Rock 'n' Roll Is Here To Stay(第2話) | AFTER THE GOLD RUSH

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とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

(第2話)Family Affair
 病院ってやつは、いつ行っても気が滅入る場所だ。暗い廊下、鼻の奥にツンとくる消毒液の匂い、白衣姿の気難しい顔をしたイケ好かない医者。ましてやそこに知り合いが不慮の事故で入院しているとなると、メガトン級の容赦ない重力に押し潰されそうな気分になる。だから、東京逓信病院を出た俺とヨウイチは、浮かない顔をして、とっぷりと日が暮れた飯田橋の堀端を歩いていた。
「まいったな。」
 ヨウイチが、煙草の煙を吐き出しながら力無く呟く。
「あぁ、最悪だ。」
 まったく、このシチュエーションは、控え目に言っても最悪としかいいようがない。
 俺は、土手の左下を走っていく中央線のオレンジ色の車体を見やりながら、病院での光景を思い出していた。

 俺たちは、病院の待合室で、泣きじゃくるマキとその隣で暗く険しい顔をして座っている中年の男女――それはマキとケンジの両親だ――にいきなり対面することになった。この両親のことは、ケンジから度々聞かされていた。警察庁の上級官僚である厳格な父親と教育熱心な母親。長男のケンジは彼らの期待を一身に背負わされ、幼少の頃からいわゆるスパルタ教育の日々、一方、妹のマキは自由奔放に育てられた。

「家族ってヤツは、四六時中監視している門番がいて、ムチを持った鬼教官がいて、押しても引いてもビクともしない見えない鉄格子があって、俺にとっては監獄以外の何ものでもなかった。マキが自由に育てられたのは女だったからだ。女だから何も期待されなかったんだ。」

 ケンジは、酒を飲むと、よくそんな話をした。

 哀れな“囚人”は、16歳の冬の日、かねてより計画していた“脱獄”を決行する。家を出た彼は、そのまま高校の寮に転がり込んだのだ。血相を変えて奪還しにきた両親を理解ある良き教師が説得し、そのおかげで彼は家に戻ることなく寮生活を続け、大学入学後はアパートを借りて一人暮らしを始めた。

 その両親が、今俺たちの前にいる。父親は、ケンジによく似て、切れそうなほど鋭く引き締まった顔をしており、母親は、大きな目と丸く小さな顔立ちがマキによく似ている。2人は、まるで汚いものでも見るかのような冷ややかな視線を俺たちに送る。彼らの強い拒否感と嫌悪感が全身に突き刺さり、ただたじろぐしかない。父親が、静かに、しかし、強く厳しい調子で口を開く。


「君たち、その恰好はなんだ。ケンジは今集中治療室で懸命に格闘しているんだ。それなのに、そのふざけた恰好は――。」


迂闊だった。俺たちは、二人とも黒いスーツに黒いネクタイ姿だったのだ。悪気がないとはいえ、これではまるで喪服ではないか。


「やめて、パパ。この人たちは、お兄ちゃんの一番のお友達なの。私がすぐ来てって言ったから、ステージ衣装のまま駆け付けてくれたのよ。」
マキが泣きながら訴える。


「服装のことはお詫びします。今すぐジャケットもネクタイも外します。気付かなかった俺たちが馬鹿でした。本当にごめんなさい。」
 俺とヨウイチは、深く頭を下げる。
「帰った方が良ければ、すぐに帰ります。ただ、ケンジ君の今の状態だけ教えていただけないでしょうか。」


父親が、俺の目をじっと見る。警察官僚然とした鷹のように鋭いまなざしがほんの少しだけ柔らかくなったような気がした。
「分かった。二人ともここに座りなさい。」


 この後、聞かされた話は、心底、俺たちの気持ちを滅入らせた。
 父親曰く――、ケンジは、靖国通りの交差点をバイクで走行中、右折してきた車と衝突し、頭と胸と左足を強打。まだ意識が戻らず、集中治療室で処置を受けている。医師の見立てでは、命に別条はないだろうとのことだが、何らかの後遺症が残る可能性は大きい。こうなった以上、回復しても音楽はやめさせるし、アパートも引き払って実家に戻ってもらう。君たちも、もうケンジには関わらないでほしい。金輪際、ロックなどという邪悪な道に息子を引き込まないことを約束してほしい――。

 俺とヨウイチは何も言うことができなかった。ケンジがまた以前のように元気になってくれるのであれば、バンドのことなど最早どうでも良かった。それは彼の人生において大した話ではない。しかし、後遺症が残ったり、またぞろ “監獄”に入れられるというのは、到底些事とは言えないだろう。

「とんでもないことになったな、ケンジ。」

 俺は、この病院のどこかで、命をつなぐためにもがき苦しんでいるであろうケンジの姿を思い浮かべた。同時にマキのことも気になった。かほどに暗く悲しい顔をしたマキをこれまで見たことがなかった。にもかかわらず、俺は彼女に何もしてやることができない。それは、つまるところ、“家族の問題”だから。家族という排他的な絆が、大きく高い壁となって、俺とケンジ兄妹とを右と左に引き裂いてゆく。

 それは家族の問題
 家庭の事情ってやつさ


 スライ&ファミリー・ストーンの歌の一節が耳の奥でリフレインする。最悪だった。俺は目の前の悲劇をただ傍観することしかできない自分の無力さを恥じた。もし、俺に人智を超える力があったなら、ケンジとマキを今すぐこの苦しみから解放してやるのに。しかし、ロックの魔法ってやつは、こういう時何の役にも立たないものだな。あれは、ハッピーな時に一緒に踊ってくれたり、軽く落ち込んだ時に背中を押してくれる程度の力しかもたないのだろう。そんなものにうつつを抜かしていた俺たちは、金の子牛を崇拝したイスラエルの民のように愚かだったのかもしれない。

 じっとしていても汗が滲んでくる蒸し暑い病院の待合室で俺はそんなことを考えていた。1985年の暑い夏は、まだ始まったばかりであった。つづく

 

Illustration by Seachan

※この物語はフィクションです。実在する人物・地名・団体とは一切関係ありません。