ケテルビー「ペルシャの市場にて」 | クラシックばっか 時空間

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今日 8月9日(月)は、ケテルビーの誕生日です。

■ 「ペルシャの市場にて」
ーーー(約7分) ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

https://youtu.be/qf7c1KKH7kg
■210809 ーーーーーーーーーーーーーーーー

アルバート・ケテルビー(1875年8月9日 イングランド - 1959年11月26日)は、イギリスの作曲家です。
指揮者、ピアニスト、また音楽ディレクターでもありました。


父親は版画師でした。11歳のときには、習作のピアノ・ソナタをウォーチェスター音楽祭で演奏し、作曲家エドワード・エルガー(1857ー1934)に賞賛されます。

13歳の時、ヴィクトリア女王作曲奨学金を受けて、ロンドンにあるトリニティ・カレッジの音楽コースでグスターヴ・ホルスト(1874ー1934)に師事。才能を認められ、16歳でウィンブルドンのセント・ジョン教会のオルガン奏者に迎えられます。

この頃、さまざまな楽器に習熟し、プロのオーケストラでもやっていける程の技量を身につけました。





22歳で教会との契約期間が切れたのを機に一転し、ヴォードヴィル劇場の音楽監督となり、軽音楽の編曲や指揮に才能を発揮します。
30歳を過ぎるまで、本格的な室内楽や協奏曲の作曲にも力を注ぎましたが、芽が出ませんでした。

その後1912年、37歳の時に書いた軽音楽(ポピュラーミュージック)の「ファントム・メロディ」が大ヒットし、1915年の「修道院の庭で」で大成功を収め、管弦楽による描写的なライト・ミュージックに専念するようになり、「ペルシャの市場にて」(1920年)、「ウエッジウッドの青」(1920年)、「中国寺院の庭で」(1925年)などの人気作が相次いで誕生しました。







これらの作品が成功したため、避暑地として有名なワイト島(本土のグレートブリテン島から狭い海峡を挟んだ南方に位置する島)の自宅で、84歳で亡くなるまで悠々自適な生活を送りました。


今日お聴き頂いた「ペルシャの市場にて」は、ケテルビーが作曲した管弦楽による情景描写的な音楽作品です。
1920年、当時放送局のディレクターを担当していたケテルビーが、某番組の穴埋めのために急遽作曲したといわれています。

『砂漠から近づいて来るキャラバン(隊商)が街の市場(スーク)に到着する序奏部に始まり、男声合唱による「バクシーシ、バクシーシ」という物乞いの声など市場の喧騒を表した部分を経て、哀愁に満ちた部族長の妃をイメージしたともいわれる印象的な旋律、大道芸人や蛇使い、出入りするラクダの隊商などを思わせるモチーフによって、中東の大国ペルシャの市場の活気ある光景を彷彿(ほうふつ)とさせる様子が展開され、物乞いたちのモティーフと妃のテーマ、ラクダ(隊商)のテーマを繰り返し、再び砂漠の彼方に去って行くキャラバンを表現しつつ、ノスタルジックに曲がしめくくられる。』
 

 


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アルバート・ウィリアム・ケテルビー