2025年5月のテーマ

「私のあこがれの女性」

 

第三回は、

「お茶と探偵6 カモミール・ティーは雨の日に」

ローラチャイルズ 作、東野さやか 訳

ランダムハウス講談社 2008年発行

 

に登場する、

 

セオドシア・ブラウニング

 

です。

 

 

です。

 

今までに何度か記事を書いたことがある、"お茶と探偵"シリーズの一作です。

 

 

 

 

 

 

・・・結構書いてるな…。

それはさておき、まずシリーズの前提をご紹介します。

主人公のセオドシアは、サウスカロライナ州・チャールストンの歴史地区の一角にティーショップを構える妙齢の女性。熟練ティー・ブレンダーで古きよきものを愛するドレイトンと絶品スイーツを作る若きパティシエであるヘイリーとの三人で運営する彼女のティーショップは人気店の一つです。

好奇心旺盛で頭も切れるセオドシアは、知人を通じて地域のイベント会場で起きた事件を調べてくれと頼まれ捜査することになります。

毎回、ストーリーもさることながら、ティー・ショップで行われる"テーマのあるお茶会"や、結婚披露宴、美術館主催のパーティー、映画祭…などのゴージャスなイベントでのケータリングの描写などが盛りだくさんで、気分が華やかになるコージーミステリーです。

 

第6弾の「カモミール・ティーは雨の日に」は、歴史協会で開かれた<詩とお茶の会>で殺人事件が起きてしまうお話。

折しも外は嵐で、エドガー・アラン・ポーの詩の朗読の最中に一発の銃声が響き渡るという、映画のワンシーンみたいな状況で始まります。セオドシアたちのインディゴ・ティーショップはこの会のケータリングを担当しており、嵐のせいで会場が変更になったドタバタシーンから一転、事件の目撃者になります。

被害者はドレイトンの知人で警察の容疑者はヘイリーの友達となれば、セオドシアが真相究明に乗り出すのは自明の理です。

 

また、現時点で30冊近くあるこのシリーズで今回この作品を選んだ理由ですが、この作品以降セオドシアがぐっと人間らしくなるからです。

前回のルーシー・アイルズバロウもそうでしたが、セオドシアもスーパーウーマンです。

彼女はかつて広告業界で働いていましたが、目まぐるしい日常に疲れ果て、誰もが安らげるティーショップを自分で経営する道を選び成功した実業家。居心地のいい自分のティーショップを持ち、一緒に働く仲間たちとは同僚というより家族といった関係を築いています。

店では頻繁に"テーマのあるお茶会"を開催していて、そのどれもが素敵。お茶を使ったボディーソープなんかのオリジナルブランドも展開中。地域のイベントにもドレスアップして顔を出し、ケータリングの仕事を通じて歴史地区のハイソな住人達とも知り合いです。社会貢献にも熱心。

頭もよく、美しく、大型犬とランニングを欠かさないスポーツウーマン。

素敵な恋人もいて彼女を心配しつつも協力してくれ…ていました。第5弾までは。

 

この作品では、初めてセオドシアと恋人との間ですれ違いが生じて、彼女が悩む様子が描かれています。

また事件もこれまでに比べてちょっとシリアスというか、人間関係が生臭かったりもします。

第5弾までの作品では、周囲で起きた事件できりきり舞いするものの、プライベートのセオドシアはうらやましいくらいハッピーで、理解のある恋人とのひと時は彼女のモチベーション回復に一役買っていた感がありました。

そう、主人公がちょっと完璧すぎるようにも感じられたのです。

 

今作で、事件ではない、自分自身のことで悩むセオドシアが描かれたことによって、完璧な彼女がぐっと身近になったことは、私から見ればすごくプラス要素です。

だって、仕事でも調査でもすごく忙しいのに、ドレスをまとってチャリティーイベントとかにも参加して、恋人ともディナーを楽しみ、ティーショップ二階の自宅はアンティークの素敵な調度で飾られた居心地のいい部屋…っていつ掃除や洗濯しとるの???って思うじゃないですか。

まあ、そこは小説の中の話なので、リアリティがなくたっていいんですけど、私のようにあこがれが募るとちょっとでもまねできるところはないかしらなんて思っちゃうわけです。(ええ。身の程知らずですとも。)

だけど、

 

実際には無理!!!

こんなスケジュールで家のことまでできるわけないじゃん!!!

 

そうよね、実際にはこんな女性いるわけない。

悲しいことに、一つが作り物めいて見えちゃうと、作品世界に広がる一つ一つまで(ティーショップやイベント)非現実的に見えて魅力が薄れるような気がしてしまいます。

 

でも、第6弾以降、セオドシアのプライベートな部分が素敵な面だけじゃなく描かれるようになりました。

例えば、どの作品だったか忘れちゃいましたが、自宅で恋人が持ってきてくれた白ワイン(だったと思う)を飲もうという時に、セオドシアがしまってあったワイングラスに埃がついていることに気づいて、こっそり吹き飛ばすシーンがあります。

店のグラスはいつでもピカピカにしているけど、自宅のものまでは手が回らない。そこまで完璧にすることに人生の時間を費やしてはいられない。…というようなことを考えるのです。

いい意味で力が抜けてきたというか、私としては共感しやすくなりました。

 

また、この作品に限ってのことではないですが、セオドシアは地域への社会貢献に熱心です。

そのためいろんな人とつながりができますし、地元の活性化に一役買っています。

そういうところも私があこがれる要因です。

 

それから、美人で親切、魅力的な大人の女性でありながら、精神的にタフで芯が強いです。

無鉄砲なところもあって、毎回最後には犯人と直接対決する羽目になり、食いしん坊で腕利き刑事のティドウェル警部に助けられたり叱られたり。

この辺りは今月第一回目の記事で書いたタペンスに通ずるものがありますね。

 

 

 

"お茶と探偵"シリーズは、おいしい食べ物に、華やかなイベント、魅力的な主人公とミステリーの組み合わせで、コージーミステリーとして最高です。

ただし、私の中のミステリーファンの部分が、セオドシアは探偵としては優秀とは言い難いと言っています。容疑者を一通り調査するものの誰かわからず、犯人と接していた時にちょっとしたきっかけで今までのことが全部つながる…的なことがよくあり、そのせいで自分がピンチに陥ることもしばしばあるからです。

個人的に、犯人が油断しているうちに正体を突き止めて罠にかけ捕まえる…という展開が好きなので、そのせいかもしれません。

 

「カモミール・ティーは雨の日に」は現在絶版になっているはずなので入手しにくいかもしれません。

でも、"お茶と探偵"シリーズは原書房さんから新刊が出ているので、ぜひそちらも手に取ってみてください。

おすすめいたします。(*^▽^*)

2025年5月のテーマ

「私のあこがれの女性」

 

第二回は、

「パディントン発4時50分」

アガサ・クリスティー 作、松下祥子 訳

早川クリスティー文庫 2003年発行

 

に登場する、

 

ルーシー・アイルズバロウ

 

です。

 

 

 

ミス・マープルで、クリスティー作品の中でも屈指の名作の一つと言っていいでしょう。

日本でも2018年に二夜連続ドラマが放送されました。

ミス・マープル役(…と言っても現代の日本に置き換えたドラマなので、このドラマでは元敏腕刑事の妙齢の女性・天野瞳子)は天海祐希さん。素晴らしい女優さんだと思いますが、ミス・マープルというキャラクターを無視して美しい女性に変更してあったことが、クリスティーファンの私にとっては残念ながら許容範囲外でした。

で、ルーシー・アイルズバロウ役は確か前田敦子さんだったと思います。(調べてみたけど役名を見つけられず…。)

こちらもキャラクターが全然違っていたので、ストーリーがほぼ同じでも私には全く別のドラマに見えました。

別物としてみれば特に不満を抱かずに楽しめました。

 

前置きが長くなりましたがあらすじを。

マギリカディ夫人は友人のミス・マープルを訪ねるために乗ったパディントン発4時50分の列車で、窓越しに殺人事件を目撃します。折しも大きなカーブに差し掛かり、隣の線路を走っていた列車と自身の列車がちょうど並んだ瞬間のことでした。

やがて二台の列車は離れてゆきますが、マギリカディ夫人は自分の目撃した出来事を黙殺するような人物ではなかったので、停まった駅の鉄道関係者や警察に自分が見たことを伝えます。もちろん、ミス・マープルにも。

ところが列車の中で遺体が発見されることはなく、ミス・マープルは殺人犯がどこかの地点で遺体を列車から投げ落としたに違いないと思い、その地点を見つけ出します。

大きな敷地に建つ古いお屋敷の関係者が怪しいとにらんだミス・マープルは、自分の代わりに事件を調べてくれるようルーシー・アイルズバロウという凄腕の家政婦に頼み、彼女はお屋敷に潜入することになります。

 

この、ミス・マープルの手足となって情報を集める凄腕家政婦さんが、私のあこがれの女性の一人です。

情報を補足しますと、ルーシー・アイルズバロウは32歳。オックスフォード大学の数学科を一級で卒業した才女で将来は学者になるだろうと思われていましたが、本人は人間に興味があり、人と接する仕事がしたかった。また、熟練した家事労働者が不足しているという現状も見抜いていた。そこで彼女は素晴らしい家事労働者になる道を選んだ、というわけ。

彼女は成功し、法外な給料をとるかわりに家事采配において必ず雇い主を満足させるハウスキーパーとして有名になります。客を選べる身分になってからは、長くても2週間から1か月しか同じ所には勤めず、仕事と仕事の間には必ずバカンスの期間を設けます。

ミス・マープルは病気になった際に甥のレイモンドがルーシーを雇ってくれたことで彼女と知り合いになりました。

頭が良くて、好奇心も旺盛なルーシーはバカンス返上でこの事件に取り組むことにするのでした。

 

彼女の何にあこがれるって、まずは家事の腕前です。

雇われた先で使用人に采配を振るうのみならず、人手が足りない時は自らすすんで家事をします。料理上手で、台所の手伝いに来ている気難しい女性とも仲良くなってしまうコミュニケーション力。仕事が早いので、余暇の時間を使って調べものもできちゃう。

現実にはこんな人いないんじゃないかと思うほどのスーパーウーマンです。

でも、そう思うのは私が家事の手際が良くないからかもしれません。料理上手な人は尊敬します。几帳面な人もすごいと思う。

ともかく、お屋敷に雇われたルーシーが能力を遺憾なく発揮する様子が書かれているので、人から感謝されるほど手際よく家事を片づけてみたいもんだわ~と思うのです。

 

次に、頭が切れるところ。

事件の調査をしながら、大勢の客が滞在するお屋敷の家事の段取りを楽々こなしちゃう。

複数のことを同時に進めていけるマルチタスクな頭脳は私にはありません。

ミス・マープル物では、他の人が主人公でミス・マープルが助言して最後には事件が解決するという作品がいくつかありますが、"ミス・マープルと共同で捜査に当たる探偵"というのはこの人だけかもしれません。それだけでもう、うらやましい。

「書斎の死体」「鏡は横にひび割れて」バントリー夫人もミス・マープルと一緒に捜査しますが、情報を持ってきて「さあ、あとは頼んだわよ、ジェーン。」というタイプなので、探偵ではないんですよね。

 

あと、ルーシーは作中でモテモテなんですけど、人間的にも魅力があるので、さもあらんという感じです。

もっとも、モテモテなのはルーシーを懐柔しようという思惑からかもしれないので、彼女自身は警戒しています。

中学生くらいの少年二人が作中に登場しますが、彼らにも優しい。

好物を作ってあげたり、手伝いをさせたり、母親か姉のように接しています。

 

ただ、スーパーウーマンな彼女もミス・マープルにはかないません。二人の会話では、リードしているのはミス・マープル。そういう場面では彼女に人間味を感じて、それもまた良かったりします。

 

ルーシー・アイルズバロウは、頭が切れて家事の腕前が一級品、気難しい人ともうまく付き合えて、お金も稼いじゃってるスーパーウーマンです。しかも、自分の仕事に満足しています。

こういう人になりたいなーと思います。

あ、そうか。自分と真逆だから憧れるのか。

それとも、"ミス・マープルに認められた女性探偵"というのが大きいかもしれませんね。

小説自体が有名すぎて、アニメ化やドラマ化、映画化とたくさん作られているので、作品ごとにルーシーのキャラクターはちょっとずつ違うと思います。

私があこがれているのは原作小説のルーシー。

話はもう知っているという方でも、ルーシーのキャラクターに注目して原作をチェックしてみてはいかがでしょうか。

「パディントン発4時50分」おすすめいたします。(*^▽^*)

 

 

 

 

 

 

2025年5月のテーマ

「私のあこがれの女性」

 

第一回は、

「NかMか」

アガサ・クリスティー 作、深町眞理子 訳

早川クリスティー文庫 2004年発行

 

に登場する、

 

タペンスことプルーデンス・ベレズフォード(旧姓 : カウリイ)

 

です。

 

 

 

 

今までにも何度か記事で触れたことがある、クリスティー"トミーとタペンス・シリーズ"の主人公の一人、タペンスです。

私はこのシリーズ大好きなんですけど、自分の書いた記事をチェックしてみたら、思ってたほど書いてなかった!

以前にアメブロ以外で「NかMか」について書いたことがあったので、その時の記憶とごっちゃになっていたみたいです。

 

一応作品のあらすじを。

時は1940年の春。イギリスで戦争の気配が濃く立ち込めている中、中年になったトミーとタペンスは自分たちも国の為に働きたいと思いながらも戦力外扱いされていることにくさくさしていました。そこに非公式の仕事として依頼されたのが、国内で暗躍するナチスのスパイを見つけ出すこと。情報局は工作員が命懸けで伝えた「NかM。ソング・スージー。」との言葉から、敵陣営でN、Mの暗号で呼ばれている二人のスパイのうち一人、もしくは二人ともがイギリス国内に入ったこと、"ソング・スージー"が南海岸の保養地リーハンプトンにあるゲストハウス「無憂荘」(サン・スーシ)であることを突き止めたのです。果たして、ゲストハウスの住人の中にスパイがいるのか、それともゲストハウスの住人にスパイのターゲットがいるのか…それも分からぬままに二人はナチスのスパイを探す仕事を始めます。

 

私はトミーとタペンスシリーズの中ではこの作品が一番好きです。

クリスティーのスパイ物の中でもピカイチだと思っているし、ミステリー色が強いところもいいです。

それだけでなく、この作品ではタペンスのキャラクターの魅力が存分に発揮されていますし、彼女の活躍も際立っています。

 

まず、お話の冒頭で、トミーとタペンスが戦力外扱いされていることにくさくさしているシーンがあります。

トミーは46歳。第一次世界大戦では10代~20代前半で従軍経験があり、その後はタペンスと共に政府の非公式な仕事を手伝った経験があります。(そこらへんは「秘密機関」「おしどり探偵」でどうぞ。)

自分ではまだまだ戦時に役に立つ人材だと思っているけれど、お役所に行っても「書類仕事なら…」とか言われちゃう。

タペンスの方も前の大戦では看護婦として三年の経験があり、将軍の車の運転手も務めたことがあります。その後もトミーと一緒に非公式な仕事を立派にやってのけた自負がある。年齢は40代に差し掛かったくらいだし、若い人よりも経験豊富なくらい。それなのに、自宅のリビングで前線の兵士に送るための衣類を編むしかやれることがないのです。

そこに情報局の人が来て、こっそりトミーにだけ非公式な仕事を頼みます。

タペンスにも秘密の任務なので、トミーは遠くにある軍の施設で書類仕事が見つかったと嘘をつき、「君は編み物があるじゃないか」と慰めますが、カーキ色の帽子を編んでいたタペンスは、編み物を床にたたきつけて、「カーキ色の毛糸なんか大嫌い!私はマゼンタ色(赤)のものが編みたいのよ!」と怒鳴ります。

 

ともすると、タペンスの気象の荒さが示されたかのようなこの場面が、私は大好きです。

彼女は生き生きとした女性で、湿っぽいことが大嫌い。

世の中が暗くったって、少しでも明るい未来のために自分ができることをすることが義務だと思っています。

(お父さんが教会の大執事なので、礼儀やキリスト教的奉仕の精神については叩き込まれています。ただ、普段のタペンスはお父さんが望むレベルでの礼儀作法の実践はしていません。公の場では当時の大執事の娘にふさわしい振る舞いができます。)

自分の好きなこと、やりたいことをちゃんとわかっている女性。

タペンスのそんなところが好きです。

 

それから、この後のことなんですが、情報局のグラント氏はトミーにだけ任務の依頼をしたはずだったのに、トミーが無憂荘に到着したら、何とタペンスが先回りしてゲストハウスに来ているのです。しかも任務のこともちゃんと知っていて手伝う気満々。タペンスはブレンキンソップ夫人という名の未亡人で目下次の夫を探していて、トミー扮するメドウズ氏に目標を定めて付きまとうという筋書きで二人は連絡を取り合うことにします。

このアイデアもタペンスが考えたもの。

グラント氏とトミーに一杯食わせたタペンスの手腕も見事です。

咄嗟の判断力と行動力が抜群なんです。

 

その代わり、夢中になりすぎて突っ走っちゃうのが珠に瑕。

彼女とは対照的に事実から着実に推理していくトミーがいつだってタペンスをカバーします。

二人のコンビネーションが絶妙で楽しいのがこのシリーズなんですけども、二人のうちどちらが好きかと聞かれたら、私は断然タペンスなんですよね。

多分、自分がトミー寄りの性格をしているからだと思います。

 

「NかMか」の後に「親指のうずき」「運命の裏木戸」とシリーズ作品は続きますが、トミーとタペンスは年をとっても仲良く二人で事件を解決していきます。

毎回、それぞれがそれぞれの方法で犯人を突き止めるので、本当に対等な二人だという気がします。

 

タペンスのように、生き生きと、行動的に、なりたいものだと常々思っています。

というわけで、私のあこがれの女性・タペンスが大活躍するこの作品、おすすめいたします。(*^▽^*)

 

 

 

 

 

四月の閑話休題です。

 

2025年4月のテーマ

「青春小説に触れよう」

 

でおすすめしてまいりました。

 

第一回から第三回まで、

令和→昭和→明治

と遡って各時代に執筆された青春小説を取り上げてみました。

 

これから独り立ちしていく若者が日々新しい体験をしながら自分の中に湧き上がってくる新たな感情に悩んだり葛藤したり…どの時代においても、青春小説には、主人公が経験を糧にして大人へと成長していく未来が感じられます。

もしも主人公に暗い未来が待ち受けるであろうと予感させるような結末を迎える青春小説があったとしても、誰にとっても未来は未知数なものなので、これからどう転んでいくかわからない。

若さとは可能性に満ち溢れている。

それが青春小説の醍醐味なのかなあと思います。

 

大人になって久しい読者なら、まぶしさを感じるかもしれないし、ノスタルジーに浸れるかもしれないし、一歩引いて冷静に読めちゃうかもしれません。私個人としては、青春小説を読むとこっぱずかしい気持ちになることが多いです。物語の主人公たちと同世代であった頃の自分を思い出してしまい、その頃やらかした数々の失敗が頭をよぎるからです。己に対しては基本ネガティブなので…。でも、たいていの場合、読後には作品から何らかのエネルギーを得ていると感じます。あ、だからたまに読むことがあるのかも…。

 

さて、そろそろタイトルの内容とまいりましょう。

先日ローマ教皇が亡くなられました。

私はキリスト教徒ではないですが、フランシスコ教皇は多様な価値観があふれるこの時代に、他を尊重することを重んじながら世界平和に尽力された方と認識しており、亡くなられたことをとても残念に思っています。

たまたま、先月末に「教皇選挙 コンクラーベ」という映画を見に行ってきたところで、ローマ教皇やバチカンについて(主にウィキペディアで)調べたところでしたので…。

 

というわけで、まず一つ目は、

 

「教皇選挙 コンクラーベ」 2024年

 

です。

コンクラーベというのは、教皇が空位になった際に次の教皇を選ぶ選挙のことで、世界中からバチカンに集まった枢機卿たちによって行われます。選挙は締め切った部屋で行われ、枢機卿たちは外部との接触は禁止されています。

この映画はまさしく教皇が亡くなったところから始まって、コンクラーベの様子を内側から描いてあります。

実際にどの程度リアルなのかはわかりませんが、コンクラーベという儀式のやり方だったり、外部と切り離された教会内での様子などが視覚的に観られるのは興味深かったです。

また、この作品は選挙を扱っているので、政治的なドロドロのお話かと思いきや、中身は完全にミステリー。

改革派の前教皇が亡くなって、これまで進めてきた改革を後戻りさせたくない前教皇派と力を盛り返したい保守派の対立がある中で、人種や民族、出身国もばらばらの枢機卿たちが誰を支持するかという状況で、有力候補を蹴落とす工作が行われ、選挙と並行して謎解きが進行していきます。

それに加えてこの映画では、現代におけるカトリック教会の役割とは何か、平和とはどういうものなのか、というようなことについても語られているし、価値観の多様性についても強いメッセージを放っています。

ストーリーは静かに進んでいきますが、とてもスリリングで、たくさんのものを受け取る映画だと思います。

 

もう一つは、

 

・「天使と悪魔」 2009年

 

です。

映画「教皇選挙 コンクラーベ」を観ているときに、この映画を思い出しながら観ていました。

こちらもコンクラーベを扱った映画ですが、こちらはコンクラーベが行われている外側で起きているテロ事件を解決しようと奔走するアクション・ミステリーです。

ダン・ブラウンの小説が原作で、主人公のラングドン教授はバチカン警察から脅迫状の調査を依頼されてコンクラーベが行われるバチカンを訪れます。脅迫状から秘密結社イルミナティの仕業と分かり、ラングドン教授はそのまま捜査を手伝うことになります。すでに有力候補の枢機卿四人が拉致されており、「一時間ごとに枢機卿を殺し、最後にはバチカンを滅ぼす」という新たな脅迫が…。

コンクラーベが行われているバチカンの外には大勢のカトリック信者が詰めかけており、ローマ市内も大混雑する中で、枢機卿たちを救いテロを止めようと駆け回る、テロリストと追いかけっこに大立ち回りのアクション映画です。

 

同じコンクラーベを扱った映画とはいえ随分と違う二本ですが、先に「天使と悪魔」を観ていたので、"外部のものは決して立ち入れないコンクラーベという儀式の外側で、カトリック教会の根本を揺るがすテロ計画が実行されていた"という内容とまさしく正反対の、閉じられたコンクラーベの内側を描いた「教皇選挙 コンクラーベ」は私の中で対になってしまっています。

 

映画の内容もテイストも全くの別物だし、それぞれの好みもあるかと思いますが、もし興味がありましたら、両方楽しんでみてください。

 

それでは、来月のテーマとまいりましょう。

 

2025年5月のテーマ

「私のあこがれの女性」

 

でおすすめしていきたいと思います。

本の登場人物に私の推しはたくさんいますが、女性として憧れる、こんな風になりたいなあ…と思うキャラクターについて作品と絡めて書きたいと思います。

ご興味ありましたら覗いていただけると幸いです。(*^▽^*)

2025年4月のテーマ

「青春小説に触れよう」

 

第三回は、

「三四郎」

夏目漱石 作、

新潮文庫 1948年発行(?)

 

 

です。

 

本書が手元になくて新潮文庫の発行年を調べたところ、新潮社のサイトで"発売日"となっているのが1948年なので、多分この年でよいかと思いつつも不安が拭えず後ろに"(?)"とさせていただきました。

 

言わずと知れた文豪・夏目漱石の青春小説です。

あらすじは…。

大学進学で九州から東京に出てきた小川三四郎は、同郷で大学教師の野々宮を訪ねた際に大学構内で美しい女性を目にします。その後、彼女(里見美彌子)と知り合う機会を得ますが、美しい彼女に恋慕する男性は数多く、三四郎も密かな恋心を抱きます。故郷とは違う大都会で、何もかもが新鮮な学生生活に、三四郎の世界は広がっていきます。

 

エピソードの一つ一つは三四郎の都会生活における新たな発見であったり、友人知人との交友、恋…と日常描写になるので、大きな事件を解決するとか恋敵と好きな女性を取り合うみたいな分かりやすいテーマが示された物語ではないです。

現在の刺激の多い作品("衝撃の結末!"とか、"こんな展開みたことない!"等の宣伝文句が帯やPOPにつくような作品)を読みなれている方であれば、退屈だと感じられることでしょう。

ストーリーでぐいぐい引き込むという物語ではなく、田舎から都会に出てきた青年が、違う土地・新しい生活の中でたくさんのことを学んでゆく日常を描いた物語だからです。

 

でも、だからこそ、興味深いところがたくさんあります。

 

例えば、三四郎が九州から列車で上京する場面で、遠いので途中の名古屋で宿泊することになり、そこで間違って女性と相部屋にされてしまいます。困っている女性を宿なしにするわけにもいかず、かといって明治時代には男女が相部屋なんてもってのほか!という価値観も今より強かったことでしょう。

三四郎は努めて女性を避けようとしますが、女性ははっきりとではないけれど誘惑するような雰囲気を出してきます。

三四郎としては訳が分からず、あいまいな態度で濁しながら警戒してかわしますが、翌日の別れ際に女性から「あなたは意気地のない人ですね」(この通りの文言ではないかもです。手元に本がないので…。)と言われます。

 

私は初読の時、物語の冒頭と言ってもいいところに、なんでわざわざこの場面が必要なんだろうと疑問に思いました。その後この女性と再会してなにか問題が起きたりする伏線なのかなあ…とか勘ぐったりして。

でもそれは私がミステリーばっかり読んでいる弊害で、伏線回収に目を光らせながら読む習慣がついているせいです。

作中でその女性は二度と出てきませんでした。だから、なぜこの場面が必要なのかと思ったわけです。

 

後になってから、郷里から出てきたばかりの三四郎が世間知らずで無垢であることや真面目な性格であることを読者に印象付けるエピソードだったのだと気づきました。はっきり物申すようなタイプではないということも分かります。

 

また、三四郎が列車に乗っている場面で、乗客が食べ終わった弁当の箱を窓から外に捨てる描写があります。私はそれを読んでびっくりしたんですが、当時はそれが当たり前だったというのを後で知りました。

 

東京に来てからの三四郎は、友人の与次郎と洋食屋にライスカレーを食べに行って「学問ばかりではなくて世間のことも知らなくちゃな」(文言は全然違います。意訳です。)と言われたり、美彌子も含めた数人で菊人形見物に行ったりと青春を謳歌してるな~と感じます。

 

何が言いたいかというと、「三四郎」は明治時代の平凡な学生である主人公を通して、当時の若者の青春を追体験する小説だということです。

三四郎は真面目で好青年だと思いますが、悪い言い方をすれば個性が感じられない人物です。

彼の周りで起きる日常の小さな事件は、誰にでも起こりうることです。特別稀有な出来事とは感じられません。

三人称で書かれており、三四郎の胸の内はそれなりに描かれてはいるものの、あからさまではありません。彼の行動や言葉から推測することになります。

 

恋のときめき、苦悩、友情など、時代は変われど普遍的な感情が描かれている一方で、明治時代の日常の描写は今の私たちの常識からはかけ離れている部分もあり、それを発見するのもこの小説の楽しみの一つだと思います。

この時代の価値観というものがあるので、恋愛一つとっても、親の許しがないと結婚できないだろうし、面識がなくても同郷の先輩が面倒を見てくれたり、ヒロインの美彌子は美しいだけでなく教養もあるのですが、それはともすれば生意気と捉えられたり…現在の価値観とはやはり違います。

 

しかし今は多様性の時代。価値観とは時代や場所、個人の置かれている状況や経験などによって変わるものです。明治時代の価値観は今の時代からは逆行してはいますが、自分とはちがう価値観で物事を見る練習にはなるという一面もあります。

以前にも書いたことがありますが、作品が書かれた当時の価値観を理解せずに現在の価値観でぶった切ってばかりでは、作品が伝えてくれる本質を捉えられずにもったいないばかりですので…。

 

さてさて、だらだら書いてしまいましたが、興味をお持ちになった方は、「三四郎」を読んで、明治時代の学生の青春を追体験しちゃいましょう。

私が読んだのは新潮文庫でしたが、角川書店や集英社、電子書籍でも出ているし、今は絶版になっているものも…とにかくたくさんいろんな版があるので、カバーデザインや文字の大きさなどお好みの本を探すこともできます。

(私は昔の角川文庫のデザインが好きで図書館で探す時にあればいいなーと思ってましたがなく、記事を書くにあたって調べた時に中古でしか発見できませんでした。残念ながら絶版になったみたいです。下に貼ります。)

 

 

おすすめいたします。(*^▽^*)