グラズノフ「交響曲第5番」変ロ長調 op.55 | クラシックばっか 時空間

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今日 8月10日(火)は、アレクサンドル・グラズノフの誕生日です。


■「交響曲第5番」変ロ長調 op.55
ーーー(約35分) ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

https://youtu.be/9rUzPGogmVM
■210810 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アレクサンドル・コンスタンティノヴィチ・グラズノフ(Glazunov, 1865年8月10日 サンクトペテルブルク - 1936年3月21日 パリ)はロシア帝国末期およびソビエト連邦建国期の作曲家、音楽教師、指揮者です。

幼い頃より、「小グリンカ」の愛称で呼ばれ、1879~81年リムスキー=コルサコフに師事。82年に「交響曲第1番」作品5(バラキレフ指揮)でデビューし、チャイコフスキーらから激賞を受けました。

 

 


以後ロシア音楽会の期待を背負い創作活動に励みます。84年に外国を視察し、ワイマールでリストの激励を受け、スペイン、モロッコ各地で民族音楽に触れます。88年より指揮者としての活動を開始し、翌年パリ万国博覧会で自作の交響曲を指揮しています。

1899年ペテルブルグ音楽院教授になります。1905年、当時の音楽会の反動的体質に抗議して辞任しますが、同年末にペテルブルク音楽院の院長に迎えられ、ペトログラード音楽院(第一次世界大戦中)、レニングラード音楽院(ロシア革命後)へと名称が次々と変わる中、28年まで院長職を務めました。在任中の最も有名な弟子は、ショスタコーヴィチやプロコフィエフです。
その後はパリに定住し、欧米各地で指揮者として活躍しました。

 

 


グラズノフは、「5人組」とチャイコフスキーの系譜を受け継ぎ、ロシア楽壇の変化と波瀾の時期において、国民楽派と西欧派を巧みに融和させ統合した功績は大きいです。
作品はオペラ以外の各分野にわたりますが、特に管弦楽作品が重要とされます。

 


今日 ご紹介する「交響曲第5番」変ロ長調 作品55は、1895年4月から10月にかけて作曲されました。古典的な4楽章から構成されています。

1.Moderato maestoso - Allegro
2.Scherzo. Moderato
3.Andante
4.Allegro maestoso

 

全般的に明朗な性格と鮮やかな生命力にあふれていて、グラズノフ自身、この作品を「沈黙の響き」「詩の建築」と評しています。ブラームス風の重厚で勇壮な第1楽章、メンデルスゾーン風に軽やかで洗練されている第2楽章、シューマン風に内向的で感傷的な第3楽章というように、ドイツ・ロマン派音楽に作品のモデルを見て取ることができ、終楽章では特徴的な旋律やリズムの民俗音楽が素材に使われていて、民族的な雰囲気を漂わせている作品と言えるでしょう。

この作品は、1896年11月17日、第2回ロシア音楽演奏会(サンクトペテルブルクの貴族会館)にて、作曲者自らの指揮により初演されました。

 

 

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日中の炎天下、外仕事は辛いでしょうね。

ご無理なさいませんように。

 

暑かったですね~。日差しが強い一日でした。

立秋の一日前の夜に野生の鈴虫の音が、翌々日にはコオロギの鳴き声が聞こえていました。

ものすごい速さで季節が移り変わっていきます。

 

 


久しぶりに四つ葉のクローバー見つけました。




アレクサンドル・グラズノフ