崩れ落ちるものを感じるかい? | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

新御茶ノ水のウッドストック・カフェはとても素敵な店だ。ウッディな店内は掃除が行き届き、いつも清潔である。そして小さな本棚には、マスターお気に入りのセンスの良い音楽本が何冊も並んでいる(鶴見俊輔の「限界芸術論」とデイヴィド・ドルトンの「ローリングストーンズ・ブック」が同じ棚に収まっているのを眺めるのは痛快である)。酒はまぁまぁだが、ワンコインでビールやスコッチを飲めるので、懐も痛まない。何より、アコースティック・ライブの音響が素晴らしい。オーディオ方面には疎いのでメーカーや型番はさっぱり分からないのだが、なにやら大変性能の良いスピーカーが設置されているようだ。


昨夜(11月7日)開催されたよしだよしこさんのライブも、アコースティック・ギターとマウンテンダルシマーの音色の響きがすこぶる美しく、ぼくはまるで上質なコンサートホールで室内楽を聴いているようなそんな錯覚にとらわれた。しかし、よしこさんの「うた」はメロディー、歌詞、ヴォーカル、そして楽器演奏のどれをとっても名人芸の域に達している。驚くべきは、還暦を超えてから、それらがさらに進化し続けていることだ。この日アンコールで歌われた新曲は、世界を大きく動かした2人の少女マララ・ユスフザイさんとグレタ・トゥーンベリさん、そして世界中の“マララとグレタ”、すなわち、日常生活の中で変革に向けたさりげない一歩を踏み出す若者達に捧げられた。目線がまっすぐ前を向いた実に良い歌であった。かくも鮮度の高い、魅力的な曲を作り続けることができるのは、彼女のアンテナの鋭敏さ故であろうか。それとも研ぎ澄まされたリベラルな感性によるものであろうか。

よしこさんの秀逸な訳で歌われるカバー曲も素晴らしかった。マーク・ベノの「ドーナッツ・マン」(詩は高田渡さんとの共作である)、ジェリー・ガルシアの「ブラック・マディ・リバー」、そして、ザ・バンドの「オールド・ディキシー・ダウン」は、逆説的に最早彼女の代表作といっても過言ではないだろう。「崩れ落ちるものを感じるかい?」と題されたそれは、奇しくも、今この瞬間にテレビやネットが映し出すアメリカの熱狂と狂乱を予見していたかのようなバラッドであり、あらためて良質な歌のみが持ち得る普遍性について考えざるをえなかった。

 

焼野原のふるさと 黒山の人だかり

昨日まで将軍だった奴の処刑があるという

誰かが俺に石ころくれて自由を祝って投げろという

でも知りたいことがあるんだ いつも本当の敵はどこにいるんだい?

崩れ落ちるものを感じるかい?

鐘の音響く夜に 崩れ落ちるものを見ただろう?

皆が酔いしれる夜