ブノア 「フルート協奏曲 」作品43 a | クラシックばっか 時空間

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今日 8月17日(火)は、ペーター(ペーテル)・ブノアの誕生日です。

■「フルート協奏曲 」作品43 a
ーーー(約18分)ーーーーーーーーーーーーー

 

 

https://youtu.be/KpRIy7TRC60
■210817 ーーーーーーーーーーーーーーー


ペーター・ブノア(Peter Benoit, 1834年8月17日 ハーレルベーケ - 1901年3月8日 アントワープ)は、ベルギーの作曲家、指揮者、そして教育者です。

最初は父親と村のオルガニストから音楽の手ほどきを受け、1851年にブリュッセル王立音楽院に入学し、院長フランソワ=ジョゼフ・フェティ(François-Joseph Fétis, 1784年3月25日 - 1871年3月26日)に師事します。

1856年ブリュッセルの劇場の指揮者に就任し、翌年57年にカンタータ『Le Meurtre d'Abel』(アベルの殺害)でベルギーのローマ大賞を受賞し、ドイツのあちこちの都市へ留学します。62年にパリのブーフ・パリジャン劇場の指揮者となります。

 

宿根ガーベラ ガルビニア スウィート「キャロライン」さん


帰国後、1867年にアントワープにフランドル音楽学校(99年に王立音楽院に昇格)を創設し、フランドルの音楽関連の多くの著作を著し、音楽教育と音楽文化の発展のために尽力します。   
                                
作曲家としては、声楽作品(オラトリオカンタータ)に本領を発揮し、フランドルの伝統音楽に見られる旋律とリズムの特徴を探求し、フランドルの人々の美的感覚に根ざした作品を意識的に書きました。

彼は、フランドルの音楽文化を向上させて、国民的自覚を高めることを生涯の目的として音楽活動を行いました。

宿根ガーベラ ガルビニア スウィート「フェスティバル」さん


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今日は母の退院日でした。転院はしたものの結局手術はせず、元の附属病院に戻りました。

手術をするリスクがあったと言うことなのでしょうか。

 

前回の介護タクシーは、 片道5,000円でした。

今回の介護タクシーは、片道9,010円でした。

病院が手配するので個人業者の言いなりです。

 

附属病院の新しい男性の先生から今日の診断の説明があり、間質性肺炎に更に炎症部分が増えているとの診断でした。微熱が続いているのは多分それが原因でしょうと。(前回入院時には、微熱の原因は不明でした。)

さらに(転院している間に)新たな床ずれ(褥瘡)が2カ所見つかったとのことでした。

 

手術が必要かもしれないからと転院の話を進めたのは、今日戻ってきた病院の女性の先生です。

 

診断説明書のコピーを渡され、延命治療をしないという意思を再確認されました。 なんだかたらい回しをされているような気がしています。

 

一日中雨の天気でした。




ペーター(ペーテル)・ブノア Peter Benoit