しろばんば
井上靖の作品に『しろばんば』という長編小説があります。
発表されたのは昭和37年のようですから、50年近く前の作品ということになります。
主人公の洪作は、5歳の時から郷里の天城山麓の小さな村で、曾祖父の妾・おぬい婆さんと暮らしていました。
実父は軍医だったため、師団のある豊橋を離れるわけにはいかず、母や妹も豊橋住まい、洪作だけが父の出身地で暮らしていたのです。
子どもの目線で書かれた秀作といえば、誰しも中勘助の『銀の匙』を思い出すのですが、この『しろばんば』には、ある種の力強さがあります。
時代設定が大正時代、ということも影響しているのでしょうか。
洪作は夏休みに、おぬい婆さんに連れられ豊橋へ出かけますが、蒸気機関車に乗るのは初めてのことです。
彼は、村の人たちに見送られ、馬車に乗り、次に軽便鉄道に乗り、やっと沼津から蒸気機関車に乗ります。
その間、洪作は、どれほどの人間に出会ったことでしょう。
何人に話しかけられたことでしょう。
手土産を託されたり、見ず知らずの人の世話になったり……。
大正時代に、伊豆から豊橋まで出かけて行くってことは、少年にとっては(いや、当時の大人でも)大変だったのです。
大旅行でした。
洪作少年は、蒸気機関車に乗り込み、4人向かい合わせの座席に困惑します。
同席した客が善人とは限らない、と彼は思ったのです。
お菓子をあげるって言われても、食べて良いものかどうか、疑うのです。
でも、悪人ではなかったらどうしよう。彼はそんなことも考え、対応に苦慮します。
私はこの小説を新幹線の中で読んでいましたが、すべての座席は列車の進行方向に向けられています。荷物は出発前、宅配便で送りました。
ですから、自分の旅行を振り返ってみると、ほとんど誰とも会話をしていないのです。
それが当たり前だと思っていました。
その点、『しろぼんば』が描く車中の様子は違います。
4人向かい合わせの座席ですと、何らかの気遣いが必要になってきます。
昔はみんな、そんな座席で人間とふれあったのです。
昔の車中は、それ自体が社会だったのです。
洪作はまだ子どもですから、必要以上に悩んだりしたのですが、それが得難い体験だったはずですし、昔の人は、みんな開放的で、世話好きで、知らない仲でも声をかけ合うのです。
助け合うのです。
罵ることがあっても、引き際をわきまえています。
昔の少年は、こんな環境のもとで育ったのです。
現代に生きているわれわれは、利便性に引き換えて、多くのもの(あるいは大きなもの)を見失っているのではないでしょうか。
パワーポイント
私は学生の頃から、研究会とか研修会とか講演会といったものに、いったい何十回、何百回参加してきたことでしょう。
ある日、ある会合で、私は大きな変化に気づきました。
その時の会合の講演者は、研究業績も多い学者で、興味深いお話を次々ご披露なさっていたのですが、私は途中から睡魔に襲われ、閉口しました。
私が気づいた大きな変化というのは、発表者(講演者)の「発表の仕方」の変化です。
その変化は、ワープロやパソコンの普及によって生じ、パワーポイントの活用で拍車がかかったように思います。
昔は、私もそうでしたが、発表者が手書きで資料をつくったものです。
聞き手は配布された資料や、自分のノートにメモをしていました。
今は違います。
パワーポイント方式ですと、スクリーンに映し出されるものと、ほぼ同じものがプリントで配布されます。
私は、パワーポイント方式の発表を聴いていますと、上品なニュース番組を観ているようで、発表者との間に妙な距離感を感じてしまうのです。
以前は、発表者の肉筆に接する喜び・親近感がありましたし、論の展開が次第に加速されていくその場の雰囲気に、こちらも知らぬ間に引き込まれ、一体感のようなものが体験できました。
最近、私が途中から眠くなるのは、老化現象ということもあるでしょうが、「発表の仕方」が「上品」過ぎるのも一因ではないかと思います。
今の発表会は、大過なく終わります。
質疑応答の時間もあまり長く設定されていません。
パワーポイントは、短文でスクリーンに映し出されますから、微妙な論理構成が判りません。
逆に、データは細かすぎる例が多く、データを読み取ろうとしている間に、話は先に進んでいきます。
発表されているお方は、淀みなくお話をなさっていらっしゃるのですが、聞き手にすれば、力点がどこにあるのか、よく判りません。
力点が多すぎるため、私みたいな聞き手には、理解不能となり、ついには睡魔と闘う仕儀に相成る、ということなのでしょう。
シンポジウムというのは、夜を徹して酒を飲み、時には喧嘩もし、参加者がそれぞれ自由に(時には自分勝手に)意見を言う形式としてヨーロッパで発達、定着した経緯がありますが、最近はシンポジウムでも、フォーラムでも、研究会でも講演会でも、何だか「上品」過ぎます。
「上品」と私が言っているのは無論、私なりに批判の意味を加えているのですが、端的に申せば、近年の会合には「無難に済ませる」ものがあまりにも多い、ということです。
「無難に済ませる」ため、発表者も受講者も「参加の喜び」を味わうことなく、予定時間どおりに散会、となります。
われわれは、こんな傾向に異議を唱え、「真のふれあいの場」を増やしていくべきではないでしょうか。
子守唄よ
石垣りん『焔に手をかざして』の中に、中原中也の詩が引用されていました。
私は、中也の詩が大好きなのですが、「子守唄よ」という詩を知りませんでした。
石垣氏は、この詩の解説文で「哀切」という言葉を使っていらっしゃいますが、私は10回、20回とこの詩を読むうちに、母親の「ひたむきさ」や「無償の愛」といったものを感じるようになりました。
皆様は、どのようにお読みになるでしょう?
石垣著からの孫引きになりますが、以下、中原中也「子守唄よ」を全文引用しておきます。
「子守唄よ」
母親はひと晩ぢう、子守唄をうたふ
母親はひと晩ぢう、子守唄をうたふ
然しその声は、どうなるのだらう?
たしかにその声は、海越えてゆくだらう?
暗い海を、船もゐる夜の海を
そして、その声を聴届けるのは誰だらう?
それは誰か、ゐるにはゐると思ふけれど
しかしその声は、途中で消えはしないだらうか?
たとへ浪は荒くはなくともたとへ風はひどくはなくとも
その声は、途中で消えはしないだらうか?
母親はひと晩ぢう、子守唄をうたふ
母親はひと晩ぢう、子守唄をうたふ
淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だらう?
淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だらう?
優しい言葉
今回は、「美しい言葉」「考える言葉」に次ぐ続編です。
①幸いは、小さな器に一滴ずつ落ちる水のようなものだ。
満たすには時間がかかるが、それでいい。
近くに多くの水が流れ落ちる場所があっても、欲をかいて真下に行ってはならない。
器が小さければ、溢れるに決まっているのだから。(三羽省吾『厭世フレーバー』より)
②人それぞれの外面の特徴となって表われる様々な「癖」は、その人なりの内面の喜びや哀しみを端的にデフォルメした表現である場合が少なくない。(藤沢周平『たそがれ清兵衛』所収の縄田一男解説文より)
③彼らの生きる姿には、人を疑う心というものがなかった。
人間と人間は肩を寄せ合い、心を開いて手と手を繋ぎ合って生きていくものなのだ、と教えてくれているようだった。(白川道『単騎、千里を走る。』より)
④大きな飛躍、現状の打破を可能にするのは教育されていない無垢さだ。
理性や大人の責任感は冒険の妨げになるだけだ。(町山智浩『<映画の見方>がわかる本』所引のスピルバーグ監督の言葉)
⑤この雪が来た晩の静かさ、戸の外はひっそりとして音一つしなかった。
あれは降り積もるものに潜む静かさで、ただの静かさでもなかった。
いきぐるしいほど乾き切ったこの町中へ生気をそそぎ入れるような静かさであった。(島崎藤村「雪の障子」より)
⑥おれたちだけで食ったら腹は満足するが、気持がわるいやろ。
みんなに分けたら足らんけど、まあすまない気がせんやろ。
お前も平気で怒れるやろ。怒っても悪かったという気にならんでよいやろ。
それが心の満腹だというのやとわしはきいたことがある。みんなうまそうに食いよった。
それでよいのや。(会田雄次『アーロン収容所』中の会話文より)
⑦働くことが、あたしにとってはたった一つの、何よりの喜びでした。……自分一人のために働くということは、ちっとも楽しいものではありません。(イプセン『人形の家』のリンネ夫人のセリフより)
⑧砂は決して休まない。
……砂の不毛は、ふつう考えられているように、単なる乾燥のせいなどではなく、その絶えざる流動によって、いかなる生物をも、一切うけつけようとしない点にあるらしいのだ。
年中しがみついていることばかりを強要しつづける、この現実のうっとうしさとくらべて、なんという違いだろう。(安部公房『砂の女』より)
⑨彼は、また働く。
土がめくれる。
それは、つるはしを打ちつけて引いた力の分だけめくれあがるのだった。
スコップですくう。
それはスコップですくいあげる時の、腰の入れ方できまり、腕の力を入れた分だけ、スコップは土をすくいあげる。
なにもかも正直だった。
土には、人間の心のように綾というものがない。彼は土方(どかた)が好きだった。(中上健次『岬』より)
⑩私には何の不満もない。
まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思う事が無かった。
もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。
平和とは、こんな気持の事を言うのであろうか。
もし、そうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。
先年なくなった私の生みの母は、気品高くおだやかな立派な母であったが、このような不思議な安堵感を私に与えてはくれなかった。
世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いを与えてやっているものなのだろうか。
そうだったら、これは、何を置いても親孝行をしたくなるにきまっている。
そんな有難い母というものがありながら、病気になったり、なまけたりしているやつの気が知れない。
親孝行は自然の情だ。
倫理ではなかった。(太宰治『津軽』より)
考える言葉
このコーナーで以前(2008年11月20日)、「美しい言葉」と題するものを掲載しましたが、今回はその姉妹編です。
ちょっと気取った題名にしてみました。
私自身、考えるヒントになればと思い、大切にしてきた文章なのですが、皆様はどのようにお読みになりますか?
①人間にはお腹の底から笑えることがあるんだ。
それが生きるってことなんだということを、私は子供たちにちゃんと教えてやりたいんです。(伊集院静『機関車先生』中のセリフより)
②何もしないで、ただ、存在するだけで、満ち足りている、……世の中にこれほど仕合せなことがあるだろうか。(白洲正子『夕顔』より)
③味よりも栄養といったことだけが進むと、食品が過激な自然食になったりして、美味しい不味いはどうでもよくなり、正しい正しくないだけが問題となる。
食べ物を舌ではなく、頭で食べるようになる。(赤瀬川原平『ゼロ発信』より)
④優しさは公平であろうとする精神から出ずるように見えた。
わたしに優しくしよう、というものではなく、わたしの意見を先入観なく耳に傾けよう、という教師的態度から優しさが生まれてくる。
ただ優しくされるよりも、これは数段気持ちのいいことだった。(川上弘美『センセイの鞄』より)
⑤人間が出来て、何千万年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んで行った。
私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。
しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。
それで差支えないのだ。(志賀直哉「ナイルの水の一滴」)
⑥毎日夢を追いながら飛びまわっている彼等の姿には、生きることに賭けているいじらしさがあふれていた。(北小路健『古文書の面白さ』より)
⑦子どもの「早く」と大人の「早く」は時間的にはずいぶん違います。
子どもは子どもなりに早くしているのです。……子どもはよく見ています。
お母さんは頼んでも早くしてくれないときがある。
お母さんの都合で「早く」と言う場合があることもよく知っています。(川田珣子『園長のひとりごと』より)
⑧競馬場でただ走ることが宿命の馬と、はずれ馬券を細かく千切る男達は、もしかしたら、同じ目をしているのかも知れない。(向日邦子『父の詫び状』より)
⑨子育ては群れの文化なのに、我が国では群れを失い、あっても文化を共有できずにいる。(中沢正夫『なにぶん老人は初めてなもんで』より)
⑩みんな何かを犠牲にして生きる。
ところが君はそのことでずっと憤っていた。
なくしたもののことばかりを考えていた。君は分かってなかったんだ。
犠牲も人生の一部だってことが。(ミッチ・アルボム『天国の五人』中のセリフより)
ある母の物語
ある日、少年は、新品のミシンで遊んでいました。
両親が親類の結婚式に出かけ、留守をしていましたから、そのすきに、こっそりミシンを動かしていたのです。
昔のミシンは、右手で太い金属の輪を回し、勢いがついたところで、両足で漕ぐように動かさねばなりません。
足をリズムよく動かさないと、ミシンは止まってしまいます。
少年にとっては、そんなミシンが面白く、母のやり方を思い出しながら、夢中になって遊んでいたのです。
でも、予想外のことが起きました。
何が原因か、よく分かりません。
止めたはずのミシンが動き、右手の中指に、ミシン針が突き刺さりました。
どうも貫通したようです。
少年は泣き叫びました。手がちぎれそうに痛むのです。
でも、針は全然抜けません。
そこへ、少年の母が帰ってきました。母は、少年の様子を見るなり、結婚式の引き出物を放り捨て、
「何をした? このバカもんが!」
と怒鳴りました。
母は、必死になってミシン針を抜こうとしていましたが、うまくいきません。
近所の人を呼んできて、二人がかりでやっと抜いたのでした。
血が噴き出しました。
それを見て、少年はまた、大声で泣きました。
母は、怒鳴りました。
「勝手なこと、しておいて、泣くんじゃない!」
泣いている少年の頭を叩き、自転車に乗せ、病院に駆けつけました。
母は道中、礼服の乱れも構わず、凄い勢いで自転車を走らせました。
「かあちゃんが、助けてやる」「かあちゃんが、助けてやる」……
少年は、母の腰にしがみついていただけですが、まるで呪文のように、何度も何度も同じ言葉を母が繰り返し言っていたことだけは、いまも覚えています。
あの時の母は、今では86歳になり、認知症がかなり進んでいます。
かつての少年が帰省した折、右手の傷を見せると、
「あんたさん、これ、どうなすった?」
「あなたのおかげで、指はちゃんと動きますよ」
ささくれだった母の両手から、そっと右手を抜き、肩を揉んでやったのです。
「どなたさんか、しらんけど、うまいもんやねえ…。ありがたいねえ。ほんとうに、ありがとうねぇ…」
かつての少年は、長い間、胸の奥にしまっておいたものが急に溢れ出し、困りました。
「かあちゃん、ありがとう」「かあちゃん、ありがとう」……
やせ衰えた肩を揉みながら、昔の母のように、何度も何度も同じ言葉を繰り返し言ったのでした。
年頭所感
新年明けましておめでとうございます。
皆様には旧年中、いろいろご支援いただき、あらためて御礼申し上げます。
今年も宜しくお願い申し上げます。
さて、年頭に際し、当園の特色のひとつである「スモック」について、取り上げておきたいと思います。
スモックは本来、仕事着のことをいうのですが、子どもにとっての「仕事」は、もちろん「遊び」なのですから、字義からしても、遊び着をスモックと呼んでいいわけですし、当園では今後も、このスモックを保育の大切な柱とする方針を貫きます。
登園、降園の際は制服ですが、保育室に入ると、自分でスモックに着替え、制服などの整理整頓も自分でやるように指導しています。
着替えに時間がかかる子もいますが、担任は、ゆっくり、あたたかく、着替えの子どもを見守ります。
先に着替えを済ませた子が、後から登園してきた子のお手伝いをする場面を見かけますと、私は胸がジーンと熱くなります。
友だちに対し、お母さんになったような口調で、やさしくお世話をする子……。
ほんとうに微笑ましく、ご家庭の躾の素晴らしさを感じます。
保護者の皆様は、布を裁断なさった時から、縫っておられる時、そして出来上がった時まで、ずっとご自分の子がスモックを着る姿を想い描かれておられたのではないでしょうか?
子どもは、そんな親の愛情につつまれ、幼稚園で元気いっぱい遊びます。
色もデザインも違う、いろんなスモック姿が園庭に溢れます。
保育者は、子どもたちがテラスで靴を履き替え、保育室や廊下で服を着替える様子を見て、彼ら彼女らの体調や、心の有り様を的確に把握します。
たかがスモック、ではないのです。
スモックは、親、子、保育者が三位一体化する「絆」なのです。
どの世界でも「個性重視」が叫ばれていますが、組織・国家の都合や、利益向上の「個性重視」があるとすれば、それはむしろ「個性軽視」です。
もっといえば、人間の尊厳に対する冒涜です。
当園では、真の「個性重視」の「証し」として、スモック姿の子どもたちを、常にあたたかく見守り、大切に育てていきたいと思います。
子育てナショナリズム
みなさんは今年、オリンピックを堪能されましたか?
記憶力の悪い私のことですから、間違っていたらご容赦いただきたいのですが、男子卓球団体戦における、たしかオーストリア選手だったと思いますが、凄まじいスマッシュのラリーに負けた時、その場でラケットを卓球台に置き、相手の選手を拍手で褒め称える、というシーンがありました。
私は感動しました。素晴らしい光景でした。
4年前のオリンピックの時には、コラムニストの天野祐吉さんが、ナショナリズムを吹き飛ばすような「地球村の大運動会」にしよう、と呼びかけていたのが印象に残っています。
オリンピックは、真の国際人になるか、偏狭な国粋主義者になるか、紙一重のところがあります。
私自身の経験からすると、親の立場にも似たところがあるように思います。
自分は「子育てナショナリズム」に陥っていないか、そんな自己点検ができる心の余裕を持ちたいものです。
私は、いま振り返ってみて、反省することばかりです。
「親は、子どもと共に成長せねばならない」とは、よく耳にする言葉ですが、はっきり言えることは、子どもの成長のほうが親の成長より速い、ということです。
子どもは、海綿体のように、何でも吸収し、どんどん成長します。
しかし、大人は(親は)、そうはいきません。
なぜなら、「信念」が邪魔したり、「生活の疲れ」があるからです。
みなさん、辛いことですが、こんな自問自答をしてください。
「自分は、子どもが自分を必要にしているから、子育てをしているのか、自分が子どもを必要にしているから、子育てをしているのか」
私は、正直に告白すれば、自分のために子育てをしてきた気がするのです。
「子育てナショナリズム」の第1の犠牲者は、自分の子どもです。
カラオケ
私は、カラオケ大嫌い人間でした。
今は、「でした」と、過去形で語れる自分が幸せです。
私が初めてカラオケ・スナックに入ったのは、今年の2月12日のことでした。
前の日、かつての教え子たちと呑んでいたら、
「先生も1つぐらい趣味を持ったらどうですか? カラオケ、いいですよ。気分転換になるし、内臓脂肪も減るらしいですよ」
と言われ、挑戦してみる気になりました。
「ヨシ!」と気合いを入れ、お店に入ったのですが、すごく盛り上がった店内の雰囲気に圧倒され、私はこっそり、隅っこに座りました。
しばらくし、恐る恐る歌ったのは、「東京流れもの」という、学生時代に観た映画の曲でした。
歌い終わったら、拍手がありました。私でもウケるのか、と一瞬喜んだのですが、それは私の大きな誤解でした。
拍手に混じり、「よかった、よかった。
短い曲でよかった」というヤジが飛んできたのです。
でも、不思議なことに、そのヤジには、トゲのようなものが感じられませんでした。逆に、何とも言えないような温かいものが伝わってきたのです。
それ以来、同じ店に通っています。
女性の歌の方が歌いやすい、とか、歌ってて音楽が聴こえるようにならないといけない、とか、歌いやすい曲ばかり歌っていてはダメだ、とか、歌詞をちぎっては投げ、ちぎっては投げるように歌え、とか、天井を向いて歌う練習をすると、楽に歌えるようになるとか、とにかくいろんなことを教えてもらいました。
今では時々、「やんや、やんや」という、かけ声を頂戴することがあります。「いいぞ、いいぞ」という声援です。
帰る時、普通なら、「また来いよ」って声がかかると思うのですが、私が通っている店では、「また来るなよ」と言われます。
「おい! 罰金は払ったか?」なんて言われることもあります。
しかし、そんな声が私にかかるようになったのは、カラオケ仲間の一員として認められたからでしょう。
ほんとうに気のいいお客さんばかりです。
いい店です。
でも、お客さんの中には、闘病中の人がいたり、配偶者と死別した人や、親孝行できなかったことをいまだに悔やんでいる人など、それぞれに「心の闇」を秘めている人が多いようなのです。
歌や笑いには、「涙」が隠されていたのです。
だから、人に優しいのです。
だから、店も温かいのです。
そんなことを知ったのは、通いはじめて何ヶ月も経ってからのことでした。
郵便ポスト
年賀状を書く時期ですが、それで思い出すのが「敬老の日」に関わる園外保育のことです。
「敬老の日」までに届くようにと、各組の担任の先生方は、おじいちゃん、おばあちゃんへの手紙をつくるように子どもたちに呼びかけ、その手紙が出来上がった時、みんなで近くのポストや郵便局まで出向き、投函しました。
局長さんからは、風船を頂戴したそうです。
その日の私は、園を留守にできない用事があって、風船の話は、園外保育が終わって聞いたのですが、ありがたいことだと思い、お礼のため、郵便局まで出向きました。
いま確認すると、9月12日のこと、と記録にあります。
あの時も思ったのですが、郵便ポストは、郵便制度に裏付けられていなければ、単なる赤い箱です。
鉄道のレールも同じです。
それだけでは、長い2本の鉄の棒にすぎません。
人間は長い年月をかけて、分業と協業のしくみを作り上げ、効率的な社会を構築しました。
ただ、分業というのは理解しやすいように思うのですが、協業はどうでしょう?
郵便ポストは、分業上必要な箱ですが、協業があってはじめて機能する箱です。
現代社会は、複雑に細分化されすぎてしまったため、協業の一翼を担っている、という実感が働いている人間でさえ、抱きにくくなっているのではないでしょうか?
だとすれば、小さな子どもたちに、今の社会のしくみを分かってもらうには、保育の面でも工夫が必要になってきます。
子どもたちは、「敬老の日」に先立つ園外保育によって、働いている人たちのおかげで自分たちの手紙が相手に届くのだ、ということは分かってくれたと思いますが、協業という、人間の結びつきまでは実感できなかったかもしれません。
今後は、このような面での保育の研究も進めていきたいと思います。
さて、後日談です。
園に1枚のハガキが届きました。
「元気で、楽しい幼稚園生活が、目に見えるようです。とても嬉しいです。」
こんな文面のハガキでした。
ご夫婦ともご健在なのでしょう。
「園児の祖父母より」と書かれていました。
有り難いハガキです。いまも大切に保管しております。