その日、俺は、いつもより早く「ジェイク」に着いた。リハーサルまで30分程時間があったので、カウンターに腰掛け、コーラを飲みながら、ウォークマンでプリンスの「Around the World in a Day」をフルボリュームで聴いた。周囲の連中は彼のことを「変態」とか「紛い物ソウル」などと言って馬鹿にしていたが、俺は、プリンスこそ現代音楽の天才であると信じてやまなかったし、この新譜には、大袈裟ではなく震えがくる程の凄みを感じ、ただただ圧倒されていた。
POP LIFE!
誰もがトップになれるわけじゃない
でもポップに生きなきゃ
人生まったくイカさないぜ
2021年以降に更新した記事わずか7本。かような超スローペースでもなんとか継続させていただいている拙ブログですが、来週から月1回更新を目標に再開したいと思っています。
実は、今年の初め、新宿三丁目のロックバーの同人誌にロックンロール小説もどきを掲載する手はずで原稿を送ったのですが、その後マスターが入院されたり、予定している他の原稿が揃わなかったりと、いまだ発表の目途が立っていないため、こちらで連載を始めることにしました。タイトルは「Rock 'N' Roll Is Here To Stay」。お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、故アレックス・チルトン率いるビッグ・スターの名曲「Thirteen」の歌詞の一節から拝借しました。ちなみに、このフレーズは、かの伝説のロックバー、COMMON STOCK(コモンストック)の営業終了後に流れる電話のメッセージでも使われていたとのこと。
今後は、以下の3本の連載に絞って更新していこうと思います。
・Rock 'N' Roll Is Here To Stay(1985年のCock and Bull Story)
・フォーク・ソングを殺したのは誰
・フォークゲリラを知ってるかい
「Rock 'N' Roll Is Here To Stay」は、イラストもオリジナル作品を使用する予定です。随分とブランクが空いてしまいましたが、また読んでいただけると嬉しいです。
雨上がりの底冷えする初冬の夜。千代田区二番町の狭い歩道の一角に押し込められた900人の市民が抗議の声を上げる。Shame on Israel! Israel shame on you! 100m程先にあるイスラエル大使館前の道路は警官隊に封鎖され、市民は近づくことができない。「私達がいる日本とパレスチナは遠く離れています。だけどここからでも声を上げることは無力ではないと思います」。総がかり行動実行委員会青年PTの若者がアピールする。今回、追い詰められた弱者の抵抗は、最悪の形で暴発してしまった。一般市民に対する拉致と殺戮は絶対に許されることではないが、その報復として、圧倒的な軍事力を行使して無抵抗のガザ市民を虐殺してよいはずがない。何より心揺さぶられ、怒りや悲しみを通り越し、絶句する程の絶望の感情が沸き上がってきたのは、イスラエル軍に包囲され燃料の供給が途絶えたシファ病院で、電力が尽きた保育器から生まれたばかりの赤ん坊がベッドに移され、瀕死の状態であえぐ映像だ。ずっと自問自答している。暴力も殺戮も当然否定する。しかし、絶望の淵に生きる人々のぎりぎりの抵抗をテロと呼んで切って捨ててもよいのであろうか。圧倒的な暴力と不条理の下、支配され隷属を強いられ、やるせない怒りに押しつぶされそうになっている人々に非暴力を唱えることはどれだけ意味があるのであろうか。答えはいまだに出ないが、それでも叫び続けるしかない。殺すな。殺させるな。
千代田区二番町の路上で、ぼくは、東京大空襲から命からがら生き延びた太田キヨコさんのことを考えていた。シュプレヒコールの向こう側から彼女の声が確かに聞こえたような気がした。
Do you feel ashamed. When you hear my name?
意気盛んな真木は、同年8月13日から15日にかけて、「マイク真木の世界」と題する初のリサイタルを名古屋・名鉄ホールで開催する。構成・演出・音楽を数年来の真木のフォーク・ソング仲間でありブレーンでもある仁(ひとし)と義(ただし)の日高兄弟が担当し、舞台美術には父小太郎が腕を奮ったこのショーは、当時のフーテナニーの典型的なスタイルを踏襲したプログラムになっているので、少しだけ当日の様子を見てみよう。(注3)
オープニングは、出演者全員による「我が祖国(This Land is Your Land)」の合唱。続けて、フォーク・ソング・メドレー、まず、真木が盟友日高義のペンによる「君の町」と「赤い貝がら」を弾き語ると、PPM+1(女性1人と男性3人)編成のフォア・ダイムズが「ハンマーを持ったら(If I Had a Hammer)」「悲惨な戦争(The Cruel War)」の2曲を美しく歌い上げる。続けて、揃いの半袖ストライプのボタンダウンシャツを着た男性3人組ニュー・フロンティアーズが、本家キングストン・トリオ顔負けの達者な演奏と三重奏のハーモニーで「M.T.A」と「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」を披露。会場全体が大いに盛り上がったところで、再び真木がベースの吉田勝宣を従えて登場。ここからは、真木のオンステージである。当時の学生コンサートでよく歌われていた友利謙三の「あの光が忘れられようか」を熱唱した後、「同じ国に住んで」「白、黒、黄色、赤」「マリアナの海」「いじめっこの歌」等々のオリジナルナンバーをギターとバンジョーを器用に持ち替えながら歌う。フォーク・ソング仲間であるザ・カッペーズの川手国靖が書いたチャーミングな小曲「小さな歌」を静かに歌い終わると真木退場。ホールが暗転し、程なくして照明が点くと、ステージには再度出演者全員登場、日高義作による「歌おうよ 叫ぼうよ」を、真木と瀬戸龍介(ニュー・フロンティアーズ)のバンジョー合戦を交えながら楽しくシングアウト。次いで、フォア・ダイムズが軽快なPPMナンバー「ベティー&デュプリー」と「カム・アンド・ゴー・ウイズ・ミー」を歌うと、ニュー・フロンティアーズも負けじと、キングストン・トリオの「バヌア」と「ハード・エイント・イット・ハード」をバンジョーの速弾きと迫力満点のハーモニーで躍動感たっぷりに聴かせる。そして、会場の誰もが待っていた歌、「バラが咲いた」を真木が客席と一緒に歌った後、「我が祖国」の大合唱で幕となった。真木は、2時間の公演を声をかぎりに、ほとばしる汗を拭こうともせずに歌い切った。満員の客席からは割れんばかりの拍手と歓声がしばらく鳴りやまなかった。こうして、1966年夏の名古屋のリサイタルは、真木にとって生涯忘れられないステージとなった。
同じ頃、先に真木がゲスト出演した「木島則夫モーニング・ショー」では、サブ司会の栗原玲児が「なんとも疲れました」とコメントし、8月いっぱいで急遽降板することを表明していた。栗原は、この“日本初のワイドショー”において、正義感を生にぶつけてズバズバ直言する若者代表の役割を求められ、メイン司会の木島則夫と激しく議論する場面も多かった。そのため、この降板には、「木島との不仲が原因では」「政治的な圧力があったのでは」などの憶測も立ったが、ここでは、その真相には立ち入らない。しかし、元NHKのアナウンサーであり、博報堂を経て、フリーの放送作家として音楽番組の構成、司会も担当し、何より知識豊富で頭の切れが抜群に良く、体制批判も厭わなかった栗原には、経済団体から局上層部に対して苦言が呈されていたのは確かなようだ。(注4)
栗原の後任として抜擢されたのが真木であった。当時、日大芸術学部放送学科の現役大学生でもあった真木は、学問を実践できること、そして、自分の歌を広く伝える場ができることから、「是非やりたい」と自ら希望したという。真木が所属するフィリップス・レコードはこれに強く反対した。政治を含めた日々のニュースを取扱い、「やや左翼的でアメリカに対して非友好的な傾向にある」と政府から警戒の目を向けられているこの番組にレギュラー出演することは、真木のデビューの経緯を考えると到底容認できる話ではなかった。ディレクターの本城和治氏が何度も思いとどまるよう説得したが、真木の決意は変わらなかった。しかし、この懸念は、一方では的中し、一方では杞憂に終わる。前者はレコードセールスの低迷という点において、後者は左翼勢力を利するのではないかという点において。(注5)
今、東京の感染者数はまた増えてきている。オミクロン株XBB系統の割合も上昇しており、実はもう第9波に入っているのではないかという気さえする。そんな中、明日8日から新型コロナは季節性インフルエンザと同等の5類感染症に移行する。感染状況の不可視化、すなわち、コロナがこれまで以上に見えない敵となり、無防備な人々を攻撃するような事態にならないことを祈る。もう、パンデミックや戦争や災害で死者が「数値化」されるニュースは聞きたくない。(そもそも、コロナの日々の死者数は、5類移行に伴い公表されなくなるため、「数値化」すらできない状況になるわけであるが。)
コロナ禍において、ぼくは一人の歌姫に魅せられ続けた。彼女の歌声は、美しく屈折し、優しくて残酷であり、透き通りながらドスの利いた凄みがある。それは、先月発表されたニューアルバム「Did you know that there's a tunnel under Ocean Blvd」にも満ちていて、「Norman Fucking Rockwell!」以降のラナ・デル・レイには、無条件で降伏状態なのである。
マーク・ボランの45年目の命日となる9月16日、ティラノザウルス・レックスの「King Of The Rumbling Spires」を無性に大音量で聴きたくなり、新宿三丁目のupset the apple-cartまで足を延ばした。あいにく目当ての曲はリストに無かったが、それでも極私的フェイバリット・ナンバーである「By the Light of a Magical Moon」と「Cat Black」を聴きながら一人献杯し、ボランの冥福を静かに祈ることができた。ティラノザウルス・レックス期特有の、アコースティックギター弦に激しくピックを叩きつけてストロークするパーカッシブなサウンドは、ヘッドフォンではなく、周囲の空気をびりびり震わす大型のラウド・スピーカーで聴いてこそ真価が分かると信じてやまない。彼のギターを馬鹿にする者は、恐らくロックン・ロールの神髄を何一つ理解していない無機質な技巧至上主義者であろう。断言するが、マーク・ボランは、唯一無二のセンスを持った優れたギタリストでもあった。 同日、届いたばかりの七尾旅人の最新アルバム「Long Voyage」をiPodで聴きながら帰途についた。酔客が行き交う新宿の雑踏で、マスク姿の疲弊した男女が吊革に体を委ねる最終電車の車内で、旅人の歌は、まるで子守歌のように優しく、同時にレクイエムのように悲しく胸に響いた。新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威をふるい、差別、貧困、弾圧、暗殺、そして戦争が日常となったディストピアのような現代(いま)を、旅人は凝視し、熟考し、素晴らしい歌(ソウル)として昇華させた。「Wonderful Life」で歌われる「屋上で 飛び降りようか 飛び降りまいか 迷っている男」は、まさにぼく自身であり、「濃厚接触はいやだけど 商売相手にもたれて歩く ひとりのおんな」はもしかするとあなたなのかもしれない。ぼくたちは皆、「意図せざる航海、停泊」を強いられたダイヤモンド・プリンセス号の乗客であり、徴兵を怖れ、ギルティシンドロームに苦しむウクライナ市民なのだ。
以前からその傾向はあったのだが、ロシアとウクライナの戦争が始まってからは、前にもまして書くことがしんどくなってきた。2月中旬から6月上旬まで、御茶ノ水の米沢嘉博記念図書館で4期にわたって開催された「樹村みのり展」のことも一文字も書けないまま半年以上が経ってしまった。樹村みのりさんは寡作な漫画家で、一般に広く知られているとは言い難いため、このような企画展が開催されること自体驚きであったが、幸福なことに会期中多くの方が足を運ばれたようだ。
ぼくは、2月26日に訪問し、「贈り物」「ジョニ・ミッチェルに会った夜の私的な夢」「海辺のカイン」などの魂のこもった原画に圧倒された。中でも「わたしたちの始まり」(作中、ピート・シーガーの「We Shall Overcome」が印象的に使われている)とその続編で、政治の季節とベトナム戦争の終焉を詩的に描いた「星に住む人びと」は、ぼくより十数歳年上のベビーブーマーの青春を瑞々しく活写した名作であり、今も自分のそばにあり続ける大切な作品。その原画を見ることが出来たのは、本当に幸運なことであったと思う。
この日、渋谷駅前では、ロシアのウクライナ侵攻に抗議する集会が開催されていた。ぼくは、何だかしごく後ろめたい気分になり、俯きながらそこを通り過ぎた。
拝啓、ニール・ヤング様。あなたの歌声を聴いていると、日曜日の夕方に一人取り残されたような切ない気持ちでいっぱいになり、条件反射的に、飲めないバーボンをストレートで呷りたくなるから困ったものです。今だから正直に告白すると、あなたの歌を初めて聴いた16歳の時、暗い井戸の底で溺れかけているようなうら悲しいヴォーカルに馴染むことができず、CSN&Yのアルバム「デジャブ」は、あなたの「ヘルプレス」と「カントリー・ガール」が、デヴィッド・クロスビーの陰鬱で黒魔術的なナンバーよりもっと苦手だったのです。それがどうしたことか、幾度となく聴いているうちに、あなたの歌声がぼくの中にすぅっと入り込んできて、心が擦り切れた時、疲れ切って立ち上がれない気分の時、「なぁ、わけを話してごらんよ」とか「待ってても、誰も手を差し伸べてはくれないよ」などと、くぐもった声でぼそぼそと話しかけてくるようになったのです。以来40年、あなたの歌はいつもぼくのそばにあり続け、ふと後ろを振り返ると、人生の様々なシーンであなたのメロディーが聴こえてくるのです。「Mellow My Mind」におけるあなたの歌声は一際悲しく、その無防備なむせび泣きは、一方で号泣後の解放感にも似た清々しさすら感じさせるから不思議です。結局、ぼくは、死ぬまであなたの歌を聴き続けるのでしょう。
かくも偏ったロック観を持つぼくが、「ロックエイジ宣言」を銘打った文章を書くことになるとは、全くもって皮肉なものである。前回の記事で紹介したロックバー「Upset The Apple-Cart」のマスターGさんこと西川宏樹さんから再度お誘いいただき、先月末刊行された「ロックバー読本」の第4弾に、またしても同人として名を連ねさせていただいた。(今回は、マスター命名のHRD名義)。これは全くの個人的な見解だが、前作の「新型コロナウイルスをぶっ飛ばせ」は、やや書き急ぎすぎ感のあるエッセイが散見され、熱く滾るものを感じた前2作(「すべての心若き野郎どもへ」及び「同Part.2」)ほどにはノレなかった。しかし、今作はまるで違う。度重なる緊急事態宣言下でのノンアル営業により強制的に酒断ちされた効果であろうか、文章のキレや冴えが見違えるように復活し、得意の猥談も程よい塩梅で、何より行間からロックとソウルへの粘っこい愛がスティッキー状に滲み出してくる、そんなファンキーで愛すべき不良音楽読本となっている。特に今年1月に急逝した高円寺のロックバー「ネブラスカ」の名物マスター信さんに捧げた一文は、寂しさの中にも飄々とした可笑しさがあり、読後感爽やかな名文だなァといたく感心した。
それにしても「ロックエイジ宣言」とは難しいお題だ。ぼくは、ロックが完全に凪の時代に入り、パンクも終焉期を迎えようとしていた1980年から意識してロックを聴き始めたので、リアルタイムでの音楽体験は必然的に貧弱なものとならざるをえない。そのような中、15歳のガキだったぼくが同時代的に激しく心を揺さぶられたのは、クラッシュの「Train in Vain」、エルヴィス・コステロの「Accidents Will Happen」、ジャムの「Going Underground」、そして、YMOの「Nice Age」、アナーキーの「Not Satisfied」といったシンプルでパンキッシュなナンバーであった。しかし、これらの楽曲は、少年期から青年期にかけての自分自身とあまりにも一体化しすぎているため、言語化することが大変難しい。どうしても客観的な文章にはなりえず、感傷的で赤面ものの「自分語り」になってしまうのだ。個人ブログならそれでも一向に構わないのだが、さずがに人様の書物の中で、独りよがりな「思い出巡り」をするのは気が引ける。ならば、自分との間に一定の距離感があり、恐らく他の誰とも選曲が被らず、しかし、そこそこ有名で、かつ、現在進行形で聴き続けている曲という観点で選んだのが、ジェファーソン・エアプレインの「We Can Be Together」であった。
昨年10月下旬、ぼくは5年ぶりにその店の重たい扉を開けた。途端に耳に飛び込んでくる大音量のハードロック。レスリー・ウエストの豪快なリードギターとパワフルなシャウト。マウンテンの「Never In My Life」だ。暗い店内では、背広姿の中年男性2人がカウンターの両端に座り(見事なソーシャル・ディスタンス!)、グラス片手に、首を少し上下に振りながら、音楽に聴き入っている。先客との距離を空け、中央の座席に腰かけると、カウンター奥からぬっと現れた強面のマスターがiPadを差し出しながら声をかけてくる。「おう、久しぶりだな」。
新宿三丁目の雑居ビル3階にあるロック・バー「Upset The Apple-Cart」。マスターのGさんこと西川宏樹氏は、自称「人生で2度ロック・バーを開いた狂人」。つまり、この店は、彼にとって2軒目となるロック・バーだ。店のシステムは、至ってシンプル。iPadに収録された膨大な楽曲リストから聴きたいナンバーを探し、紙にアーティスト名と曲目を書いてカウンターに置けばよい。音楽に貴賎無し、この店では、ビートルズも松田聖子もザ・バンドも早見優も同列だ。リクエストは全て受け入れられる。それどころか、マスターもしくは同人から、絶妙なセンスのアンサーソングが贈られることもしばしば。ぼくは、この返歌のメドレーを通して、ジャニス・ジョプリンのスワン・ソングやホット・ツナの洒落たアコースティック・ブルースナンバー、そして、初期のロッド・スチュワートの素晴らしさを学んだ。
そこで、本の感想だけ伝えて、早々に引き上げようと思っていたのだが、不覚にも久し振りに外で飲むバーボンの甘さと香ばしさ、そして全身を直撃する爆音の心地よさにやられ、途中から一切の記憶を失い、気付くと、午前3時、旧新宿厚生年金会館前あたりをうろうろと千鳥足で歩いていた。思えば、初めてこの店を訪問した時も、厚生年金会館跡地に移転したかつての名店「Rock in Rolling Stone」があまりにも酷くて、半ば絶望しながら、大学時代の悪友3人でとぼとぼ歩いて行ったのだ。(そのことを今になって思いだした。7年前の秋、ぼくは確かにモビー・グレイプの「Hey Grandma」をリクエストした。)
翌日、店のfacebookに、酔いつぶれたことを詫びるメッセージを送ると、すぐにマスターから返事が来た。幸いなことに、記憶が途切れている間も終始上機嫌な様子であったらしく、一切迷惑はかけていないとのこと。ほっとしたが、一方で(この時期の東京の陽性者数は1日100~200人程度であったとはいえ)、一歩間違えれば感染拡大につながりかねない自らの軽率すぎる行動を猛省するとともに大いに恥じた。マスターからは続けて、「ロックバー読本第3弾の原稿を同人から募っている。テーマは『My Music Life With COVID-19』、気が向いたら君も書きたまえ」とのお誘いがあり、締切は今日中との無茶ぶりに唖然としつつも、同人の仲間入りをさせていただく絶好の機会と、興奮状態でザザっと原稿を書き、マスターに送った。その書き下ろしならぬ書き殴りの散文は、先月刊行された「ロックバー読本:新型コロナウイルスをぶっ飛ばせ」に無事掲載された。文章に添えたリクエスト曲は、ビーチボーイズの「Long promised road」である。
先にUpset The Apple-Cartは、マスターの2軒目のロック・バーと書いた。2軒目ということは、当然のことながら1軒目の店舗が存在する。それが、1990年代に音楽系酒場の新たな潮流を創ったとも言われる伝説のロック・バー「コモン・ストック」である。一流大学を卒業し、大手総合商社と大手都市銀行の若き企業戦士であった2人の若者(火ダルマ・ブラザースG&A)が、親や会社の反対を押し切り、ドロップアウトして、バブル末期の西新宿につくりあげたはぐれ者のためのシェルター。そこに編集者であり腕利きの料理人でもあったコーが加わり、美味い料理と酒と、そして何より1960年代から70年代にかけての最高のロックを最大級の爆音で聴かせる店が誕生した。
そんな彼らが1991年に出版した「ころがる石ころになりたくて」を先日ようやく読むことができたのだが、ブルース・ブラザース、リチャード・マニュエル、And Your Bird Can Sing、シー・ユー・アゲイン雰囲気、ヴィム・ヴェンダース等々、彼らが好きなものは、ぼくの好みとほぼ一緒で、思わず「おぉ同志よ!」と肩を叩きたくなる思いに駆られた。同時に、90年代最後の年、消耗したAが客からのリクエストを一切か聴けなくなったのを機に、彼らの青春も、西新宿の砦も共に終焉を迎えたのではないかと想像すると、この希望に満ちた青春譚が指し示すものも、つまるところ、閉塞感に支配された現在であるように思え、切なくて胸が痛くなってしまうのだ。
90年代半ばまで高田馬場に住んでいたぼくは、この道を、つまり、探し続けていた幻のロック・バーの店先を何百回も自転車で通り過ぎていたのである。20代だったあの頃に、火ダルマ・ブラザースG&A、そしてコーさんに出会っていたら、ぼくの人生はまた違うものになっていただろうか? 東京で新型コロナの新規感染者が初めて千人を超えた日の翌朝、「コモン・ストック」跡地で、ウォーレン・ジヴォンの「Hasten Down The Wind」を聴きながら、そんなことを考えていた。