ブログ書くのめちゃ久しぶりだ〜〜


はい、ご無沙汰です。


ちょっと日が経っちゃったけど、、今日は、この前の日曜日の「からくり道場」について書きます。



からくり道場は、マイ・ココロの師匠、ひらいなずさんのセミナー卒業生とか、いろいろとご縁がある人たちが、月に一度、集まってくる場。
 



一応、毎回テーマがあって、なずさんとちかさんがそれについてトークする、という意味では、レクチャー的な設定の場なのだけど、、、

 


通常の「セミナー」とか「講座」という枠には収まらない、同窓会やサークルのような和やかな空気で、、


とにかく、なんとも居心地がいい場、なのである。


で、、、今月のテーマは


「自分の世界観を再構築する」


これについて、ちょっと書いておきたいことがあってね。


長文だから、ゆっくり読んでね〜



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「世界観」


ちょっと難しい言葉だけど、僕は、


「ヒトが周りの世界を見たり、周囲と何かやりとりをするときに、心の中で無意識に採用している、自分の在り方の“基本姿勢”のようなもの」

 

 

といった形で理解している。

 


無意識にやってることだからあんがい意識しにくいんだけど、人間は誰でも心のうちに、「世の中ってのはこういうものだ」「人の心はこういうものだよ」といった感じの、基本的な指針、枠組みを持っている。

 

 

その枠組みに沿って、物事を理解したり、自分の行動を決めたりするわけだ。

 

 

例えば、、、

 

 

とある著名人が、「災害の被災地に1億円寄付した」なんていう話があったとしよう。

 

それを耳にしたとき、、、「いやぁ、立派だねー、さすがだねー」って素朴に感嘆する人もいれば、

 

「ふん、どうせ売名行為でしょ」なんて斜に構えて受け取る人もいるだろう。

 

こういうのが、話を受け取った人の“世界観”の違いの表れ、というわけだ。

前者の人はきっと、「旅は道連れ世は情け」みたいな世界観を持っているんだろう。対して後者の人の世界観は、「人を見たら泥棒と思え」って感じかもしれない。

 

 

 


そんなふうに心の中の基本姿勢が違うと、、、同じ話を聞いても、心の中から湧いてくる具体的な反応が、まるで違ってくる。

 

 

 

もう一つ例を出そうか。

 

 

 

僕は北海道出身で、18歳で大学に入ったとき、京都で一人暮らしを始めたんだけど、、、


 

関西文化圏に広く浸透している、「笑いを取れるネタを“オイシイ”と感じる」という価値観(≒世界観)がなかなか馴染めなくて(笑)、けっこう苦労したんだ。

 

 

 

何かやらかしたとき、周りはここぞとばかりに突っ込んでくるわけだけど、それがまるで「責められてる」ように感じられるんだよね。だから、突っ込まれると困惑してしまう。

 

すると、、、周りから見たら、「せっかく“オイシイ”場面を盛り立ててあげてるのに、なにしてんねんお前」って感じになっちゃう。

 

 

あ、、、関西の人たちは、こういう瞬間、咄嗟に「おいしいっ!」って感じてるんだ、ということに気づくまでに、、、けっこう時間がかかった。

 

 

 

こんなのも、世界観の違い。




まあ、いろんな世界観がある中で、どれかが正解でほかはダメ、ってことではないんだけど、、



世界観が歪んだりひねくれたり斜めだったりすることによって、世の中とうまく適合できず、生きづらい状況に陥っている、というのは、ありがちなことだという。



だから、行きづらい状況に直面している人は、自分の世界観を見つめ直すといい。多くの系列の心理学は、そういうふうに教えている。

 

 

 

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で、、今回の、からくり道場ですが。

 

 

 

今回、実は、道場の前の時間(からくりマルシェ(仮)の枠)を使って、道場の常連メンバーであるふみが、「身体調整ワーク」をやることになっていた。

ふみは、合気道とか気功とか、そういう身体系のことをいろいろ長年やってきた、とのことで、、実は、そっち方面の心得があるらしい。

 

そこで、基本的な身体技法を、希望する皆さんに伝授しましょう、ということになったわけだ。

 

 

 

 

で、、、それをやる、と決まったのが、ちょうど1カ月前、3月のからくり道場のときだったらしいんだけど、、、

 

その日はちょうど、クラスタ(ライブハウス)の緊急事態宣言明けイベントと日程が重なっていて、、、

 

僕はライブイベントの方に行ってたので、3月の道場は欠席だったのね。

 

 

 

 

だから、ふみのワークのことは何も知らなかった。




1カ月、ずーっと知らなかった。

 

 

 

 

それで、道場の前日(4月10日)に、Facebookのからくりマルシェ(仮)のグループで、「明日の道場は誰がくるの〜?」って感じで書き込みしたところ、、

 

 

 

 

ふみみから、「私は道場の前の、ふみのワークショップから参加するよ〜」っていう返事が来て、、、




は? ふみのワークショップ??? 、えっーーー???? 何それーーー😮😮😮 聞いてないよ〜〜!!!💢💢💢💢




、、、っていう気分が、ピューって湧いてきた、のよ。



まあ、僕は一応、自分がからくりマルシェ(仮)の“運営責任者”だ、って思ってるからね。

 

 

 

なのに、自分の知らないところでマルシェ(仮)のイベント企画が立ち上がっていたらしく、、、



しかも、、、、自分はそのことを、、前日まで誰からも知らされてなかった、、、誰も教えてくれなかった〜〜




えーーーー、何だよそれ〜〜〜〜〜〜😭😡😭😡😭😡😭😡😭😡😭💢💢💢💢




ってことで、、、




いっきに拗ね拗ねモードに入った僕は、Facebookのグループで、、



「えー、もっと早く教えてよ〜〜、都合が悪いから行かないよ〜〜〜」って書き込んでた。笑



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で、、、まあ、、そんな書き込みをしたことでちょっとは溜飲が下がったんだろう(笑)、、、


書いた後、少し落ち着いた僕は、、、この出来事の意味合いというか、心のうちの構造について、思いを巡らせ始めていた。




で、、ふと、目に止まったのが、、その日の道場のテーマ=「世界観」。



ああ、これはまさに、「世界観」がらみの出来事だよな、って思ったわけよ。

 

 


自分の中に何か歪んだ感じの世界観があって、、、それの作用で、こういう気持ちが湧き上がっているんだな、と。



そう。何かネガティブな感じの感情がピューって吹き出てきた時は、、自分の心の中の世界観を見つけるための、絶好のチャンスなのだ。

 

 

 


まあ、、、今回の場合、なんとなく、見当はついていた。



「どうせ、僕がいない方がみんな楽しいんでしょ」

 

 

 

みたいなやつだ。



心屋で、心のことを学び始めて、もう4、5年になる。自分の心の中の「どうせ」探しは、散々やってきたからね。

 

 

 

こういう感じのすねきった観念が、自分の心の奥にガッチリと巣食っていることは、なんとなくわかっていた。

 

 

 

でも、、



できればそういうのは手放してしまいたい、と、ずっと思っているにも関わらず、まだこうやって心の中で活発に働いているところを見ると、、



「なんとなくわかってる」だけで、決着はまだついてないってことだ。




それで、ね、、



仁さんは以前、魔法の言葉として、よく「どうせ私は愛される」というフレーズを口にしていた。

 

 

これはたぶん、「どうせ僕なんか、、」的な世界観をひっくり返すための定番フレーズ、という位置付けなんだと思うけど、、

 

僕の個人的な感覚では、、この「どうせ愛される」というセリフは、、なんか、しっくりこないんだよね。

 

 

これはあくまでも、僕の感性では、っていう話ね。自分にはどうも、ピタッとハマらない。

 

 

 

 

だとすれば、、、自分にしっくりくる別の何かを、自分で見つけなきゃいけないわけだ。

 

 

 

 

それで、、、ふと、こんなことを思いついた。



「どうせ自分なんかいない方が、、、」的なのとは真逆の世界観、例えば、「僕がいるからみんなハッピーだよね」のような感じの世界観をしっかり心の中に持っているであろう具体的な人物を設定して、、


その人がもしこんな状況に直面したら、どんな気分になるか、イメージしてみたらどうかな、、と。

 

 

「言葉」じゃなく、「人物イメージ」を使って、世界観に働きかけるアプローチ。

 

 

 

 

具体的な人物としてぱっとひらめいたのは、、なぜか、書道家の武田双雲さん。

 

 

 

双雲さん、直接の面識はないです。だけど、彼の家族や友人など、かなり近しい人とはけっこういろいろと接点があって。

 

 

そこから漏れ伝わってくる雰囲気とか、最近ならclubhouseで連日耳にする彼のトークとか、、

 

 

そういうのを介して自分の中に形成された、仮想「武田双雲イメージ」(世界観)っていうのが、僕の中にあった。



で、、それを自分にカチャンとセットしたとき、、、

 

 

 

さっきの「え〜〜〜聞いてないよ〜〜」みたいな状況に対して、どんな気持ちが湧いてくるんだろう、と、そんなことを思ったわけですよ。

 

 

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双雲さんは書家だから、たぶん書道教室とかやってて、お弟子さんもたくさんいるんだろう。

じゃあ例えば、そのお弟子さんたちが、双雲さんの知らないところで、書のグループ展の企画を立てていた、としよう。

 

いろんなアイデアが出て、ああそれいいね〜〜、とかって打ち合わせが盛り上がって、、会のコンセプト、日程、会場なんかもどんどん決まった。

 

ただ、、みんなうっかりしていて、師匠の双雲さんに話を伝えるのを、忘れてた、と。





それで、、開催日の前日になって、「実は明日、こんな会をやるんです」って、双雲さんに伝えたとしたら、、、


 

彼は果たして、どんな気分になるだろう?



僕がイメージする「仮想武田双雲的世界観」に、自分の体を当てはめて、そこでどんな気分が湧いてくるか、、、想像してみた。

 

 

 

そしたら、ね。

 

 

 

「えっ。。俺の知らないところで、そんなイベント企画を練り上げて実現しちゃうなんて、、、

 

 

このメンバー、、最高じゃん❣️❣️❣️❣️」


っていう気持ちが、湧いてきた。


さらに、、、



「そんな弟子たちを育てあげたなんて、、、オレ、サイコーー❣️❣️❣️❣️❣️❣️❣️❣️」



っていう気持ちも出てきた。

 

 

 

へーー、なんと。こんな気持ちが湧いてくるのか〜〜


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、、、、誤解のないように書いておきますが(まあ誰も誤解しないと思うけど、念のために、ね)、、


これはあくまでも、僕の頭の中の妄想ワールドで起きたことであり、、


現実の武田双雲さんとはまったく無関係です。勝手に名前使ってごめんなさい。




双雲さんはキャラの立った著名人なので、僕の頭の中には、「双雲さんってきっとこんな人だよね」っていうイメージが形成されている。


で、、このお話は、そのイメージを利用して、僕の心に根付いている世界観を、一時的に別のもの(仮想武田双雲的世界観)にすげ替えてみたら、、



心の中に、果たしてどんな気分が湧いてくるだろうか、という実験、なのである。



なので、、、設定上は「武田双雲」という別人格の名を借りているけれど、、、



これはどこまでも、自分の心の中の現象であり、、、そこで湧いてきた感情や気分は、正真正銘、自分自身の中から湧いてきたものなのだ。



だから、、、さっき書いた、「へーこんな気持ちが湧いてくるのか〜〜」の意味合いは、、



双雲さんはこんな気持ちになるのか、ではなくて、



へー自分の中にこんな気持ちがあったんだ、という、「自分の発見」として、感じられるのである。


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多くの人が、自分自身について、「私はこんな性格だ」とか、「こういうのが私らしい」などといろんな色づけをして、理解している。


私は怒りっぽいとか。愛がないとか。自己肯定感が低い、とか。




でも、そういうものの多くが、実は自分固有の性質というよりも、「世界観」という初期設定によってたまたま生じた表現形だったりするのだ。



同じシステム(心と体)でも、違う初期設定(世界観)を入れてやると、、あらびっくり、全く違う表現系が現れたりする。



今回の僕の場合がそうだ。最初のように、「どうせ自分なんかいないほうが、、」という初期設定を入れてシステムを動かすと、「なんだよオレがいないとこでみんな決めたのかよ、へーん、行かないよーだ!」っていう拗ね拗ね気分が湧いてきたのだけれど、、



同じシステムに、「仮想武田双雲」という初期設定を入れると、、、



「オレがいなくてもみんなこんなに決めちゃうなんて、、、最高じゃん!」



っていう心沸き立つような感動気分が、湧いてきちゃったのである。



いや正直なところ、、、これはね、自分でもちょっとびっくりした。



へーーー。こんな気持ちが、自分の中から出てくるんだ〜〜ってね。けっこう、感動したよ。



だって、自分が記憶してる限り、僕という人間は子供の頃から、こういうタイプの状況に置かれたら、ぷんっってむくれて、ヘソを曲げて、すねて、ボイコットする、そういう人だったから。



そういう行動を取るのは、自分の性格なんだ。ずーっと、そう思っていた。



でも、実はそれと全然違う気持ちが、自分の中に存在していた。初期設定をちょっと変えるだけで、そんな気持ちが実際に湧いてきたのだ。



もちろん、これはどこまでも「仮想実験」ではある。


でも、湧いてきた気持ちは、リアルなものだ。それは、感じて、味わってみれば、自分でわかる。


そうか、初期設定が違ってただけなんだ。そこさえ動けば、自分自身は今のままでなにも変わらなくても、オッケーなんだ。





、、、、というわけで、、



すっかり気が晴れた僕は、Facebookのグループに、、



「“都合がついた”から、ふみのワークショップ、いくよ〜💕💕💕」って書き込んでた。笑


 

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からくり道場の当日、なずさんがこんな話をしていた。


「心屋では最初、『嫌なことはやらない』ってやるでしょ。それは、嫌なことを長年我慢してやり続けてきた人にとっては、まず必要なアドバイス。でも、残りの人生ずっと、その『嫌なこと』を避けていくのがいいのかというと、そういうことじゃないよね」


「かといって、元々の『嫌なことを我慢してやる』に戻れ、って言ってるわけでもないのよ」


これ、、言葉だけ聞くと、なんか禅問答みたいに聞こえるかもしれないけど、、



世界観(初期設定)、というポイントを念頭に置くと、意味することがなんとなく見えてくる。



最初に感じていた「嫌なこと」っていう、その気持ちの奥には、それを「嫌なこと」と感じさせしめるような世界観が、きっと何かあるんだよね。


もしかしたら、ちょっとひねくれた世界観の影響で、それを「嫌なこと」と捉えてきたかもしれない。



だけど、、、



世界観の設定が変化すれば、、もしかしたらそれは、もはや「嫌なこと」ではないかも、、あるいはもしかしたら、大好きなこと、なのかもしれない。





でも、、その設定はどうやって変化するの?





ということを考える上で、このブログが何かの足しになれば幸いです。



 


 

会社員だった頃。お金を稼ぐことはイコール、我慢することだった。
 

 

 

嫌なこと(仕事)を我慢して、やる。そんな時間の切り売りのバーターとして、給料をもらう。

お金=我慢料、という認識だった。
 

これ、実は、新入社員研修の時に人事部の人からはっきり言われた言葉でもある。「サラリーマンの給料は、我慢料だからね」って。なんとまあ、明確な社員教育だこと。笑

 

 

 

 

心屋を知って、仁さんの話を聞いて、我慢をやめることにした。
 

 

で、、そうなったときに、じゃあどうやってお金を稼ぐの? というのが、基本的な疑問として出てきた。

 

 

楽しいことをやっていれば、そこからお金が湧いてくるようになるんだろうか?って、そんな期待感もちょっとあったけど、どうやらそこまで単純じゃないようだ。今のところ、そんな気配はない。笑



 

ってことは、「我慢」の他にも、お金の巡りにブレーキかけている思い込みが、何かあるのかな、、って、ずーっと、そんなことをぼんやりと思っていた。
 

 

 

で、、去年の暮れ頃。ふと、その「他のブレーキ」ってなんだろう?っ てところに、意識が向いて。


 

それで一つ気になったのが、これ。


 

お金を「貯める」と心が安らぎ(安心し)、お金を「使う」(残高が減る)と不快(不安)になる、という心の動きだ。


いや、それは当然でしょ、って思うかもしれないけど。

 

でも、、楽しいことにお金を使うのだから、ワクワクとか、うれしいとか、そういう気持ちが湧いても良さそうなものなのに。


「お金が減る」という現象に対しては、一律に、嫌なこと、残念なこと、という心の反応が立ち上がる。
 

 

そのお金で購入したモノやサービスを使ってる時はすごく楽しんでいる、という場合でも、「お金が減る」という側面に意識が向いた途端に、あーあって気分になる。


 

 

これは、どこからきてるんだろう?って、いろいろ考えていて、、、




ああ、そういえばー、、、、って思い出したのが、子供の頃によく聞いた、こんな母親の言葉だ。
 

 

 

 

「お金は貯金しておきなさい。ほんとに困った時、助けてくれるのはお金だけだから。人は、助けてなんてくれないから」

 


 

 

子供の頃、お年玉とかでちょっとまとまったお金を手にした時、必ずこんな風に言われて、貯金をしていた。
 

 

貯金さえしていれば、何があっても安心なんだ、って、そんな気持ちが育っていった。

 

 

 

まあ、困ったときお金が助けてくれる、っていうのはいいとして。
 

 

「人は助けてくれない」の方は、いかにも余計だよね、今思えば。

 

 

でも、それが母親の人生哲学だったんだろう。

 

 

で、、、それがそのまんま、自分の中にガシッと根付いた。

 

 

お金の最善の取り扱い方は、貯めることである。なぜならば、困った時、人は助けてくれないから、と。




使って楽しむより、「いつか困るかも」に備えて貯めることの方が、尊い。


キリギリスより、アリ。そんな人生哲学。

 

 

いや、アリは、みんなでため込んでるよね。つまり、アリ集団の中では、助け合いもあるんだろう,たぶん。


僕は、一人で、ため込んでいた。

 

 

貯めることは、「人の世話にならないで生きていくこと」。そうやってこの先も一人で生きていくんだ、と思ってたわけだ。

 

 

 

 

あー、、これを抱え込んできたのかー、って、気がついた。

 

 

単に「我慢」だけじゃなくて、、、


人は助けてくれないから、“自助”で生きるしかない。だから、貯めるんだ、って、そういう世界観を、自分の周りに鎧のように積み上げていた。

 

 

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本田孝一さん(こーちゃん)の本に、こんな話が載っている。


こーちゃんがあるとき、師匠の竹田和平さん(日本一の個人投資家)に「お金ってなんですか?」って聞いた。そしたら和平さんは、こう答えたんだって。

 

 

 

「お金は、愛の光だがねぇ~」
 

 

 

この言葉、初めて見た時から、何かすごいなー、ありがたそうな話だなー、って思って、記憶に残っていたんだけど。。。

 

 

正直なところ、何それ、意味わかんね~わっていう感覚も強くて。笑

 

 

 

そりゃあ、「人は助けてくれないものだ」という信念を心の奥にガシッと抱え込んだままでは、、、いくら「お金は愛の光だ」なんてありがたいお題目を聞いても、ピンと来ない。当然だよね。


だから、、逆にいうと、、

 

 

その信念が、「人はけっこう助けてくれる」とかってひっくり返れば、、

 

 

 

「お金は、愛の光だがねぇ~」という言葉も、なんらかのリアルな実感を伴って受け取れるようになるんじゃなかろうか、と、そういうことだよね。うん。

 

 

 

 


からくり道場&マルシェ(仮)で知り合った、心理カウンセラー&タロット占い師のミユ。



年末の大晦日に、zoomでタロットセッションをやってもらった。
 

黄色いカードがいっぱい出たのが特徴的だった、らしい。

 



2020年内なら旧料金でお得だよ、って言ってたのを思い出して。笑

 

 

いや、もちろん、それだけじゃないよ。

 

 

新年に向けて、自分の中でちょっとスッキリさせたいことがあって、、、

 

 

そうだ、これは、ミユにタロットやってもらうのにちょうどいい機会だ、と思った。

 

 

   ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー

 

 

タロットは、「占い」の一種だ。

 

 

そして、占いっていうのは一般に、時の流れとか運勢的なものを判定する、みたいなイメージがあるだろう。

 

 

自分の意思や選択が及ばないところに、何か運命的な流れ、巡り合わせがある。それを読み解いて、お告げする。そんな感じ。


僕自身、占いって概ねそんな感じのものだと思っていたし、それゆえに、元々はほとんど興味なかった。

 

 

だって、そういうものに一喜一憂して生きるなら、自分の人生なのに自分じゃろくに何も選べないじゃない? そんなの、くだらない、って思ってた。

 

 

だけど、、、去年11月のマルシェ(仮)で、ミユがタロットのブースをやるってなった時に、、

 

 

そのブースのキャッチコピーを一緒に考えていて、「そもそもミユはなんでタロットやってるの?」みたいな話になって、、

 

 

いろいろ話を聞いていく中で、僕が思っていた占いのイメージとは全然違うんだな、ってわかってきた。

 

 

占いとは、人知を超えた運命的なものをお告げする、のではなく、、、

 


そこで「運勢」として読み解かれるものは、実は、自分自身の心の奥底が、発生源なのだという。

 

 

自分の心のエネルギーが、どこかに向かおうとしている。あるいは、本音では向かいたいのになんらかの事情で向かうことを躊躇っている。

 

 

そんな心模様の深層をすくいとり、読み解いていくのが、占いの本質なのだという。


へぇーー、それなら面白そうだ。どこかの機会で、やってもらいたい。そんなふうに思ってた。

 

   ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー◇ー

 

 

1時間のセッションは、あっという間だった。

 

 

笑っちゃうぐらい、面白かった。

 

 

 

カードからミユが読み解いていったのは、自分がそもそも、薄々、まあそりゃあそうなんだろうな、と感じ始めていて、でもなんとなくはっきりさせるのをためらっていたような、そんな感じのものばかりだった。

 

 

あるいは、言葉の上ではわかっていた(つもりだった)けれど、それが本当に意味するところの実感がまだ乏しかったような事柄が、「それはこういうことだよね」って示される、とかね。


例えば、、、

 

 

「まーくんは、もっと、弱みを人に見せちゃったほうがいいんだよ」って話が出てきてね。

 

 

ああ、その話なら知ってる。うん、自分でもそれは意識してるよ、って、心の中で僕は思ったわけよ。

 

 

だけど、その次にミユが言った言葉が、ぎょえーって、想定外だったのね。

 

 

 

「例えば、SNSで何か書き込んだのに誰も反応してくれないような時には、もう「寂しいよ〜〜〜」とかって言っちゃうの」

 

 

 

!!!!

 

 

 

え゛〜〜〜っ😬😬😬😬😬😬

 

 

 

ぎいやぁーーー😱😱😱😱😱😱😱😱、

 

 

 

そこまで無防備にやっちゃうわけ??!!!

 

 

 

いや、なんかね、、僕が頭の中でイメージしていた「弱み」っていうのは、もっと、“ちゃんとした弱み”なわけよ。

 

 

ほら、よくビジネスセミナーとかで、あなたのストロングポイントはこれこれで、ウイークポイントはこれこれで、とかやるでしょ。

 

 

あんな感じで「弱み」を炙り出して、提示すること、みたいな感じを、勝手にイメージしてた。

 

 

でも、さ、、、“ちゃんとした弱み”って、もうこの言葉自体が、おかしいよね、自己矛盾してるよね。笑

 

 

 

、、、みたいな感じで、自分の深層心理が宿すクセが、あからさまになり、ときほぐされていくわけよ。

 

 

これが、めちゃ、面白かった。

 

 

 

というわけで、、、

 

 

 

ミユのおかげで、2020年のモヤモヤがスッキリして、、

 

 

 

いい感じで2021年を迎えられた気がしてます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

1日遅れですが、あけましておめでとうございます。

 

さて、今年はどんな年になるのでしょうね。

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2020年は、まさにコロナで始まってコロナで終わった1年でした。

 

 

それで、、、社会全体としては、コロナのせいでえらいことになっているわけですが、、、

 

 

自分の周囲数メートルの環境だけに注目するなら、、

 

 

むしろそれによって、自分の人生史上、満足度最高レベルの、ほっこりと温かい生活感ある空間が実現された、というなかなかに興味深い展開があったのです。

 

 

何しろ、それ以前のうちの家族(僕とかみさん)の暮らしぶりといえば、平日はそれぞれのスケジュールで別々に動いていて、顔を合わせるのはせいぜい夜ぐらい。一緒に食事を取れるのは週末のみ(ほぼ外食)。それさえも、どちらかに何か用件が入ればなくなる、というような感じだったわけですよ。


それが、コロナ以降、かみさんの会社が基本、在宅リモートワークになったことで状況が一変。

 

 

ランチも夕飯もたいてい家で作って一緒に食べる、という、結婚二十数年目にして初めての家庭的な状況が訪れました。

 

 

しかも、、我が家はちょうど2019年の秋に、引っ越したところ。

 

 

東京を離れ、神奈川県藤沢市内の、リビングから富士山が見える絶景マンションに移り住んだわけです。


今朝の眺め



夕方はこんな感じ。


もう、ね、こんな素敵な環境なら、いくらでも喜んで、“おこもり”するわ!、って思うわけよ。


まるでこの状況を予見していたのでは、と思えるほどの、絶妙なタイミングでの引越しでした。


で、、、そうなってくると、「家の居心地を良くする」ことに、自然と意識が向くわけで。

 

 

そこで、、いろいろな“投資”をした。それがまた、実によく、ハマった。


一番ハマったのが、、、実は、「土鍋」なんです。

 

 



当初は、冬になって寒くなったから、「鍋」料理をするのに土鍋とかあるといいかな、、ぐらいの軽い気持ちで、アマゾンでポチって買ったんだけど。


いざモノが届いたら、そこに「美味しいご飯の炊き方」のマニュアルがついていて。


それで、マニュアル通りに炊いてみたら、、、、これがもう、涙が出るほど美味しくてね。

 

 

これはもう、炊飯器には戻れないわ、ってぐらい、感動的な味。

 

これでまた、家で食べる食事が、さらにワンランク満ち足りたものになった。。

 

 

 

といった感じで、、、



僕にとっての2020年は、自分の身の回りが、家庭という“小さな天国”のような幸せ空間で包まれた年だった、のです。

 


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で、、、それを踏まえて、2021年。

 

 

今年はたぶん、この幸せ空間を基盤にして、自分の意識や気持ちが、もう少し外に広がっていくんだろうな、と、そんなイメージがあります。


その取っ掛かりになりそうなのが、、、


去年の終盤から始まった、「からくりマルシェ(仮)」

 

 

セミナールーム「ナズルワン」に集まるメンバーで立ち上げた、「なんか楽しいことやろうよ」というノリの組織。

 

 

いや、組織って呼ぶほど秩序だった感じじゃないな。どちらかというと、学生サークルのノリに近いような、わちゃわちゃした仲間の集まりです。


今のところ、イベントをしたり、旅行や食事会に出かけたり、といった活動が中心。


まあ、活動それ自体もさることながら、、、


ここで出会った仲間とのつながりを通じて、いろんなことを学んだり、感じたり、体験したりする、それが一番の宝物だな、と思っています。

 

 

そこから、どんなモノが生まれてくるんだろうか。


楽しみな1年が、また、始まりました〜

 

日曜日の「からくりマルシェ(仮)」。

 

 

僕は、ライブコーナーとして20分ほどの枠をもらって、ミニライブをやった。

 

普段、ライブハウスで演奏するときは、ラグタイム系のギターインスト曲ばかり弾いているのだけれど。。。

 

今回は、歌モノ4曲。インストは1曲だけ(完全におまけ扱い)。

 

 

 

なんだかね、、今回は、歌いたかったのよ。

 

 

 

マルシェ(仮)の企画が始まった時点では、いつものようにインスト中心で行くつもりだった。

 

まあでも、そういう系の音楽ばかりかかっているとんがったライブハウスでの演奏じゃないんだし、みんなが知っているような歌も1、2曲入れようかな。

 

でも基本は、自分が普段弾いているギター音楽で勝負! みたいな気分だった。




だから、自分のコーナーのタイトルは、

 

「まーくんの ココロが躍りだす🎶 生ギターライブ」

 

とつけた。あくまでこの時点では、「ギターライブ」のつもりだったんだよね。

 

 

 

ところが、、、



マルシェの10日ほど前、僕がよく演奏しているライブハウス「国分寺クラスタ」で、30分のライブをやった。

 

当初は、自作インスト曲中心のセットリストを考えていたんだけど、、


当日、ふとしたはずみから、カラオケでよく歌ってる山崎まさよしくんの歌などをちょいと弾き語りで歌ってみたところ、なんだかとても気分よく歌えて、聞いているみなさんもすごく盛り上がって、、、

 

気がついたら、残りの時間を全部、歌ってた。。という“事件”が起きてね。笑

 

 

 

で、、そのとき、思ったわけよ。

 

 

 

「インストで勝負」「オリジナル曲で勝負」っていう、普段やっているあれは、なんなのだろう? と。

 

 

 

ミュージシャンとして、自分のスタイルを持つことが大事、という話は、もちろんわかる。


でも、もっとも大事なのは、音楽する=「音を楽しむ」ことだよね。

 

みんなで楽しむために、みんながよく知ってる山崎まさよしくんの歌を歌う。それは別に、全然悪いことじゃない。

むしろ、自分にとっては、単純に、ストレートに楽しいことだった。

それまで「インスト勝負」ってやってきたライブではあまり感じられなかった、はっちゃけて楽しい感じが、そこにあった。

 

 

 

ということは、、、

 

 

 

もしかして、自分は今まで、「自分のスタイル」という、この世界で良かれとされているモノを打ち出そうとするあまり、その反作用として、、「音楽を楽しむ」といういちばんの核心部分を、抑制してきたのではないか? と思ったわけ。



、、、これは、本来はね、全く真逆の話だよね。

 

 

 

本来的には、、、自分が楽しいと感じる音楽を追求していって、、、その結果としていつしか現れてくるものが、「自分のスタイル」、のはずだよね。



だから、、、「自分のスタイルにこだわるあまり、音楽の楽しさを抑制していた」、という文章は、それ自体、大いなる矛盾を抱えているわけで。

 

 

 

そこでいう「自分のスタイル」って、いったい何なのよ? ってことになる。

 

 

 

いやほんとに、、、それって、何?

 

 

 

、、、、、、

 

 

 

、、、まあ、こういう根源的な疑問って、真面目に考え始めると際限がない。どんどん、沼にはまって、重苦しい感じになっていく。。

 

 

 

今こうやってブログを書きながら、「お、わわ、これ、実は思いのほか、根源的なテーマだったんだな、、お気楽に書き始めたのに、ちょっとやばいな、どうしよ〜〜」って思ってる自分がいるんだけど、、、笑

 

 

 

実際のところは、、10日ほど前の自分の思考は、そういう深い沼の方へは進まずに。

 

 

 

「そうだ、マルシェ(仮)のライブも、ガンガン歌うことにしよう〜〜その方が楽しそうだっ❤️」っていう、お気楽な感じの方向へ進んだのです。はい。笑

 

 

 

で、、、こんな感じになった。

 








どう? めっちゃ楽しそうだよね。


うん、歌うのって、楽しいな。


ちょっとこっち方面も、しばらくいろいろやってみたいな、、って気分に、今はなっている。

 

 

 

さてさて、、そんなわけで、、「自分のスタイル」は、、どこにいくんだろうね?? 笑

 

 

昨日は、第2回「からくりマルシェ(仮)」@ナズルワンだった。

 

 


なずさんが開催する「からくり道場」から生まれた、道場参加者の手によるイベント企画。



先月の第1回は、僕が2時間まるっと使って、ヒモトレワークショップをやらせてもらった。




今月は一転、会場の中に机を置いて、複数の“ブース”を並べる方式での開催。


あやりんの「筆文字ちょびのすけアート」




ミユの 
幸せのヒントがわかる
ハッピータロットリーディング




ようちゃんの
ときめき✨まゆげアドバイス
眉って大事よ❤️
(写真はまこちゃんから)




マコちゃんの
「そうだ!マコちゃんに相談してみよう💕
〜視点を変えるトレーニング💗

「ゆるカフェ」スペース




まーくんの
ココロが躍りだす🎶
生ギターライブ
(写真はさつきちゃんから)」




zoom参加。はっちゃんの
鍼灸師が伝える 風水薬膳茶ミニセッション
"開運のツボ”付き
(写真はまこちゃんから)



 

全景は、こんな感じね。
 





先日の、マルシェ告知記事の最後、僕はこんなふうに書いた。



初めての試みなので、どんなふうになるのかは、蓋を開けてみないとわからない。

でも、、どっちへどんなふうに転んでも、、楽しいに決まってる、という確信は、ある。笑

 

それは、準備の過程で、Facebookグループでいろいろやってきたやりとりを通じて、、たぶん、みんな、感じてると思う。


 

実際に蓋を開けてみると、、、この時点で想像していたのより、さらに、はるかに、何百倍も、楽しかった!

 

 

高校生の時の文化祭もそうとう楽しかったけど、、あれがさらにまっしぐらに、迷いなく、拗ねなく、濁りなく、突き進んだ、そんな感じ。


なんだろうねこの感じ。ほんと、びっくりだわ。笑

 

 

で、、、先月のヒモトレワークショップは、感覚的には自分一人がーーっと突き進んで燃え尽きた、そんな感じだったのだけど、、

 

 

今月は、一緒にこの場を作った仲間が周りにいて、そのつながりの中をエネルギーがぐわーーって巡った。そんな感覚。

 

 

仲間。ブースを出したメンバーだけじゃない。会場に朝から来てサポートしてくれたメンバーや、「様子見に来たよ〜って顔を出してくれたメンバー、オンラインで参加してくれたメンバー、準備段階からfacebookのグループでわちゃわちゃ参加してくれたメンバー、、、

 

 

それら全体がつながって、この暖かい空間ができた。そんな実感がある。

 

 

 

 

 

。。。いやぁ、こんなふうに書きながら自分でしみじみ思うのは、、

 

 

 

俺がこんなこと書くようになったなんてねぇ、、、って感じ、なのである。

 

 

 

先月のヒモトレワークショップ、「自分一人でガーっと突き進んで燃え尽きた」というあの感じは、わりと、若い頃からの自分のあり方の延長にあったと思うのね。



まあ、それはそれで良いのだけれど。

 

 

 

それに対して、、

 

 

 

「仲間とのつながりの中で、暖かさやエネルギーを感じる」という今回のこの感じは、、、

 

 

 

過去の自分の中では、あまりなかった世界、なのですよ。

 

 

 

もちろん、チームで何かをしたという経験は、過去にもいろいろある。例えば雑誌づくりの仕事は、チーム作業だったからね。

 

でも、、、あれは確かにチームではあったけれど、、「エネルギーの交流」って感じでは、なかった。

 

それぞれが自分の持ち分の責任を果たして、それら成果物を最後にガッチャンって合体したら、はい、出来上がり。オッケー、じゃあね。そんな感じ。

 

 

 

僕は過去、どちらかというと、そういう「人は人、自分は自分、責任果たせばいいんでしょ」的な世界観のなかで、生きてきた。

 

 

 

 

そういうのとはちょっと次元が違う、つながり感。支えあってる感。

 

 

嬉しいなー、ありがたいなー、気持ちいいなー。幸せだな〜〜❤️

 

 

そんな感じ方が、自分の中から出てきてるという現象そのものが、ちょっとこそばゆくも、嬉しい。

 

 

 

いやぁ、、ぼかぁ、幸せだなぁ〜❤️(加山雄三風)

 

 

_______________



まあ、客観的に、イベントとしてのあり方を振り返るなら、例えば集客状況などにおいて改善すべき点(伸び代)は山ほどあると思う。それはそれで、この先の課題として、これから考えていこう。

 

 

 

だけど、、それはさておき、、一番大事なところは、今回、しっかりつかめたんじゃないかな。僕はそんな気がしている。

 

 

 

 

 

 

 

さあ、カラクリマルシェ、いよいよ明日になりました。
 

 

11月22日(日)の11時〜14時。

 

 

場所は、ナズルワンセミナールーム。


からくり道場が15時からなので、その前の3時間です。





ブースのラインナップが少し変更になりました。最新情報はこちらです。

____________

 

●ブース出店
(11時スタート〜14時まで)

 

ミユの 
幸せのヒントがわかる
ハッピータロットリーディング
20分1000円

 

 

あなた宛の可愛いご神託
あやりんの 筆文字ちょびのすけアート
1枚500円
※神社の質問も大歓迎だよ!

 

 

⭐️変更あり⭐️
はっちゃんの
鍼灸師が伝える 風水薬膳茶ミニセッション
"開運のツボ”付き
 →ZOOMを使ってオンラインでセッションします! 会場のPCから、はっちゃんに繋がれますよ〜

 

 

ようちゃんの
ときめき✨まゆげアドバイス
眉って大事よ❤️
500円
※お使いのアイブローペンシル、パウダー、ブラシ等、あればお持ち下さい。


⭐️New⭐️
マコちゃんの
「そうだ!マコちゃんに相談してみよう💕
〜視点を変えるトレーニング💗」(お気持ち金制)
 

 

 

●雑談スペースでまったりと開催

マコの ゆるカフェ
無料
(提供するものは、主におしゃべり。飲み物はご持参ください。差し入れ大歓迎)

 

 

●12:30ころから20分程度

まーくんの
ココロが躍りだす🎶
生ギターライブ
無料
(この間、ブースは昼休みです。しばし音楽をお楽しみください)

___________________


初めての試みなので、どんなふうになるのかは、蓋を開けてみないとわからない。


でも、、どっちへどんなふうに転んでも、、楽しいに決まってる、という確信は、ある。笑

 

 

それは、準備の過程で、Facebookグループでいろいろやってきたやりとりを通じて、、たぶん、みんな、感じてると思う。


というわけで、、


是非、遊びにきてね〜

 



 

今からもう10〜20年ぐらい前になるけど、僕は某健康雑誌の編集部に勤めていた。役職はデスク(副編集長)。

 

 

当時、編集部にはデスクが3人いて、それぞれ担当分野がなんとなく決まっていた。

 

食事・栄養担当がA氏。美容・スキンケア担当のB氏。そして僕は、“身体”担当だった。

 

「体を動かして健康になる」ことを目指して、記事を作る。具体的には、体操、エクササイズ、ヨガ、呼吸法、マッサージといったメソッドを取り上げることが多かった。



こういったメソッドを雑誌で紹介する場合、常に頭を悩ませる問題がある。

 

「体の動きを、どうやって伝えるか」である。

 

 

 

雑誌はテレビと違って、動画を使うことができない。

 

今ならネット動画と連動させることが簡単にできるけど、当時はまだ、そんな環境は普及していなかった。

 

 

 

使えるものは、二次元の、動きのないツールのみ。文字と、写真と、イラスト。

 

それを駆使して、「体の動き」という精妙なものを伝えないといけない。

 

 

 

いつも、そこに頭を悩ませていた。

 

 

 

で、、、最初のうちは、「説明を足していく」発想で、誌面を作っていた。

 

 

 

いろんな言葉を積み重ねて、体の動きをできるだけ正確に、精密に記述する。

 

足の幅はこのくらい、腕の角度はこのくらい、といった具合に。

 

言葉で足りない部分は、写真やイラストで説明する。全ての動きを網羅できるよう、連続的な動作をコマ割りにしたり、部分の拡大写真を入れたり、といった工夫も凝らした。


動きが複雑になるほど、当然、写真の点数も増えていく。

 

 

 

さらに、、、説明する内容は、「動き」だけじゃない。

 

 


例えば、このエクササイズは何回すればいいのか、という話。

 

標準的な回数が「1セット10回」だとして、、でも、体力には個人差があるし、もっと多い方がいいケースだってあるだろう。それなら、「もっと増やす」あるいは「もっと減らす」は、どうやって決めるの? それも説明した方がいいんじゃないか。

 

左右の動きがある場合なら、左右同数が基本。。だけど、動きに左右差があったり、片側だけ痛みが出るような場合も、同数でいいのか。それも説明した方がいいんじゃないか。

 

 

 

等々、、、考えれば考えるほど、説明する内容は増えていく。

 



そんなふうに、説明を足して、足して、作り上げた誌面は、、、“説明書”としてはとても精密なものだったはずなのだが、要素が多すぎて圧迫感があり、全体的に息が詰まるような印象にしか見えなかった。

 

 

 

ここまで詰めたらダメなのか。。じゃあ、、何か減らさなきゃ。

 

何を、どこまで減らして大丈夫なんだろう?

 

 

 

そんな調子で、毎月の誌面づくりは、いつも試行錯誤だった。

 

 

 

あるとき。僕は整体の先生に取材をしていた。整体の発想を応用した健康体操の話だったと思う。

 

動きの見本を見せてもらい、メモがわりにデジカメで写真を撮り、自分でもやってみて、なるほどこういう感じか、と確認し、、、

いつものように、「この体操、何回やればいいですか?」と聞いた。



その返事として、、それまで聞いたことがない種類の言葉が返ってきた。

 

 

 

「気が済むまで、やってください」

 

 

 

は? 気が済むまで、ですか。

 

 

 

「ええ、気が済むまで、です。気が済んだら、ああ気が済んだんだな、って、自分でわかりますから」

 

 

 

???は???

 

 

 

それまでの自分の常識では、なんとも収まりどころのない言葉だった。

 

 

 

、、、、とはいえ、、先生がそういうのだから、まずはそのごとく受け取るしかない。

 

 

 

しょうがない。本当に気が済むかどうか、自分でやってみよう。

 

 

 

帰宅した僕は、教えられたその体操を、実際にやってみた。

 

 

 

何度も、繰り返し、、

 

 

 

すると、、、、

 

 

 

どのくらいやったのかは覚えてないけれど、、、

 

 

 

やがてそのうち、、、心の中にふと、「ああ、もういいか、もういいや」みたいな気分が、湧いて出てきたのである。

 

 

 

気が済んだ。納得した。あるいは、、、もう飽きた、みたいな感じ。ともいえる。



へ? これか? これのことか??

 

 

 

翌日、僕はその先生に電話をしてみた。

 

 

 

「、、もういいや、もう飽きた、みたいな感じになったんですけど」

 

 

「ああ、それですよ、それでいいです」

 

 

 

ハァ???

 

 

 

、、、なんかこう、、、気が抜けたというか、、、

 

 

 

それまで、ちゃんと伝えなきゃ、全部きちんと説明しなきゃ、ってあんなに頑張って考えて色々工夫してやってきたのはなんだったんだろう、、って、膝カックンを喰らったような気分だった。

 

 

 

けど、、、それで、ふと、思ったんだよね。

 

 

 

そうか。全部説明しようとしなくても、体は自分で、ちゃんとわかるんだ。

 

 

 

そして、、、大事なことは、、、雑誌を読む読者も、その「体」というツールを、みんな持ってる、ということ。

 

 

 

だから、、、「読者の“体”はちゃんとわかるはずだ」って、そこを信頼して、メッセージを出せばいいんだ。



なるほどな〜〜。。。眼から鱗、とはまさにこのことだった。

 

 

 

それまでの僕は、メッセージの出し手(自分)から、受け手(読者)へと伝わっていく「情報」のなかに、全てを突っ込んで伝えないといけない、って思い込んでいた。


「情報」。この場合は、雑誌の誌面に乗っている文章や写真のことだ。そこに全ての要素が網羅され、説明され尽くされていないと、受け手にはわからない、と思い込んでいた。

 

 

 

その上で、現実の「読みやすさ」という条件との折り合いで、どこかに妥協点を見つけようとしていた。
 

 

 

だけど、、実際は、そうじゃない。

 

 

 

実際には、受け手一人一人が、自らの「体」という小宇宙を持っているのだ。

 

 

 

出し手は、自分の体内で起きた現象を伝えたいと思って、情報を出す。

 

 

 

その情報は、受け手に伝わったとき、受け手の体を刺激し、受け手の体の中で、出し手の体内と同様の現象を引き起こす。

 

 

 

これはあくまでも、受け手の体内現象なのだ。その現象を起こすために必要な材料とか、エネルギーとかは、全て受け手の体の中にあらかじめ備わっている。



だから、途中を媒介する情報が、素材など全てを運ぶ必要はない。情報は、きっかけを伝えるだけでいい。

 

 

 

あとは、受け手の体が、全てやってくれる。

 

 

 

それを、信じる。信じて、情報を出す。情報は、「きっかけ」にさえなれば、それでいいのだ。

 

 

 

いや、まさに「眼から鱗」だったのだよ。

 

 

 

で、、まあ、そんな転換が自分の中で起きて、でもそれは編集部の方針とは必ずしも合致するものじゃなくて、、といったようなこともあり、、、やがて僕は会社を辞めてフリーランスのライターになった。

 

 

 

そして、、そこからも色々あって、今は、ヒモトレをやったり、心屋をやったりしているわけだが。

 

 

 

この両方とも、この「眼から鱗」の延長線上にある。それが自分にとって、とても納得できるあり方だから、そこに関わっているのだなぁと、今でも思うのだ。

 

 

 

体には、初めから全て、ある。

 

 

 

それを信じる。信じて、メッセージを出す。

 

 

 

 

、、、というわけで、、今日は、いまの自分の“原点”を振り返ってみるお話でした。

 

 

 


先日お知らせした、からくりマルシェ(仮)の第2弾。


 


いよいよ全体がまとまりました。


日時は、11月22日(日)の11時〜14時。

 

 

場所は、ナズルワンセミナールーム。


からくり道場が15時からなので、その前の3時間です。

 

 

イベントページはこちら↓

 

 




以下、プログラムです。

_______________

 

●ブース出店
(11時スタート〜14時まで)

 

ミユの 
幸せのヒントがわかる
ハッピータロットリーディング
20分1000円

 

あなた宛の可愛いご神託
あやりんの 筆文字ちょびのすけアート
1枚500円
※神社の質問も大歓迎だよ!

 

はっちゃんの
鍼灸師が伝える 風水薬膳茶ミニセッション
"開運のツボ”付き
3名限定(要予約) 3000円
予約はこちら↓から

https://ws.formzu.net/fgen/S44301427/...

 

ふみみの
手作りハッピーマスク屋さん♡

 

ようちゃんの
ときめき✨まゆげアドバイス
眉って大事よ❤️
500円
※お使いのアイブローペンシル、パウダー、ブラシ等、あればお持ち下さい。

 

 

●雑談スペースでまったりと開催

マコの ゆるカフェ
無料
(提供するものは、主におしゃべり。飲み物はご持参ください。差し入れ大歓迎)

 

 

●12:30ころから20分程度

まーくんの
ココロが躍りだす🎶
生ギターライブ
無料
(この間、ブースは昼休みです。しばし音楽をお楽しみください)


________________

ということで、5つのブースと喫茶コーナー、加えてお昼休みにはギターライブという、なかなか彩り豊かなラインナップとなりました。

 

お昼のギターライブは、もちろん、僕がやります。



このイベントの母体となっているのは、心理カウンセラーひらいなずさんが主催する、「からくり道場」という月一回のミーティング。



 

なずさんの各種セミナーを受講したり修了したりした人が自由に集まってくる場所で、いわば“同窓会”的な場といえる。

もちろん、この「からくり道場」自体もセミナー的な体裁ではあるのだけれど、、、

 

ほかのセミナーよりずっとオープンで、フレキシブルな感じだ。時間の半分ぐらいは、参加者側からのシェアタイム(近況報告や個別の相談ごと)だったりする。

 




なずさんのセミナーは、外見上は「心理セミナー」=こころの悩みを取り扱う技術を学ぶ講座なのだけれど、思うに、その本質は、「自分らしい“あり方”」へアプローチする、というところにある。

目の前の問題、悩みはダミーであり、結果的に起きたこと。

根本にある原因は、その人が、その人らしい“あり方”を見失っているところにある。

 

 

 

「私は、何ものなんだろう?」 「なんのために生まれてきたんだろう?」

 

 

 

受講者は、問題の捉え方を深めていった末に、究極的には、そんな問いかけと向き合うことになる。

 

 

 

 

ただ、、、この種の問いって、坐して思念してるだけでは、なかなか実のあるところにいけないんだよね。

 

「自分探し」っていう言葉はネガティブなニュアンスで使われることがあるけど、それは、「座って本を読んだりセミナー受講してるだけじゃわかんないよ」っていう意味が込められているんだろう。

 

 

 

必要なのは、行動。動いてみて、初めてわかることが、山ほどある。

 

 

だから、、、「私は、何ものなんだろう?」の答えとして、何かしら実のあることを掴もうと思うなら、「何かやってみる」は必然なのだ。僕は、そう思う。

 

 

 

 

、、、というような思考プロセスを経た、わけではないのだが、、(笑)、、



今年の夏ころから、からくり道場によくくるメンバーの中で、「ねえ、うちらもなんか、やりたいよね〜」みたいな声がボチボチ上がり始めていた。

 

 

「何かやりたい」

 

 

座ってセミナーを聞いてるばかりじゃなくて、何か“実践”をしたい。

 

 

 

“実践”の中身として心にのぼってくるものは、人によっていろいろだろう。創造的なものだったり、ビジネス的なものだったり。あるいは、「何かを伝えたい」といった想いかもしれない。

 

 

そう、そこでどんな想いが出てくるかを通じて、僕らは「自分が何ものなのか」を、より深く知るんだろう。

 

それを知りたいから、「何かやってみたい」という想いが出てくる、ともいえる。




そんな「やってみたい」を叶える場として企画されたのが、この「からくりマルシェ(仮)」。

 

 

 

ぜひ、遊びに来て。きっと、すごく面白い場になってるはずだから。

 

 


 

先月からスタートした、「からくりマルシェ(仮)」。




心理カウンセラーひらいなずさんの講座を受けた人たちが集まる「からくり道場」のスピンアウト企画として、受講生が主体になって、各種イベントとかいろんなことをやっていこう、っていうものね。


先月はその第一弾として、僕がヒモトレワークショップをやらせてもらったわけですが、、、


現在、第二弾の準備が、水面下で着々と進んでいます。



いや、着々、なんてそんな淡々とした感じじゃないなあれは。

わちゃわちゃ、ワイワイ、えいえいお〜〜(笑)、っみたいな、結構ぶっ飛んだノリで、めちゃ盛り上がりながら進んでる。

Facebookのグループ内で、ああだこうだとやりとりしてるあの雰囲気は、、


まるで高校生の時の文化祭、、って感じ。笑


おかげさまで、新しい仲間も増えてきた。





次回は、マルシェ方式=いろんなブースが並ぶスタイルになります。

カードリーディングとか、美容相談とか、グッズ販売とか、ほんと、いろいろ。

日時は、11月22日(日)の11時〜14時。からくり道場が15時からなので、その前の3時間です。

僕の「ギター&歌のミニライブコーナー」も、どこかに入る予定だよ〜





もうちょっとでラインナップがまとまるので、そしたら正式に告知するね〜


お楽しみに〜〜




※ちなみに「からくりマルシェ(仮)」っていうのは、仮称のつもりで適当につけた呼び名なんだけど、いまだにそのままで動いてるのってどうなんだろう(笑)
この調子でいくと、(仮)がついたまま正式名称になるのだろうか。アップアップガールズ(仮)みたいな感じで。