アンドレ・ジョリヴェ「ピアノ協奏曲」(1949~50年) | クラシックばっか 時空間

クラシックばっか 時空間

作曲者や指揮者、演奏家などに因んだ記事を紹介しています。 日常生活で気づいた場面を写真にしています。

今日 8月8日(日)は、アンドレ・ジョリヴェの誕生日です。

■「ピアノ協奏曲」より第3楽章
ーーー(約8分)ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

https://youtu.be/MnNcfhYTXTk
■210808 ーーーーーーーーーーーーーーーー


アンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet, 1905年8月8日 モンマルトル - 1974年12月20日 パリ)は、フランスの作曲家であり、音楽教育者です。

父は技師でアマチュア画家、母はピアニストという芸術的な環境の中(パリのモンマルトル)で生まれ、母親からピアノを、教区神父テオダからは典礼音楽と和声学の基礎を学びます。

彼は早くから作曲もしましたが、絵画、文学、ドラマにも興味を示します。芸術家となることを夢見ますが、両親の反対で師範学校に進学しました。
しかし、ソルボンヌ大学でアンリ・ベルクソンの哲学に触れ、ますます芸術に対する意欲をたかめ、創作意欲を募らせました。

卒業後は兵役を務めた後、教師となりましたが、ポール・ル・フレムに出会い、彼から近代和声学や対位法を学び、シェーンベルク、ベルク、バルトークらの作品を研究しました。

 



ガーベラ中輪さん また咲き始めました。その1

その後、エドガー・ヴァレーズ(1883年12月22日 - 1965年11月6日)の作品を聴き感銘を受け、1930~33年まで彼に師事します。
そんな中、1931年の国際植民地博覧会、1933年の北アフリカへの旅行を通して彼は、異国的・異教的音楽を体得していきます。そして、メシアン、ボドリエ、ルジュールとともに、当時支配的だった新古典主義音楽に対抗し人間性の回復・ベルリオーズへの回帰を目指す芸術サークル「若きフランス(ジュヌ・フランス)」を立ち上げ、一群の作曲家たちのあまりにも抽象的で潤いのない試みに対抗しました。

生命力溢れる音楽と、ジャズや東洋音楽から受けた作風が特徴で、ヴァレーズの弟子ということもあり、打楽器を効果的に多用したり、統一のある多様性や大胆なダイナミズム(機械や人間などの力強い動きを表現しようとする芸術上の主義)に特色があります。

様々な作曲技法を用いて、過激で急進的な前衛音楽からポピュラーなCM音楽まで幅広い分野の作曲を行ないました。



ガーベラ中輪さん また咲き始めました。その2


今日ご紹介する「ピアノ協奏曲」(1949~50年)は、フランス植民地に取材した作品としてフランス国営放送から依頼されて作曲したもので、アフリカ、極東、ポリネシアの音楽からなり、多種類の民族的打楽器が用いられています。全3楽章で構成されています。初演は、1951年のストラスブール音楽祭で行われました。

1.Allegro deciso       決然と
2.Senza rigore        いかめしくなく
3.Allegro frenetico   逆上して

■第1楽章(約9分)

 

 

■第2楽章(約9分)

https://youtu.be/XT0uwdLEAGU

ーーーーー
今日もまた病院へ行きました。

3日連続です。

3階エレベーター無しなので、良い運動になります! あははっl。

 


ガーベラ中輪さん また咲き始めました。その3 サーモンピンク




アンドレ・ジョリヴェ