日本三薬師の一つ、日向(ヒナタ)薬師 | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

では、日向薬師 宝城坊へ行ってみましょう。

(↑日向川(ヒナタガワ)に架かる 「十二神橋(ジュウニジンバシ)」。/ 橋の名に見える十二神、は日向薬師に祀られている お薬師さんの守護の天部の十二神像に由来する~ そうです。)
(↓橋名を記したプレート。)

(↓その近くにあった道標。)


日向薬師へは 本堂近くまで車で上がる事もできるのですがー 今回(亭主は10年前 一人バイクでお参りしております) は麓から歩く事にー。

尚、車は近くの駐車場に 300円で置かせて頂いてます。

↑案内板。/ 日向薬師は「日本三薬師」の一つなんですねー。 因みに他二箇所は、 愛知県新城市鳳来寺の峯薬師、高知県長岡郡大豊町豊楽寺の柴折薬師、だそう。
↓案内板の奥_石段の脇は「衣装場(イシバ)」と呼ばれる場所でした。

なるほどー、頼朝公が参詣の時に衣装を改めた処なんですね?

さて、上がって参りましょう。

仁王門が見えてきました。

(車でいきなり本堂前に行ってしまうと、この仁王門は見られないー)

おおー なかなかの迫力です!


振り返って見た仁王門。

近くにあった説明版。

力士達について_。(1833年に鎌倉の仏師 後藤真慶によって作られたものだそう。)

寺林について_。


先へ進みましょう。


途中 墓所や お地蔵さんの並ぶ一角、、、


歌碑などが 点々 と_。

(↑「ひらかるる 御厨子の扉 きしむさえ 生きの穢の 身を正さしむ」 凱二)

あ、旗の並ぶ石段が見えてきた。本堂はもう すぐそこ のよう。


近づくと 目の前に大きな茅葺屋根が現れました。



↑目の前のお堂は 国の重文、宝城坊本堂。
↓説明版。

「宝城坊は 旧霊山寺(リョウゼンジ)の別当坊で、この本堂は霊山寺の本堂を引き継いだものである。霊山寺は霊亀二年(716) 行基による創建と伝えられる真言宗の古刹で~ (中略) 現本堂は万治三年(1660)頃の再建と考えられている。(後略)」
↓更に「平成の大修理」が施された、んですね?(平成22年から7年かけて改修工事が行われたそうです。)


まずは手を浄めます。

(コロナで当たり前になった 柄杓を置かない手水舎)

(龍の水口から出る水は 竹の筒に~)


境内東には これまた茅葺の屋根を持つ鐘撞堂。


こちらの鐘は「暦応(リャクオウ)三年(1340)」と記された 国の重文。/ 鐘堂も宝暦十三年(1763)の棟札を持つ古いもの、とか。隅に柱が三本使われたスタイルは優美ですが これは計12本の柱 で薬師如来を守護する十二神将を表しているそうなー。

境内の鬼門方向には 丑と寅に守られた小さな祠がー。

祀られているのは虚空蔵菩薩。


元は日向山の奥の院に祀られていたそうですが 参詣しやすいよう このシラカシの木の洞(ウロ)内に移した~ そうです。

改めて 本堂へ。

むーん 立派ですなあー。

扁額の文字は「霊山寺(リョウゼンジ)」。

(説明版にもありましたが、現在は本院 霊山寺は明治の廃仏毀釈で廃れ、宝城坊が「霊山寺」の本堂を引き継いでいる、んですね? 尚この扁額は復元されたもので 以前の扁額は宝殿に展示されていましたー)


(↑龍や獏は木質が古そう。 以前の物をうまく使っているようですね?)

宝物館の拝見します。


有料ですが、お寺の仏像の多くが 本堂からこちらへ移されているので ここでご挨拶しませんと。


いや~ 素晴らしいお参り処でした。

ありがとうございました。

さて この後はお昼を頂きに 七沢温泉郷近くの「おかめ」さんへ。(伊勢原市まで来てるのですが もう一度厚木市に戻ります、よ) / つづく



<+>
お寺の手前の日向川に架かる「十二神橋」の橋の名は、地元の言い伝えでは 薬師如来を守る十二神 が「我々が通ったあの橋を忘るまい」、と名付けた~ 事になっているそうです。/ って、もしかしたらそれは 十二神の像を渡した人たちにとって忘れられない 有難い経験がベースになっている? / 色々興味深い事、と思いました です。