子育てナショナリズム
みなさんは今年、オリンピックを堪能されましたか?
記憶力の悪い私のことですから、間違っていたらご容赦いただきたいのですが、男子卓球団体戦における、たしかオーストリア選手だったと思いますが、凄まじいスマッシュのラリーに負けた時、その場でラケットを卓球台に置き、相手の選手を拍手で褒め称える、というシーンがありました。
私は感動しました。素晴らしい光景でした。
4年前のオリンピックの時には、コラムニストの天野祐吉さんが、ナショナリズムを吹き飛ばすような「地球村の大運動会」にしよう、と呼びかけていたのが印象に残っています。
オリンピックは、真の国際人になるか、偏狭な国粋主義者になるか、紙一重のところがあります。
私自身の経験からすると、親の立場にも似たところがあるように思います。
自分は「子育てナショナリズム」に陥っていないか、そんな自己点検ができる心の余裕を持ちたいものです。
私は、いま振り返ってみて、反省することばかりです。
「親は、子どもと共に成長せねばならない」とは、よく耳にする言葉ですが、はっきり言えることは、子どもの成長のほうが親の成長より速い、ということです。
子どもは、海綿体のように、何でも吸収し、どんどん成長します。
しかし、大人は(親は)、そうはいきません。
なぜなら、「信念」が邪魔したり、「生活の疲れ」があるからです。
みなさん、辛いことですが、こんな自問自答をしてください。
「自分は、子どもが自分を必要にしているから、子育てをしているのか、自分が子どもを必要にしているから、子育てをしているのか」
私は、正直に告白すれば、自分のために子育てをしてきた気がするのです。
「子育てナショナリズム」の第1の犠牲者は、自分の子どもです。