怪我人で世界は埋まっている | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

れもしない。2010年1月に、ぼくは、「フォーク・ソング派宣言」をし、フォークか、ロックか、などという二元論自体が全くのナンセンスであることは重々承知しつつも、あえてフォーク・ソングの側に立つことを固く心に誓ったのであった。その前々年から取り憑かれたように開始した東京フォーク・ゲリラに関する極私的なスクラップ・ブック作りは、ロック派の友人達にひときわ不評で、以来、音信不通になってしまった朋友のことなどを思い返すと、今でも一抹の寂寥感がせきあげてくるのだが、これもまた己の不徳の致すところなのでしょうがない。その頃、ぼくは、フォークとロックは、断じて対立する概念や音楽様式ではなく、正しく地続きの存在であり、であるからして一部のオールド・ロック・ファンが礼賛するこけおどしの暴力性や露悪趣味とは無縁の地点に、両者に共通するアティチュード(「原初的な感情の発露」や「孤高の精神性」といったもの)が存在すると思っていた。その考えは10年以上経った今もほぼ変わらない。だから、ロックを「様式」として捉える一群の人々とは、これから先も一切交わることはないだろう。思い出してみてほしい。女性を物のように扱い、高級ホテルのスイートルームを滅茶苦茶に破壊することを「ロックン・ロール」と称する幼稚でマッチョでそのくせセレブで鼻持ちならない麻薬中毒者に支配されていたあの頃のロックとやらを。ドラッグと快楽により骨抜きにされた「怒れる若者達」の末路を見てほくそ笑んだのは一体誰だったのか? LSDとCIAの抜き差しならぬ関係性といい、権力側の安全弁として機能し、あざとく利用された疑念すらあるロックの黒歴史から目を背けるべきではない。


かくも偏ったロック観を持つぼくが、「ロックエイジ宣言」を銘打った文章を書くことになるとは、全くもって皮肉なものである。前回の記事で紹介したロックバー「Upset The Apple-Cart」のマスターGさんこと西川宏樹さんから再度お誘いいただき、先月末刊行された「ロックバー読本」の第4弾に、またしても同人として名を連ねさせていただいた。(今回は、マスター命名のHRD名義)。これは全くの個人的な見解だが、前作の「新型コロナウイルスをぶっ飛ばせ」は、やや書き急ぎすぎ感のあるエッセイが散見され、熱く滾るものを感じた前2作(「すべての心若き野郎どもへ」及び「同Part.2」)ほどにはノレなかった。しかし、今作はまるで違う。度重なる緊急事態宣言下でのノンアル営業により強制的に酒断ちされた効果であろうか、文章のキレや冴えが見違えるように復活し、得意の猥談も程よい塩梅で、何より行間からロックとソウルへの粘っこい愛がスティッキー状に滲み出してくる、そんなファンキーで愛すべき不良音楽読本となっている。特に今年1月に急逝した高円寺のロックバー「ネブラスカ」の名物マスター信さんに捧げた一文は、寂しさの中にも飄々とした可笑しさがあり、読後感爽やかな名文だなァといたく感心した。
 


それにしても「ロックエイジ宣言」とは難しいお題だ。ぼくは、ロックが完全に凪の時代に入り、パンクも終焉期を迎えようとしていた1980年から意識してロックを聴き始めたので、リアルタイムでの音楽体験は必然的に貧弱なものとならざるをえない。そのような中、15歳のガキだったぼくが同時代的に激しく心を揺さぶられたのは、クラッシュの「Train in Vain」、エルヴィス・コステロの「Accidents Will Happen」、ジャムの「Going Underground」、そして、YMOの「Nice Age」、アナーキーの「Not Satisfied」といったシンプルでパンキッシュなナンバーであった。しかし、これらの楽曲は、少年期から青年期にかけての自分自身とあまりにも一体化しすぎているため、言語化することが大変難しい。どうしても客観的な文章にはなりえず、感傷的で赤面ものの「自分語り」になってしまうのだ。個人ブログならそれでも一向に構わないのだが、さずがに人様の書物の中で、独りよがりな「思い出巡り」をするのは気が引ける。ならば、自分との間に一定の距離感があり、恐らく他の誰とも選曲が被らず、しかし、そこそこ有名で、かつ、現在進行形で聴き続けている曲という観点で選んだのが、ジェファーソン・エアプレインの「We Can Be Together」であった。


この歌の歌詞は凄まじく過激だ。十数年ぶりに訳してみて、(政治党派のアジテーションからの引用など)詞の構造における、頭脳警察「世界革命戦争宣言」との相似形にあらためて驚かされた。以下、意訳である。
 

僕たちは一緒になれる あぁ 君と僕 連帯しよう

アメリカ帝国主義からみれば 僕らみんな無法者

生き残るために 盗み 騙し 嘘をつき 偽造し 畜生!ヤミの取引をする

僕たちは 卑猥で 無法で 醜く 危険で 汚く 暴力的で そして 若い

けれど 僕たちは一緒になるべきだ

さぁ 皆おいで

人生って 本当はとても素晴らしいものだから 連帯しよう

 

(資本家の豚どもよ)

お前達の私有財産は 敵に狙われている

そしてお前たちの敵は 僕たちだ

僕たちは 混沌と無秩序の力

誇りを持って 事を成す

 

壁に向かって立て

壁に向かって立つんだ マザーファッカー!

壁をぶっ壊せ!

ぶち壊すんだ その壁を!

 

さぁ 皆おいで

一緒に やろうじゃないか

連帯しよう 団結しよう

友よ 手を携えて 今 ここで おっぱじめよう

大地と炎が燃えさかる新しい大陸で

 

壁をぶっ壊せ!
ぶっ壊せ!
ぶっ壊せ!
ぶっ壊せ!

ぶち壊すんだ その壁を!

君もやってみないか?

 

かくも荒々しい決意と覚悟に満ちた歌をぼくは他に知らない。思想的には一定の距離を置くが、嘘偽り無いピュアなロック・スピリットには無条件で共鳴せざるをえない。そしてこの後、フォーク・ロック及びサイケデリック・ロックの開拓者であった彼らが、1970年代は彷徨える宇宙船となり、80年代には産業ロックの波に飲み込まれ、無様に崩壊していくことを想起すると、フォークかロックかなどと二者択一的に音楽のジャンルを論ずることは悉に無意味かつ不毛であり、つまるところ、「今、何を歌うべきか」という創作の動機と作品の質のみが評価の俎上に載せられるべきであろうと考えるのだ。


いまはもう長すぎるコンチェルトなど
聞いている時ではない
かけていって抱きあげなければならない
けが人で世界はうまっている

(詩 山内清)

その意味において、中川五郎氏が1960年代後半に大阪府高石市役所に勤務する詩人の山内清氏と共に作り、当時、梅田や新宿の地下街、地下広場で多くの人々に歌われたプロテスト・ソング「うた」は、清々しい程、評価に値する曲と言えよう。この世の中から、戦争や差別や貧困が無くならない限り、いや、もっと身近な問題に換言すれば、拙劣な労働環境、イジメ、虐待やDV、さらに言えば、新型コロナウイルス感染症の脅威が厳然として存在する限り、この歌のメッセージは何ら古びることはない。かように普遍性のあるフォーク・ソングが1970年以降、歌い継がれることなく、時代遅れなものとして忘れ去られ、打ち捨てられてしまったことが残念でならない。(だから、ぼくは、誰からも歓迎されない「フォーク・ソング派」として、後ずさりしながら、敗北の要因を探り続けるのだ。)

 


その「うた」が、50年の時を経て、静かに息を吹き返した。先月30日にNHK BSプレミアムで放送された「新日本風土記~東京の地下」でのこと。この番組もまた、制作者側の強靭な決意と覚悟を感じさせる良作であり、何より、元東京フォーク・ゲリラの大木晴子さんが、イラク戦争勃発直前の2003年2月から新宿西口地下広場で継続している「反戦意思表示」の様子をテレビで初めて放映したという点において画期的なドキュメンタリーであった。


「歌で戦争が止められるって、本当に純粋に思っていた若い時代ですから、一生懸命歌いましたね」と穏やかに話す大木さん。今は大きな声で歌うことはないが、手書きのプラカードを通して、広場を行き交う人々と心のキャッチボールを試みる。
「一番権力が怖いのは、市民の心が繋がっていくのを消したいんじゃないですか」。
52年前の夏、市民が自由に集まり、歌い、議論をした「広場」は、一夜にして「通路」となり、歌声は力ずくで弾圧され、圧殺された。同じような光景が、より激烈な暴力と多数の怪我人と死者を伴って、今も、香港で、ミャンマーで、アフガニスタンで繰り返される。大木さんは、新宿西口地下広場からそのような世界を見遣りながら、ひとつひとつの言葉を慈しむように「うた」を歌う。歌には人と人との思いを繋ぐしなやかな力がある。それを怖れることなく、活かすことが、今、ぼくたちに求められているのではないか。