作曲家、1788年には宮廷楽長に任命され、亡くなる直前の1824年までその地位にりました。

その間、イタリア各地に赴き、ミラノスカラ座のこけら落としのために自作のオペラを上演したり、ヴェネツィア、ローマ、ナポリでも活躍。また84年からはグルックの様式によるフランス語の歌劇を上演し、パリでも成功を収めます。


家の入り口付近に置いてあるガーベラさん


しかしやがて、自分の音楽趣味の変化を自覚し、1804年を最後にオペラを書かなくなります。それと前後するかのように、グルックの伝統を受け継ぐ大作曲家として後進の指導に大いに力を発揮しました。ベートーヴェン、シューベルト、リスト、ツェルニー、フンメル、マイアーベーア、モシュレスらを教えています。

ウィーンにおいて、18世紀のオペラ書法を19世紀の器楽作曲家たちに伝えたことは、彼の教育活動としての重要な功績の1つです。

1817年にはウィーン楽友協会音楽院の指導者に就任しました。また、ニューイヤーコンサートで有名なウィーン楽友協会の黄金のホール(大ホール:ムジークフェライン ザール)の設計、特に空間性、音響効果の設計に携わっています。



ミニトマトは雨に当たっても割れませんが、中玉以上のトマトはひび割れてしまうのでしょうね。

 


映画版『アマデウス』(宮廷作曲家アントニオ・サリエリが天才モーツァルトへの嫉妬から彼を破滅させる話)は、ブロードウェイの舞台『アマデウス』の映画化(1984年)であり、原作は英国の劇作家ピーター・レヴィン・シェーファー(1926~ )の戯曲『アマデウス』(1979年)です。
なお、彼がモーツァルトを毒殺したとされる存命中からのうわさは、今では、完全に否定されています。

今日 お聴き頂く、「テ・デウム」(Te Deum)(1792年)はキリスト教カトリック教会の聖歌(賛歌)の一つで、テクストの冒頭の一文“Te deum laudamus”(われら神であるあなたを讃えん)からこの名称で呼ばれます。本曲は、神聖ローマ皇帝フランツ2世の戴冠式のために書かれた戴冠式「テ・デウム」です。



夕方 虹が目えました。(^^)


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年を重ねて色々なことが少しずつ分かってくるにつれ、どうにかしたくてもどうにもならないことに気づいてきます。苦しい辛いと思いながらもその事実を受け入れ、寄り添っていくしかないですね。自分より大変な思いをしている人は沢山います。まだまだ。

自分は、勇気、なぐさめ、励まし、元気づけられる音楽が特に好きなんだと思います。


自分の欠点をなくすのはなかなか難しいです。長所を伸ばすようにして自分を高める努力をしましょう。


Antonio Salieri