エイドリアン・ボーランドとリード兄弟、そして今は無きCOMMON STOCKに捧ぐ――
(第1話)POP LIFE
1985年、俺はハタチだった。あの年の夏から冬にかけて俺が体験したクールでもハッピーでもグレイトでもないごくごくありきたりでどこにでも転がっている石くれのようなチンケな出来事を今から少しだけ話そうと思う。個人的な話なので、俺のヒトリゴトだと思って聞き流してほしい。
俺のシマは新宿だった。歌舞伎町から花園神社を抜けて、明治通りを大久保方面に歩いていくと、左側に古びた灰色のペンシルビルが姿を現す。その地下のライブハウス「ジェイク」が俺のバンドのホームグラウンドであり、ガジガジしてやり場のないフラストレーションを発散するシェルターでもあった。リッケンバッカーのベースギターを抱えてカビ臭いステージに立つと、俺はいつも下水管に生息する得体の知れない生き物、例えば、村上春樹言うところの「やみくろ」なんかに変異したような気分になった。どす黒い汚物の海に這いつくばり、俺は、ディストーションをかましたベースをマシンガンに見立て、全てのクソッタレな野郎どもめがけて、歪みながら尖った重低音を連射する。ダダダ、ダダダダ。イチコロ、ニコロ、ミナゴロシ。ほら、いっぱしのテロリストみたいだろ。
俺のバンドは、スリーピースのビートバンドで、いつも揃いの黒いスーツを着ていたから、ブラックとかギャングとか呼ばれていたが、正式なバンド名はSNAPだった。そう、あの有名なJAMのアルバムから頂いた。俺たちは、ザ・フーやスモール・フェイセズやキンクスの初期のナンバーとモータウンのダンスナンバー、そして、出鱈目な英語を散りばめたしょうもないオリジナルを高速かつ最大級の爆音で演奏した。アンプのボリュームをマックスまで上げ続けることが、俺たちのポリシー(掟)であり、レゾン・デートル(存在証明)であったため、客もワーとかキャーとか歓声を上げることはほぼなく、耳をおさえながらただ黙々と踊っていたような気がする。
その日、俺は、いつもより早く「ジェイク」に着いた。リハーサルまで30分程時間があったので、カウンターに腰掛け、コーラを飲みながら、ウォークマンでプリンスの「Around the World in a Day」をフルボリュームで聴いた。周囲の連中は彼のことを「変態」とか「紛い物ソウル」などと言って馬鹿にしていたが、俺は、プリンスこそ現代音楽の天才であると信じてやまなかったし、この新譜には、大袈裟ではなく震えがくる程の凄みを感じ、ただただ圧倒されていた。
POP LIFE!
誰もがトップになれるわけじゃない
でもポップに生きなきゃ
人生まったくイカさないぜ
――サトシ、サトシ!
プリンスの歌声が、中年男の叫ぶような大声で妨害される。「ジェイク」のオーナーのマサさんだ。
「マっさん、どうしたの?」
「マキちゃんから電話だ。ケンジがバイクで事故ったらしい。」
ケンジは、俺と同い年でバンドのヴォーカルとギター担当、マキはケンジの2つ下の妹で、この春、「猫ッこ倶楽部」というテレビ局がでっち上げた女子高生アイドルグループに勧誘され、本人も加入する気満々だったが、俺とケンジが2人して全力で阻止した。以来、俺はマキに目の敵にされている。
電話の向こうのマキの声は震えていた。
「サトシ、お兄ちゃんがバイクで転倒して救急車で運ばれたって警察の人から連絡が来たの。一緒に病院に行ってくれる?」
「もちろんだ。すぐ行く。病院はどこ?」
東京逓信病院。ここからならタクシーで10分もかからないだろう。マサさんに今日のライブは中止にする旨伝え、店を出ようとすると、丁度黒スーツの大男が入ってきた。ドラムのヨウイチだ。
「おう、いいところに来た。ライブは中止だ。今から病院に行くぞ。急げ!」
状況がつかめず馬鹿みたいにポカンとした顔のヨウイチの腕を掴んで階段を駆け上がった俺は、ふと、これで何かが変わってしまうのではないかという漠然とした不安に襲われていた。
1985年7月、燦々と太陽が照り付ける明治通りの真ん中で、俺は迷子になろうとしていた。(つづく)
Illustration by Seachan
※この物語はフィクションです。実在する人物・地名・団体とは一切関係ありません。