では片埜神社へ。
扁額。
片埜神社_ 「カタニイマスジンジャ」と読むのかな と思ったら「カタノ ジンジャ」だそうです。(意味的には変わりませんけどね) / そしてここは かつての「交野(カタノ)郡の一宮」なのだそうです。 (交野郡は今の交野市全域+枚方市の大部分+寝屋川市の一部、ですって)
東門。
門の説明板。
境内に入ったところ。
鮮やかな赤い垣の方へ進んでしまいましたがー・・・
こちらは摂社でした。
依姫社。/御祭神は 玉依姫命、大国主命 市寸嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)。
振り返った所にコンクリートの床(?)がありました。・・・ 車の御祓い所 とかでしょうか?
少し引き返して_
赤い垣の奥には本殿が見えました。
説明板。
ここは 秀吉が大坂城築城に際して「鬼門鎮護の社」として定めた神社なんですね?(説明板には書かれていませんがこの神社、 節分祭で「鬼は内!」というユニークな掛け声で豆まきが行われる事で有名。なんですって。)
又 建屋は秀頼の時代に片桐且元が普請奉行となって建てたもの、だそうです。
拝殿の方に回ろうとして_
拝殿の壁に吊るされた絵馬の絵が「鬼」である事に気づき びっくり。
(さすがは「鬼は内」の「鬼門鎮護の社」)
拝殿_
狛犬達。
拝殿の扁額。
社伝によると、カタノ、 は
垂仁天皇の御前試合で当麻蹴速(タイマノケハヤ)を倒した 出雲の野見宿禰(ノミノスクネ)が与えられた土地、なんですって。
(本によっては 野見宿禰が得たのは 当麻蹴速が持っていた奈良県・当麻の土地、と書かれているのですがー、「諸説ある」ようですね?)
で、出雲から移り住んだ人々は 出雲から自分達の神様として 素戔嗚尊(スサノオノミコト)をお連れし 祀ったそうです。 という訳で この神社の主祭神は素戔嗚尊。更に 出雲族から分かれた菅原氏から出た天神:菅原道真も祀られています。
素戔嗚は「新羅から来た(或は戻ってきた)神様」。(高天原を追放された素戔嗚は 新羅へ降りられます。が「ここはよくない」とおっしゃり御子神達と船で出雲へ渡っています。 島根県には大田市の他 松江市にも「素戔嗚が上陸された場所」と伝わる場所があります。)
出雲に入った素戔嗚は土地の神の娘:櫛名田比売(奇稲田姫)と結婚し 力を持ち栄えた訳ですが_
カタノに入植した 素戔嗚を祀る出雲出身者、 は もしかして大陸の血も引いているのかな? なんて。
(交野は渡来人の入植地として知られていますしー 「出雲族」と「渡来系」って もしかしてカブってます???)
又、この淀川沿いの土地に 素戔嗚 がお入りになった話は 豊中市民としてとても面白い。/ 豊中市には椋橋総社(クラハシノソウジャ)という神社があるのですが、 ここには 「素戔嗚命を運んできた鯉」の塚があるのです。(素戔嗚命は鯉に乗ってやってきたのですが、神崎川の河口で鯉が死んでしまいます。その鯉を埋めたのが 神社の建つ場所。)
又、椋橋総社を建てたのは伊香我色乎(イカガシコオ)という 天孫:饒速日(ニギハヤヒ)の子孫_物部系の族長。枚方市の伊加賀に住んだと伝えられる人。(現・意賀美神社の少し南に邸宅があったようだ とも) 饒速日は交野(カタノ)市の天野川沿いの磐船神社に祀られている神様~。
頭の中で あの話 この話 が すー っと繋がっていきました。 (枚方市・片坐に祀られている素戔嗚は 豊中市経由でここへいらっしゃったのかもー。 もしかしたら 素戔嗚は 更に川を遡り 下鴨神社の西に居住していたという出雲族にも拝まれていたかもー。 ひょっとして饒速日と素戔嗚には つながり があるかもー?)
さて、境内には こんな物もありましたよ。
大きな鬼の面。
さすがは~。
(しかし 不思議な事に 神社の公式HPには この鬼については何も書かれてないんです・・・。 元々の創建由緒とは関係ないから、でしょうかねー???)
その先にお稲荷さん。
なで牛。その奥は納札所。
退出前に 南門の前に手水舎・・・発見。(申し訳ありません)))
水盤に「一之宮」と刻まれています。
南門前から。
ありがとうございました。
<おまけ>
枚方の マンホールの蓋。
府のHPによると 「(枚方市のマンホール蓋は、)淀川を行き交う三十石船に食べ物を売る“くらわんか舟”と市の花である菊をデザインしています。」だそうです。
とびだし坊や。
女の子もいました。
胸に書かれている文字は「とのこ」かと思いましたが、「殿山第二小学校」の略で 「との二」 だそうです^^;)
枚方のご当地検定に出そうですね???