最も卑劣な殺人 | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

1963年11月22日が大きな転機であったように思う。ボブ・ディランはこの日以降「ハリケーン」に至るまでの13年間、社会を直裁的に鋭く告発するプロテストソングを封印し、幻想と混沌の中に「痙攣する美」を探し続ける“転がる石の放浪者(ボヘミアン)”となった。そこには、CIAが巧妙に仕組んだフォークソング無力化計画及びLSDとアンファタミンでこの世界の最良の人々の知性と理性と良心を完膚なきまで破壊し、ただひたすら“カッコよさ”と“気持ちよさ”のみを追い求めるロック・ミュージックなる快楽(ガス抜き)音楽の跋扈を許し、ひいては若者達の非政治化と保守化が推進されたと言っては、陰謀論の誹りを免れないであろうか。

しかし、そのロックもついに終焉の時を迎えたようだ。鋭く空間を切り裂くようなフレーズで時代と対峙したリードギタリスト、そして、魂の叫びの如きシャウトで若者を扇動したヴォーカリストは、マンネリ化とルーティン化という勝ち目無き後退戦に自ら突入した後、自明の理として、表舞台から一掃され、新たなステージには、ミニマルなヒップホップと最新型ポップ・ミュージックがクールな佇まいで鎮座する、それが2020年の大衆音楽を取り巻く風景である。

そもそも、すべての商業音楽は、巨大資本や政治体制という“釈迦の手のひら”で踊る孫悟空のようなものなのだ。権力者が許可した範囲内での管理されたレジスタンス。その一線を超えてしまった者は、追放され、つぶされ、殺される。ディランが、1963年11月22日以降、社会の病巣ではなく、自分自身をテーマに歌い出したのは賢明な選択であった。何はともあれ、彼は生き延びることができたのだ。もし、権力の急所を容赦なく攻撃し続ける“政治的なジェームス・ディーン”であり続けたなら、ビートルズの全米制覇と入れ違いに、ニューヨークのどこかの街角で撃ち放たれた一発の銃弾が確実に彼の命を奪っていたことだろう。

そして今、世界史に永く刻まれるであろう陰鬱な厳冬の如きコロナの時代に、齢79歳のディランが、自らのターニングポイントとなった1963年11月22日、すなわちあの晩秋のダラスに立ち返り、壮大な叙事詩を紡ぎ出す。その歌「Murder Most Foul(最も卑劣な殺人)」は、ジョン・F・ケネディ暗殺から、ブリティッシュ・インベンション、ウッドストック、オルタモントとへと時を進め、ジャズ、ブルース、ロックンロール、フォークソング等の米国文化の底流をなす名曲のタイトルで用心深くカムフラージュしながら、国家の暗部を抉り出す。ケネディ暗殺の翌月、全米緊急市民自由委員会(ECLC)主催のトム・ペイン賞授与式で「(ケネディを撃った)リー・オズワルドの中に自分自身を見た」とスピーチし、激しいブーイングを浴び、米国中のリベラル陣営を敵に回した22歳の青年が、57年後にあらためて問う陰謀の真実。その覚悟を、今日も最前線でたたかう仲間と共有したい。