淀川の支流:天野川(アマノガワ)沿いの国道168号線を南へ走り 磐船神社へ行ってみました。(因みに天野川は「七夕」に関連するお話が沢山伝わる地域として有名~ だそう)
国道の新磐船トンネル手前を右へ(旧国道の方へ)折れるとー

天野川トンネルがありました。

ほぼ「滝」な感じー。

道なりに進むとトンネルの川上側へ出ました。

近くに駐車場もあったので そこへ車を置き_

旧国道を引き返して、神社の方へ。
赤い欄干の橋が見えます。

この橋の下を流れているのが 元々の天野川。(トンネルができる前は ここを あの水量が流れていたのでしょうか?)

神社の看板。

「天孫降臨の地・岩窟めぐり 磐船神社」

赤い橋の向こうには信者さんのための施設が建っていました。

道なりに行くと 鳥居がありました。


扁額には「磐船宮」と書かれています。

鳥居の先には社務所。

その先に いきなりどどん!とご神体の「磐船」が。(船の形の岩)

そして すぐ横に、磐船に接するように拝殿が建てられていました。

拝殿の正面に回ったところ_。

(↑直接ご神体を拝む形になってるんですね?)
近くにあった神社の御由緒書。

御祭神は天照大御神の孫神:ニギハヤヒノミコト。

ニギハヤヒが高天原(タカマガハラ)から乗って来られた 天の磐船(アマノイワフネ)がご神体。(_ここは 磐座(イワクラ)信仰という、神道の最初期の形態を残す信仰の場所なんですね?)

ニギハヤヒは 日本書紀によると(初代天皇より先に)河内の哮ヶ峰(タケルガミネ / 峯とも)に降り立ち 地元ナガスネの長:ナガスネヒコの妹:トミヒメと結婚しています。そして生まれたのがウマシマデ。_ その子孫が物部氏です。
ナガスネは 天皇家との戦に敗れて後は「トビ」と呼ばれるようになります。それが今の地名「トミ(富雄 や 登美ヶ丘)」の由来~ だそう。
この神社から川沿いに上がると 富雄・登美ヶ丘ですから ニギハヤヒの一派は 淀川の支流の天野川を遡ってヤマトに入ったのでしょう。
<おまけ>
『先代旧事本紀(センダイクジホンギ)』の第3巻「天神本紀」に 「饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)の六世孫・伊香色雄命(イカガシコオノミコト)の子・多弁宿禰(タベノスクネ)が交野連(カタノノムラジ)の祖先」と載るそうです。交野(カタノ)連は肩野(カタノ)物部氏とも呼ばれるそう。
物部氏って幾つもの分派(?)を持つ部族だったみたいですねー。
拝殿横に手水舎がありました。


その先に赤い鳥居と_

赤い垣で囲われた聖域ー。「岩窟めぐり」の場所ですね。(ワイルドで神々しい景色が見られると聞きます。)

↓定。

この先は 社務所にお届けをしないと拝見できないんですね。(この日は社務所が閉まっていて・・・ 残念でしたー)

いつか拝見したいものです・・・。

では戻って参ります。

(↓そうそうこれは 幕末の天誅組の記録方を務めた伴林光平の歌碑 だそう)

続いては ここから少し北に行ったところにある 天孫が降臨した場所_日本書紀に「河内の哮ヶ峯(タケルガミネ)」と載る山へ行ってみましょう。