パワーポイント | OFF-TIME

パワーポイント

私は学生の頃から、研究会とか研修会とか講演会といったものに、いったい何十回、何百回参加してきたことでしょう。


ある日、ある会合で、私は大きな変化に気づきました。


その時の会合の講演者は、研究業績も多い学者で、興味深いお話を次々ご披露なさっていたのですが、私は途中から睡魔に襲われ、閉口しました。


私が気づいた大きな変化というのは、発表者(講演者)の「発表の仕方」の変化です。

その変化は、ワープロやパソコンの普及によって生じ、パワーポイントの活用で拍車がかかったように思います。


昔は、私もそうでしたが、発表者が手書きで資料をつくったものです。

聞き手は配布された資料や、自分のノートにメモをしていました。


今は違います。

パワーポイント方式ですと、スクリーンに映し出されるものと、ほぼ同じものがプリントで配布されます。

私は、パワーポイント方式の発表を聴いていますと、上品なニュース番組を観ているようで、発表者との間に妙な距離感を感じてしまうのです。


以前は、発表者の肉筆に接する喜び・親近感がありましたし、論の展開が次第に加速されていくその場の雰囲気に、こちらも知らぬ間に引き込まれ、一体感のようなものが体験できました。


最近、私が途中から眠くなるのは、老化現象ということもあるでしょうが、「発表の仕方」が「上品」過ぎるのも一因ではないかと思います。


今の発表会は、大過なく終わります。

質疑応答の時間もあまり長く設定されていません。


パワーポイントは、短文でスクリーンに映し出されますから、微妙な論理構成が判りません。

逆に、データは細かすぎる例が多く、データを読み取ろうとしている間に、話は先に進んでいきます。


発表されているお方は、淀みなくお話をなさっていらっしゃるのですが、聞き手にすれば、力点がどこにあるのか、よく判りません。


力点が多すぎるため、私みたいな聞き手には、理解不能となり、ついには睡魔と闘う仕儀に相成る、ということなのでしょう。


シンポジウムというのは、夜を徹して酒を飲み、時には喧嘩もし、参加者がそれぞれ自由に(時には自分勝手に)意見を言う形式としてヨーロッパで発達、定着した経緯がありますが、最近はシンポジウムでも、フォーラムでも、研究会でも講演会でも、何だか「上品」過ぎます。


「上品」と私が言っているのは無論、私なりに批判の意味を加えているのですが、端的に申せば、近年の会合には「無難に済ませる」ものがあまりにも多い、ということです。


「無難に済ませる」ため、発表者も受講者も「参加の喜び」を味わうことなく、予定時間どおりに散会、となります。


われわれは、こんな傾向に異議を唱え、「真のふれあいの場」を増やしていくべきではないでしょうか。